『かぞくのくに』 2012年日本 梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督 現代の日本にある南北分断という現実〜遠いマクロの話ではなく、目の前の現実であるという驚き

かぞくのくに [DVD]

評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★4つ)


■現代の日本にある南北分断という現実〜遠いマクロの話ではなく、目の前の現実であるという驚き

まず視聴終了して驚いたのは、現代の2013年の日本にこんな現実があるのか!という驚きだ。幸か不幸か、僕は差別というものを感じたことが子供時代に全くない。それは、僕は北海道や東京の郊外で子供時代を育ったため、そもそもそういう存在に触れることが少なかったというのがある。僕にとってのリアルは、米軍の巨大な駐屯地が近くあったため、同級生のアメリカ人の軍人や軍属の子供がたくさんいた、という部分だけだろう。なので、西日本に行くと一発でわかるあの濃厚な関係性のドラマがさっぱり理解できない。東日本でも、そういうのはあるのかもしれないが、、、、少なくと僕は全く見ることなく育ってしまった。だから、ヘイトスピーチでも何でも、はっきりいってまったく理解できない。というか、体感できない。差別問題は、寝た子を起こさないように、何も言わないべきだ、という戦略方針もあるそうで、それは凄いわかる気がする。僕のような世代は、あえて平等にしよう!なんて叫ばなければ、その存在自体が興味がない人もたくさんいるはずだから。ちなみに、その代わりに、北海道にいたので、ロシアの脅威の話や、なによりもアイヌの話は、実はとても濃い経験がたくさんある。こういうのは、どこに住んでいるか?ということで、とても大きな影響を受けるのだろうと思う。子供時代に濃密な体験をしていないと、「それ」そのものの意味が全然分からない。なので、西側の日本での差別の話は、正直僕にはさっぱり意味文脈が実感できない。

なので、在日朝鮮人のこのような映画を見ると、衝撃を受けてしまう。北朝鮮脱北者の大学生の手記を先日読んでいたりしても、その凄まじさに、声も出なくなってしまう。なにがそれほどの衝撃を受けるのか?というと、その厳しさの事実ではない。僕は物語が好きだ家歴史も好きなので、人間社会の残酷さは、これでもかという風に「頭では」知っている。しかし、どこか遠い国のおとぎ話のように距離を持ってみているのもまた事実であろうと思う。そのなかで、いままさに、自分と同じ国に、地域に、そして目の前に関係あるものとして展開されると衝撃を受けてしまうのだ。なぜならば、強烈なリアリティーを感じるからだ。

だって梁英姫ヤン・ヨンヒ)監督とまさに自分は同世代であり、この作品の中で難病治療のために日本に特別に帰国する兄の年齢はまさにどんぴしゃで、自分と重なるので、その背景に起きた歴史は実感してよくわかるのだ。なによりも、言葉が日本語であり、あきらかに日本の同じ時代を生きているという共有感が、信じられないほどの動密な共有感覚を喚起する。これは、海外の映画を見ていては全く起きない現象だ。

そういう意味では、こうかくと非常に失礼な言い方かもしれないのだが、僕は在日朝鮮人の描くこうした物語、小説、映画などは、本当に興味深く追っている。同じ現実・リアリティを濃密に共有しながら、まったく異なる文脈と視点で語られる現実に、現実の多様さを突き付けられて、世界が崩壊するような感じがするのだ。そして、その崩壊は、多様性への第一歩。早稲田大学教授の竹田青嗣さんだったかルポライター佐野眞一さんだったか、誰だか忘れてしまったが、内に閉じこもり、均質的な視点に閉じこもりがちな日本人が、それでも他者を実感出来るのは、在日朝鮮人の存在があることは大きな助けになっている、という文章があって、それは僕も非常に同感だ。

『あんぽん 孫正義伝』 佐野眞一著 愛する祖国日本に多様性をもたらしてくれる彼らに乾杯!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120809/p1

『ネットと愛国〜在特会の「闇」を追いかけて』 安田浩一著 現代日本の本質を描写している傑作ルポタージュ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120706/p1

あんぽん 孫正義伝 ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book) 忠成 生まれ育った日本のために 日本代表・李忠成、北朝鮮代表・鄭大世〜それでも、この道を選んだ 日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩

