『ヴァンパイア十字界 "THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE"(堕ちた吸血鬼の記録)』(2004-2007 Japan)  作:城平 京 画:木村 有里  時代を超える傑作〜脱英雄譚の英雄譚の一つの完成形かつ最高峰に位置づけられる作品

ヴァンパイア十字界9巻 (デジタル版ガンガンコミックス)


評価:★★★★★5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つマスターピース

ヒーロものの文脈で読み直そうと思い立ち、、、、読了してあまりの素晴らしさに涙が出たので、、、あっこれ、本当に時代を超える傑作なんだと感心したので、布教のために、過去の記事を加筆修正しての宣伝です。皆さん読みましょう。ペトロニウスの名にかけて!これは時代を超える傑作です。


2007年7月にカルマさんに進められて読んだ時に、僕は客観評価を4つ半でつけている。たぶん絵柄と漫画のレベルがも少しという気持ちが当時もあったのだろうと思う。また、この作品は、すべてを通して9巻まで読んでみないと、その完成度がわからない構成になっている。初めて読んだ時、3巻ぐらいで打ち捨てていることからも、、、しかしそのあとで全部読んでみて評価が大逆転していることからも、これは一気に全部読まないと評価できない作品だと思う。神山健治監督の『東のエデン』のテレビシリーズもそうだった。時に、あまりに完成度が高すぎて、最初から最後まで繊細に脚本構成が設計されて、且つそのための演出効果を長いスパンにわたって構築している超絶レベルの作品は、2時間の映画のような「一つの塊」での完成度を持つが故に、連載形式や単行本を待つ形式だと、意外に途中で打ち捨てられる傾向があるような気がする。


いま、日本におけるヒーローものの系譜の先まで踏破してきた、2014年のわれわれの視点から、これを読み直すと、その完成度に背筋が寒くなるほどの感動を覚えます。というか、もう何度も読んでいるにもかかわらず一気に読んで(またkindle大人買いしてしまいました)、9巻で涙が止まらなくなりました。★4つ半だとそれほど、ミスジャッジだとは思わないのですが(僕的には★4つと★5つの差はそんなにない)、この作品は、傑作(マスターピース)の殿堂にふさわしい、時間を経てもその質や面白さが全く変化なく、むしろ、時間がたてばたつほど輝きを増すタイプのほんものの作品です。僕がいつも語るプロフェッショナルの業、、、、ただ単に、アイディア勝負や時代性だけではなく、普遍的な演出や脚本構成に裏付けられ「脚本の最終地点まで収束させられた」た「完成された」の作品といえるでしょう。ちなみに、普遍的なというのは、単純に脚本がオリジナルだとか新規さがあるとかそういうことではなく、エピソードの積み上げが、ちゃんと人の心にスッと染み込もうように、自然に積みあがって演出されているという意味です。「そこ」ができていないと、どんなにアイディアや脚本がよくても、そもそも、「打物語のウソのレベルが統一されていない」状態なので、感情移入できないし、持尾語りとして成り立っているとは思えません。


前回の10月の物語三昧ラジオでも強くお勧めしましたが、これは本当に傑作です。そのおもしろさもさることながら、最近僕らの間で高まっているヒーローものの系譜の文脈を見る上で、たぶん脱英雄譚の英雄譚の完成形かつ最高峰に位置づけられる作品であると僕は評価します。なので、ぜひとも、皆さん読んでください。前提は、9巻を一気に読んでください。サスペンス・推理形式の謎解きになっていて複雑なので、少しづつ読むと、まあいいやと打ち捨ててしまうかもしれないので、、、残念ながら、漫画自体の演出技術は漫画を書かれている方がデヴュー作に近いレベルなので、少し惜しいのですよね、、、。なので、まったく無批判に引き込まれるというほどのパワーはないので、そこが惜しくもあります。・・・・こういう埋もれた傑作って、たくさんあるんだろうな、と思います。そういうのを評価してこその批評というか、こういうおすすめサイトの価値だと思うので、ぜひとも、皆さん読んでくださいね!。kindleだとすぐ買えるはずですので。ちなみに、ついでに下記の作品群や記事も読み込んでおくと、僕らが言わんとすることが、これからもよく伝わると思うので興味がある人はぜひとも。


