『マイウェイ 12,000キロの真実』 カン・ジェギュ監督 オダギリジョー チャンドンゴン主演

マイウェイ 12,000キロの真実 Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つプラスαの傑作)


■日本と韓国のナショナリズムを超えたところにあるものを見つめる視点〜成熟の韓国映画

とにかく素晴らしかった。こういう物語が僕は見たかったんだ!!!というのをまさに見せてくれた物語。本当に素晴らしい映画だった。それにしても、、、韓国映画ではあるが、なんというか見事なくらい見事な日本映画だった、と思う(それって、物凄いことだ・・・・)。だって、主人公は、間違いなく長谷川辰夫演じるオダギリジョーだ。クレジットも、一番最初に描かれている。日本陸軍皇軍の兵士である彼の動機を、生き方を、描きつくした物語なのだが、にもかかわらず、チャン・ドンゴンのすさまじいまでのかっこよさ、、、。この監督すげぇ。もう一度繰り返すけど、バリバリの韓国映画なんだけど、ほぼ全編、日本語なんだよ。韓国のスターであるチャン・ドンゴンの最も重要なシーンのほぼすべてが、日本語のセリフとなっている、、、、。そして、日本兵の実存を描いている。韓国映画、、、ここまで成熟したのかぁ、、、となんか、くやしい。ついぞ、邦画では、朝鮮統治やこのころの日本と朝鮮をテーマにして、これほど素晴らしい物語を生むことができなかった、日本映画のことを考えると、、、、。日本映画の、日本兵のかっこよさをこれでもかと描いた米国との戦争映画は、クリント・イーストウッドだったし、、、、。そう思うと、なんかすごく残念だ。それにしても、韓国の外交のへたっぷり、特に日本相手の非常識ぶりというか自国の国益を無視した暴走ぶりには、全然成熟してないんだなぁ、とため息が出ることが多いが(まぁ、もっと成熟している国のはずの日本の対応見ていると・・・どんぐりだけどねぇ)、意外や意外エンターテイメントは、こんなものが出るんだ、とビックリしました。この映画の表面の日本の描写の問題点で細かく言う人は、僕は表面しか見ていないように思えます。


時代考証はどこまでなのか?〜細かいあらさがしは本質の評価と相いれないと僕は思う

正直いって、日本軍の描写には、かなりの偏向があることも事実だとは思うので、細かく言えば、いろいろ文句が言いたい部分もあると思う。たとえば、日本軍大佐の公開腹切り処刑(苦笑)とか、ねーよそんなの、と確かに思う。けど、全体の映像を見終わった後の印象「総体」で言うと、僕は多少の偏向など「言いたいことの本質」からすれば、もうどうでもいいことのように思える。この作品が、ナショナリズムの恩讐を超えるところの表現しようとしているのは明白であって、そこが120%振り切れて描かれている(=しかも成功している)限り、そういった事実の指摘には、あまり意味を見いだせない。少なくとも僕は。韓国(異国)の作品なんだから、差別的意図や歴史歪曲の意図がなくたって(もちろんあるのが普通!)、そこまで時代考証なんてやり切れるもんじゃねーよと思う。ましてや、ナショナリズムや狂った幻想を脱ぎ捨てた「個人」同士の、「走ること」という自分の好きなことだけを通した「個人同士の友情」を描きたいという本質から、長谷川辰夫が、そのファナティツクな幻想を解体されていくところを主軸とする物語ならば、おもいっきり日本軍の狂ったところをおおげさな表現するのは、むしろコンテキスト(=文脈)上必要なことだったと思う。物語はその「本質の言いたいこと」の意図に沿って、どれだけうまく嘘がつけるかが勝負であって、その本質がきちっと批判に耐える得るものならば、すべての嘘は肯定される、と僕は思う。


