異世界転成ものを支えているチートは、大抵の場合、
主人公自体の肉体等の優越性
異なる文明レベルを落差の利用
が、ベースになっているんだけれども、この二番目のやつって、先を考えてみると、主人公の優越性の奉仕だけの機能であるうちはいいんだけど、物語が長くなってくると、それはつまらなくなるんだよね。それは、多分自律性がないからだと思う。
これって、なんというのかなー批評的に見ると、とでも言おうか、この系統の行き着く先の全体像を考えると、まずは、植民地主義的な視線だ、と言えると思うんだよね。
ようは、野蛮人と文明国の科学技術などの落差を優越性に利用するという意味では、素朴な植民地主義なんだよ。でも、そもそもの出自は、ほとんどのなろうネイティヴは、主観記述、いいかえれば一人称で自分がどう感じたか?といい記述のみで進んでいうことからも、そもそもが、現実で失われている自己の回復がメインなので、その構造を裏打ちするために、その環境をもって来ているので、そこを批判しても、仕方がなちゃーしかたがないんだけれども。
しかしね、ちょっと勿体無いというか、こういうファンタジーを描く時には、本当は、話しを収束させていく時には、マクロで背負ってしまった課題をどう解決するか、ということを考えないと、話が終わらなくなってしまうんだよ。延々と、自己記述、、、自分の人生で、あれが起きた、これが起きた、ってそういう記述の連続にしかならなくなる。
失われた自己の回復、というのはいろいろなパターンがあるとは思うけれども、ようは、最初の時点で、幸せな家族を得たり、幸せな幼馴染や友人を得たり、かわいいでも美しいでもいいけど恋人や伴侶をみつけたりした、その時点で、実は、話は終わってしまっている。なろう系の物語というのは、その最初の欲望のシンプルさで、人を惹きつけるんだけれども、やはり物語としては、非常にシンプルすぎて、物語世界が立ち上がったり自立しているというには、主観記述のみになってしまう。
ちなみに、いま(2011年11月)の時点で、なろうの流行は、もう一度人生を新しい世界でやりなおす(=ある夫婦のもとに生まれて位置から家族を作り出す)というパターンが増えてはやっています。・・・そんなに、いまの人生嫌なんだ!と思うほど、だよなー。これって、たぶん今の時代の、とても重要な肌感覚の一つです。
さて、話を戻します。もちろん、主観記述にも、その人それぞれの持つ固有の強度があるので、なかなかにおもしろく物語世界を紡ぐも多い。それは、ミクロのドラマ単体になってしまうんだよね。しかも、目的が主人公への奉仕なので、基本的に他者が、言い換えれば他のキャラクターが自立しにくい感じがする。それを回避するには、その物語世界のマクロがもっている課題を分析的に理解して織り込んでおくことなんだろうと思うけどね。先に織り込んでおくか、書いていくうちに気づくかは、人によるとは思うが、先にない人は大抵難しい。逆のパターンもあって、サーガ的ななものを書こうとして、今度は、ひたすらマクロの「説明」になってしまうケースも多い。どっちも、小説としては、シンプルすぎる。シンプルなのが、ダメというわけでもないけどね。ちなみに、ミクロのみでシンプルなものは、なかなか読めるものができるケースがそれなりにあるけれども、マクロでシンプルなのは読むに耐えないダメなものが多い。ダメなもの、というのは、商業レベルの敷居を考えてもらえばいい。商業とアマチュアにいまやほとんどボーダーはないんだけれども、そういう意味ではなくて、やはり、それなりの投資するにはクオリティがマスとまでは言わないが、それなりの集団に要望されるであろうレベルは必要だからね。
うんと、で、具体的な、技術の自律性の問題、ちまり植民地主義的視線の非倫理性をどう回収するか?というのは、ほとんど全ての異世界転成モノについて回る命題なんですが、たとえばね、橙乃ままれさんの「まおゆう」なんかがいい例なんだよね。あれ、マスケット銃という近代兵器を自分たちが利用するために開発してたら、的に奪われて相手をすごく強くしちゃったでしょう?。それだけならまだしも、銃の登場により平民階級の戦争への参加の道を開き、いっきに近世に文明を進ませる結果になった。その結果、飛躍的に死者の数が跳ね上がり、かつ戦争による文明の崩壊まで射程に入ってしまった。これって、僕らの歴史そのままだけれども、技術というのは、その意図とその機能は別々に自立してしまうものなんだよね。ようは、魔王が意図したこととは、完全に別のものになり、コントロール不能になって、その世界のルールとなっていく。人間は、自分の意図がどうにもならない外部性によって規定されているもので、そうでないものは、それは人間なるもの、ではないんですよ。いいかえれば、あまりおご都合主義は、物語世界の世界としての自律性を疑ってしまって、おもしろく感じられないんですよ。