たとえば、前に書いたが、僕は九州にビジネスでよく訪れるのだが、仕事で地域の歴史や技術、産業をよく調べ、毎晩飲み歩いて地元の人と仲良くなって、、、全然わかっていなかったことが、孫正義さんの家庭の3代の自伝である佐野眞一『あんぽん 孫正義伝』を読んで、九州の石炭産業の歴史、あの地域での深い朝鮮半島の結びつきと、大財閥であり日本の名家の一つである麻生財閥の事業展開など、いっきにさまざまなものが深く結びついた。さすがに何年も通っているだけに、さまざまな地名や歴史、特に炭坑や長崎の造船やそういった日本の近代化を支えた地域だけに、それに関わる職業をされている方々がたくさんいて、それは家族で代々しているケースが多い。その断片だったものが、ずばばばばばばってつながった時の衝撃は、今でも忘れられない。歴史を「実感」するというのは、こういうことなのだ、と感心した。

アメリカに留学している時に知り合った家でホームパーティーをしている時に、その家のおじいさんが、軍人で、WW2も行ったし朝鮮戦争もいったなーという話をポツポツしはじめた時に、鳥肌が立ったのを覚えている。その時僕は『バンドオブブラザース』など、軍事、戦記モノにはまっていたのだが、そのイメージが、がちっとリアルと結びついたからだろうと思う。こういう臨場感、臨在感は、自分とミクロ的に結びつきのある特定の個人との会話を通してしかなかなか生まれることはない。

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そういうものを体験できるというのは、生きている喜びであり、歴史という自分では触れえないマクロの現実に自分がアクセスできる素晴らしいチャンスなのだろうと思う。


さて、この映画をは非常に低予算で作られたと思われる、家族内部の話だけで物語が進む、静謐なドラマだ。しかし、ノラネコさんがおっしゃるように、”映画的なるもの”の重厚さは、単純にお金や規模で造れるものというわけではないのだろうと思う。この物語は、ある在日朝鮮人の一家のお話なのだが、それを通して、いま「ここ」にある現実と歴史の思いを感じさせて、素晴らしい作品だった。

本作はインディーズの中でもかなりの低予算作品だが、映像の密度は極めて映画的に重厚で格調があり、“映画を観た”という充実感を感じさせてくれる。
高い演技力と鮮烈な存在感を放つ俳優たち、生活感と家族の歴史を感じさせる美術、そして家族の間に流れる気怠い空気までをも写し取るカメラ。

映画的なるモノ、とは決してお金の問題ではない事を本作の画面は雄弁に語る。

濃密なる100分の上映時間、ヤン・ヨンヒ監督の見事な劇映画デビュー作は、単に在日社会北朝鮮の問題ではなく、全ての“家族”へ向けた重要な問いかけを含んでいる。


かぞくのくに・・・・・評価額1650円/ノラネコの呑んで観るシネマ
http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-569.html

素晴らしい映画でした。


■帰国事業という棄民政策〜国家や組織というもを信用することはできない

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫) ワイルド・ソウル〈下〉 (幻冬舎文庫)

『ワイルドソウル』という小説を読んだことがありますか?。ちきりんさんのブログで紹介されていて、これは読まないと思い、何の予備知識もなく読んだのですが、物語自体が物凄く面白いというのもあるんですが、その凄まじい過去の歴史に衝撃を受けました。しかも、ほんの少し前の話であって、こんな凄まじいことがあったなんて、と衝撃を受けました。これは、ブラジルへの移民奨励政策を日本政府が実施したことを背景に描かれる、そこに移民した男の子の人生を描くのですが、国家というものはこれだけ残酷でめちゃくちゃなことを組織的大規模にやるのか!と寒気がしました。この小説はフィクションですが、1950年代に日本政府がブラジル移民を奨励し、「1959年に日本人移民は年間で7000人を超え、延べ移民総数は13万人に達した。」といわれている。1950年代だぜ!ちょっと前じゃないか。僕は、左翼的な思想にあまりシンパシーがない人なんですが、こういう例を見せつけられると、国家はすべて信じられないと思う意識を否定はできなくなってしまいます。2000年代の日本では考えられないくらい、こうした国民を外に捨ててしまおうという圧力は、当時強かったんですね。建前は、移民に希望を持たせているのでしょうが、政策的にはそういう圧力でしょう。1950年代ぐらいだと、まだ日本が高度成長するとは、信じられなかったんでしょう。その後の日本の大成長を考えると、胸が痛みます。


