『アメリア(Amelia)』  監督ミラ・ナーイル(Mira Nair) 脚本ロナルド・バス(Ronald Bass)  どこまでかっこよすぎる『プリティーウーマン』なんだよっていうラブロマンスをやっちゃったリチャード・ギアを見よ!

評価:★★★★☆星4つ半
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

大西洋単独飛行を女性として初めて達成したことなどで知られ 1937年世界一周する飛行中に消息を絶ったアメリカの伝説的な女性パイロット、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)を描いた伝記映画 『アメリア(Amelia)』 を、飛行機の中で見ました。この映画の魅力を一言でいうのならば、夢を追った漢気あふれる女性の人生をチャーミングに演じ切ったヒラリースワングと、どこまでかっこよすぎる『プリティーウーマン』なんだよっていうラブロマンスをやっちゃったリチャード・ギアのミックスという感じ。それが両立しているというのが凄い。



主演は『ボーイズ・ドント・クライ(Boys Don't Cry)』『ミリオンダラーベイビー(Million Dollar Baby)』など、マニッシュな役の多いヒラリー・スワンク(Hilary Swank)で、この役はめちゃめちゃあたりだろうと思う。アメリアの実物の写真を見比べると、非常に似通っていることもあるし、ボーイッシュで、知的で、思いこんだら譲らないわがままで男性的な女性でありながら、どこかかわいらしさを感じさせる雰囲気など、まさにはまり役だろう。ちなみに、過去の作品の『ボーイズ・ドント・クライ』『ミリオンダラーベイビー』ウルトラ級の大傑作なので、ぜひ観てみることをお勧めします。幼少時は貧困で悲惨だったようでトレーラーハウスで暮らしていたという話もうなずける感じのスワンクの雰囲気なんですが、この荒んだ感じとかわいらしさが絶妙なテイストで混ざっていて、それが非常に女性としての魅力として出たアメリアは、素晴らしい演技だったと思います。

ミリオンダラー・ベイビー [DVD]
ボーイズ・ドント・クライ [DVD]


ちなみに、この作品のポイントは、素晴らしく魅力的な女性が、夫であるリチャード・ギア(Richard Gere)と愛人であるユアン・マクレガー(Ewan McGregor)をメロメロにさせながら、自分の夢に突っ走るという実に漢気と甲斐性溢れるラブロマンスであるという凄く秀逸な構造を持っています。


これが、凄く秀逸、、、というか、特赦な構造をしているのが分かるでしょうか?。


■甲斐性ってこういうもの?〜二人の男性をメロメロにするその魅力


まず第一点。なんの問題もなく、超魅力的な一流の男であるギアを夫に持ちながら、愛人としてマクレガーをもメロメロにさせる!!。・・・これって、妻がいながら、愛人の女を愛すという、、、男性社会ではよくある話ですが、女性が「これ」をすることって肯定的にするってのは、なかなか衝撃的です。どこまで本当かわかりませんが(僕はアメリアの詳細な伝記を読んでいないので)、これが「ごく自然に」、納得を持って描かれているところが、とても僕には感動的でした。いや、ミクロの関係性を深く追っていけば、二人の女性を愛してしまうことって、「それは仕方がないよね・・・」みたいな映画や物語ってたくさんあるじゃないですか?。でも、逆って、不貞だって凄くマイナスのイメージがありすぎて(やっぱ男性中心社会なんだろうなー)なかなか肯定的に描かれているものを見ないんですよ。


けど、この作品の主人公のアメリアは違います。魅力がありすぎて、二人の男をメロメロにしていく姿が、マイナスのイメージなく、肯定的とは言いませんが(まぁ浮気は浮気だし)、「そりゃー仕方がないよね」と思わせる納得感を持って描かれている。浮気は背徳的だけど、でもこの流れでは仕方がないよねって感じで・・・。決して声高にフェミニズムを主張している映画でも何でもないのに、さらりと・・・。これ監督と脚本家は、素晴らしい仕事をしていると思う。


