評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★☆星3つ半)
富野監督の作品を全部見れているわけではないのだが、映画版があるということで、これならば正月に一気に見れるだろうと視聴。評価に表れているが、決して「没入する」ほどではなかった。星3つ。つまりは普通。一言で言うと、キャラクターに興味もがもてない。そして、そのドラマ性も、全体的に生煮えで未成熟だった。富野由悠季さんのガンダムサーガとして、「言いたいことを探そう」という読解の動機がないと、なかなか人気が出なかったのではないかと思う。面白さという意味では、あまりおすすめできない。主人公のキャピタル・ガード候補生の少年ベルリ・ゼナムと、アメリアの海賊部隊の少女アイーダ・スルガンの二人が持つドラマが、イマイチだからだ。監督が、言いたいことが、この二人のドラマにないからだと思う。ルイン・リーとマニィ・アンバサダなどなど、韓国ドラマのような、設定はてんこ盛りだが、一つ一つが丁寧に作られて演出されていないので、特に没入できなかった。
ただ、じゃあ、この作品んがダメだとか、富野由悠季が老いたのだとか、そういうことでもないと思う。この作品は、SFとして、マクロ視点で、描きたいことがありすぎて、そのスケールを閉じ込めるために、キャラクターのドラマが圧縮されてしまったのだと思う。だから、SFのアニメーションとして、みるべき文脈をメモしておきたい。「種子は残した」と富野さんがおっしゃっているように、ガンダムサーガの物語文脈に、大きな「世界観の広がりを設計して埋め込んだ」感じがすごくする。2022年の宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』もそうだけど、老たる巨匠が、ここに来て、風呂敷を広げて、新しい時代への挑戦をするのだから、いやはや驚きの時代だ。
興味深かったのは、この作品がロードムービーになっていること。物語がまとまっていないので、心に刺さるまで来ないのだが、それでも、地球(キャピタルシティ)から、衛星軌道上(軌道エレベータにナット)、月の裏側(トワサンガ・スペースコロニー)、金星方面(ビーナス・グロゥヴ)に行って帰ってくるという超長距離が人類のテリトリーになっていることが「映像で描かれている」所にこの作品の意味があると思う。僕はガンダムマニアではないので、整合性は気にしないが、ガンダムサーガの悠久の歴史のつながりの中に位置付けられている・・・つまりは、富野ガンダムサーガの正史になるわけだから、ガンダムのシリーズ、サーガを描く時に「この空間の広さを前提」にしなければならなくなったのだと思う。
なので、4で描かれるビーナス・グロゥブや巨大な球状のフォトン・バッテリーの集合体と「オーシャン・リング」は、実物だ。映像としては、SF作品としてのセンスオブワンダーがそれほどあるわけでもないのに、「超長距離が人類の歴史のテリトリーになっている」感覚がするのだ。何がどう演出してそうなっているのかまでは、わからないが、感じるものは感じる。これはある程度の大画面で一気に見ると、けっこう大きなパワーを感じる。
もう一つは、キャピタル・タワーの都市国家「キャピタル・テリトリィ」の軌道エレベータと、人類が地球の再生のために宇宙からフォトン・バッテリーを輸送して分配している公的機関のような存在になっている所。このエネルギーの分配する行為を、宗教にしているところが、惜しい、もう少しこの設定を深くドラマトゥルギーに展開してほしかった。掘り下げが低いので予感で終わってしまっているけれども、リギルド・センチュリー(Regild Century)の設定が、ガンダムの宇宙世紀以後、R.C.1014年が舞台であって、「宇宙世紀を含めて2000年を越す歴史」というセリフからも、この時代が10世紀以上の人類社会の後退と、それから緩やかにまた再繁栄の道を歩んでいる悠久の歴史が感じられるところが、、、、言葉や歴史で「書いている」だけではなく、宗教によりエネルギーの分配行為が神聖視されているところからも、上手いって思いました。惜しいのは、この設定を深掘りできていないこと。
技術体系を進歩させることは「アグテックのタブー」として禁忌にしているところは、非常に面白い。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズの鉄華団のアグニカ・カイエルを思い出す。
ここでは、大きな物語のだラマトゥルギーとして、人間が1000年単位で、技術発展のコントロールをしようと悪戦苦闘しているマクロの大きな流れが前提になっている。
僕の物語分析の配信の中では、トップクラスに面白いというか、具体的な分析ができているので、この配信お勧めします。僕が、SFを見るときに評価軸が、詳細に説明されている。「こういうのがみたいんだよ!」というのが溢れまくっているのですが、。、、、この同じ「匂い」が、『ガンダム Gのレコンギスタ』にも溢れているんですよね。
しかし惜しいかな、匂いだけなんです。
キャラクターの魅力が、そのマクロの背景に秘すと、やはり弱いんだろうと思う。物語になりきっていない。そういう意味で「種を残した」作品なんでしょうねぇ。