先日、哲学の入門でお薦めは?と聞かれたので、これを答えた。全体としては、ギリシャ哲学からポストモダンまでを網羅しており、著者としてはフッサールの現象学を高く評価している、というところがこの本の全体像。
けど、個人的にもっとも意識に残っているのは、いろいろ哲学の本を勉強して読みまくっても、一つも書いていなかった重要な「視点」がここに書かれていたことが、蒙が開かれるようだったのでこの本が印象に残っている。それは「自分」に「哲学」がどうかかわりがあるか?ということだ。
・・・・???って思うかもしれないが、大学で哲学系のことが好きだったり読んでいたり、間違って大学院とかに行ってしまった人には、このことはよくわかるはず。そういう人は、言葉を弄んで抽象的な「概念」に振り回されて自分が失われている人が多い。本当に哲学を整理しきれるだけの「頭の良さ」があるのならば別だが、教養として理解することやその世界の一部を使う人にとっては、そんな難解な概念ばかり覚えても意味がないんだ。
著者は、そもそも哲学なんかやろうとするんだから、「なんらかの自分に対する違和感」とか「社会に対する違和感とか?」何か、とけないもやもやしたものがあるから手を出すんだろうから、「それ自体に手が届かなければ」難解な言葉を弄んでも仕方がない、と、自分が「自分を知るために」どういう過程で、哲学を理解してきたかを、まさに自叙伝風に語り始める。そのまるで日記のような自叙伝風の語りは、まさに学生時代の「立場のなさ」の空虚感をスタートにするため、多分「学生(=今だ社会に場所がない)」であればだれもが共感できるだろう。まさに、導入書としては、最高の本だと思う。平明でわかりやすく、しかも全体像を網羅している。
この本を読めば、哲「学」自体を学ぶことの無意味さと、「哲学をする」こと言い換えればそのプロセスをや方法論を学び、人生に活かしていくことの価値が、よく分かるようになると思う。
僕は学者じゃないので、常に本に対するスタンスはこれだ。教養として価値を持たなければ、人生の「生きる」のに価値を持たないと、あまり難しいことを学ぶ意味はないと思うんだよね。そんな暇があれば、英語とか実学を学んだほうがいいという結論になってしまう。リベラルアーツ自体は、実学を統御できる世界観を持つ「自分」を作り上げることに意味があるわけだから、、、、。