何よりも凄いのは、このメロメロにされる男たちマクレガーとギアの二人が、どちらも作中の中で社会的にも人間的にも超一流の男として、描かれている点だ。「いいかえれば」それらの二人をも包容する甲斐性と魅力が、アメリアにあった!という描き方なのだ。感情的にも僕は納得するもの。なんというか、これまでの類型的な物語では、男性が特権的に独占所有していた、懐の深い何人もの夢や愛情を独占してしまう「器の大きさ」のようなものを女性が持っているというお話なのだ。あまりそうは感じないかもしれないが、非常に革命的な作品に僕は感じます。


■なによりもリチャードギアのラブロマンス映画といっても過言ではない


この作品には「にもかかわらず」を凄く感じるんだが、フェミニズム万歳のような女性の自立と夢を追ったことを描いている「にもかかわらず」、この映画がリチャード・ギアの魅力爆発のラブロマンス映画であるってことだ。観てて信じられない感じがしたよ(笑)。これ、『プリティーウーマン』じゃねーか?ってくらい(笑)。この映画の主題のひとつは、「本当の愛とは何か?」ということ。前に相原美貴さんの漫画に関して書いた批評で、女性は男性の家政婦になるか、仕事に生きて孤独死するしか道はないのが現代っていうような身も蓋もない票を書いたんだけれども、、、僕には、このテーマが自分の中であるようで「本当に愛の形」ってのはなんなんだろう?って、、、、幻想の誤魔化しでもなく、ロミオとジュリエットストックホルムシンドロームでもない形で、、、しかも女性の独立と男女平等を前提(女性へのアファーマーティヴアクションではなく!)として、且つちゃんと「自分が再現できる」ミクロの、等身大の方法論として・・・というのがあるのだが、実はこの映画に感動したのは、この設問における一つの答えが、アメリアの生き方でもって示されている点にあるんです。それは、もちろんのこと、、、男女平等ですから、声高なフェミニズムが陥りがちな、それじゃー男性が我慢しているだけじゃん、というようなこと「ではなく」です。そう、後で書きますが、女性の自立と、男性に愛されまくるラブロマンスという「女性にとってのファンタジー(=幻想)」をこれでもかと描きながら、決して、それにつき従う男性が「従属物」ではない描かれ方をしているんです。つーか、ただ単にアメリアに振り回されて浮気されて、彼女が自己実現するための道具(=彼女の冒険のための費用を作り出す宣伝マンとしてのバックヤードとしての才能)として機能しているリチャードギアが、だってだって、たまらなくかっこよく自立して生きているんだもの!!。



本質を解決しない人の果実はもらえない〜男をとればただの家政婦になり、仕事をとれば孤独の道を(苦笑)http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100130/p3
SO BAD 6 (フラワーコミックス)

プリティ・ウーマン 特別版 [DVD]
Shall We Dance ?(初回限定版) [DVD]



リチャードギアの演じるプットナムは、やり手の出版業界のプロデューサーで、アメリアを広告宣伝の力でスターに、、、いやこの場合はアイドルにしようとする人物。


最初の出てくるアメリアは、田舎の飛行機好きの女の子に過ぎないのだが、このプットナムが金と宣伝の力で、スターダムにのしあげていく。そう、アメリアは、「作られた偶像」を志向してアメリカのアイドルとして「販売されていたパッケージなんだ」ということが、あからさまにさらされる。こういう「アイドルもの」には、基本的な物語類型として「本当の素の私と偶像の私どっちが本物なの?」悩みという美味しい題材がある。このサブテーマでユアンマクレガーとのあっちっち火遊びが展開されるんだが、、、、いやーよくキレイに絡まっているなーと感心する。


構造的に、田舎の女の子をスターダムの仕上げるという「アイドル」ものとしての導入をこの映画は行っています。だから男性は、田舎ものの素朴な女の子を「自分の力で育て上げる」というプロデューサー男性の、男性的な視点として、自己同一化するようにできています。現代版の『マイフェアレディ』です。

マイ・フェア・レディ 特別版 [DVD]


けれども「アイドルモノ」「育成モノ」には、大きな物語類型上の転換点があって、ここまで描ければ素晴らしい作品になるというのがあって、それは「自分が作り上げたものに裏切られる」「力関係が逆転する」というところまで射程に入って描かれているか?ってことです。この類型的なモノは、栗本薫の小説『真夜中の天使』と吉田秋生の『BANANA FISH』、竹宮恵子風と木の詩』などが最も奥まで追求している物語ですので、このテーマに興味がある人は必読です。どれもこのジャンルでは、頂点を極めているウルトラ級の作品なので、読んで損があるということは絶対にありません。ちなみに、栗本薫が小説で、他は少女漫画です。

