『MUSICUS!』(2019)OVERDRIVE シナリオ瀬戸口廉也 世界はクソで残酷で無意味だ。けれど、美しいし価値があるんだよ。


OVERDRIVE 最終作「MUSICUS!」CM映像

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

2020/1月にやったのですが、なかなか書く暇がなくて。このままだと、いつものごとく、書き終わらずに、感想を残せなくなってしまいそうなので、まぁいつものごとく未完成だけど掲載しておくか、と。今、少し文章の追加をしながら、BGMを聴き直しているんですが、、、なんというか、感動がよみがえる。1月にやった『13機兵防衛圏』もそうなんだけど、なんというか、物語って総合の力なんだよなぁ、としみじみ思う。こういう形式のエロゲーというか、ゲームは、言って見れば紙芝居じゃないですか。本当に単純な構造でできている、、、けれども、莫大な金をかけた超大作ハリウッドムービーなんかを時に軽々凌駕がしてしまう。いや、本当に素晴らしい。瀬戸口廉也さんというのは、本当に素晴らしい才能ですねぇ。そしてこの形式に表現が向いているんだろうと思います。小説読むと、美しいんですが、暗すぎて、しかも文章力ありすぎるので、果てしなく苦しくなってしまう。それに比べると、エロゲーでこういう形式の「しばり」があったほうが、素晴らしい物を届けてくれる気がします。人生は、辛いし、しんどいし、無意味だし、こんなおっさんになっても、まだまだ頑張らなきゃいけないし、、、それでも、こういういい物語に出会えると、頑張ってて、生きててよかったと、いつもしみじみ思います。こういう幸せがあるから、生きるには価値があると思います。まじで。

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ちなみに、今年の初めに、20年以上のウィンドウズユーザーだったんですが、まぁ、アメリカにせっかく住んでいるし(意味不明)、もう年寄りすぎてあたらしい物をトライする気力が湧かないので、、、、逆に頑張ってみようか、と思って、Macを買ったんですよ。それは、SONY(まだSONY)のVAIOが滅茶古くて、天国召されそうな感じだったんですよね、、、でも、MUSICUS!って、ウィンドウズでしかできないじゃないですか(ですよね?)。なので、最後の最後のご奉公で、やれたんですよね。ちなみに、全てのルートが終わったその日に、本当に壊れました(笑)。神様はいる!と思いました。何かに、本当に、ありがとうという気持ちになりました(笑)。このゲームやった後、絶対に、そういう気分になりますよ!。素晴らしい物語をありがとう!。具体的には、アメリカまで買って持ってきてくれた(笑)友人に感謝を、そして、やっぱりこのクソ忙しい中で、これをどしても手に入れて今やらなきゃと思ったのは、このジャンル、海燕さんが好きなんですよね、、、海燕さんと、瀬戸口さんの話をしたくて、頑張りました。流石に、まだ終わっていないことはないよね?海燕さん?来週のアズキアカデミアのラジオで期待してるよ!。やっぱり、好きなものを、友達と話したいじゃないですか!


エロゲーというジャンルが最前線でなくなってから久しい。思い返すと、タイプムーンFateですらこのジャンルで登場したんだ。時代は移り変わる、といつもこのジャンルを深く愛する海燕さんが、よくつぶやいていたのですが、僕にはいまいちよくわかりませんでした。というのは、僕自身が、『月姫』の登場その時にリアルタイムで出会ったりしていなくて、ずっと後で、人に紹介されて、たくさんの体験するエンタメの中の、上澄みしか経験していないからだと思います。が、そうはいっても、月姫を、Fateを、そして『キラ☆キラ』や『SWANSONG』を体験して、そしてOVERDRIVEの最終作である『MUSICUS!』まですると、ああ、このジャンルは何というかピークの時期を過ぎたんだろうなぁ、という感慨を感じます。もうよほどのことがなければ、このジャンルをすることはないだろうなぁ、残念だけど、少し遅れてだけどこのジャンルの最高峰のいくつかに出会えてよかった、とかしみじみと感じてしまいました。こういうわけのわからないジャンルがたくさんある日本のエンターテイメントって、本当に素晴らしいなぁ、といつもしみじみします。多様性、猥雑さ、意味不明さ、カオスなんでもいいのですが、、、そういうめちゃくちゃなところから湧き出てくるものが、美しいのだといつも僕は思います。ちなみに、美しいものは、たぶん常に残酷で身もふたもないんだろうなぁとも思います。


