人が生きるということは?〜失われた第 4 のルート?のまちばりあかねさんに感涙

Fate/stay night 通常版


Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション
Pasteltown Network Annex 〜 Pastel Gamers / まちばりあかね☆

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■新たな一回性の獲得〜全体構造を理解した上での再読の醍醐味



素晴らしすぎる。sくん に紹介していただいたサイトだが、あまりの見事な分析に、このくそ忙しいのに、毎日20分ほどFateを再プレイしているほどです。再プレイして、涙が出るほど感動する近作品も凄いが、やはり新しい「視点」を獲得して整理して全体像が理解した上でのプレイは、隅々まで理解がしやすく、一回性の体験にはない「新たな一回性の体験」が獲得出来てうれしい。



■凛ルートの本質である「自分が楽しむというコンセプト」




僕は、凛ルートに非常に強い感銘をけて、死ぬほど凛に惚れこんじゃったにもかかわらず、自分がなぜ彼女の在り方にありかたこれほど、強い執着心が生まれるのかがよくわかりませんでした。僕の人生の中で、不動のベスト3に入りそうなほどの強い吸引力が彼女にはあるんです。




ということは、僕の人生の欠落もしくは動機において、関連付けられて何かの魅力があるとしか考えられません。




それはなんなのだろう?ということが、実は今まで不明でした。それについて、ほぼ完璧に言いつくしているので、このまちばりさんは、凄いよ。少々長いけれども一部抜粋してみます。(ちなみに、絶対すべて読んでみると、感動すること請け合いですよ)。




凛について書いた箇所です。




彼女は勝利するためには手段を選ばない、と言います。その計算高さも様々なところで見て取ることができるし、桜のことも「バカな娘」だと一刀両断した上に、彼女の過ごしたあまりに酷い日々を「理解しようとも思わないわ」とまで言ってのけてしまう。にもかかわらず、死にかけている士郎を切り札である父の形見のペンダントを使ってまで助けてしまうし、いつだって妹のことを気にかけているし、最後の最後で桜を殺すことも出来ませんでした。

 たいていのことはうまくやってのけてしまう。仮に失敗してもいつまでも挫けない。無茶なことは無茶と諦め、無理に結果を求めない割り切りの良さもある。それでも努力することの大切さを人一倍強く感じている。努力が報われないことがあることを理解しながらも、報われて欲しいと願わずにはいられない。計算を重ねて戦略を練る割には、押さえきれない激情でとんでもないことをやらかしてしまうこともある。最も冷徹でありながら、最も人情に富み、最も信頼関係を重んじる。ある意味、矛盾だらけの行動。しかしそれらの闇も光も、彼女の中には入り混ざったカタチでバランスよく整っているのです。


 さらにそれだけでなく、彼女は士郎やエミヤ、セイバーと違って「自分が楽しむ」ことも知っているし、自ら新しい道を切り開いていく力強さも持っている。さらにはそんな自分の在りようそのものに誇りを持っています。(※彼女にとっての誇りは『自分の在り方』そのものであり、セイバーや士郎、エミヤのように、心の在り方や自らの誓いに対して誇りを感じているわけではない、というのも象徴的です。)


 一見するととっつきにくいけれども、その内実は非常に人間味あふれた性格の持ち主。そしてその在りようは、セイバーや士郎、エミヤなどの悩みや迷いを越えたその先にすでに存在している。それが遠坂 凛というキャラクターなのです。(そう考えると、この作品の全体構成が、凛に始まり凛に終わる、というのも象徴的ですね。)

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(強調ブログ管理人)



遠坂凛というキャラクターの魅力を余すところなく描写していて、いい文章です。結局、彼女は何が凄いのか?といえば、これはまちばりさんのいう「欠落している全体結論 〜 失われた第 4 のルート?」で描かれるべきであった、




この作品の最終結論であるマクロとミクロのバランスとるということのロールモデルが彼女




だと言っているんです。




士郎、セイバー、エミヤは、「心の在り方」や「自分の誓い」という部分に強い誇りを感じているのですが、ようはこれって、幻想なわけです。しかし現実がひどければ酷いほど、心の純粋性の強さというのは、輝きを増します。これらの存在の美しさとは、「そこ」にあるわけです。