東のエデン(2009 Japan)』 神山健治監督  ニート(若者)と既得権益世代(大人)の二元論という既に意味のなくなった二項対立のテーマの設定が失敗だった
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20141009/p1

ヒックとドラゴン』(原題: How to Train Your Dragon)』 ディーン・デュボア クリス・サンダース監督 エンターテイメントを外さない善悪二元論の克服としては到達点の脚本
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110123/p2

GATCHAMAN CROWDS』 中村健治監督 ヒーローものはどこへ行くのか? みんながヒーローになったその先は?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131015/p1

海燕の『ゆるオタ流☆成熟社会の遊び方』
西暦2013年の最前線。『ガッチャマンクラウズ』がテン年代のコンテクストを刷新する。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar322009

以下、2007年の記事の加筆修正です。

あらすじ
遠い昔、夜の国の至高のヴァンパイア王は、余りの強さから人間だけでなく同族からも恐れられた。そしてついには愛する女王を人質にとられ、王は処刑されることとなる。しかし、それに狂乱した女王は自分でも知りえなかった秘めた魔力を暴走させ世界を崩壊の危機へと追い込んでしまう。人々はかろうじて女王を世界のどこかに封印するが、王はそれに怒り、自ら夜の国を滅ぼしてしまう。女王を助け出すために、王は封印をめぐって同族や人間たちと果てのない戦いを続けていく。最後のヴァンパイア王「ローズレッド・ストラウス」は、守るべき国も民も捨てて封印を探す放浪を、千年以上も続けている・・・。ただ、愛する女王「アーデルハイト」を取り戻すために。


by Wiki

2007年にカルマさんにすすめられたのですが、3巻くらいまで読んで、ちょっと打ち捨てていました。いや、気にはなる展開だったのだが、そこまでが陳腐で、しかも絵柄がカルマさんいわく「漫画的にデフォルメされた可愛らしい絵柄」であんまり好きになれなかったんですよ。あーいかにもガンガンとかそこらっぽいなー、とかとか。しかし、、、、カルマさんのお勧めということもあって、そこはがんばって読み続けたのですが・・・というか、スミマセン4巻からはマンガ喫茶でした・・・が、大失敗でした。これは、一冊一冊吟味して読みたい体験だった。




いやーーーこの脚本は、見事だった。



ただ、ここで断っておくが、ガンガンという媒体もそうだし、絵柄もそうなのだが、なかなかその対象マーケットの人間以外が手に取ることは少ないであろうと思う本です。けれど、結局は、質なんだよなーというのが、僕の感覚です。いやこれは骨太で素晴らしいです。僕のブログは、、、、というか僕のスタンスは、海燕さんと同じく、すべての物語を平等に扱う・・・というかそういう言い方が合うのかわからないんだが、といかく、それがエロゲーであれ古典文学であれ、どんなジャンルであろうと、「ほんもの」かどうかを、その意匠(=表面の上澄み)を飛び越えて本質を感受したいと思っているので、こういう作品に出会えると、俺ってなかなかいい審美眼をしているな、、、また一つ見つけたぜ(笑)みたいな、ニヤリという気分になります。そして、このブログを読んでくださっている方々は、僕のそういうスタイルを知っていると思うので、もし機会があれば、まずはマンキツで・・・そうですね3時間以上はいるとおもうが、、、がんばって6巻ぐらいまで読んでみてください。僕の言っていることが正しいかどうかわかると思います。まーマンガを読みなれていない人にいきなりお勧めはしませんが、マンガをそれなりに読みなれているのならば、これは読んで損はありません。



