第19話 「パパ、ありがとう!やよいのたからもの」〜あなたに愛が無いのなら、パパから貰った愛を受け取って!


この回も、とても安定した脚本力であったが、「これ単体」を見ると、前回のなおの話同様どこにでもある話しで、それなりに眼の肥えた人にとってはいまさら見るまでもない話だ。もちろん、子供が主なターゲット(&その親)なわけで、これだけ出来がよければ、よほど物語に意味やクオリティを求める人でなければ、十分だとは思います。とはいえ、僕は、その「よほど意味とクオリティを求める人」(笑)なわけで、やはりプリキュアシリーズで言うのならば、朽木倒さんやいっしゅうさんが指摘している通り、ラスボスを救済する/敵を救済するという「背後のテーマ」があると想定して、そこから逆算して個々のエピソードが何を指し示していくのか?ということを考えてゆくことが、より物語を深く楽しむために役に立つと思います。ちゅーか、僕は、それが見たい。今回の脚本が素晴らしいのは、言うまでもないので、そこをいくら言っても、まぁ、そんなこと説明するより、見ろよ!ってなってしまうので。ちなみに、誰か教えてほしいのですが、「黄色がえこひいき」されるのは、なんでなんでしょうね?。きっかけがあるんですかね?。みんな、ネットではそういう言葉があふれているんですが・・・・。

さて、「敵を救済する」といういうテーマの発見は、プリキュアシリーズを楽しむ上で、僕の中では、大発見でした。これにより、なぜ『ハートキャッチプリキュア』が物凄く面白くて、主人公の一人であるつぼみが魅力的に見えていたのか?など、自分の中でも整合性がついていなかった問題が、非常に整理しやすそうに思えます。この「見方」は、善悪二元論の対立で受け手の感情移入を誘う手法が、それを乗り越えようとして「敵だって同じ人間だ」という風に物語を構築すると、大衆的人気(=感情移入のポイント)を失っていくという、これまで僕がずっと、さまざまな作品で追ってきたことなので、それと凄くミートしました。・・・この話は、そもそも、アメリカのハリウッド作品の『ダンスウィズウルブス』やクリントイーストウッドの『硫黄島からの手紙』などの考察から生まれてきたものを、ガンダムシードに適用して、あれっ、この視点って、日本のエンターテイメントでも同じじゃないかという経緯で考察が進んできたものでした。このような系譜をたどるのは、エンターテイメント、、、というか、「物語という世界」を構築して、それを真摯に向き合っていくと、どうしても発生するもののようですね。

二元論の超克〜三国志のパワーポリテクス/数字は2よりも3がすごい!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/p2

ヒックとドラゴン』 ディーン・デュボア クリス・サンダース監督 エンターテイメントを外さない善悪二元論の克服としては到達点の脚本
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110123/p2

HUNTER×HUNTER』 23巻 富樫義博著/偉大な物語の本質について
http://ameblo.jp/petronius/entry-10009768304.html

何度も書いていますが、善と悪を二元的に分けて、片方に(もちろん善に)感情移入させる視点を設置してやると、多くの人を簡単に感情的に動員できるようなのです。だから、これはエンターテイメントと作品、というか物語を作成するときの視線の導入としての基本なのです。ハリウッドの80年代の作品を簡単に追うと、ようはマニフェストディスティニーに見られるように西部劇の根本的なポイントは、野蛮人であるインディアンを皆殺しにしてフロンティアを獲得するんだ!おらは!っていうものでした。ところが、それをずっと描き続けて行くと、、、あれっ、もしかしてインディアンも同じ人間やないか?と思う人が出てくるのです。そもそも、インディアン(=西インド諸島の人)って、なんでそんな名前なんだ?彼らは彼らをどう呼んでいるのか、、、とか考えだしてしまいます。誰が考えだすか?って言うのは、最初の人は決まっています。虐殺と殺戮を繰り広げる最前線の軍人で、特に知性の高い指揮官が、それを考え始めるようなんです。『ダンスウィズウルブス』は、まさにそうでしたね。

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理由は簡単で、敵を倒そうと思うのならば、まず敵を知ること!(=孫子)というのは基本なんで、徹底的に敵に感情移入して敵の思考回路を読み取ろうと理解しているうちに、あれ、こいつらも同じ人間じゃないか?ってなっていって、死ぬほど悩み始めるんですね。