こんなこと、そうはあることじゃない!と思っていたんですが、普通にあるんですねぇ、僕はものを知らないだけなんですね。この『かぞくのくに』は、北朝鮮への帰国事業のため16歳で北朝鮮に渡った兄が、難病治療のために日本に一時帰国するというお話です。在日本朝鮮人総聯合会朝鮮総連)が中心になって、北朝鮮在日朝鮮人の帰国を促す運動だった模様です。日本政府も、生活保護を受ける在日朝鮮人の経費を浮かすために積極的に後押ししたようです。このへんの、経緯や正しさは専門家でないので、良いとか悪いとかは当時の状況も構造も深く知らないので軽々しく言えないのでなんともいえませんが、歴史のその後の経過を見ると、このことがもたらした傷がどれほど大きなものかは、想像するだけでもため息が出ます。

「帰国事業は日本政府による朝鮮人追放政策だった」(2004年5月18日付朝日新聞)と主張するのは、僕は一方的すぎて、何とも斜に構えてしまいます。特にマスコミは、いう権利どう考えたもねぇだろ、あれだけ左翼イデオロギーあおっておいて、よく言うぜっ!って怒りすら覚えます。それに当時自分たちの勢力を拡大しようとした共産党社会党は積極策を打ち出したし、政府与党も社会保障費削減や治安向上のために推進したし、対韓国のために朝鮮総連?(この辺の対立軸は僕には知識がなくてよくわからないのですが…)も思想上当然これに協力した。たしかに1950年代当時では、北朝鮮の経済成長が(というか共産主義国は、おおむね順調に経済発展していた)韓国より良かったことなど、イデオロギー的にマスコミ全般は非常にこれを後押ししている。何が言いたいかというと、巨大な組織というものは、個人の動向なんて言うものは、何にも興味がなく自分の都合のためだけに建前論をいい会うんだってこと。もちろん、この時代はまだ、共産主義諸国の経済発展は順調で、遅れていた韓国やその他の地域に比べて、まるで理想の楽園のように輝いていて、それが続くかどうかは、その時は判断つかなかったというのは、あるだろうと思います。

しかし、その結論が出たような現在を見てみると、なんて、なんて、ひどい話なんだ、としか思えません。時代に流されるのは、人間仕方がないのかもしれません。けれども、国家や大きな組織、マスコミを信じてしまうことがどれだけ危険なことか、というのを本当に痛切に感じます。アメリカには、国家による支配を非常に嫌う州権論の思想と歴史がありますが、国家恐怖症、国家嫌悪症ともいうべき、この態度は、僕個人は好きにはなれないのだが、、、、しかし、国家が行う犯罪、犯罪というのがいいのわからないが、国家の害悪というのは、時に信じられないレベルのことを引き起こす。そしてそれについて、本当に何も責任をとらない。何十年後かに謝罪しても、そんなの意味を持たない。そういう意味で、国家や大組織を常に監視して嫌悪するという勢力は、ある一定勢力は常にいるべきなんだろうと思う。それが、国家権力の解体まで行くと、足を踏み外してしまうので、だめなのだろうが、、、、。難しい。


■韓国と日本が目指した対共産主義戦略〜大きな歴史の流れには、驚きを隠せない

1950年代にこのような”帰国事業”がなされた背景には、まだ冷戦体制下で共産主義が魅力と力を持っていたこと切り離せないだろうと思う。ここで、先日読んだローダニエルの『竹島密約』を凄く思い出した。

竹島密約

竹島密約』 ロー・ダニエル著  竹島・独島問題は、WW2以降の戦後新生日本と新生韓国の関係の縮図
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130325/p1

当時の国際関係のマクロメカニズムの一端がわかって非常に興味深かった。大きくは二つ、プラス一つ。

1)サンフランシスコ講和体制を堅固なものとし、韓国を対ソ連、共産圏の防衛として支援し、その後背地としての安定を得るために日本はどうしても韓国と国交を正常化しなければならず、それはアメリカおよび自由主義諸国陣営にとって早急に必要なものであった。韓国の共産化は、日本にとって喉元に突き付けられたナイフとなる。



2)朴正煕大統領が真剣に韓国の防衛と近代化を考えた時に、最も重要なことは資金がほぼないことであった。歴史を売ったと誹られようとも、日本から巨額の資金(当時の新生日本の少ない外貨準備高の相当量にあたる巨額の資金)を引き出さなければ国の近代化は進まなかった。韓国の政治は迷走しており、軍事クーデターによる強いリーダーシップを必要としていながらも、同時に政権の正統性が不安定であった。