読み終わっていま振り返ると、やはりキャラクターとか表現力が、もう少し最初から大きく、、、かつ世界の描写をもっと細かく書けたらもっと素晴らしくなったとは思う。(つーかこれこそアニメにすればいいのに)けれど、、、いやーとにかく面白かった。読みがいがあったんだもん。これは全冊を一気に読んだ方がいいと思う。びっくりするよ。本当は連載で、ちびちび読んでいたら、途中から衝撃を受けたと思うよ。最初の最初からこの脚本を設計していたというのは、さすが本職が推理作家だけあるなーと思う。ちなみに、なぜこれほどアニメが乱発して作られているのに、この作品がアニメ化されていないのか理解に苦しむ。絵柄もいい。これを、おもいっきり萌え萌えのキャラクターかわいい作風に仕上げれば、それなりの視聴率が稼げたうえで、しかも内容はウルトラ硬派なんだから。相当のクオリティの作品ができると思うのに。業界の人も見る目ないなー。どうせ、とれる視聴率なんか、それなりに決まっているのだから、ある程度、マーケットの消費層を超える内容をぶつけるのは、考えないと・・・。とかとか。脚本レベルでこれほど完成されているものは、そうはないと思うのだけれども。なのでその後、『絶園のテンペスト』(2012-13)は、とても高いクオリティのアニメ作品になりましたよね。いま考えなおしても、やはりこの脚本の完成度は、尋常じゃないと思う。もちろん時代の文脈にこの、脱英雄譚の英雄譚をどうぶつけるかというのはあるとしても、候補として温めておく価値がある作品だと思うのですが、、、2007年から7年たってもアニメ化していないということは、そういう風に意識はされていないのかなぁ。

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ちなみに映画を例にあげると、黒沢明監督の『羅生門(1950 Japan)』とか、洋画だとDenzel WashingtonとMeg Ryanの出ていた『戦火の勇気(1996 USA)』などの作品と同じ構造なんです。一つの事実が、いろんな角度からん見ると、まったく異なる真実が浮かび上がっていく手法です。このどちらも渋い傑作なので、ぜひとも見てみるのをお勧めします。いまでも色褪せない、素晴らしいレベルの作品です。少し思うのですが、『戦火の勇気』もそれほどめちゃくちゃ売れた記憶はないのですが、脚本が複雑で物凄い見事すぎると、逆に、意外に大衆的には受けないのかもしれないな、という気もします。やっぱり頭使いすぎるのかな?。

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>遠い昔、夜の国の至高のヴァンパイア王は、余りの強さから人間だけでなく同族からも恐れられた。そしてついには愛する女王を人質にとられ、王は処刑されることとなる。しかし、それに狂乱した女王は自分でも知りえなかった秘めた魔力を暴走させ世界を崩壊の危機へと追い込んでしまう。人々はかろうじて女王を世界のどこかに封印するが、王はそれに怒り、自ら夜の国を滅ぼしてしまう。


ヴァンパイア十字界』 作:城平 京 画:木村 有里
http://ameblo.jp/petronius/entry-10039068589.html

これ、あらすじなんですが・・・・・これが、千年前に起きたことで、関係者はほとんど死んで伝説となってしまっているんですが、、、この事実は、確かに事実でここに書かれた通りなんです。けれども、その事実の意味が、どんどん変わっていくのはエキサイティングです。手法的には上記で挙げた作品と同じですね。それぞれの目撃者や伝説などが、巻を超えるごとにすべて解体され再構成されていくのです。ちょっと頭のエネルギーがいる作品ですが、そうだったのかぁ、、、とうなること請け合いです。『絶園のテンペスト』も同じような感じですよね。同じ作家さんだ、というのがすごくよくわかるテンポですよ。