だから、ここでは、チート権利使用による負債の発生と、僕は呼んでいるけど、自分が時代を変化させ、環境に変数をいれた結果に対しての、反動みたいなものがなければ、物語はおもしろくないんですね。いや、単純に、なんでもうまくいったら、それはそれで全能感溢れますがそれだけだと、長くなってくると、少なくとも僕のような、小説に読み慣れている人からすると、うーん、つまらん、となってしまうんです。負債は、返済されないと、世界が均衡しません。まぁ、もともとこれが、異世界への転成というメタ的な視点をもっていなければ、このルートというか、系統の課題を描く必要はないんだけれども、そもそもメタ的な視点が入ると、どうも倫理問題を呼び起こすようなんだよね、、、これ、必須のようです。
まぁ、まとめると何がいいたいかというと、
ミクロ : キャラクター造形と関係性
マクロ : その世界をし走るルール、構造から必然的に生まれる物語のダイナミズムにある問題点の解消
この二つがあって、基本的には、なろうの、というかライノトベルもそうなんだけど、現代の小説は、ミクロを主観からみるという導入が必須なので、ここの造形がうまいことが、すごく求められるんだけど、、、、だから、マクロがうまいというかマウロしか書けない小説は、本当に、ひどいレベルになっちゃうんだけど、ミクロだけで書いたものでもそれなりにうまければ、面白い、読めるものができてしまうんだよね。けれども、そっちの欲望のほうが強いのと、やはり、物語世界を構築するという意思の弱さ、、、物語を体感したいという欲望は強いんだけど、物語世界を構築するという欲望は、少ない気がするんだよね。
もうひとつ例を挙げれば、ギルドの問題。冒険者ギルト、という組織は、異世界ファンタジーでは、お金を稼ぐためにみんな何の疑問も持たずに行くところなんだけど、これって物凄くおかしいのだ。なぜならば、そんな国を横断する国際組織が、各王国に容認されていることがそもそもおかしい。また、世界を滅ぼせるほどの強大なチート力を持つ転生者が、なんで、そんな組織に従属しようとするのかがそもそも意味不明。そして、もしそんな強大な力を持つ冒険者が、ギルドに所属したら、そもそも各王国は政治的にその支配下に置こうと、凄まじい暗闘を繰り広げるはずだよ。だって安全保障上あり得ないんだもの!。みたいな、考えてみれば当たり前のことが、ぜーんぶゲームの設定ということで、無視される。でもそれって、物語のダイナミズムを全然無視しているんだよね。
異端である『魔法科高校の劣等生』や『ログホライズン』が、なぜいっきに商業のレベルに、単体売りで売られるのか、なんで誰が見ても、水準を超えていると感じるのか?というのは、この世界を構築するという、意思がはっきりあるからなんだよね。どっちかに偏ってもいけないんだけど。
なろうネイティヴの特徴は、僕は、スタートのシンプルな欲望の主観記述による、作者の体感、いってみればセラピーに近いので、神の視点、三人称の視点が、構造的にビルトインされていない、という問題を抱えるものが多い。ログホライズンとか魔法科は、最初から、ようは、卑近にいうと伏線がしっかりして、物語の世界観がから必然に導き出されるものに、意識的なんだよね。だから、『義妹が勇者になりました』、とか『ドラゴンライフ』とか、どれも素晴らしく上手な小説なんだけど、長くなってくると、その世界の持つマクロの問題点が、うまく設定されていないか、もしくは、意識がなくて途中から構築しているので、物語のオチがどこへ向かうのか、あやふやになってしまう。
なろうの最近のブームは、伯爵のとかまぁ、もう一度生まれ直して、人生をやり直す日常をたんたんと描く系統が多いのだけれども、これはこれで、ジャンルとしてはとても需要があるとは思う。けど、ジャンルものであって、単体で水準を超えるものには、なれない系統なんだ。なんというのかなー共同幻想の次元、ハーレクインロマンスのような、類型の次元で止まっているので、個人の狂気が世界を作り上げるような、もう一歩のハードルを超えて世界を作る、というパワーにかけてしまう。それは、共同幻想、カテゴリーとしては成り立っても、単独で「世界」を作り出すほどにはなれないのだ。
どっちがいい、という話ではない。また、このようなランキング性やインタラクティブ性をもったポータルサイト的な集合知が成り立つようになると、流通の形態も様々に変わるし、いまぼくがいう様な、商業にオリジナル性のある水準を超えているという、一線を意識することも、あやふやになって行くと思う。
けど、個の力だけで、世界を立ち上げる狂気と、ある類型、パターン、カテゴリーに依存して世界を構築することの違いというのは、現前とある様な気がする。
けっして、コピーとオリジナル的な従来の議論に戻りたいわけではなく、どうもそこに、大きな超えられない川がある様な気がする、ということで、いまはとどめておく。
ちなみに、世界の厳しい認識のファンタジーといえば、
『獣の奏者』『12国記』『瞳の中の王国』などを僕は思いだします。
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