そしてエンターテイメントなので、日本、韓国、中国の現在の政治的に正しい話やナショナリズムの平均値をとってしまうのは、まぁ仕方がないことだと思う。どこの国も大衆の「受け身姿勢の知的レベル」は、物凄く低い。基本的には、豚並だ(苦笑)。いや、都市社会の大衆ってそんなもんだって。マーケットと人気は、いいところの真実はつくものだが、瞬間最大収束の反応は、たいていひどいものです。よほど主張したいことの本質にかかわれば別なんだろうけど。些末なことの表現は、それに合わせるので、ひどく煽り立てるほど、大衆は受けます。アメリ映画の日本表現にしたって、どこまで馬鹿にしているんだ!的な描写になることばかりだもの。日米の同盟のこれだけ長きにわたる絆があってもさー。いかに帝国の属国とはいえ、そこまで言われちゃーたまらん、というのばかり(苦笑)。別にバカにしているわけではなくて、観客の「理解度のレベル」に合わせるとそうなってしまうんだろう。映画はエンターテイメントであり、受け身の何も考えがない人に向けるので、そうならざるを得ない。映画の表現だけで、物事や相手の国や民族、文化を理解してしまうようなやからばかりであれば、そもそも、それはリアルの関係自体が悪いのであって、映画が悪いわけじゃないと思う。あまりそういうことにはこだわる必要はないと僕は思う。今後、50年、中国や朝鮮半島がさらに近代化して豊かになりミドルクラスが安定して成熟していけば、必ず歴史認識は、中間点に落ち着いていくはずだ。ナショナリズムは、ほとんどの場合が貧困や国内の不安定が原因だからだ。その民度を反映して、政治的にバランスが崩れるだけ。あまり極端な歪んだことばかり教えていたり、わからない大衆を抱えている国は民度が低く、絶対にグローバルな競争で勝てない。実際は、その国自身が損をしていくものだ。だから間違いなく、バランスがとられていくと思う。そんなの、世界相手にしていると、実感するよ。あと、こういうのを信じる人がいたら困るだろう!と思う人は、逆の形のものを描いた、それでいて人をひきつけるエンターテイメントの魅力ある物語作ればいいのだ!、と僕は思う。もし作れないならば、それは日本映画の負けだ。作れない人が、さかしらに批判だけを繰り返すのを見るのは、いう権利はあると思うけど、少なくとも僕はうんざりする。エンターテイメントは、洗脳合戦だからだ。国が違えば、文化が違えば、競争相手だ。片方の都合のいい方にしてくれると思う方が、間違いだ。言いたいこと、わかりやす形で主張して、受け入れられてこそ、価値なのが競争社会だ。真実もくそもない。さまざまなものを生み出す、豊かな都市文化や大衆文化があるかどうかが問われるんだろうと思う。実際、僕はこれだけ日本を偏向して描いている映画を見て、素晴らしいと感じるもの。



その「制限のある中」で、たとえば、腹切り公開処刑をされた(苦笑)日本軍の大佐に対して、「普通の観客(日本人でも中国人でも韓国人でもいい)」がどのように感じるか?というのを、コンテキストだけで見てみよう。この映画の中では、オダギリジョー演じる長谷川辰夫は、ファナティツクな軍国主義的な軍人として登場してきます。彼は、撤退を許さない!という日本軍の極端な姿をカリカチャライズしています。この時代にこういうのが本当であったか?という時代考証はどうでもよく、日本人の僕が見ても、ああ、当時の日本軍の最も悪いとこを凝縮すれば、こういう感じだな、というのはわかります。その「反対の存在として」この日本軍の大佐は、早々に撤退を進言して実行し、さまざまな朝鮮人兵士に公平な態度をとった人だったわけです。はっきりそう描かれている。そういう人が、理不尽に処刑される、天皇陛下万歳と涙を流しながら切腹する(←くやしかったろうなーーー)。僕は、カン・ジェギュ監督はうまいなーと思いました。このコンテキストから読み解けば、日本軍の高級軍人にさえ、日本の狂った国体に反対する良識ある人がいたということは明確にメッセージとしてこめられます。この内容の真偽がどうあれ、このコンテキストの中には、ファナティツクな国家主義に毒されている長谷川辰夫大佐のような存在もいれば、そういったことを良しとしない良識的な人も「さまざまな人が日本の中にはいた」というメッセージがはっきりと読み取れます。これ、とても成熟した態度だと思います。しかも、かなりそれがあからさまに描かれている。韓国のナショナリズムの制限の中、非常に極端な日本の描き方をしても、よく読み取れば、というか普通に見れば、ああ、この大佐も日本のファナティツクな国家主義の犠牲者なんだ、とよくわかるはずです。そもそも韓国映画なんだから、韓国の大衆に受けるようにという文脈では、ここからスタートするのが普通だと思うよ。日本の戦争を描いた映画も、他国の人間には意味不明な文脈でいきなりはじまるモノが多いじゃないですか。自国が全肯定されないと納得できないというのは、ちょっと幼稚だと僕は思います。そんなの無理だもん。少なくとも、この映画は、中国、韓国、日本の何処の人が見ても、それなりに「入れる」説明の仕方がされています。入り方は、かなり、えっ?って言う間口の低さではあるとしても(笑)。これってエンターテイメントの基本。


