『1911』 チャン・リー監督 ジャッキー・チェン主演  辛亥革命についての記念映画

1911 Revolution [DVD]

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★3つ)

中国との日中戦争をわからないと、この時代のポイントがわからないと思っているんですが、これを「日本語側」から見ているだけだと、よく理解できません。見る視点は、公平で歴史的なスパンで見ないと、偏ったナショナリズムでものを見てしまうからです。それは当然。僕は日本で教育を受けたし、日本語に偏重して情報を仕入れているのだから。ましてや日本人だしね。どうしても、自らの祖父たちのシンパシーを感じてしまいやすい。


ちなみに、僕のブログをずっと読んできている人は、幕末の時代から日清、日露戦争まではほとんど理解できたけれども、太平洋戦争(対米国との戦争)がよくわからない?としてずっと本を読んできましたが、日米戦争の目的は、どうも「日中戦争継続を目的としていた」ということがわかってきた、というのを覚えていると思いますでしょう。戦略的には悪手ですが、流れ的には、大陸政策の泥沼から、日本国家の意思決定が空気で流される病で、暴走していった感があります。


では、日本が大陸進出したことはどういうことだったのか?を知らなければ、この時代は読み解けません。けど、たぶん、この視点は、日本側だけでは理解できないと思うのです。それなりに、この辺の本は読んでいるが、僕にはさっぱり日本軍や日本政府の意図が理解しにくい。しかし、ここで、大好きで何度も読み返している浅田次郎さんの『蒼穹の昴』『中原の虹』などの清朝末期の中国の志士たちを描いた小説がそのキーとなってきたんです。この本を読んで、中国人から見た視点で、清朝とは、革命とはなんだったか?というのが語られており、やっと、中国側の視点がの手掛かりになってきたんです。

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

もちろん、これは物語です。史実なわけではありません。けれども大事なことは、僕は歴史として理解するためには、「その当時の人々の気持ち(=物語の登場人物の主観視点)」で再構成して理解しないと、理解するのが難しいといつも思っています。歴史は、マテリアル(=一次資料)ばかりなので、再構成して主観的に「納得」するのが難しいのです。日本側を理解するのはそれなりに容易です。たくさんの物語にふれているし、なによりも、自分も、自分の親族祖父たちもみんな日本人なので感情移入がしやすいからです。なので、いまは、なるべく中国や韓国、モンゴル、ロシアなど北東アジアの人の視点から見た「あの時代の彼らにとっての願いと正統性」はなんだったのか?を知りたいと思って、読書を継続しています。そうすれば、日中戦争の大陸政策の是非が問えると思うのです。戦略は、自国にだけ都合がいいものでは構築できませんからねー。外部(=市場)の与件と構造を考慮しなければ。


対米戦争の目的とはなんだったのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120720/p7


けど、じゃあどうすればいいのか?というと、この時代の大きな流れとしての「中国の歴史的な正当性はどこにあったか?」という視点で見ることです。いいかえれば、そこに住む中国の大多数の人にとって、理想の形はなんだったか?固有の歴史的な課題はなんだったか?ということを解くことです。中国で言えば、長きにわたる皇帝専制主義によって民衆が自ら政治参加する意識が皆無で、個人の概念がほとんど存在しなかったこと、それと日本も含む西洋列強パワーズによって虐げられている侵略者たちをどうはねのけるか?でしょう。


あとは、たとえば、大きなポイントとしては、民主主義がいいとは一概にいきれないのはもうこの時代わかってきていることだけれども、まぁ、これは歴史の中で正当性があるだろう?といえることは、いくつかあって、たとえば、民衆が物質的に豊かになれない状況は、大衆の市場によって文明が駆動する我々の資本主義社会には、ほぼ悪になる。一般民衆が自由な権利と財産権をある程度持てないことは、ヨーロッパ列強との競争で負けて奴隷化されてしまいます。資本主義社会が本当にいい社会か?というのは議論の余地はありますが、代替選択肢が現代には存在しないことはほぼわかっています。そしれこの正当性の枝葉として、帝国主義的な収奪から国を守るということも正当性があります。とすると、清朝末期の中国にとっての正当性は、清朝が自浄作用で自らを変えることができて近代国家を建設できるか?というポイントと、仮にそれが不可能であるとすれば、どのように、清朝を早期に打倒するか?、同時に列強の支配を覆せるか?ということが、中国の歴史としては正統性を帯びることになると思います。


