評価:★★★★☆星4つ半 → いまだったら文句なしの★5つです。
(僕的主観:★★★★★星5つ)
■いや、もういいです(笑)
>はしくん、質問。これ他の人もクリアしないとマヴラブやっちゃだめですか?。早くその他の作品もしたいのですが、、、、その他もクリアーしなければだめ??(笑)。
いや、君のぞはもうやらなくていいです。っていうかやらないで下さい(笑)。あとは孝之のヘタレっぷりを眺めるだけになるんで。
>こういうタイプの子は、また別に機会があれば、違う人に熱を上げそうな気が凄くする。
あ、これは当たっていますね。
スピンオフ作品で「アカネマニアックス」っつー茜の後日談があるんですけど、水月ベースのシナリオで、そちらでは別の人間を好きになって、ようやく孝之への思いに決別する、という内容ですから。まぁ、僕はそもそも茜にあんまり興味がなかったんですけど(笑)茜は、なんとなく行動が独善的に思えて好きになれないんですよねぇ。「お姉さんのために!」って言っておきつつ、結局、茜が納得できるポイントが唯一「遙と孝之が結ばれること」だったからそう動いていただけの話で。水月シナリオで「こんなことなら、あたしが好きって言えばよかった」みたいな事言ってるのもそうですしね。
っちゅー訳で、ぼかぁ、あんまし好きじゃないっすね。(笑)
はし 2007-05-13 11:10:31
■もう戻れない楽園の青春時代へのノスタルジー
いやーえがったよ。なんというか、恋愛ゲームというよりは、青春学園モノとした方が、いいのかもしれないなー。これって、実は、4人の高校生の青春物語が根源のテーマなんだよね。だから、水月ルートの最後の絵本の話が、一番ぐっときたよ。もう戻れない楽園の青春時代へのノスタルジー。まっ、もういいけど(苦笑)。こういうのは、本質のおいしいところだけで十分だな。個人的に熱をいれあげる萌えポイントは存在しないし。女の子のどれも、心に深く残らない・・・・ただ美味しく頂きました(苦笑)で終わってしまうなー。Fate/StayNightのように、胸に刺さって、もう生涯残っちゃうぜ!!!みたいなほどではなかった。
フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] extra edition
■アカネマニアックス〜後日談は書くのかわいそうだよ
>「お姉さんのために!」って言っておきつつ、結局、茜が納得できるポイントが唯一「遙と孝之が結ばれること」だったからそう動いていただけの話で。
ああ・・・うんうん、これは誰もが思うだろうね。そういう意味では、彼女は独善の自分の気持ちを汚いものとして悩むところに誠実さがあるもので、告白しちゃったり結ばれていまうと、それは汚すぎる。だから僕も耐える姿は好きでも、つきあっちゃうと、あーなんだこんな女、、、見たいな軽蔑感が胸に広がる。・・・・なんか、まるで現実のように話すな、おれも(笑)。でもなーエロゲーって、女の子の攻略って、、、、感情が入っていなければ、エロゲーとなんら変わらないと思うなー個人的には。好きでもない女の子を口説く時の感覚に似ている(そういうことはままあるものです人生)。好きという気持ちが入ると、相手のことばやしぐさに一喜一憂して動揺するんで、もう一方向のストーリが進む・・・・選択肢の分気もそれほど複雑ではない、リセットもきくゲームとは全然別物の臨場感が襲うんだが、、、、好きでなければ、自分のナルシシズムの閉塞から出ていないで女性と・・・というか異性と付き合うと、こういうゲーム的な感覚になるんだよなー。取り換えがいつでも嫌になれば出来ます見たいな、入れ替え可能性。ゲームを単純にゲームにしないには、やはり最初の一回性を大事にするとか、キャラクターへの重度の編愛がないとだめだろうなー。取り換えやリセットがきいてしまうところが、ゲームの構造的問題点だから。まぁ、マンガの『ルサンチマン』のように、ゲームのんかでも死んだら終わりという一回性を作り出せば別だろうけれども。
■動物的快楽ボタンの連打〜マクロがあまりに消失していること
動物的快楽のボタンと僕が書いているけれども、なんというか、物語の力で、、、、前にいったけど状況の組み合わせの持つ感情の揺さぶり技術で、ただ単に感情を操作されただけという印象が拭えない。否定じゃないよ。マクロ的な時代性を鑑みて、エロゲーやノベルゲームの・・・たぶん・・・やったことはないけれども、「泣きゲー」とか言われる類型のもので、感情の操作のみを主眼と置いた演出傾向を感じる。
