才能の差がもたらすバッドエンド

のりしお 2010/03/29 21:46


蛸壺屋というサークルの同人誌を思い出しました。
レールガンをグッドエンドとすると、その逆方向、才能の差がもたらすバッドエンドを描くのが好きな作家さんです。

http://d.hatena.ne.jp/esu-kei/20090818/p2

のりしおさん、情報どうも。


http://www.takotuboya.jp/cg.html




これ、救いようがないほど暗いですね・・・(笑)。「あれ」をみて、これを想像する人もいるんだーと(苦笑)感心します。おっしゃるとおり、才能に関するバットエンドはまさにこうでしょうね。

とても良くできているけれども、これって、僕が今までいったいた90年代までのアダルトチルドレンの話なんですよね。類型としては完成しているし、最後の最後に運送屋(=肉体労働)をしている律が一番、世界の等身大の実感を持ってまともに生きている、というところに回帰するあたりも、まさにこの類型。

けど、、、ちょっと今の時代だと、、、「違うな」と思うのは、確かにこれは「才能に狂わされる周りの嫉妬」を平均的に描くとこういう類型になるんだと思うんですが・・・これって、ちょっと読んだ感じでは「成長を信じている」んですよね・・・・それが、僕には違和感。というのは、そういうふうな「自己認識の低さ」の時代ってもうすでに終わったと僕は思っています。終わった、というのは「なくなった」というわけではないです。これはこれでとてもちゃんと完成している類型で、ファンもいるだろうし、良くできているものだと思います。けど、時代のメインストリームではない感じがする。

というのはですね、嫉妬や憎悪など悪い意味での憧れなどの強烈な感情が生まれるのは、「自分の成長を信じる」ということが正しいという前提になっているんですよ、、、だから、「成長できない自分に悶え苦しむ」という負のスパイラルに入るんです。でもね『けいおん』とかに代表される今のあたりの日常脱力系のコアの部分は「そもそも成長は信じられないし、そんなものいらないんじゃない?」という等身大脱力系の価値観だと僕は思います。この世界に来ている人は、、、たぶん「ムリをしない」連中なんだと思うんですよねー。過剰なことを求めない。

そういう価値観からすると、そもそも必死になって嫉妬したり精神がおかしくなっていくことが、ちょっと接続されない。あのメンバーは(というかこの辺のキャラ設定)は、こういう不健全な関係に陥らないと思うんですよ。そもそもHPのサンプルであったけど、憂ちゃんと唯の姉妹関係が、もうあまりに悲惨すぎて、、、不健全すぎて、感動した(笑)。つーかねーよ、これ。天才の姉の奴隷となって、影となっていくる喜びを感じる妹・・・(苦笑)。


そういう意味では、なんというか、今の僕の「いるところ」って言うか…自分が楽しんでいるさまざまな物語の中では、、ちょっと順序が古いなーと思ってしまう(この人の物語自体が古いのではなく、受け取り手の僕がそういうものを前の世代のものとして認識してしまうという意味ですよ。)。

このへんの自己評価の低さや心の非充実感は、なんというかな・・・それは、人間が生きていく上で、かなりの人々にとってデフォルト(=前提)なんだけれども、「そればかり惑わされる」とのは、いまの時代では違うでしょう?と思うし、それへの解決方法も結構みんな分かってきていて、、、、等身大に脱力し生きる方法がある程度、浸透した時代が今の時代だと思うんだよね。団塊のJr以下の世代は、そもそも成長を神聖視して絶対に生きてはいないでしょう?。マクロ的にはね。とすると、僕は何度もいっているんだけれども、「この次」の世界を見たいんだよね。もちろん、人間はそうさ・・・自己評価の低さや「あるべき姿」とのギャップで悶えながらのたうちまわるものだけれども、、、けど、それを「自分とは関係のない世界」にわめき散らしてもどうにもならない、むしろ悪くなるだけって、わかっているでしょう?。とかとか、そんなことを思いました。

ちなみに、この作者完璧にM好きですね(笑)。マゾっけのあるシーンが、もう乗り乗り(苦笑)。僕にはない志向なので、ひきまくりです(苦笑)。