この類型で、西部劇のフロンティアを全部消滅させた最後のフロンティアが、日本でした(アメリカの西の一番最果ては、日本(笑))。そう映画で言うと、トムクルーズの『ラストサムライ』ですね。ネイティヴアメリカンは、武力にとって全部支配することができたんですが、距離の問題もあって、日本のサムライとかいう野蛮人は、殺戮しきれなかったんですね。しかも、近代化して、米国に対抗してくる始末!。けど、トムクルーズが演じる米国陸軍の士官は、やっぱりダンスウィズウルブスのケビンコスナー演じる北軍軍人のジョンダンバー中尉と、まったく同じ悩みの発生の仕方、類型で、このような誇り高い民族を、このような気高い人物たち(=この場合はサムライね)を、一方的に殺戮して滅ぼしていいものなのか?と、苦しみ始めます。まぁ、前線の指揮官の数人が苦しんでも、アメリカは武力背圧を止めやしないんですがね。そんで、それがギリギリまで行きついた話が、クリントイーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』の硫黄島の映画です。いろいろ端折りますが、たとえば、この類型の最も厳しい話は、SF小説でオースン・スコット・カート『エンダーのゲーム』とそれに続く、皆殺しにしてしまった敵への罪を自覚し続けるそれに続く『死者の代弁者』シリーズなどがあります。これらはそれも超弩級の傑作ですので、ぜひ読んだり見ることをお勧めします。

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ああ、話がまた壮大にずれた(笑)。僕は、『スィートプリキュア』は、かなりいまいちに作品であったんですが、なぜか?と言われるとよくわからなかったんですよ。別に個々のエピソードの演出が悪いわけでも、キャラクターが魅力的じゃないというわけでもなかったので、レベル的に言えば今の『スマイルプリキュア』とあまりかわらないと思うんですが、どうもうまく入れなかった。

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これ、いっしゅうさんの評価を読んでいるうちに、スィートが1)自身の内面の悪と戦う、2)ラスボスの救済をする、という大きなプリキュアシリーズのテーマの、ある程度総決算的な位置づけにあるという部分で、ああそうか、と思い至ったんです。というのは、敵を救済するという行為は、まさに、善悪二元論の拒否になります。また、自身の内面の悪と戦うというのは、究極的な敵は、自分の内面の中にあるだ、という僕がずっと追っているビルドゥングスルロマン(=成長物語)のルートの一つなんですよ。そして、その二つがそろうと、物語が飛躍的に難しく複雑になり、読者が感情移入できず置いてきぼりを非常に食らいやすい、というのは僕自身が結論の一つとして分析したことでした。たぶん、この「見立て」をもって、意識しないと、本当に言いたいことは何か?が、わかりにくい作品なんだろうと思います。そして、作品の評価は、エンターテイメントとしてどれだけ売れたか、どれだけ人の感情が動いたかという部分が重要なのはもちろんですが、それと同じくらいに、何を目指して、どういう条件の中で表現をしているかという部分も、見ると面白いと思うのです。玄人的な見方ですが、そういう目が肥えた受け手がいないと、表現は間違いなくダメになりますしね。


ちなみに、この時のtwitterの会話をコピーしたかったんだけど、うまくできなかったので、、、まあ適当にtwilogで拾ってみた。順不同で適当だけど。まぁ「視点」だから、キーワードでいいと思うので。・・・この時の会話、だれかまとめてくれないかなぁ、、、。まとめ方がよくわからないんですよ、、、、。(←ちなみに、僕はすごいおっさんで、PCのこととか全然わからないのです・・・(涙)なので、勉強しろとか、ググれ、とか軽く言われると、へこみます。)

@kutikitaoshi おお、キュアパッションというのは、悪の組織に戻って、「その組織を立て直す」という方向になったわけですか?それはすごい。それは、エンタメとして視聴者には受け入れられた脚本だったんですか?
posted at 15:53:44

@kutikitaoshi ははー、、、たとえば、スイートプリキュアの敵幹部エレンのプリキュア化なんかも、その系列に入ると考えていいわけだ。その場合、力技ばかりではなく、キャラ自信に「人を救済するだけの器」があるように表現するか否か、というポイントがある、と。
posted at 15:52:35

@kutikitaoshi そのへんは、まったく見ていないので、さっぱりわからないなー。けど、ふんふん、このへんに「ラスボスや敵への和解と相互理解」見たいな視点があって、それが基調低温としてあるということね。
posted at 15:44:10

@kutikitaoshi ふむ。敵の救済、救済する側の器の描写問題、その系譜、社会復帰とか、いろいろいい「見立て」の視点を頂きました。
posted at 16:54:15

@kutikitaoshi ラブ兄貴とキュアパッションの話は、なんだか僕も見てみたくなってきました。あと、『敵幹部救済』と『救済する側の器の造形描写』という問題提起は、素晴らしい!!!プリキュアが、100倍面白くなります。ありがとうございます!!。
posted at 16:23:41