だって、世界がマクロが全く意味がなく消失しているんだもん。
それでは、癒しはあっても、成長(=自己形成・ビルドゥングス)がない。
さくもさんとの話やファンタジー論で書いているんだが、僕の心に残るものは、マクロとミクロのリンクがあるものであって、、、、、それがないならば、物語よりも現実の方がいい。案外どこにでもあるような恋愛体験やナンパに失敗してメチャメチャ落ち込んだりするだけでも、その臨場のリアル感や心への強烈なフィードバックは、エロゲーなんか簡単に超えちゃうと思うぜ、体験的に思い返すと。そういう凹みへの恐怖や苦しさの反面、相手に気持ちが届いたときのドキドキ感は、凄まじいものがある。まぁ、、、そういった現実というもう一つの物語にエントリーするにはハイコストの能力がいるので、めんどくさいという気持ちも否定できないし、多少臨場感が落ちても自分が安全なところから楽しめるメディア媒体は、重要だよってのもわかる。でも、そういうの関係性の領域だけならば、、、うーん、やっぱ、、、なんというか、気分が落ち込んでいる時とか疲れているときに、癒しに使うものであるので・・・・苦しい現実を一時忘れるサプリメントやお菓子みたいなもの。大事だし好きだけれども、使い捨てるもの、、、という位置づけになるなー。これは、個人的好みもあろうが・・・まぁマクロが描かれていない時点で、僕にとっては、その程度の関係性(恋愛のことね)ならば、現実の方がはるかに楽しいしドキドキするという比較意識を超えることはできないなー。おいしいお菓子をいただきました、以上。みたいな。・・・・だから、このゲーム全般に言えることではないし、大きなお世話だけれども、はしくん個人にアドバイスするならば、ゲームやっている暇あれば、女を口説けって思う(笑)。一番いいのは、女の子に振られたときに、気分を変えるために慰めでするというのが、最高にいいかも(笑)。ただ、アージュ、アージュと君が騒ぎ立てるのはわかる気がするレベルではあったよ。
やって後悔なし!。
水準は、平均値を圧倒的に超えている。つーか、感動したもん。ピアノの曲のかきたてるノスタルジアとか、素晴らしい。この演出のパターンは、間違いなく冬のソナタとまったく同じ。曲も同じじゃね?ぐらい。さすがにこれだけそっくりだとパクリといわれるのは、しかたがないなー(笑)。動物的感情ボタンの押すポイントタイミングの演出が、あまりに、、、同じ。これは、ある種の時代を象徴する作品だった気がするなー。きっと。その後、たぶんタイプムーンやニトロプラスが出てきている感じの時代的なイメージ。どなたかがコメントで書いてくれていたが、エロゲーの歴史的変遷では、正統派の学園モノから、昨今はファンタジーが絡む傾向に向かっている、、、
これは、物語の類型や消費が、
①永遠の日常を描くマクロ消失の関係性(=無時間感覚)
から、
②時間が成長などへ振れるマクロとの折衷を描く…
よく物語の復権とか言われる言い方は、たぶんこの①から②へのマーケティングパラダイム、、、というか消費者の受容形式の変遷を持って、指しているのだと思う。そして、②が極まると、、実は、①に回帰するんだよね。なんというか、マクロはまったくなしだし、オリジナル性や逸脱性はないので、海燕さんなんかは、あまり高く評価しないかもしれないなぁ、、、、。なんつーか、とっても安心して見れる正統派エロゲーかな?。水準がかなり飛びぬけて高いし、いろいろな仕掛けがあるので、単純にそうは言えないけれども。ただ、、、シゴトで疲れ切った心に、とっても癒されるゲームでした。高校時代を思い出して、ノスタルジアにひたりました。続きが楽しみです。
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過去の記事の再掲でしたので、今といろいろ意見は違うけれども、とりあえず、いつかアメーバのほう消すつもりなので、アージュ関係はこっちに移しているところです。このマクロがないゆえのって、筋道は、これがマブラブオルタのシェアワールドで、、、というkとおで、めちゃくちゃひっくりかえるんだよな。。。。そういう意味では、『君がいた季節』はしにほど楽しみです。