『きっと、うまくいく(3 idiots 2009 India)』 Rajkumar Hirani監督 高度成長を超えつつある新興国インドの現在

評価:★★★★★星5つのマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ)

■インド映画の最高峰、いまこの時点でインド自身が描くインドとは?

この作品も本当は長く解説したいのだが、なかなかそこまで時間がないし、いま上映している旬の作品なので、とにかく一言言えるのは、見に行くべし!です。まずは、とにかくそのためだけに記事を書いておきます。時間があれば、細かく書きたいけれど…。映画大国インドで歴代興行成績ナンバーワンを叩きだしたというのもうなづける見事な超娯楽大作。もうここまで来ると、マサラ風味とかインド映画とかいうカテゴリーを超えて、普遍的ともいえるレベルで、大ヒットするハリウッドの超娯楽大作を見るのと同じ気持ちで見ていいと思う。ペトロニウスの名にかけて!物凄いレベルの傑作でした。ベッたベタなんだけれども、それがまた社会風刺の渋みと相まって、素晴らしく濃厚な味付けになっている。しかし、それならば、ハリウッドを見ればいいじゃないかといわないで、これをとてもおすすめするのは、これがインドの映画だからだ。よほどインド趣味の人であるとか、シネフィルというのでもなければ、なかなか単館系、ミニシアター系の作品やこういったインド、イラン、アフリカ(今シネマアフリカというアフリカ映画の特集をやっていますよ!5/23までだけど・・・)の映画を見るって動機はわかないだろうと思います。

http://www.cinemaafrica.com/

ましてや僕のブログの読者層は、若者20−30代のオタクの男性層に寄っているのじゃないかなと思うので(解析していないし、わからないけど・・・・)。なので、これを強く押します。というのは、いわれなきゃ、なかなかこの系統の作品を見に行かないでしょう?。この作品はまず間違いなくだれがどの世代が見ても理解できる面白いコメディー映画であるというところが凄い魅力。恋人とデートで見ても、親や兄弟とみても、どういう組み合わせで言っても、ダメということはまずない。ちょっと長くはあるけれど(笑)。ぜひともだまされたと思って、行ってみてください。僕も体調が悪いのだけれども、どうしても新宿で時間をつぶさなきゃいけない時に、3時間(2時間50分)と長いし最悪寝てもいいや、、、と思いつつ、まぁノラネコさんが絶賛の1800円をつけていたし、、、みたいな懐疑ではいったのですが、3時間釘づけでした。おかげで風邪が吹っ飛んだようでした。

■物事を感受する時は、なるべく時系列と空間を広げて網羅する意識を持とう

物事を感受する時は極端な振れ幅で、できるかぎり時系列と空間を広げてアンカー(錨)となるポイントを経験しておくと、広い世界が見ることができます。ここでいうと、地理的にかなり特殊でしょう?。映画でいえば邦画か洋画やはり、主軸になっているはずで、最近は韓国の映画やドラマも多いというのが通常だろうと思う。そこを、イランやインド等を意識して見てみる。鳥瞰図的な視点、マクロの視点で世界を眺められるようになると、世界への感受性がぐっと上がると思うのですよ。たとえば、カン・ジェギュ監督の韓国映画の『マイウェイ 12,000キロの真実(2011 South Korea)』、台湾映画のウェイ・ダーション魏徳聖)監督の『セデック・バレ(2011 Taiwan)』、イラン映画の アスガー・ファルハディ 監督の『彼女が消えた浜辺(ABOUT ELLY)2009 Iran』など、エポックメイキングな映画を見つけたら、なるべく幅の広さを意識してみると、さまざまなものが見えてきます。何もマイナーなものをメインに見ろと言っているわけではないですが、時系列と地理感覚をなるべく広く網羅しようと継続して意識を持つと、世界の景色が変わりますよ、というお話。

『マイウェイ 12,000キロの真実』 カン・ジェギュ監督 オダギリジョー チャンドンゴン主演
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120915/p2
マイウェイ 12,000キロの真実 Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)

彼女が消えた浜辺(ABOUT ELLY)』2009年イラン アスガー・ファルハディ 監督  
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100922/p4
彼女が消えた浜辺 [DVD]