さて、もう少し詳しく何が言いたいかというと、仮に「敵を救済する」といういうテーマがあったとすると、どうも、スイートとハートキャッチ(それしか僕は見ていないので)の違いを分けたのは、「敵を救済できるだけのプリキュア側の器の納得性」がどう描かれるか?という部分に、僕は納得が大きくウェイトがかかっていたんですよね。エレンがプリキュアになるのは、いろいろ読み解くとこの大きな流れに即していて、理解できるのですが、ハミィにはエレンを翻意させたり心を変化させるような『器』を僕は感じなかったんですよね。ただ能天気なだけ。そこが、僕には、いまいちと感じてしまった原因でした。逆に言うと、敵を救済するには「救済する側の覚悟や意思」のようなものが非常に問われるんだな、ということ。


その文脈で考えると、どうも、スマイルのここんところのエピソードは、ただ単にヒーロになりたかったというか、非常に根拠の弱い理由でプリキュア(=正義の味方)になっていた5人の内発性を問うという形でエピソードが展開していきます。悪の中ボス?ピエーロの復活も迫ってきており、そろそろ悪の側の存在理由も問われつつあると思うんですよね。そうすると、その悪に対して、プリキュアたちが、どういう内発的な理由で戦うのか?どう接していくのか?ということは、この物語の根幹を支える部分になります。なぜなら、そこで、敵を殲滅するのか?それとも、敵もまた同じ人間として包摂しようとするのか?がわかれるからです。


そうして、敵を翻意させる感染する力を持った『器』として、どう主人公たちの内発性、自己の在り方、悪と戦うその仕方を描くか?について、、、、いまのスマイルは、とても良い話が続くけれども(クオリティは、まじで泣けるよなぁ、、、)、僕としては、いまだ、「敵を救済する器」という意味では、まだあまり納得していない。それは、演出力や個々のエピソードの脚本というよりは、構造的なポイントだろうと思います。この5人って、育ちが幸せすぎるんですよね(苦笑)。また、健康にすくすく健全に育っていて、コンプレックスをベースに生きている子ではない、という設定だと思います。動機というのは、「理想の自分」と「現実の自分」の落差をポジティブに読む変えて前へ進むところに発生する(まぁネガティブに読みかえることの方が多いけど)ものなので、そういう落差がない、健全な人は、物語になりにくいんですね(笑)。だって、埋めるべき欠落がないのならば、少なくとも、外から観察している側には、強く現実を変えてやろうとする(=ここでは物語のドラマを進める)動機が見えないからなんですよ。そういう意味では、最初のスタートから、コンプレックスというか、構造的な欠落を抱え、自身の内面の問題点を常に可視化してそれと戦うという形式にした『ハートキャッチプリキュア』は、ドラマが発動しやすかったように思えます。

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・・・とはいえ、まぁそれは身びいきかなぁハトプリが好きなんで、、、というのは、えりかもつぼみも、育ちがいいのはかわらないもんねぇ。でも、つぼみには、非常に底知れないくらい情念を感じるんだよなーいまでも。映画の狼男君を翻弄する悪女っぷりは、今でも忘れられない(笑)。ここって、さっき言った『器』としての納得性なんだろうけど、何がそれを分けるか、まだはっきりと自分でも分析できていない。朽木さんは、ラブ兄貴にそれを感じているようだけど、「それ」っていったいなんだろう?どうすれば描けるのだろう?というのは今の僕の注目ポイントです。強いドラマツゥルギーが宿るキャラクター造形とはどういうものなんだろうか?というテーマ。強度の問題ですね。

ちなみに、とはいえ、5人それぞれの内発性を問うという「流れ」は見事だし、大きな流れのどこのピースに合うかまではわからないものの、少なくとも健康に健全に育ったあまり欠落を抱えていない5人が、それでもなお悪と戦うのならば何が理由でありえるか?という問題提起からすると、非常に秀逸な流れになっています。「あなたに愛が無いのなら、パパから貰った愛を受け取って!」というセリフが、まさに、そのことを表しています。これは、自分がすごく充足(リア充(笑))していないと、言えないセリフだからです。これは、父親が不在だというやよいにとって、父親からの愛情は非常に自明で感情的に安定しているので、不在を嘆く(=私は愛情が足りない!)アダルトチルドレン的な心性と正反対で、この綿々と受け継がれてきて、自分に届いた愛情を、誰かに渡していかなければならない!と思う、とても健全な「絆」への欲求です。