しかも、、、、最後の最後に、ヴァンパイア王「ローズレッド・ストラウス」が、



これは政策だ・・・・・



と呟くとき。



その指導者としての器の大きさ、マクロを読み切った発想、そしてそれが故に引き受けなければならなかった激烈な孤独というものに戦慄が走りました。僕のブログを読んでくれている人は、僕が傑作だ!!!と評する条件の最も大きなものに「マクロとミクロのギリギリのダイナミズムの両方が描けているもの」というのがあります。このヴァンパイアのリーダーであり王であるローズウッド・ストラトスのリーダー・指導者としてのノブレス・オブリージュのあまりの気高さに、僕は涙が止まりませんでした。そう・・・・すべてのマクロの責任を引き受けた現実的な政策は、これしかあるまい。・・・・これは、ラスボス問題・・・・ラスボスがいなくなった世界で、ラスボスとは誰か?という問いと、僕の善悪二元論・・・・人間をある種の統合を得るためには、外部に敵を持たなければならないという本能や法則の次元をどう覆すか…という問いへの、一つの物凄く骨太の解答です。考えてみれば、あまりに当たり前なのだが・・・・これは凄い。脚本としては傑作だと思う。これを自覚的に設計した、ヴァンパイア王「ローズレッド・ストラウス」は、マジですごいよ。というか・・・・正直あまりにマゾ。そこまで自分を切りきざまくてもよかろう…と思う。なぜならば、これは全体のために、あらゆる全ての個としての権利(それも自分自身ののみの!)を切り刻んだ物語。




公(おおやけ)の人間に、個の権利なし!を地でいく発想だ。



ラジオでも話しましたが、マクロとミクロのはざまで苦悩する指導者の僕は、もっともいい例は、マンデラ大統領を描いた『インビクタス』があります。

しかし、この『インビクタス』は、それをマクロの国家レベル指導者の視点を描いています。全編にわたって、アパルトヘイト後の崩壊した南アフリカで、「国家の統合と再建」と「憎み合う個人と集団同士」をいかにバランスをとって解決すべきか、という極めて重い重責がマンデラ大統領(モーガンフリーマン)にのしかかります。非常に端的なのは、マンデラ大統領が、家族と非常に折り合いが悪くてうまくいっていない、というシーンです。彼の娘との会話が印象的なのですが、国家の統合と運営のために、旧政府の白人を次々に登用するマンデラ大統領に対して、子供時代に家に押し入ってきて父親を逮捕して行った暴力警官のトラウマから、娘はそんな父の姿勢が許せません。その溝は圧倒的であり、たぶんこの家族が和解することは永遠にないでしょう。彼は、家族との融和ができないんです。しかし個人としての喜びよりも優先して、国家の再建と憎み合う人々の融和に、自分を駆り立てていきます。結局は、身近な家族との関係すら、敵をぶちのめすという感情的共有をしなければなかなか難しいのです。だって、家族ってそういうものでしょう?。確かに。自分を殺そうとした人を倒さない父親とかって、信じられないに決まっているじゃないですか「感情的に」。けど、そこで、『グラントリノ』を思い出すわけです。本当に未来にとって、自分の直接の子供だけではなく、孫や友人や、まだ見ない見えないこの世界の仲間のために、「本当に残すべき遺産は何か?」ということを、個人の葛藤や感情的カタルシスを乗り越えて、やらなければいけないことはやるしかないんです。それこそが、真の指導者であり、リーダーなんです!。


インビクタス/負けざる者たち』(原題:Invictus/2009年アメリカ) クリント・イーストウッド監督 古き良きアメリカ人から人類への遺言
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100815/p5

ちなみに、2014年10月の物語三昧ラジオの以下が録音データです。興味がある人はどうぞ。

【録音データ】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/d135ff0d9649acd6607cfb11e8623cce


インビクタス / 負けざる者たち [Blu-ray]