そういう視点で見ると、この時代の個々の政府やリーダーたちが、何を戦略目標にしていたかがわかり、かつその後の時代の流れから、何が判断として正しかったかが、とえるようになると思います。だからまず、中国人にとって、中国という土地にとって、何が正しいことなのか?の物語を、理解したい。そうすると、現在の中国の繁栄ぶりからすると、「革命」が非常に正しかった、と言わざるを得ない。100年近くの苦しみは経たとはいえ、現在の中国には、民衆の市場によって駆動する近代国家が出来上がっている。ちなみに、近代国家において、民主主義は全く不可欠ではないことは、よく言われています。僕は、この時代の行き詰まりを、自らの力で糺し、ここまでもってきた中国は素晴らしいと思う。文化大革命にしろ、現在も一党独裁にせよ、もちろんいろいろな問題はある。けど、それは例えば日本だって同じだ。太平洋戦争へ突入するような狂った施策など、外から見ても(中から見てさえも!)歴史家がそれはおかしいと断じるものは多々あると思う。けど、少なくとも、今世紀の個人の時代に置いて、それを享受するだけの国力や安定を築き上げていることには、疑いようもない。


もちろん、それ以外の方法はなかったか?とか、いろいろ理想的なことを言えば、あります。やはり資本主義、自由主義の伝統がある日本社会では、そもそも一党独裁共産主義というのは、理解に苦しむし、信頼にしくい。とはいえ、日本だって、戦略レベルでコントロールがまともにできていない戦前があったわけなので、人のこと偉そうに言うことはできません。重要なのは常に結果です。2012年の現在、中国が12億の民を食べさせ、希望を持たせ、そして列強の食い物にはならず、ミドルクラスを多数形成していることは事実です。その事実こそが重要なのです。文化大革命など、そのために、本当にその歴史が必要だったか?は僕は歴史家でないし、調べが甘いので今はまだ何とも言えません。けど、すくなくともこの100年で、地球上の超大国まで復帰してきたことを考えれば、さすが、としか言いようがありません。


ちなみに、これはまずは本丸の大きな柱を読むために言っているのであって誤解しないでいただきたいのは、これが正しいとかそういうことではなくて、「そこに住む人にとっては?」という条件が付いていることです。端的に言えば、この中国の周辺部には、チベットの人にとっては、ウイグルの人にとっては?という別の物語や正統性が存在します。そして、日本人にとっては、そちらの方が重要でしょう。世界の中心たる中華の辺境部に位置する民族にとっては。またその話は、本丸の柱が理解できた後に、調べてみたいと思います。

文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因

さて、映画としては、ジャッキーチェンが出ている意味はあるの?というような、映画でした。エンターテイメントとしては、むーという感じだ。彼は、黄興という辛亥革命時の軍の総司令官なのだが、彼の実存、物語としての位置づけ、そういうものはほぼない。出る必要性が全く感じない。主人公は、明らかに、孫文だし、そうでなければ名も泣く散っていった若者たちが主人公として設定されている。僕は文脈読みもしているし、それにさすが現代に作られている映画だけに演出力はなかなか凝っているので、おもしろくは感じたが・・・・。しかし、まぁ辛亥革命100年を記念したプロパガンダ映画って感じだなー。少なくとも背景知識がない人が見ると???ってなりやすいものだろうと思う。脚本も知識ある人を前提に作っているので、感情移入が非常にしにくい。革命で死んだ若者たちを、偶像視するような演出が行われているが、、、「なぜ彼らがそこまで我慢できなかったのか?」「命をかけるほどの動機はなぜ生まれたのか?」が、少なくとも作中には描かれていないので、背景を知らない人には、ちんぷんかんぷんになる。そういう意味では、中国人が、自らを再確認するための作業としては、いいけど、エンターテイメントとしては、もう一歩な感じだ。

中国共産党 支配者たちの秘密の世界

ちなみに、いまこの本を読んでいるが、この本は実に面白い。浅田次郎さんの『中原の虹』『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『マンチュアリアンレポート』それから、これらの上げている本、あとは、いま読んでいる『紫禁城の黄昏』を読むと、僕の思考は亀のように呪いので、すぐ追いつくと思います。現代中国の縦軸、、、なぜそれが生まれてきたのか?という時系列的なものを問うには、これらの本は凄くお勧めです。映画の『ラストエンペラー』もおすすめです。

ラストエンペラー コレクターズ・エディション [Blu-ray]