パドマと出会うアメリカの味(Taste the Nation with Padma Lakshmi Season 1)は、2020の作品ですね。そう考えると、コロナパンデミックの真っ最中。トランプVSバイデンの選挙真っ最中で、ペトロニウスが、アメリカに住んでいたころです。2016年のトランプ・サンダース革命と会田弘継先生は仰っていますが、この頃からグローバリズムへの不信とリベラルへの行き過ぎへの反動が激しく噴出する分岐点で、2024年の11月の現在でも、トランプさんが共和党の候補者として存在していることから、この現象は終わっていません。繰り返すと、グローバリズムと極度のリベラルへの反動が覆う世界。それが、2024年のペトロニウスに見える、世界の風景です。
では、逆に言えば、2016年のそのあたりまでの世界は、激しくグローバリズムとリベラル化を推し進めてきたわけで、ポリコレなどに溢れた「その世界」とはどんな景色なのか?というのを振り返ると、最近では、これが見事に出ていたのが、「これ」だなって思います。2018年から配信されているネットフリックスの『クィア・アイ 外見も内面もステキに改造』(原題:"Queer Eye: More than a Makeover")や『The Boyfriend』(2024)が思い浮かびます。
保守による反動があるとは言え、それはまだまだ気分の問題で、大きな「太い流れの主流」は、グローバリズムとリベラル・ポリコレ浄化であることには変わりなく、とりわけ先進国や新興国の中産階級、都市に住む人々との圧倒的なリアリティは、まだまだこっちです。トランプさんの登場によって、アメリカの白人労働者階級の絶望視の問題などが可視化されて、主流に乗り切れなかったり打ち捨てられたいる人々が保守反動の波に乗って改造動画上がってきているだけだと僕は思っているので、世界がモザイク状であることへの可視化が進んだと言えると思います。
なので、この2024年のタイミングで、アメリカを見る時に、多様性や移民をセレブレイト(祝福)する視点で、アメリカの解像度を上げようという視点は、とてもとても新鮮に映りました。
パドマ・パールヴァティ・ラクシュミは、インド系アメリカ人。4歳の時にアメリカのNYに移民としてきた有名な、なんというか元モデルのマルチタレントというかインフルエンサーというか、、、、彼女が、アメリカの都市ごとに旅をしながら、移民たちを受容していくことでアメリカの代表的とされる食べ物と移民たちがその食文化をどのように作り出し、次の世代に伝えていくかを描くドキュメンタリーシリーズ。パドマさん自体も、移民であり、アメリカ生まれではないことから、親に連れられてきてアメリカ人になった若者であり、移民として、教育を受けること、育つことに圧倒的なシンパシーがあり、さまざまな人々と話していくことになる。これが今、2024年10月(大統領選挙の直前)で、トランプさんへの支持で盛り上がるアメリカの対局にあたる「アメリカの姿」であることは間違いないと思う。どうしても、2016年のトランプ・サンダース革命以後の世界では、壊れゆくアメリカのチュさん階級、特に保守的な世界でグローバリズムに取り残されて、尊厳を奪われて絶望視していく人々の視点が色濃く感じられる時代なので、移民を受け入れることの素晴らしさや豊かさを問いかけるドキュメンタリーは、鮮やかな対比に見えます。
Taste the Nation with Padma Lakshmi - Wikipedia
1:エルパソ(メキシコ州)・アメリカとメキシコのボーダーに挟まれて分断されている街
ブリトーを巡る旅。エルパソと触れ明日、メキシコとアメリカの国境の街。トランプ大統領の登場でメキシコの国境は行き来きが厳しくなっており、30分で行き来できたところが、数時間かかるようになってきた。メキシコ料理は、アメリカに深く根付いており、メキシコや南米の移民労働者抜きでは、アメリカ社会は回らない。
ウィンナー。フランクフルト。ホットドックは、アメリカを代表する食べ物。起源は、ドイツ。ドイツ系アメリカ人の同化と、ルーツを巡る旅。オスカー・マイヤーもドイツ人(ケージンゲン)だった。14歳の時にミシガンにわたってデトロイトの食肉市場で働き始めた。ブラートヴルスト(独: Bratwurst)と、ソーセージ、ホットドックを見ていく。ホットドックは、ニューヨークの万国博覧会で、フランクフルトの男がソーセージを熱くて持っていられなかったので、パンを切って、挟んだのが始まり。ドイツ人が、ラガーをもたらした。ミラーやなど巨大産業が生まれた。そして、ビール作りへ。ジャーマンスタイルのビール作りを体験する。
新刊が出たばかりで『琥珀の夢で酔いましょう 8巻』を、ちょうど読んでいたところ。この作品は日本にクラフトビールが根付いて行っている過程を描いているので、主題ではないのに、アメリカの香りがすごくする。食べ物も、こういうルーツを感じながら知識を持って眺めると、すごく美しい。第一次、第二次世界大戦で、ドイツとアメリカが戦い、ドイツ人は出自を隠して生活するようになり、そして、白人だったのが幸いして、米国社会に溶け込んでいった。「誰もハンバーガーの出自なんて気にしないだろ?」と言うドイツ伝統料理店のオーナーの言葉は面白かった。受容すると、消えていくものがある。その押し引きが米国の歴史。
