ちょっといろいろしながらとりだめていたガンダム00セカンドシーズンを流しみして、11話くらいまで来た。全然筋を把握していないので、うろ覚えの発言なんで、へんなところがあったら、つっこんでください。ファーストシーズンも含めて、どうしてもこのソレスタルビーイングという連中の動機が分からないんだよなぁ。みんな違和感を感じないんだろうか?。何の目的で、あんなに頑張るのかがよくわからない。
この違和感を、LDさんは、明快に「彼ら(=ソレスタルビーイング)が子供で、歴史感覚がないからですよ」といったら内容のことを説明してくれたんだが、それは僕も同感なんだよなぁ。
どういうことかというと、まず、この世界の設定をまずウキィペディアから引用してみよう。
本作は、西暦2307年の地球を舞台としてスタートする。人類は枯渇した化石燃料に代わるエネルギー源として宇宙太陽光発電システムと軌道エレベーターを実用化していたが、莫大な建造費が必要なこれらのシステムを所有しその恩恵が得られるのは「ユニオン」、「人類革新連盟」、「AEU」の世界3大国家群のみであった。それらの超大国間には全面的な対決こそ無いものの熾烈な軍備開発競争による冷戦状態が継続し、また、いずれの連合にも属せなかった小国は貧困にあえぎ、紛争や内戦を繰り返していた。
これ、上記のマクロの設定が、何を指しているかというと
・3つの巨大な同盟・連邦国家が存在している
という2点から、この設定の世界が、100年単位では「緩やかに地球統一に向かっている」こと、また「巨大な政治システムが3つ存在することで、2者の覇権争いによる全面的な最終戦争になりにくい成熟した政治状況であること」、さらに最後が重要だが、社会の進歩が閉塞しないための最大条件である「宇宙というフロンティアが存在している」ことがあげられる。
最後のは少し敷衍する必要があるが、ようは、宇宙に効率的に物資を運べる、巨大な軌道エレベーターを建設、開発ができるだけの資力や政治権力の統合が既に済んでしまっているということで、人類社会が、社会(=経済システム)がゼロサムゲームに縮退してしまわないだけの安定したインフラストラクチャーをすでに手に入れてしまっている、ということがわかるんだ。
とするとね、この世界で、拙速に武力介入をして、統合を早めることや、小さな悲劇である地域紛争を無理やり止めることに、意味が感じられないんだよ。だって、100年単位では、これらのすべては解決するもの。統合は、構造上間違いなく起きるはずだし、、、、基本的に地域紛争は、「リソース(=資力)が不足している」から起きることで、宇宙開発が進んでいる、かつ安価で効率のいいエネルギーを確保している現状では、100年単位で、こういった悲劇は確実に減っていく。だから、世界を良くするための王道は、積極的に、宇宙開発の技術者やそこに自分を投入することだと思う。結局それが一番近道だもの。
ならば、むしろ、無駄に紛争を起こす方が、社会の漸進的な発展を阻害すると思えないか?。
このときの唯一の利点は「統合を早めること」につきる。たぶんそのスピードアップは、ゆっくり統合を進めた時に発生する悲劇の量と比較して、決して少ないとは言えないだろう。
だとすると、これを求めるソレスタルビーイングの若者たちの動機を、こう高みから解釈することができれる。
「彼らは、自分たちが生きている間に、自分たちの手で、社会がよくなることを見たい、悲劇をなくしたいと、駄々をこねている子どもなんだ」と。
もちろん、セツナなのような少年兵でこの世の地獄を見た悲劇を、そんな高みから批判するのは、ミクロの人間としては、ひどい行為だとは思う。が、人類が滅びるわけでもないので、その悲劇はどこまで行っても、ありふれた個人的な悲劇にすぎない。それを理由に、マクロの大きな、悠久の歴史の流れに介入する根拠にはならない。ましてや、構造上、明らかに正しい方向へ向かっているものを歪める理由にはならんないんじゃないのかなぁ?。もちろん、こうした大局を見て小数を切り捨てるという行為への抵抗は必要だとは思うし、だから少数の悲劇を見捨てるのを肯定することはできないが、かといって王道の道を前へ進める以外に、解決の方法がないことも事実だ。
えっと、このイメージは、「悠久の歴史意識」とか「組織の歯車になることで、「自分」ではなく自分の参加する理念や夢が世界を変えていくことを信じて」「目の前の小さな部分にコミットしていくこと」という感覚がわからないと、意味をなさない。それと対になっている発想なんですが、たぶん、1945年の敗戦とその後の積極的な世界の運営にかかわる意識を育てていない日本では、「権力をどう使うべきか?」ということと、「大局や理想のために部分にコミットすること」という考え方が、見事なくらいに磨滅しているので、とてもわかりにくいんじゃないかなーと思うのです。
えっと、つまりね、世界は正しい方向へ進んでいるんだから、その狭間で自分が生きてい内には矛盾は完ぺきに解決はしないが、その狭間ギリギリのところで矛盾にまみれながら努力し続けるということを放棄しちゃって、「自分が」「自分の手で」「自分が生きているうちに」なんとかしようとするわけ。ほんとは、世界に紛争がなくならないならば、いい戦術予報士になって、せめて効率的に紛争を収めようとしたスメラギ・李・ノリエガやカティ・マネキンの若いころの発想は、正しいと思うんだよね。そこは、自分の死後に、それが必ず解決することを信じて、その理想や組織にコミットして、がんばって働くことをしない、なんだか逃げに感じる。死後じゃ意味がないと駄々をこねている。。。。
だから、どうしても、なんでそんな拙速にしなければならないのか?ということが、僕には理解できないなぁ。いや、セカンドシーズンで、人類が統合しちゃった後で、弱きもののために戦うのはわからないでもないんだが、それはカタロンで十分だし、というか、間違いなく普通ならば、アロウズのような急進的な統合維持派が生まれる一方、体制内部に、そういったリベラリズムを踏みにじる行為に対する対抗組織もできると思うんだよね。人類が統合しているんだから、議会だって司法機関だってあるはずなわけだし。
なんか、、、、うーん、それにまかせておけば?、というか、そもそもそういう活動をすべきで、戦力を維持して外からテロ行為を繰り返す意味がわからない。
まぁもっとも、イオリア・シュヘンベルグというとんでもねぇ設計主義者がいたことで、 それを受け継いでいるイノヴェーターとかがいるわけだから、存在の意味はわかるんだけどねぇ。。。でも、それが、「人間による設計」であるというマイナスを除けば、イオリアらの構想は、SFマクロ的には、とっても正しくて・・・・うーん、ほとんど否定する根拠をもたないなぁ。外宇宙へ進出せよ、また外宇宙で他の知的生命体に対抗できるように人類の意思を統合せよ、、、って、それって、人類の理想であり夢でしょう?。
・・・・なんとなく物語的に、ソレスタルビーイングの動機と立ち位置が、あまりに卑小で、僕にはどうしても「うまく入る」ことができないなぁ。と思っている今日この頃でした。
みなさん、どう思います?。彼らの存在って、なんの意味があるのかなぁ?。それに納得できないと、この物語にうまく入れないや…。まぁ高河ゆんさんのキャラデザ好きだし、とても丁寧でよくできたものなので、悪いとはいえないんですが・・・。