セデック・バレ』(原題:賽�噐克·巴萊 /Seediq Bale) 2011年 台湾 ウェイ・ダーション魏徳聖)監督 文明と野蛮の対立〜森とともに生きる人々の死生観によるセンスオブワンダー
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130427/p4
Warriors of the Rainbow: Seediq Bale-Long Version [Blu-ray] [Import]


■高度成長の光と影を見据えてノスタルジーを喚起する手法

ちなみに、誰もが思うと思うのですが、この『3 idiots』を見て思ったのは現在のインドが高度成長期の真っただ中にあり、そしてこのような「その先」の話がつくられるということは、ある規模の中産階級ボリュームゾーンとして形成され終わりつつあり、ベビーブーマー世代の高度成長期を批判的にノスタルジックに確認するというフェイズが既に存在していることに、驚きを感じるはずです。


『3 idiots』の見るべきポイントは、高度成長期というものがどのような現象を社会にもたらすのか?という視点です。ノラネコさんはこのように書きます。

インド人がサービス精神満載で「横道世之介」的、あるいは「サニー 永遠の仲間たち」的物語を作るとこうなる。
邦題は、何となくシネスイッチ系の真面目な作品を思わせるが、原題は「3idiots(三人のおバカ)」なので、ノリは推して知るべし。
インド映画のスーパースター、アミール・カーン演じるランチョーと仲間たちの大学生活は、波乱万丈、抱腹絶倒。
映画は、大学卒業から10年後の現在、行方不明のランチョーが街に帰って来るという情報がファルハーンとラージューに齎され、二人が母校のICEに向かうところから始まる。
ランチョーは言わば横道世之介と「桐島、部活やめるってよ」の姿無きキーパーソン、桐島を合体させた様なキャラクターだ。
とにかく真っ直ぐな性格で冒険心に溢れ、誰に対しても媚びず、物怖じしない。
権威主義的な大学を批判し、友人の落第の危機を救い、壮大なイタズラをしかけ、よりにもよって天敵の鬼学長の愛娘と恋に落ちる。
そして、彼と出会った全ての人に忘れ難い思い出を残して、幻の様に姿を消すのだ。
一体、ランチョーとは何者だったのか?彼の人生に何が起こったのか?


きっと、うまくいく・・・・・評価額1800円  ノラネコの呑んで観るシネマ
http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-633.html

横道世之介 [DVD]


この『3 idiots』をなぜ押すかというと、僕の最近考えているテーマと非常に深く絡んでくるからです。一つは、「高度成長」というキーワード。この流れは、2000年代の日本お自尊心の破損状況がどこから来たのかと問うと、どうも核家族が崩壊しすることによって、承認が得られないので最初のスタート地点が壊れているようだという解析から、では家族の関係性の絆というのは何によって壊されたのかというと、高度成長期の外部環境の巨大な変動が親と子の精神世界に大きなギャップをもたらしているのではないか?、そして、どうも現在の日本社会は大きな制度上のギャップも持っていて、、、、制度上のギャップとは、つまりは高度成長期、通説に従えば、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月このあたりに確立された制度や、特にこの世代に確立された生活様式やものの考え方が、深く深く現在を支配しており、それが現実と全く合っていないので、制度疲労を起こしているようだと僕は思うのです。


ただこれは、日本的な特殊事情ではありません。この高度成長がもたらす大きな変動は、世界の先進国、新興国が皆、経験することなのです。ちなみに、高度成長の後のバブル崩壊、そして希望の無い低成長時代というこの一連の流れも、ほぼすべての国や地域が組合せや濃淡はあるものの同じ経験をしていることが、最近分かっていました。労働人口の極端に多い世代(ベビーブーマー)が高度成長を支え、それが高齢化すると一気に経済が縮小するというメカニズムもほぼ同一です。各国と地域の文化的な文脈と、それがいつの時期に生まれるかによっての違いは多少あれど、発生することは、世界各国ほぼ同じメカニズムで発生します。また、それに伴って発生する家族の関係性の崩壊と絆のリビルド、その中で生まれるバブル的雰囲気の盛り上がり(日本でいえば80年代だし、アメリカならばなんといっても1920年代だろう)や、それと比例するかのように静謐さを求める新興宗教的雰囲気やハルマゲドン、終末への吸引などの文化的現象も非常に酷似している。