3:ニューヨーク・ジャクソンハイツ(リトルインディア)
インド系は、1970年弾が、増える。約300万人のインド系の移民がいて米国に広がっていく。ジャクソンハイツは、インド系をはじめ、バングラディッシュやチベット系のコミュニティもできてきている。パドマの友人や娘、母と、インドの料理を巡る。娘さんと、朝の朝食として、ドーサ(塩味のクレープ)を作るところから始まる。僕も、ドーサは大好き。
ドーサは常時8種類のバリエーションをご用意しています。
— エリックサウスマサラダイナー (@ESmasaladiner) 2018年4月21日
当面はディナータイムのみのご提供となります。 pic.twitter.com/pkGdz2JSxT
母親と一緒にインド料理を作る。南インドのスープのラッサム。これは、豆の煮汁にタマリンドやトマト、そしてスパイスを加えた、辛くて酸っぱい南インドのスープ。タマリンド(甘酸っぱいインドの果実)がメイン。そしてマンゴーカレー。母親と、料理の味を相談しながら作っていく。
ちなみに、この後、インド料理のレストランに通って、ラッサムは、お気に入りのスープになりました。
ラッサムとは?いったい何なのか – エリックサウス お店の情報 ERICK SOUTH 南インド料理店
自分のルーツにつながるコミュニティは、心が安らげる。マドハール・ジャフリー(Madhur Jaffrey )というインドの女優で、インドの家庭料理を米国に紹介した、料理研究家でもあるのだけれども、これってパドマのロールモデルですよね。
子どもに料理を教えることで、伝統を伝えていく。マドハール・ジャフリーとインド系のルーツを持つ母親として、子育てをどうするかと言う話をする。北インドと南インドは、お互いライバル視をしていること、北はジンジャー(生姜)をよく使うことなどが話されている。パドマは、南インドの出身。どうしてアメリカでは、インド料理が受け入れられないのかと言う話を、二人の料理研究家が話している。
街の英雄プリート・バハラ(Preet Bharara)、移民2世。ニューヨーク州南部の連邦検事で、トランプ大統領に罷免された人。彼の、カリフラワー入りのパン。ゴピパラダ。「パッシング」、自分のルーツを誇りを持って言うことができないこと。それは辛い。
4:サウスカロライナ・チャールストン・ガラ・ギーチー(Gullah Geechee)
300年前西アフリカから奴隷として連れてこられたルーツを持ち、約20万人が、サウスカロライナとジョージア州の海岸沿いと群島、北フロリダからノースカロライナの沿岸部に住んでいる。米、コットン、インディゴなどの南部のプランテーションで奴隷として働かされた人々の子孫で、今でもアフリカの影響が濃い、独特の文化を保っている。多くの人は、チャールストンに住んでいる。なぜ西アフリカかと言うと、西アフリカの「ライスコースト」と言う稲作を作っている土地から、その知識を持った人々を奴隷として連れてきたからです。行けばわかりますが、サウスカロライナは、広大な湿地帯で、ほぼ沼。これをどうしようと当時のイングランド人たちは、途方に暮れて、稲作をしようするんですね。この稲作は、巨大な産業となっていきます。米国南部に、米の一大産地があったなんて、日本人はなかなか知らないでしょうね。
プランテーション・ミドルトンプレイスから舞台は始まる。ペトロニウスは、このチャールストンへの家族旅行は、素晴らしかったので、よく覚えています。まさにこのミドルトンプレイスのコテージで宿泊しました。料理研究家『THE COOKING GENE』の著者、マイケル・ウィットニーとの対話から始まる。米が、ガラ・ギーチー(Gullah Geechee)のコア。ガラギーチーの食が、米国の食文化に貢献してきたことが、正当に評価されて居合と強く主張する。
レッドライスが、有名。カロライナゴールド米。
西アフリカでもアメリカ大陸でも、コメ作りで大きな働きを果たしたのは、黒人男性ではなく、黒人女性でした。
現在の大西洋貿易の研究では、新世界の物産としては砂糖がもっとも重要な品目でした。その生産の中心地はカリブ海諸島で、そこには圧倒的に男性の奴隷が送られていたのです。
それと比較すると、サウスカロライナ州に送られる奴隷は女性も多かったのです。そして彼女たちが、コメの栽培に大きな役割を果たしたのでした。
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「親の世代は、ギーチーというのは蔑称で、言われると怒った」。それは、主張してこなかったからだ。誇りをもって、ギーチーだと言えるようにしなければならないと話す。ギーチー語も、背景がわからず訛った英語だと思われていた。
Season2につづく。