Banana fish (1) (小学館文庫)
風と木の詩 (第1巻) (白泉社文庫)

自分が「作っている」言い換えれば「支配している」と思っていたお人形が、実際は意思を持ちちゃんと生きているのだ、と「理解していく過程」が、『アメリア』はうまく描かれています。最初の力関係が少しづつ逆転していく様は、とても興味深い。ともすれば、上記の3作品は、それがあまりに不可逆的な抵抗であって、暴力を伴わなければ成り立たないほどの大きな抵抗であったことに比べると、『アメリア』は、これが恋愛関係にスライドしていくという、非常にキレイなおさまり方をしています。理由は、なによりも、レジスタンスを受ける側である男性視点、ここではリチャードギアことプットナムが、非常に冷静で知的な人物で、「この逆転の構造」と「夢を追う人間を支えることの意味」と「そこから必然的に導き出される愛の形」を、ちゃんと理解して感情的にも包容できる、器の大きな男だったからです。


■どれだけ相手を理解したかが愛を得る決め手〜ジーン(マクレガー)とプットナム(ギア)の比較


この二人(ギアとスワンク)の関係が、深まっていく過程で、全米のアイドルとなったアメリア(スワンク)は、「素の自分」と「アイドルである自分」のはざまで、「自分が何者かわからなくなっていきます」。


その時に、カンザスの田舎から出てきた飛行機が好きなただの女の子、という扱いをしてくれたのが、ジーン(ユアンマ・クレガー)でした。だからアメリアがふらふらっと、ジーンに浮気しちゃうのはわかるんです。これも下心があってのことではなくて、本気でジーンは、彼女を等身大でとらえているのが分かるんだもの。これって、相原美貴さんの記事で書いた『SO BAD』の二男のポジショニングだものね。そう、人間は成長に駆け上がっていくときに、社会的な「役割」ではなくて等身大の自己を見てくれる人を欲するものなんです。


ただここで凄いのは、この関係が「所詮は逃げの幻想」なんだってことに、アメリアは気付くところなんですね。


彼女の夢は、実存が輝く本質は、「自由であること」。そのために冒険をして空を飛ぶこと。


その「ためにこそ」彼女は、自分を偽り広告宣伝のアイコンとなって「お金を稼ぎださなければならないこと」。そして、それが非常に難しく困難であることに、「彼女の本当の夢を理解して」そのために人生をささげて激務をこなしてくれているのが・・・・彼女の夫である「プットナム」であることに。


そして、一時の逃避行であったジーン(マクレガー)から、夫であるプットナム(ギア)のもとに帰るんです。ここには二重に気づきがあります。一つは、ロマンスの次元で、、、恋愛や愛の次元で、A:「彼女の本質を理解してくれているのがプットナムであること」であるということに気づくことが第一。第二は、彼女の本質が「自由であること」であり、B:「飛行機で命を賭けて冒険すること」がそのための唯一のオリジナルな解決方法であること、です。


この物語の中では、このAとBが、常に強烈な戦いをしています。プットナム(リチャードギア)の真摯で誠実さあふれるプロポーズに、アメリア(ヒラリースワンク)は、私は自由でいたいから結婚できないわ、と何度も断ります。お互い結婚しても自由でいよう(浮気してもいい!)証明書を書かせるとか、もう見ていて、シンドイ感じの女性自立フェミニズムの行き過ぎ的な極端さがあるにもかかわらず、それを高みから見ていると、この二人が深く愛しあっていることがわかっちゃって、このAとBを何とかバランスとるポイントを探していることがわかります。


うーんと何が対立しているかわかりますか?


