『アクセルワールド 6巻 浄火の神子』 川原礫著 トラウマの回復の物語

アクセル・ワールド 6 (電撃文庫 か 16-11)

読んでいてとっても安定感がある。が、巻末で作者自身も言っているように、「開いて終わる」系統の作品なので、どこまでもこの「熱」を維持できるかはわからないなー。とはおもうが、いまのところ飽きもせず面白いです。基本的に物語を作るのがうまいんでしょうねー。こういう「数が作れる」というのは、才能だよなーと思う。


さて、この『アクセルワールド』って基本的に、トラウマの回復の物語、なんだよね。ゲームのシステムから、キャラクターの動機、物語の基本もすべてそこ。いっそ潔いほど。けど、たぶん「それ」が、物語としてはとても基本的なモノだと僕は思う。「何かをする意欲・動機」ってのは、トラウマの反動による「憧れ」なんじゃないかな、と僕は思う。そこには、自分の持つ「トラウマという原初の衝動」という闇を直視しなければならない過酷さと、現実を無視した不可能な「憧れ」による劣等感との戦い。。。って、どっちも、シンドイ話だなー。けど、僕は強い動機を持つ人は、その分、欠落も大きい人であるというのが、かなりの確率で人間に当てはまる基本だと思っている。強い動機を持つ人はそれだけ「得るものも大きく」なるけれども、そもそも原初の時点でかなりのコンプレックスによる欠落という「内面の不幸」を抱えているので、必ずしも、それは「恵まれていること」ではないと思う。


もちろん、コンプレックスや欠落なくして、より高みへ登り大きなものを得るコンピテンシー(=日常の習慣)のある、なんか、そんな恵まれている幸せな人ってあり?みたいな人は、確かに少数だけどいる。けど、まーそんな数のうちに入らない少数を羨ましがっても仕方がないし、基本的には、僕はそんな「恵まれている人」ではないので、ナチュラルな人には僕は興味がない。昏い魂の輝きがあって、それを反動に頑張ろうとする人の、動機の駆動の物語が好きです。


ということで、僕は、ハルユキくんは、とてもとても好き。物語の主人公になるような、ダメおくんの成長物語には、二つぐらいあって、一つはこのハルユキくんのように、「凄く素直であること」が正しい成長に結びついていくタイプ。こういうタイプは、なんで、どんくさくて、自信がなくて、能力もないのに、物語の主人公になれるかと言えば、それは、「素直に頑張れる」という「受容力」があるからだと思う。人は、他者の意見を入れることは難しいし、ましてや行動に転嫁できるほど「受容」することは難しい。


前にも書いたけれども、『だめんずウォーカー』でいっているようなダメ男につかまる女性とか、いじめられちゃいやすい男の子は、基本的に「素直でありすぎて(=自我のプロテクトが弱い)」他人の影響力(=支配力)に対して免疫がない人が多い。人間が社会で生きていくときの基本は、自立で、、、自立とは、簡単に同調圧力に屈さないということです。いちいち他人のいうことなんか「聞かない」ことが重要なんです。仕事ができる人(=いいかえれば人生をうまく渡るい人)の条件には、そこそこ敏感でありつつも鈍感力の強い人というのがあります。関係のない赤の他人や、他者を支配したいだけの実存丸出しの他者の意見をいちいち聞いていては、自我が崩壊するのです。これは雰囲気で一発でわかるもので、その人が、他者をちゃんと選別して「受け入れたり」「はじいたり」する選別力があるかないかってのは、丸出しでわかるものです。ちょっと思い浮かべてください。大人だな、と思う人は、「相手の意見は聞き入れない」と気は全く気きれないけれども(相手が正しくても自分を簡単に曲げない)、「本当に重要なこと」や「自分のことを心から心配してくれる深い関係にある人」の意見はあっさり従います、、、そうじゃないですか?。まぁ世界は弱肉強食。ここで「他人の支配を受けそう」なオーラが出ている人は、一発で食い物にされていきます。それがいいこととは言わないが、こればっかりはどうしようもない社会の構造。すべてに適用されるルールではないですが、人が生きる世界は、適者生存の弱肉強食のルールのパワーは強いです(これだけじゃやにけどね)。自立というのの一つの要件は、「どういう時に相手の影響や意見を受け入れて」「どういう時に拒否するか」ということを、自分の意志で選択できるということです。「なんでも素直に聞けばいい」わけではないからです。基本的には人が生きる世界は、自由洗脳社会。お互いに「支配しよう」という強烈な意志のぶつかり合いが人の世界です。


さて、ダメおくん(というか普通の人)が成長する時には、「受容力(=素直に人のことを聞ける力)」が高いからだ、と言いました。これには成長物語(=ビルドゥングスロマン)になる要件がいくつかあります。まずは何と言っても、ボーイ・ミーツ・ガールと似たものなんですが、「出会い」があることです。なんでも相手のいうことを聞く人間は、食い物にされてしまいますので、基本的には「相手のいうことを聞かない」また「聞く価値がある人に出会えなかった」というのが運が悪いダメおくんのスタート地点です。そうでないと自殺しているか、心理的にボロボロに壊されていて、そもそも一般的な物語になりにくいです。