「あなたに愛が無いのなら、パパから貰った愛を受け取って!」

ここは、うん、育ちの良さと感情的な充足が、「何」に転化するのか?ということにすごく自覚的で、良い脚本だなーと思いました。たしかに、このドラマヒロイン設定は、ほぼ平等な五人の立ち位置の中で、とってもビバ黄色!的な感じはしますね(笑)。これって、まんま、『バットエンドを予期して人生をあきらめてネガティブな思考になってしまっている悪者たち』へのメッセージですね。



ちなみに、非常に丁寧な演出で、前回のマーチの話と続いて、本当に脚本と演出が丁寧で感心します。いまだ、ハートキャッチのように全体を貫くテーマがあぶりだされていない、しかも、動機がはっきり設計されていない5人の内面深堀作業という、ともすれば、ダレてしまいやすいエピソードの積み重ねを、これだけ泣ける話にできるのは、ひとえに演出と脚本のクオリティが高いためです。たとえば、まぁ僕は一見のパッと見なんで、見返していないので正しいかわかりませんが、雨と雨が晴れるシーンはやよいの心理状態と重なっているし、過去の回想シーンで、パパがいるシーンといないシーンのフラッシュバックの書き分けとか、見事だなーと思います。これは演出面ですね。それから脚本面では、良くわかっているというか、素晴らしい!!と思ったのは、やよいとやよいのお母さんの二人にとって、既に「父親がいない風景のほうが日常である」ことが、なんというか、とっても当たり前に描かれているところが白眉でした。えっとどういう意味かといえば、ふつう、父親がいない、というのはある種の悲劇で語られて、、、、実は、、、みたいな思い話に演出されがちなんでしょうが、はっきりいって、やよいにとってもやよいの母のちはるさん(千春さんもすげー美人だよなぁぁ!!!)とっても、まったく重くなく「いないのが当たり前に生きている」感じがする。千春さんも、キャリアとして、仕事を前向きに、楽しそうにやっているし、、、、たぶん、あの感じだと、やよいを育てていくのに問題なく、金を稼げている感じがします。たぶん、自分がやりたかった仕事ができているだと思いますよ、ポジション的に、正社員でマネージャークラスの感じがしますもん。

たぶん、もう父親がいない、夫がいないことが欠落ではなく、もう前提でポジティヴに生活が回っているんだろうと思うんですよね。重さや悲しさが、僕には全然感じられなかった。これって「そういうもの」なんだと思います。過去にばっかりこだわって人は生きていけないものだし、正しい愛情を受けて育った子供や、いい愛情を共有した夫婦は、僕はそんな過去を振り返って欠落や不在を強調しないものなんだろうと思う。まぁ事実はどっちかはさておき、父親の不在というステレオタイプな表現にしなかった、脚本と演出の心意気は、見事だなって思いました。だからこそ、父親の「くれたもの」を思い出した時、上記に、『父親からもらった愛情』が、不在であっても過不足がないために、他の誰かへ伝えていこうという、充足した意識が持てるんだろうと思います。欠落に、欠乏感を感じている人は、誰かにそれをシェアしようとか与えようというギブの意識は持てないものだからです。などなど、ほんと、繊細な演出で、、、いいわーほんとに。

さて、毎回読み込ませていただいている、いっしゅうさんの記事。相変わらず素晴らしいなぁ。。。本当に勉強になります。

ここ数年プリキュアはラスボスを救済する方向で物語が進んでいます。一気呵成には進みませんでしたが その集大成が前作スイートです。勧善懲悪の物語に比べて話しが複雑になりやすく、戦闘ものとしてのカタ ルシスを出しにくいという作劇上の困難はありますが、おそらくスマイルもその方向に進むと思われます。
 私はプリキュアがこの方向でどこまで行けるのか見てみたいと思います。子ども向けとしては勧善懲悪の 方が分かりやすいと思います。しかし子ども向け、女の子向けとして物語を追求するなら「優しさで勝つ」 ことも大事なことだと思います。勧善懲悪において「優しさで勝つ」ことは矛盾を含みます。他者を受容し 守る裏で敵を倒す排他性が同居するからです。プリキュア5、GoGo!の主人公のぞみは優しい女の子で した。しかし決定的な場面で敵を救うことは出来ませんでした。結局優しさは無力なのか、敵を倒すことに しか向けられないのか。愛されなかった人々はこの世から排除されるしかないのか? あなたはそれでいいの?  最近のシリーズを見るとプリキュア自身がそうした問いに答えようとしているように思えます。プリキュ アシリーズが長い一つの物語としても感じられるのは、出来なかったことを次の物語で出来るように変えて いく(スタッフは変っているんだけど、そう見えるほどシリーズが繋がっている)物語だからです。それは この物語が真摯に向き合ってきた結果だと思います。


六畳半のすごし方
http://www.geocities.jp/isshuu_a/smileprecure.html#lcn001