両国のこれらの国際マクロ要因の圧力から、長い交渉の果てに、さまざまな妥協を経て1965年6月に日韓基本条約が結ばれた。そしてここで得られた資金によって、朴正煕大統領による「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の奇跡にも等しい高度成長と近代化が実現し、韓国は先進国の道へと走り続けることになる。そして、韓国、日本、米国の同盟関係を軸にするこの地域での、対共産圏に対する防波堤の仕組みが構築される。正統性のない軍事政権であった朴正煕政権の正統性は、この高度成長によって裏付けられることになる。ちなみに、朴大統領が、「自分が政権について衝撃を受けたことは、この国(=新生韓国)にはほとんど金がないことだった。これではどうにもならない、、、、。」と述懐するシーンは、戦略家として重要なところきちっとフォーカスする部分を明らかにするところで素晴らしいと思うと同時に、それが故に、日本から金を引き出すために日韓基本条約に注力するのは、素晴らしい戦略眼だと感心しました。この人は、素晴らしい指導者だったんだろう。

ここで主張したいこと、僕がこのローダニエルの本を読んで強く思ったのは、地政学的な観点とサンフランシスコ平和条約の基礎である対共産主義の戦略(=アメリカの世界戦略)という、この時代の地球規模のグランドストラテジーを、当時の日本の指導者や韓国の軍事政権の指導者たちは、非常に深く理解して、前提としていることに、驚きを隠せなかった。なんというか、一言でいうと、さすがは、一国のリーダーたる人々だ!と感心したのだ。小さなナショナリズムなどは超えて、なんとしても、韓国を対共産主義の砦を形成しなければならない。しかしながら、資金は韓国には全くない。日本もまだ経済成長が始まったばかりで、血税を日本人の資産を、そんな簡単に外に出すことはできない。そのギリギリのはざまで、最優先順位を理解しつつ、日韓の指導者たちは交渉を進めていきます。

そして、『かぞくのくに』で、北朝鮮への帰国事業が実施された背景に、当時に共産主義国が経済成長で、周辺の資本主義国に勝っていた、地上の楽園と認識されていて、韓国や日本の共産主義勢力と有形無形の連携があったということを思い知らされて、この逆風に非常に厳しい中で、当時の日本と韓国指導者、はっきりいえば、河野一郎と朴正煕が交渉を成立させていく様は、見事、としか言いようがない。

そして、これだけのグランドストラテジーの優先順位を理解しておきながら、竹島などというどうでもいい島は爆弾で爆破したいくらいだと嘆きつつ、それでも、領土問題に関しては、お互い一歩も譲らない姿勢というのも凄いのだ。はっきりいって、この程度の小さな島などは、大事の前に小であるのは、日本も韓国の当時に指導者もどうでもいいと思っているのが強く感じられる。冷戦で対共産主義との戦いに勝ち抜かなければ、国が滅びてしまうのだから。しかしにもかかわらず、一時代の時代要因で、領土に関することは絶対に譲れないとする姿勢は、当時に政治家たちの強い為政者としてのプライドと政治家のあるべき姿への理解があって、本当に感心する。だからこそ「解決せざるを持って、解決したとする」というような発想が生まれるのだ。


■家族の解体と再構築の流れの中で、在日朝鮮人の視点を追う

以前に僕は、ロマンチックラブイデオロギーの解体の系譜で、家庭、家族というものがどう変遷してきたかを見るとことが出来ると書きました。


ロマンチックラブイデオロギー解体の視点で恋愛を描いた物語を眺めてみる(1) あなたにキラキラはありますか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130405/p1


この系譜を見る時に、最も日本の物語で、おもしろい、、、、といっては語弊がありますが、興味深い流れの群を形成しているのは、在日のクリエイターのつくりだす物語だろうと思う。僕はまだ、あまり量を読めていないのだが、いくつかのコアなものを見るだけでも、そのことはよくよくわかる。なぜか?っていうと、非常に単純になんだけれども、やはり日本における差別や南北分断の影響、日本への強制連行の歴史、貧困、差別で正社員的な仕事につきにくく仕事がないので自営傾向が強いなど、物凄く濃いドラマのポテンシャルが、その歴史に詰まっているからだろうと思う。こうした背景によって、犯罪や血と暴力の色が濃くなるのは、当たり前だろうと思う。なので、そういった様々なものと絡みついて、日本の高度成長によって家族が解体されていき、さらに絆が再構築されていく、そのプロセスが何倍にも濃く展開するのだろう。モチヴェーションが強いだけに、成功者もとても多いから、よけいだろう。