だから「聞く価値があると思える」出会いが訪れるかどうか、が決め手になります。これは「師匠」でもいいし、「好きな異性」でもいいです。とにかく、なんかの「出会い」が訪れることで、彼が、行動に転嫁しなければいけない契機が訪れることです。物語のはじまる基本ポイントは、この「物語の種が訪れた」ということを見極めることができるかどうか、気づけることができるかどうか?ということです。まぁ大抵の物語は、落ちモノの女の子のように、否応なく「巻き込まれていく(=受容的)」なモノですが、「それ」が、これまでのものとは違う「何か」だ!と気付けることが、成長する重要なポイントです。もちろん、物語の基礎には、「受容性」があるので、「話を進めるため」に全て受容にしてしまうというのが、見ていてテンポがいい物語ですが、僕としては、そこは主人公が「少なくとも気づいた!」「自覚した!」というポイントが欲しい。契約と再契約の概念の小さなサイクルのようなものですが、自分が「違うサイクルに入った」んだということに、多少でも自覚的ない人は、確実にその「種」を自分に意思でもって近づけます。物語に、近代的な意識や実存、、、決断を持ってくるには、この意識は必要だと思います。そして、「出会い」に入ったら、多少というかほとんど無理なことであっても、「徹底的に受容する」ことによって自分自身を変えていくということが要請されます。いやーここって難しいですよね、、、、人間として大人な要件なんですが、凄く矛盾するんですよね。基本的に他人は自分を食い物にするものだから「一切無視しろ」というルールと、自分に何らかの出会いがあったと思われるものには徹底的に無批判で受容しろというルール2が並立している。これって、人生でも同じだと思います。この選別が、意思的にできる人が、ちゃんと正しく成長していける人なんだと思います。



ちなみに、ハルユキくんの選択の決断は、1巻のp39のYES/NOの文字通りの選択。なかなかこにくたらしいのは、かつてブラック・ロータスでさえ2分は迷ったものを、彼は一瞬で判断しているんですね。そこは彼が非凡だったというよりは、彼が「いまの現実を壊したい」というマイナスの意思が強かったと見るべきなんですが、彼は、自分のコンプレックスによる内圧を、異なったものへ接続する決断をしたわけですね。そこですっと決断できるのは、強さですよね。内圧がそれだけ、高まっていたわけですから。自我の内圧がない人には決断はありません。正しい「時」で、飛び降りるというかぶっとべることが、人には大切なことだと思います。ただし、これが新興宗教への入信だったり、犯罪へコミットだったりすることも多いわけで、「何を選ぶか?」はその人の判断力とうんにゆだねられているんですがね。まぁ、、、判断というよりは、「出会い」にゆだねられていると思うべきか、、、、。自己の意志だけで世界の物語が決まるわけじゃないからね…。


さて、ハルユキくんは、それが、その「出会い」ブラック・ロータスなわけだ。そして、ボーイ・ミーツ・ガールの基本なんですが、「相手を選ぶ」ことが、そのまま相手の人にとっても「選ぶこと」であるという入れ子の構造であることが、僕はたぶん男の子と女の子(でもなくてもいいが)愛情が成長と並立する重要なポイントなんだと思います。ブラック・ロータス・・・・黒雪姫にとっても、ハルユキが「選択して成長していくこと」自体が、彼女がもう一度、自分のトラウマに再挑戦するために必要な「憧れ」(=動機の駆動エネルギー)だったわけです。お互いが、お互いの「自分の持つテーマ・トラウマの克己」の物語を薦めることが、お互いの「憧れ」になってエネルギーの交換が起きるわけです。そういう相手って、とても大切な人ですよね。この二人の関係は、とても有難い素敵な関係だと僕は思います。このへんが、、、、この作者の凄く人間観のバランスがいいところだよな、、、。


閑話休題



そして、これと似た「関係性」が結ばれることが、基本的に「絆」と呼ばれるものになっていくんだと思うんですよね。



む、、、そうか、、、、今の時代に売れる要素(=求められている要素)で且つ物語の基本類型的な話で、「目的が消失して共同体に転嫁する物語」という考え方を持っているんだけれども、この「恋愛の関係性」にベースにある、お互いの憧憬を交換し合うという構造は、、、、、


って、長くなりすぎるので、ここで今日は終了。最近は、この「目的が消失して共同体に転嫁する物語」という、、、ガンダム00の記事で書いた時の発想をベースに、絆とは何か?それを作りだす個人の資質とは何か?と言ったことをつらつらと考えています。まーこのあたりは凄く展開しそうなので、、、というか、絆を構築する人、、、絆ビルダーとかでもいおうか、、、これって、ハーレムメイカーの上位概念では何のか?って気がしているんだよね。まぁそのへんは、こんど書きます。