でも、凛は合理主義者なので、現実と折り合うことを目指すんです。




ただ、、、、「自らの理想・・・マクロの使命」と「ミクロの絶対に守りたいもの」は、往々にして両立しません。それは非常に不可能に近い困難さなんです。




僕の人生のライフテーマもこれです。




人間が生きるということは、二つの意義があると僕は持っています。







1)人としてミクロの世界で愛すべきものを見つけ守ること




2)人類の一員としてマクロの使命と理想を知り、そのために自己捧げること




そしてこのふたつは、非常に矛盾しぶつかり合うもので、この二つを結びつこることは非常に困難なので、この二つを基本的に二元論的に、二択の選択肢を迫るのが一般的な物語や世界で繰り替えされるパターンです。そこで、1と2をバランスを取るというために、




3)ミクロとマクロのという矛盾したモノを、結びつけるという不可能を為すにあたって「自分を楽しむ」というコンセプトが生まれるんです。




そう、、、、困難なのはわかっている。




不可能なこともわかっている。




けれど、「それを行い続けること自体が美しく楽しく」、自分にとって誇りでありうる状態。




不可能なことにギリギリまで挑戦し続け、ミクロ(愛するものを愛し抜く)ことを喜び、時には愛するものを犠牲にしなければならないぎりぎりの選択肢の中で人類の一員としてのマクロの使命のために自己を投ずる。


これこそ、人間の美しい「生きる在り方」なんではないだろうか?って僕は思います。


そして、それを体現しきっているからこそ、僕は凛を愛するんだと思う。


そして、僕が自分の人生に課している一つの哲学として


自分を楽しもう


というものがある。シゴトしている時に特にこれが堅著に現れる。シゴトの意思決定は、それで人の人生が変わってしまうような人事やリストラなどの判断をたくさん迫られます。けれど、甘えたことを許すことはできない。マクロ管理するものとして、指揮官として、全体が負けるような、全体が壊れるようなことは許されないからです。




そこには、ミクロの情は入る余地がない。




けれども、それでも人間は何の為にマクロのためにがんばるかといえば、自分の人生のよろきびや自分の好きな人や友人や、自分の大切なものを守るためでしょう?。




ミクロを愛することができない人には、部下がついてきません。




その時に、意思決定者は、深く悩むのです。




いったい、どうすればいいのだ?




これはすさまじい激務で二択です。




しかし、こういうバランスを調整し続けることを楽しんで生きていくことこそ、そういうことに耐え続ける自分の在り方を誇りを持って生きることこそ、それが一番かっこいいことなんではないか?って僕は思います。




そして、そういう人生を豊かに楽しんでいる人は、たくさんいる。




それこそが、ライフ・オブ・マスター(人生の達人)というやつだと僕は思う。

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■バランスの問題〜ではどうやってバランスをとるのか?




そう考えると、幻のイリヤルートが存在しなかったことは、悔やまれる。


確かに、二者択一的に、どちらが「ホンモノ」なのか? と問われれば、おそらく多くの人は『桜だけの正義の味方』(個人的な感情)こそが正解である、と答えると思います。しかし、それでもほとんどの人は、凛ルートをプレイし終えた瞬間には、士郎の痛ましいまでの信念の在り方に憧れ、感動もしたのではないでしょうか? 凛ルートの士郎の在り方に我々がやはり心打たれ、引かれるのは、「それが出来ないと分かっていてもそれに『憧れる』から」ではないでしょうか?




 つまり、人の心の在り方は二者択一論的なものではなく、そうした「あり得ない理想」への憧れと、「何があっても守り通したいもの」との間で、優先順位を付けつつ心のバランスを取るのが、本当の人の在り方なのではないでしょうか? 例えば、




最優先事項は、イリヤの笑顔を守ること。(←個人的な感情)




次の優先事項は、身の回りのみんなの幸せを守ること。




多分無理だけど出来るといいなぁと思うことは、世の中の人間全てを助けること。(←普遍的な倫理観)




といったように、優先順位をつけて、可能な限り全力で頑張る、というのが現実的な人の在り方であったようにも思うのです。
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この3段階の価値の序列の付け方に悩みながら生きてくことこそ、生きるということなのだと僕は思います。



まちばりさんの記事は本当に見事だった。




僕がこういうものを書きたい!っている理想形の一つ。