つまりね、、、、アメリアは、自分の夢を実現する「ためだけに」生きているエゴイスティツクな人間なんですよ。自分の夢や実存がそれだけ大きいことに彼女は自覚的で、彼女はそれを何とか御して達成させようと、クールに知的に行動しています。非常に戦略的で、スマートです。なのに「かわいい」って、、、うーん魅力あふれる人です。彼女は自分のそのどうしようもないエゴは、仕方がないとあきらめて夢に驀進しています。けれども、「それでもいいよ」「むしろそれこそを支えたいんだ」というリチャードギアが現れます。ただ現れただけではなく、「彼の手腕と能力」を持ってしなければ、彼女の巨額の金ががかかる冒険の資金は捻出できません。こうした状態で、人生を捧げるほどの「コミットメント」を、アメリアはプットナムに強いることになるんですね。


これがなにかわかりますか?。これってビジネスの契約に近いんです。つまりアメリアの要求する「冒険がしたい!」と、それを使って「宣伝してお金を儲ける」というプットナムの行動は、入れ子構造になっていて、お互いにギブアンドテイクが成り立ちます。最初の物語は、まさにこれがビジネスの関係として成立しているようなクールさが流れています。


けれどもね、、、、あまりにそのビジネスが巨大で、物凄くなりすぎて、リスクも桁外れにでかくなって行くんですね。しかも、人生の一部ではなくて、「人生のすべて」を賭けなければならないほどに。まぁ当然です・・・・アメリアの夢は、最初からそれくらいでかいんですから。ここが凄いのが、、、、この夢についていけるほどの、巨大な能力の持ち主だったんですよ、プットナムが。映画ではサラッとしか描かれていませんが、彼女の巨額の冒険の資金や組織を裏で支え切ったのは、プットナムです。能力的にも感情的にも、アメリアと一緒に対等に歩けるだけの器の持ち主だったんですね。


これだけディープな関係を気づいている二人が「お互いに憎からず」になっていったとき、、、、二人は気づくんです。特にアメリアは、自分の夢の大きさが、エゴが、彼の誠実さあふれる愛を裏切り続けていくだろうということが・・・彼の能力をエゴで利用し続けてしまうであろう自分がいることに。だって、彼女の最も高いプライオリティーは自分の実存の追求なのだもの。そして2番がない人なんだ。なぜならば、命を賭けてしまっているから。


いいかえれば、アメリアには、プットナムにギブアンドテイクのギブ・・・「与えるもの」がないんです。


それは、恋愛でいう愛情というものとして、という意味で。だって、2番はない人なんだもの。ひたすらプットナムに犠牲を強い、プットナムがアメリアに与えるためだけ。そして、、、、アメリアは、それがプットナムに申し訳なくて、愛おしくて仕方がなくて、、、でも夢は捨てられなくて、、、と苦しむんです。なぜ苦しむかって?。二人の間に深い愛があるのだけれども、その愛を優先できないって構造がアメリアの中にあるからなんです。


この矛盾の中で、苦しみぬくことが、それこそが本当の愛なんだってことに、きっと二人は気づいていなかったかもしれません。けど、第三者の側から見ると、これが真実の愛ってわかると思うんです。形としては、ただ単にプットナムがアメリアの夢に犠牲にされて利用されているだけ・・・・だと思います。事実として。けれども、アメリアとプットナムには、その深い葛藤があって、お互いの関係を維持させ続けていきます・・・。ああ、、、これは、「愛」だ、、、と僕は思いました。素晴らしい形の。


リチャードギアはこういう、ちょっと女のために我慢する男を演じさせたら、最高にかっこいいです。


最後の最後の冒険の危険領域を飛ぶ前のプットナムとアメリアの会話が、素晴らしい。


あまりに危険なことばかり繰り返し、プットナムに待つ身の心労をかけることに苦しんでアメリアはこう言います。


「飛ぶのを、これでやめるわ……」(アメリア)



でもね、、、この返しが素晴らしい。


「それは君次第さ」(プットナム)


プットナムは、ずっともう飛ばないでくれ、危険なことはしないでくれって言っているんですよ・・・・それでやっと、アメリアも吹っ切れてそう言ったんですよ・・・・。でも、彼女の本質を裏切ることは、彼女のすべてを愛しているプットナムにはできないんですね。「それは君次第さ」…つまりは、君が自由に決めることであって、「ぼくにそんな約束はしなくていいよ」っていっているんですよ。


かっこよすぎるぜ!!!!!!!!!!!