2024年2月3日に『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』を再読了。漫画全巻読み直して、いてもたってもいられなくなって、小説全巻14巻を読了。僕はペトロニウスの名にかけて、星5つの大傑作だと思っている。
「何度も読み直したくなる」キャラクターの魅力にあふれ、ライトノベル的な読みやすさを兼ね備えながらも、中身の深さもすごい。特に、SF構造設定の深さに、最前線の物語を理解するにはこの「構造」を、世界のマクロの捉え方を、よくよく理解しておくと、「次の世代」の物語への土台がしっかりできると思うのです。
というのは、僕が文脈読みとしてあげている幾つかのテーマをかなり網羅している上に、それを「完結まで持って行っている」答えを出しているもの物語だからです。
1)この世界は誰かに造られたものではないかという違和感を追って世界の謎を解き明かすSF
2)戦記ものの設定で、上からの改革をどのように、次の時代へ繋げるかのテーマ(英雄や勇者だけにみんなが頼るのは卑怯にして現代にあっていない)
3)ヒーロー文脈のリニューアルとしての脱英雄譚-英雄に一人頼ることは卑怯なのではないか?問題(英雄や勇者だけにみんなが頼るのは卑怯にして現代にあっていない)
4)愛されずに育った子供のトラウマを、どうやって癒して、生きる気力につなげるのか問題(アダルトチルドレン問題)
えっと、ちゃんと熟考していないけれども、このあたりの問題意識です。この話って、要は、1990年代から2020年代までの20-30年をかなり支配している問題意識で、それをちゃんと全て解決をもたらしていることに、いつも感嘆を覚えます。大傑作ですよ。しかも、これは言い換えれば、マクロとミクロの問題が、ちゃんと交差しているわけで、ペトロニウス的な物語観としては、最高峰の物語です。
また凄いのは、これらの1)ー4)くらいの文脈って、全て繋がっているんだなという感じです。これってペトロウスが言う
シンジ君がエヴァに乗らなくなったのはなぜか問題
の話ですね。この大きな問題意識から、それをどうやって解決しようかと2000年代は苦しんできたんだと思うんですがここのテーマでは見事な解決策がたくさん出ているのですが、『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』は、これを総体的にまとめて、しかもキャラクターのドラマとして物語にビルトインして解決しているので、本当に素晴らしい。
www.youtube.com
物語マインドマップ 8-2.脱英雄譚~ガンダムのテーゼと“彼岸“のさらに先の物語
この辺りを、構造的に、全体の解説が欲しい人は、「物語の物語」を読むかYoutubeでの講義を聞いてくだされば。って、ものすごい量ですが(笑)。まぁ大学の講義級で、がっちりと勉強しないと、なかなか構造は理解できないものでしょうけどね。まぁ、我々も、20年以上分析し続けているので、そりゃ凄いボリュームになります。でも社会人やりながら、ちゃんとこれまとめているのほめて!って思っています。
話を戻しましょう。1)ー4)くらいの文脈って、過去の自分の記事を読み直したら、細かく具体的に解説を加えていますね。やっぱり自分は、強い影響を受けているのだなと思います。
『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』 宇野朴人著 安定した戦記モノで、マクロとミクロのバランスがとても良いです!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170109/p1
『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXI』 宇野朴人著 どのように人々の参加意思をつくりだしていくのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170109/p2
この2つの記事は何を言っているかと言うと、戦記モノの類型を描くにあたって、時代が何を求めているか?と言う話。
戦記ものは、要はダイナミックな英雄が出てくる話なんですが、例えば異世界に飛ばされた男が、その世界で国を救ったり帝国を打ち立てるようなお話。田中芳樹さんの『アルスラーン戦記』とかですね。もしくは、僕は『レジェンド・オブ・イシュリーン』とかすぐ連想しますね。けれども、
『GATCHAMAN CROWDS』 中村健治監督 ヒーローものはどこへ行くのか? みんながヒーローになったその先は?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131015/p1
【2016-3月物語三昧ラジオ】脱英雄譚の英雄譚+ガッチャマンクラウズ 2016/03/20 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
この辺りの問題意識なんですけど、、、、橙乃ままれさんの『まおゆう 魔王勇者』も、この系列の問題意識なんですが、一人の英雄に頼る構造ってのは、倫理的に卑怯だし、何よりも「安定性に欠ける」と言う部分を追求しているんですね。不眠(ねむらず)の輝将ジャン・アルキネクス少将のお話です。圧倒的に勝っていたキオカ共和国軍は、彼が働きすぎで倒れたときに戦争継続ができなくなるほど大ダメージを受けました。それは、全て英雄に、彼一人きりに頼る構造に軍の体制がなっていたからですね。
それとカトヴァーナ帝国第三皇女シャミーユ・キトラ・カトヴァンマニニクのエピソードですね。彼女は、既に国が自律する力を失った土台が腐っている帝国の最後の皇帝として登極します。けれども、基本的には、軍により何とか国が支えられている構造は、軍国主義にシフトしてしまいやすく、既に国家としての自立性が失われていて、、、、そこに住む一般の人々が、自分の意思をマクロに反映できることはない、主権を全く意識していない奴隷根性で生きていて、シャミーユが、いかに歴代最高峰クラスの天才で、かつ明君であったとしても、この「大きな歴史の流れ」を変えることは不可能な状態に追い込まれています。
なによりも、この軍が国を支えると言う無理な構造を一身に背負ったキャラクターとして、ヤトリシノ・イグセムが、「そのために」死んでいます。ちなみに、まぁこの記事を読んでいる人はすでに本を読んでいる人だとは思いますが、彼女の死は、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』のキルヒアイスに匹敵すると僕は思っています。何もそんな序盤で死ななくても、、、と思うくらい素晴らしいキャラクターなのですが、このテーマの象徴のような子なので、ここで死ななければならなかったのは、物語上の納得です。
どちらも、このテーマを背負っている動機を持って生きている。抽象的なテーマではなく、この二人の人生の実存になっているところが、本当にうまい。
そして最終巻のイクタ・ソロークのエピソードと合わせると、、、、
この英雄に頼っている構造では国は運営できないと言う文脈から、もちろん民主主義国家にならなきゃいけないのは分かるのですが、、、、ではどう描くか?となると、、、
時代(2020年台)の戦記モノでは、フランス革命が描かれなければならない!