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何を言っているかといえば、高度成長によって引き起こされる生活空間や文化、思想の変化の変遷は、全世界のとても共通性のあるメカニズムだってことです。もちろんそんなことは、制度上は見ていればわかるものです。ただ文字や文献ではなく、それを僕は実感しつつあります。というのも、インド市場の開拓のために、インド人のインターンシップやインド人を採用したりしているので、僕はここ数年とても身近にインド人の若者がいます。彼ら毎日話をしているので、彼らがどういうモチヴェ−ションで、どういう人生を生きて、どういう希望を持っているのか、どういう絶望を持っているのかは、何となく肌で感じます。それが、この映画を見てずばばばばばーーーーってつながった気がしました。特に、園子温監督の『ヒミズ』など日本における高度成長後の家族や自尊心の崩壊がどうして生まれたのかを、前回語った(・・・ってこの記事はまだ掲載していないっけ…?)小津安二郎の『東京物語』や黒澤明の『素晴らしき日曜日』などの比較を通してみていくと、そして自分自身が過ごした青春時代を思い返していくと、さまざまなものがこの映画でつながった気がするので。もうちょっと細かい解析は、またするつもりなので、、、かりに文章では時間がなくてできないけど、、、今日どうしてもメモでいいからこれを書きたかったんで、これ朝の4時に起きて書いているんだけど、、、(苦笑)、、、、記事にできなくとも、ラジオでしますので、ぜひとも、この映画は見に行ってください。ちなみに下にあげたのは課題図書です(笑)。さすがにこの組み合わせをテーマの共通性を持って見ようという人はいないだろうと思うので(笑)、ぜひトライを。

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さらにメモしておけば、この主人公として出てくるランチョーは、僕の視点でいうとアンカー(錨)的存在です。彼が、どのような経験を経て、そのような人格になったかが、ここでは描かれていません。とはいえ、わかるけどね、、、これ。。まぁこの映画での描写の仕方は置いておいて、アンカーというのは、ようは、『輪るピングドラム』での桃果ちゃんのような存在で、ある種の絆構築の特異点となって存在する人格です。時代や構造に逆らったその人格は、物語を進めるためのただのガジェッド、シンボルにすぎないのか?それとも、、、、というのは前回のピングドラムのラジオで問うたテーマですね。たぶん、ここがわかってくると、ほんとうの意味での村上春樹の文脈が読み解けるという風に思うのです。ちなみに、村上春樹さんの文体や世界観は、明らかにアメリカ文学の強い影響下にあるのですが、特にどこかといえば、間違いなくロストジェネレーションですよね。・・・・なんだか、最近様々な世界が大きくつながっている感じがします。


ということで、めちゃめちゃてきとーな文章で、メモばかりなので何がいいタイは不明でしょうが、ここら辺の推奨しているのぜひ見ておきましょう、ということと、特になかなか見ないとは思うので、この映画は物凄いオススメで、ということです。


ちなみに、上記で、高度成長にまつわるほぼ普遍的なメカニズム(家族の解体と自尊心の低下)といった部分が、とても自分で感心した部分です。なぜならば、頭でわかった感じになっても、相対化の衝撃(=自分だけが特別じゃなかった感覚)というのは、人間はなかなか受け入れられないものです。体感のレベルでは。けど、この文脈で追うと、小津の『東京物語』もこのインド映画も、時系列の過去に遡り、地理的にとても遠い国にっても、起きていることは、そう極端は変わらないものだ、というのが、僕にはとても腑に落ちたんです。多くの人が同じように感じるかどうかは、わかりませんが、僕にはとても素晴らしいナルシシズム(=自分の思い込み)を体感レベルで壊してくれる良い機会でした。そうはいっても、自尊心は、自分が特別で、一回性のある体験をしているんだという感覚・・・・往々にしてそれは、自分の不幸自慢になるものですが、そういったものに回収されてしまうので、こういう相対化の衝撃(=自分なんてちっぽけでオリジナルでも何でもないんだという気づき)というのは大事です。本当の意味での(←これ重要)に自分が小さいことを特別ではないことを認められるときは、実は「笑い」と喜びが発生すると僕は思っています。大自然に出会うと、なんて自分は小さいのか、と相対化のスケール感が生まれて、細かいことがどうでもよくなるフレームの変換のあれです。なので、そういう機会を感じられると思うので、ぜひとも。おすすめです。まぁ、感じられなくとも、超おもしろいけどね。