このテーマは、様々な作品でポイントとなる部分なので、自分なりに整理したり考えておくと、より物語を深く楽しめると思います。また僕のブログで傑作認定というか評価する究極のポイントの一つとして、マクロとミクロのダイナミズム描けていて、その交わるところが見たい!ですので、ぜひともこのあたりはよく読み込んでおいてもらえると、僕の文脈がよくわかるようになると思います。


ちなみに、このマクロとミクロのバランスした部分を描いた物語で、かつ僕の理想と思っているキャラクターの一人(=答え)は、Fate遠坂凛ですね。

Fate/stay night』 人が生きるということは?〜失われた第 4 のルート?のまちばりあかねさんに感涙
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20091218/p1

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さてさて、、、、ちなみに、しかしながら、個人としてこんな風にマクロを背負い込むことは、そもそもおかしなことです。なぜに?どうして?という問いが生まれます。つまりは、そんな「背負わなくてもいい」極大のマクロの義務をなぜ、ある一人の個人が背負おうとしてしまうのか?その人はどんな人なのか?の謎を追うことです。この部分はとても大事なことで、マクロを個人が引き受けるなどという、そもそも不可能に近い無理があることを、なぜ個人が望むのか?ということに疑問を持って脚本を作成しないと、その個人は「ヒーローだからヒーローなのだ」というトートロジーになって、非常に陳腐に見えてしまうからです。またそもそも疑問ですよね?。もう少しわかりやすく言うと、神山健二監督の『東のエデン』で主人公の滝沢朗という人物は、ここでいう「マクロの義務を引き受けてしまう個人」に当たります。言葉的に言えば、ノブレス・オブリージュ(持てるものの義務)です。けど、この人が平等で、個人の価値が磨滅している現代社会で、なぜ、そんな損な役回りを引き受ける必要があるのでしょうか?。おかしいですよね、彼もまたただの「一般人」であったには違いないわけですから、最初は。特に高貴な血筋というわけでもないし、、、。


というか、仮に高貴な血筋ゆえにリーダーとしての責務を引き受ける動機があり、その才能があるという設定は、陳腐な貴種流離譚であり貴族主義血統主義です。なので、彼が前総理の息子であるかどうかという点のポイントはあってはならない蛇足で、そこをクローズアップすると物凄く物語は陳腐になってしまいます。現代的な倫理で、しかもアメリカの民主主義のベースを取り入れている日本社会に置いて、血統による支配者の権利の肯定はありえません。福沢諭吉ではないですが、門閥貴族は親の仇ぐらいに、現代の個人の権利が確立された平等(を目指す)社会では、嫌われます。また物語の世界では、田中芳樹さんの時代を超える傑作『アルスラーン戦記』に置いて、陳腐な血統主義は、葬りさられているられていると僕は思っています。

アルスラーン戦記(1) (講談社コミックス)

さてさて、もう一度話を戻すと、現代は個の価値が磨滅した大衆社会、愚民社会であるが故に、ノブレス・オブリージュが称揚されます。けれども、個人が平等な社会に置いて、個人としてこんな風にマクロを背負い込むことは、そもそもおかしなことですですよね。また仮に、ローズウッド・ストラトスのような王族や貴族であったとしても、やっぱり無限責任のようにマクロの使命を個人の責任として引き受けるのは、非常におかしなことだと思います。僕の用語でのマクロとミクロというのを考えると、ミクロというのは個人の感情や、人間として当然に反射的に起きる自然感情のことを話しています。たとえば、家族を愛するとか、自分の夫や妻を愛するとか、自分の好きなことをしたいとか、嫌いなものはしたくないとか、そういう自然な個人としての感情のことです。マクロの責任というのは、こういうデフォルトでセットされているベースの感情や反射的な意思と、全く逆で、かつそれに逆らうものだと僕は定義しています。なのでマクロとミクロのダイナミズムの交わるところというのは、そのような個人としてはあり得ないにもかかわらず、マクロの大きな波にさらわれていく中で、その際でギリギリどう意思をするか?、行動するか?という矛盾をどう引き受けていくか?どう解決するか?どう乗り切るのか?受け入れるしかないのか?というようなことを指しています。