そして、このファナティツクな「心の在り方」は、後で説明するように、長谷川辰夫の体験でどんどん解体されていくわけです。また、同時に、チャン・ドンゴンの演じるキム・ジュンシュクが、自分の友人であるアントン(朝鮮名はど忘れした)がソ連の教化洗脳で、友人を売るようになるくらい狂っていく姿を見せつけられていくと、観客はどう感じるでしょう?。日本人の軍国主義にかぶれて狂っている姿を「あいつらおかしい」と笑っていた朝鮮人のアントンが、そのまま狂った共産主義者に変貌していくのをまざまざと見せつけられるわけです。このコンテキストからいえることは、明白でしょう?。人間というのは弱く脆いもので、狂った体制や教育を受けると、簡単におかしなことに染まっていくものだ、ということを、朝鮮人も日本人もどっちであっても、簡単に狂うのだ、ということを見せつけて主張していることになります。ここには、本当は「個人で向き合えば友人になれたかもしれない個人同士」が、体制や思想、国、ナショナリズムの衣を被ると、簡単に憎しみ合って殺し合いだましあう存在になることを、痛烈に主張しています。同じ民族同士でも、友人でも同じです。重要なのは、長谷川辰夫の狂いっぷりを見せた後、アントンがソビエトの洗脳に染まっていく過程を、逐一示していくことです。この比較、このコンテキストは、非常に成熟しています。だって、朝鮮人だって、簡単におかしくなるんだぜ?日本のこと笑えないぜ、ってはっきりと主張しているからです。北朝鮮という赤化した地域がある歴史の事実を見ると、この主張は、非常に重いと思います。絶対に、そのように韓国人の普通の人が見れば感じるはずです。これは凄く公平な態度だと僕は思います。日本の軍国主義は確かに悪いけど、韓国人がそれをなじるだけの「一方的な強者の立場に立てるか?」といえば、同じ穴のムジナじゃないか、とはっきりと描いているのです。こういうことは、日本人がこれを言ったら、主張がそれなりに正しくとも、上品ではないし、そもそも納得性がありません。「お前に言われたくない!」といわれるからです。逆もまた、しかりでしょう?。韓国のメジャーな監督がエンターテイメントで、これをするところに、その成熟度を僕は感じます。


■ファナティツクな日本人将校、長谷川辰夫の動機の展開〜大好きな祖父を朝鮮人の独立テロで殺されたところから

凄いよ、、、この時代を描いて、ナショナリズムを超えるテーマを描けるなんて、、、、。そして熱い男の友情を、、、この時代の大日本帝国の日本人と朝鮮人の関係を描いて、まさに真の意味での友情を感じさせる映画なんて、、、そんなの見たことがないよっ。最後のノルマンディーでのシーンで「友達だろ・・・」みたいな感じのセリフがたくさんあるのだが、、、なんか、聞いてて泣けるくらい深い感じなんだよ、、、、。まったく、上滑りしていない、、、。ほんとうに、心からお互いを友と思っている、、、、この脚本は、本当に素晴らしかった。最後のドイツ軍の浜辺のシーンは、、、穏やかで本当に泣ける。


何よりも素晴らしかったのは、日本兵、長谷川辰夫の実存を見事に描いていること。ファナティツクな皇軍の兵士であった、彼の「信念」が、ソ連強制収容所で、そしてナチスドイツへの特攻をさせられる囚人部隊に自分がなった時に、、、自分がどのようなことをしてきたのかが、一つ一つ丁寧にはぎ取られていく、、、そして、そういったイデオロギーが歪ませたことをすべてはぎ取っていた後に残ったのが、


友との絆だけだった


というのは、見事な構成になっている。そして、最初から、何も持ってい無かったチャンドンゴンは、「走ること」が大事だった、、、友として見ていた、、、。この二人が、最後は、男と男の「友」として相手を見れるのは、1)長谷川辰夫が、自分のファナティツクなイデオロギーがどういうものだったかを、まざまざと見せつけられて自分お信念が崩壊させられることと、


その裏返しに


2)チャンドンゴンの友人だった、あの優しい気のいいアントンが、ソ連強制収容所で捕虜の班長として非人間的な、友達を売り、ソ連万歳と、突撃する狂った人間になっていくのをまざまざと見せつけられることで、決して、個人だけがくるっているわけではなく環境が狂えば、いいやつだってこんなふうになってしまうんだ、と朝鮮人が、立場が逆になって怒りにまかせて日本人を恨むことも同じように、日本兵の狂った行為と同じくらいに狂ったことなんだ、、、
というエピソードがあり、ちゃんと文脈を読む人間ならば、日本人にとっても、朝鮮人にとっても、どっちも、、、お互いを、個人ではなく、その背後の狂ったイデオロギーで見ることさえ除いてやれば、、、ここでは、初めて子供のころに出会った「走ること」を通しての仲間、、、友なんだ、、、ということが、観客に十分伝わるからだ。大作らしい、ハリウッドの大作的な感じの、スタート地点は、トンデモ内容かよっ!ていうような地点から普遍的なものへ、大衆に(=受け身で理解する今季差を持たない見方をする人々)わかるように理解させていくプロセスが見事だった。


これ、たぶん、このスケールで描かないと、描けなかった「感覚」なんだろうと思う。いやーなんか、とてもスケールの広い、懐の広い映画だった。こんな映画に出会えて、うれしい。、、、もしかしたら、あまりにスケールが大きすぎて、、、、感覚が狂ったのかもしれないなぁ、、、だって、大日本帝国陸軍ソビエト連邦軍ナチスドイツの3つの軍服を着て、、、っている話なんだぜ(苦笑)。ありえねーよ。ただ、物語の骨格的には、どうも本当にそういう兵士がいたという写真があってそれをベースに考えだしたようなんだが、、、、。でも、そうか、、、、「そういうスケール」でもみると、せせこましいナショナリスティツクなものって、吹き飛ぶんだ!と感心した。本当に素晴らしい映画でした。