評価:★★★☆3つ半まだ終わっていないので、評価途中。
(僕的主観:★★★★☆4つ半)
『モーニング』2005年50号から2006年24号まで連載された。弱小ゲーム会社の社長天川太陽と、そこに出向を命ぜられたエリート OL 月山星乃を中心とした物語。ゲーム開発現場という特殊な環境を舞台に、開発者が常に持つ「品質追求と納期厳守」という葛藤を明るく説いている。
自分の魂に合ったゲームを作るため大手ゲーム会社ソリダスから独立し、スタジオ G3 を設立した天川太陽は、運営資金の捻出にやむなくパチスロムービーや TV の CG 制作など他社の下請け作業を続けていた。しかし、下請け作業にも魂を求める天川太陽は、品質向上のために納期を遅延させることはザラで、当然の如く業績不振に陥いる。そんなスタジオ G3 に、親会社から派遣されてきたのが自他共に認める有能な OL 月山星乃だった。月山星乃はスタジオ G3 の業績を復活させるべく開発をスケジューリングするのだが・・・
wikiより
物凄く面白かった。「品質(=やりたいこと)と納期(=お金と政治)」という、ものづくりにかかわる人間の熱い部分を見せてくれて、魂にぐっときた・・・・が、どうしても、俯瞰すると物語の構造がストレートではないなーと★の評価が低くなってしまった。この作品を書く最高峰の作品というのは、なんといっても日本橋ヨヲコさんの『G戦場ヘヴンズドア』なのだが、それとの比較で見てしまうと、「ほんとうにいたいこと」というか、「この世界で自分が望むものを作り出したい!!!というクリエイターのエゴの部分の純粋さが、純粋に出ていない感じがする。それが、微妙に見えにくくしてしまっている構造が、熱があり、キャラクターの絡まり、マクロの設計ともに素晴らしいだけに、ちょっと惜しい感じがする。そういう意味では、演出のシンプルさ、いいたいことの一切のけれんみの無いストレートな訴求と、日本橋ヨヲコさんの凄さを感じた。
精確に言うと、『東京トイボックス』1−2巻は、完成しているんだよ。演出的に見事にはまっている。エゴをつらぬくクリエイター太陽。それに手綱を付けるつきやまちゃんという、シンプルな構造が、演出上、わかりやすく熱を伝えてきた。ヒロインが、つきやまちゃん一人だけなので、物語が締まったんだよね。ようは、「自分が本当にしたいこと」に対して迷走する太陽に対して、動機や立ち直りなどを、「きっかけを与える存在」は、ヒロイン一人でいるほうがわかりやすいんだ。究極的な相思相愛は、太陽と仙水の二人の「やりたいこと」という魂の絆があるんだ追うけど、ミクロからそれを追う太陽と、マクロから下ろす仙水では、手法が違い、、、その「過程の手法」へのコミットの違いが、強烈な葛藤を二人に生む。その間に、「つなぐ」という形で、つきやまちゃんが入るのは、とてもよかった。
が、ここで百田モモちゃんがはいることで、太陽の「本当に作りたいものを作りたい」というエゴの部分をドライブする役割が、ヒロインが、だなんだけど、つきやまちゃんとももちゃんの二人に分割されてしまったんだよね。モモちゃん、チョーかわいくて、チョーいいキャラなんだけど、これって演出上凄い純粋さを失う感じがする。どっちに感情移入していいかわからなくなるし、仙水と太陽の「手法の違い」という断絶を埋めるためのミッションがあるはずのつきやまちゃんの存在意義が、???ってなってしまうんだよね。そうでなくても、「金勘定」から手綱を握る社長という存在は、物語の「表現したいことのコア」から言えば、、、、ものづくりの究極の意味がわかっていないという意味では、つきやまちゃんは部外者なんだよ。その彼女が二人の断絶を生めるために、、、ということで彼女も成長していくという構造が、1−2巻にはあるんだけど、『大東京トイボックス』では、そのヒロインとしての役割のおいしいところが、かなりモモちゃんに奪われてしまっている。モモちゃんの動機は凄くわかるし、単純で作者としても展開を動かすにとてもいいキャラなんだし、物語をわかりやすく動かすのにいいキャラだけど、、、うーん、なんか「勢い」が分散される気がするんだよなー。彼女がいいところとっていってしまうので、つきやまちゃんの存在意義が凄い薄れてしまう。女の子分が足りないので、出すのはわかる気がするのだけど、、、。狂言回しは必要で、うーん、、、でも、これを男の子にしちゃうと、それはそれで、女の子分が減るんだよなー。悩ましい。
『大東京トイボックス』のおもしろさは、仙水と太陽というふたりの究極的に純粋なクリエイターの手法の違いと、ゲーム業界というマクロ構造を背景におくことにある、と思ったりする。仙水は、「本当にやりたいことをやる」ために政治力含めて徹底的に立場を構築するやつなんだよね。時には、自分を飼いならして、本当にやりたいことのために、いまやりたいことを押さえ込んででも、どんなどぎたねぇ裏切りでも謀略でもやる。それを組織の舞台でやるので、非常に打算的且つ「目の前のクリエイター的な発想」から言えば、動機を奪う人なんだよね。けど、それもこれも「本当にやりたいこと」を貫くために、ゲーム業界という組織の、マクロの複雑さが、それを要請している。だから、若者二人の「本当にやりたいことに一直線で貫く」という日本橋ヨヲコさんの『G戦場ヘヴンズドア』にくらべると、わかりにくくなるところがあるが、いいことはおんなじなので、これは違うゲーム業界という「大人数がかかわって組織を指揮する能力が必要になる」という部分が、物語の違いを生むんであって、それはとてもよく料理してあって、、、、つまりは、個人作業の漫画に比べると、格段にビジネス色が強くなるんだよね。市場も海外が含まれるしね。そういう意味で、マクロの背景を仙水通して描かれていくので、ポリティカルな部分が前面に出てきて、、、なんというか、非常に「物語の言いたいことが複雑になる」というきらいはあるんだが、それはこの物語の面白さや魅力でもあり、それは、よく捕らえられているんだと思うんだよね、、、ゲーム業界というマクロ設定を選んだ魅力だもの。・・・うーんそういうと、この複雑さを、これだけシンプルにしているのは魅力なんだよねーー。表現の規制の問題を、大会社の派閥争いにからめて行くくだりは、素晴らしいと思うんだよ。
うーん、、・・・・どうしても、何もう一つ、ズバッと入りきれなくて、なんだろうなー。何かが、何かが、足りない感じがするんだよなー。なんだろう。構造的にもテーマも、素晴らしいんだけど。やっぱ、いま思いつくところは、つきやまちゃんの部分だよなー。『G戦場ヘヴンズドア』は、第三者はどこまでいっても、全くは入れません、という『孤高の高み』な感じが、物事に『一直線の勢い』を与えていた。あの、演出上のシンプルな感情への訴えかけが、、、突き抜けるような訴えかけが、なぁ。。。日本橋ヨヲコさんは、熱さを描かせたら、神なので、、、、そこまでは、難しいのかなー。