ドラマにおいて最も面白いドラマトゥルギーは、貧・病・苦などの格差が広く共有されている時が最も激しい。特に貧しさが薄まっていくと、「濃さ」はどんどん薄まってしまうからだ。韓国ドラマでも日本の日活でも何でもいいのだが、ソープドラマ的なものが光り輝くのは、貧乏などの格差が大きかった激動の時代だ。


『あんぽん 孫正義伝』 佐野眞一著 愛する祖国日本に多様性をもたらしてくれる彼らに乾杯!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120809/p1


佐野眞一さんが書いたこの本で、孫家3代のインタヴューに基づく描写がされているが、孫正義の光の部分が強いだけに、一世代前の親の世代の生活が、そんなふうだったのか!とそれにまつわる濃い関係性にとても驚いた。どこの家族も、家族であるというだけで闇や濃い関係は抱えているものだが、それにしても、スタート地点が差別と貧困にまみれているので、その濃さは凄まじい。そして、またそれだけ強い動機もある(=動機は基本的に差別と貧困のトラウマから生まれやすい)ので、社会的に大成功するものも、逆を言えば大失敗する人も多かろうが、日本社会は高度成長を経たので、その流れで高い飛躍をする人がたくさん出てくる。逆に言えば、成長と金は、家族関係の泥沼をより深くするものであって(苦笑)、こうれらの背景で、普通の日本の家庭よりも、何倍も濃いドラマが展開されるのだろうと思う。

それは、同時に日本人の日本社会の縮図でありコアでもある。別に彼らが、異なる人々というわけではないからだ。文化の大前提は「その国の言葉」を話すかどうかだと思う。下手をすればハングルを話せない、日本語をネイティヴに話し、日本のマクロ構造の中にビルトインされている彼らは、どんなに異質に見えたとしても、僕は全く日本人と同じ、それ以上に”日本的なるもの”なんだろうと思う。だから、在日の物語は、日本の物語の中で、輝きを持って注目されるのだろうと思う。


■この複雑な現実の中で、あなたは未来に何を見出しますか?

たとえば、この『かぞくのくに』で、分析というわけでもないが、見るべきポイントは、家父長主義がどのように解体されていくか?というポイントを見れる。

この家族の父親は、北への帰還事業を日本側で担当した組織の幹部だ。その理想故に、行ったこともない祖国北朝鮮に、16歳の愛しい息子を帰還させる。そして、、、、、25年ぶりに、帰ってきた息子は、事実上父親に人生をズタズタにされたようなものだ。「ものを考えたら。気が狂うので考えない、、、、。」と妹につぶやく兄。・・・・もし、北朝鮮に帰らなければ、自由と豊かさのある日本で、愛する女の子と結婚でき、世界中のどこへも自由に行くことができただろう。しかし、父親のイデオロギーに固まった理想のせいで、息子は生贄にされた。。。。が、難しい。そういった父親の頑固さに翻弄されない家族など、いない。リベラリズムが家父長制を解体していく、この世代の団塊の世代を父親に持つ子供たちは、だれもが、似たような頭の固い父親に翻弄されて心にトラウマを持ったものだ。ただ単にその一つパターンとして、どこにでもあるパターンの一つとして、息子が北朝鮮に帰国させられただけなのだ、、、、、って書いていて泣けてきた。

そして、にもかかわらず、この息子は、手術が受けられなくてたぶん帰国すれば死ぬであろう、二度と父親に会えないであろう別れの時に、ほんとうならば罵倒してもいいようなこの状況で、父親に最敬礼をして頭を下げて帰国するのだ。家父長制というイデオロギー的にいっては、その深さが語れないであろうが、息子が父親を敬う、大事に思うという根源的な家族のきずなが深く息づいているのだ。。。この矛盾。このわけのわからなさ、というものが、血のつながりというものなんだろうと思う。

そして、そういった家族の家父長的な古き絆から自由なのは、妹だ。彼女は、兄貴よりも若く、しかも日本が豊かになった後にすでに、生きている。彼女はどこへだって行ける。兄が、たぶんリモワの旅行用かばんを見て、これを持って、お前は世界中好きなところに行ってくれ、俺の代わりにとつぶやく兄を見て、妹は涙をこらえる。

ほんとうにせつない映画だった。