という時代に突入しているのではないか、と僕は推察しています。
なので、ナポレオンとか、この辺を読みたいと思う今日この頃なんですが、、、、、時間がない、、、、。
そんで、次に話は、シンジくんの実存問題、、、アダルトチルドレン問題ですね。この話は、以下の2つの、シャミーユの生きる希望をどう取り戻すか?とか、ハローマ・ベッケルとパトレンシーナの話ですね。これって、親や社会構造から引き裂かれた子供時代に歪んでしまった、悪になってしまった人を、どう癒すか許すかと言う問題ですね。LDさんのいうベジータ問題。過去に人を殺しまくったのに、身内だと許されるのか問題みたいなテーマ。キオカ側のジャンやエルルファイ・テネキシェラもそうなんですが、親(もしくは社会の構造)によって幼少期に湯釜された人を、どうするか?どう責任を取らせるか?と言う問題意識。
『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXII』 宇野朴人著 僕はこの宇野さんという作者がとても大好きです。彼は世界の美しさを知っていると思います。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20171020/p1
『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』 宇野朴人著 ミクロとマクロのバランスをちゃんとハードSF的に描きながら、それでもキャラクターのドラマが書ける素晴らしい作家
https://petronius.hatenablog.com/entry/20180328/p1
一貫して、主人公のイクタは、この辺お構造への解決を意識していて、「英雄になっちゃいけない、怠けるべき」と考えているし、「社会や親から受け継いでいるトラウマや歪みはその人の責任じゃない」と言うスタンスを持っています。
これの解決策が、身近な人が「その人自身の本気で向き合う」ことと「実感として愛を感じられるように愛する」ことでしか解決しないって描いていますよね。僕は、人の心を救うには、、、、愛される実感を感じるには、セクシャルなものに踏み込まないと、その話進みようがなくね?と言うとも持っているんですが、しかし肉用区になると執着が生まれて愛じゃなくなっちゃうというのを、イクタの熟女好きでかわした宇野先生の天才には、腰が抜けるほど驚きました。最初から、そのことで嫌そう!と思っていないと、この設定できなくね?とちょっと驚きです。
ハロとパトレンシーナの話は、どう考えればいいのかなぁ、、、。罪と罰というテーマに踏み込むと、エルフェンリートになっちゃうんだよね。
僕は、読んでいてほとんど違和感なかったんだけど、、、ベジータ問題があるのかもしれないと思う。これに関して、どう物語るのがいいのかは、まだよくわからない。というのは、身内のパブリックというものには、明確な境界と差異があって、いいのではないかって思うんですよね。ハロの話は、身内で隠せるぐらいの権力を持っているのならば、やり切っていいじゃないかって思うんですよ。身内を守らない奴は、信頼されないと思うんですよね。でも、イクタの最後の処刑に関しても分かるように、必ずしも「黄金律おいうか道理を曲げて」まで身内を救うことは、できる時とできない時があるというのはあるんです。ハロの話とサフィーダ中将の話は、コインの裏表に感じるんですよね。最後は良い人になったサフィーダ中将をどう裁くのかって話。作者も考えに考えているのが伝わってきます。
まぁこの話は一旦置いておいて、要はアダルトチルドレンを、、、、親や社会の構造から生み出される悪をどこで歯止めをかけるか?という問題意識。
英雄一人に頼るな!と裏表なんだと思うんですよね。ラスボスや悪を血祭りにあげて構造や根本原因への直視を誤魔化すな!
という意識が常にある。とても現代的な視点だと思います。これって、相当根本から問題意識を持って、根本原因を直視する意識がないと、全く解決できないで、すり鉢上の地獄に人々を陥れていくんですよね。世界がすり鉢上になっていて、どんどん悪い方向へ落ち込んでいくほど、、、、世界はそこまで狭量じゃないという問題意識は、語りたいのですが、流石に長くなりすぎるので、今日はここまでで止めておきましょう。次の自分の思考の深掘りまで。
1)この世界は誰かに造られたものではないかという違和感を追って世界の謎を解き明かすSF
2)戦記ものの設定で、上からの改革をどのように、次の時代へ繋げるかのテーマ(英雄や勇者だけにみんなが頼るのは卑怯にして現代にあっていない)
3)ヒーロー文脈のリニューアルとしての脱英雄譚-英雄に一人頼ることは卑怯なのではないか?問題(英雄や勇者だけにみんなが頼るのは卑怯にして現代にあっていない)
4)愛されずに育った子供のトラウマを、どうやって癒して、生きる気力につなげるのか問題(アダルトチルドレン問題)
この問題全て、物語で解決しているんですよね。素晴らしい傑作です。あ、1)の話は言及しなかったけど、記事には書いているので。立花博士とサプナ助手の百合百合の愛の話ですね(笑)。僕はあれほど短く美しい世界の滅びのSF物語を見たことがない!と思うほどの素晴らしいエピソードでした。