具体的に思いつくのは、たとえば、渋沢栄一が、日本の近代化のために絹糸の産業を保護して頑張って育成していたんですが、それがうまくいきすぎて在庫が溜まりに溜まったしまって、これを放出したら絹糸の価格市場が暴落してしまい逆に日本のやっと育ちつつあった絹の産業が崩壊してしまうことに気づき、すべての人が殺気立って反対し、狂人か?と恨まれながら、在庫調整のために、そこにある絹を買い取りすべてを焼き払ってしまいます(というような話だったと思う)。これ小説の話なので本当かどうかとかはわかりませんが、経済学的には価格調整のために、在庫を破棄するのは、マクロの経済の仕組みが理解されている現代ではありうる話です。というか、よくあります。飢えて死ぬ人がいる地球で、価格調整のために、がんがん農産物とか廃棄されていますよね。けど、これを、まったく経済などが理解されていないほぼ前近代的な明治初期にやるのって物凄い難しというか、闇討ちされて殺されてもおかしくない困難なことですよね。こういうマクロを見据えて、ミクロを切って捨てながら、全体にとって、公(おおやけ)にとって価値のあることにコミットするのがリーダーのあるべき姿です。もしくは、『インビクタス』のマンデラ大統領に、より良き国家を作り、殺し合いに組み合う白人と黒人の融和のために努力することによって、そうと意思しているわけではなくとも、家族を切り捨てて家族に憎まれることになるなどのことです。こういうのが見たいです。僕はこういうギリギリの矛盾の中で選ぶ行為こそ、物語で見てみたいのです。ミクロを選んでマクロを裏切る人間的なるものを、、、、マクロを選んでミクロを見捨てる人間的なるんものを、、、そして時には、マクロを見通してミクロとの矛盾を鮮やかに乗り越える瞬間を、、、。 

雄気堂々〈上〉 (新潮文庫)

とはいえ、、、、ローズウッド・ストラトスの究極の謎は、なぜそんなマクロのことを引き受けるようになってしまったか?です。僕には、この答えは明白に出ているとは思いません。ただし、こういう人が現実にいて、それはミクロのことを全く感じ取る力がなくなっている壊れた人なので、というようにこれまでは描かれてきました。『ヴァンパイア十字界』の章のサブタイトルで使われていたので、作者がまさにこれを意識していることがよくわかりますね。このテーマは、とても面白いので、ぜひともこの傑作を読んでみることをお勧めします。


『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』カート・ヴォネガット著〜マクロの視点は狂人だ!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080502/p5

ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)



■PS

>多分読者の好きなキャラは圧倒的にブリジット多数です(笑)
あの・・全ての誤解が解けた後のストラウスへの態度の変わりっぷりは、可愛すぎますよね。
まさにツンデレです。千年の時を超えたツンデレ(笑)
でも逆に、きっと千年前の2人はああだったんだなって思って、切なくもなったり。


カルマさんのコメントより


カルマさんのコメントですが・・・・いやーやべっすよ。人類との共同戦線での最高会議で、涙を流してしまった自分を戒めるように、ナイフで手を突き刺すシーンは、戦慄が走りますよ。かわいくて(笑)。僕は、バスタードのアーシェスネイとダークシュナイダーの関係を思い出しました。


BASTARD!! 10 (ジャンプコミックスDIGITAL)



新暗行御史』/Classic.16 洪吉童伝(ホンギルドン伝説)〜義賊の伝説はコミュニズムの原初形態
http://ameblo.jp/petronius/entry-10004704548.html

ミクロとマクロの接続の失敗・日常と非日常の対比演出?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028096433.html

宗教的救済を志向する主人公・ナルシシズムからの脱出劇の典型(1)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028793362.html

宗教的救済を志向する主人公・ナルシシズムからの脱出劇の典型(2)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028881114.html