「キラ☆キラ」OPムービー



さて、瀬戸口廉也さん。彼の作品でなかったら、時間のかかるゲームをしようとは思わなかったでしょう。過去の作品の記憶もだいぶ薄れてしまって、どうかな?と思いながら始めたんですが・・・・いやはや、最初の数分で、まだなにもはじまっていない、何にもわからないのに、「これは瀬戸口廉也だ!」とすぐ強烈に感じました。ほんとうに、なんの物語もはじまっていない、ちょっとした導入のどうでもいい感じの文章で、既に強烈に感じる。いやはや、この人のオリジナル性の刻印って、とんでもないなぁ、、、としびれました。何も考えずに、そのまま三日月ルートは、2日でクリア。2日目は止められなくて、徹夜でやってしまい、めっちゃ、奥さんに怒られた。んで、・・・・何が、オリジナルか?といえば、やはり


強烈に日常で息を吸うように「死」を認識していること。


そして、それにつながって「世界の無意味さ」(=三日月は世界はクソだといっていますね)を直視し続けているところ。


パターンは違いますが、メインヒロインの花井三日月も、主人公の対馬馨も、常にこの感覚を日常で、幼少期から、何のトラウマでもなく普通に身に着けて世界を眺めている。海燕さんが、瀬戸口廉也さんのこの視点で普通の人が世界見たら気が狂いますね、普通というようなことを言っていたのは、まさにしかりだと思う。でも、何が凄いのかっていうと、この物凄い非日常的な「世界の無意味さを直視している感覚」が、何のドラマ性もなく、劇的でもなく、普通にナチュラルに「身についているところ」が怖いんです。三日月とか、ほとんど気がくるっているようなもんだと思うんですが、めちゃ、なんというか「普通にかわいくて楽しそうな変人」じゃないですか。うーんとねぇ、セリフがめちゃ長いじゃないですが、三日月って。お兄さんの自殺とか、めちゃくちゃナチュラルにお兄さんをDisるじゃないですか。この子って、子供の頃から息をするように、普通の感覚で「世界がくそ(=無意味)」だっていうことにいら立って、右往左往しているので、もう日常なんですよね。彼女の会話聞いていると、物凄く背筋が寒くなること話しているのに、なんだか、笑えてくるんです。だって、たぶん、安定して日常で彼女が、そのことと格闘しているのがわかって、それが外から見れば「変人だな」という形で適応できているからです。


彼女、Youtuber(笑)というか彼女の、垂れ流しの愚痴を聞いていた男の子が、めちゃくちゃ感動して、のちに作曲家になっているのですが、この子が明らかに選ばれたほんものの天才なんですが、、、この子が思い込みも度が過ぎるくらいに三日月に傾倒してるんですが・・・・その理由が、「ああ、ここにクリティカルヒットするってことは、こいつは本物なんだろうな」というのが痛いほどわかる感じでした。彼女が、「この世界がクソだ」と罵倒するのに凄い感動しているのですが、いきなり普通の会話の中に「人ってみんな死んじゃうじゃないですか」という事実にリンクして、いろんなバリエーションで話しているんですが、いっていることはみんな同じ。この世界の、意味のなさ、端的な物語性のなさ、物理的に死を迎えるという物理性への、嘆き、あきらめ、諦観、怒り、恐れ、不安を、繰り返している。たぶん「わからない人」には、全く意味不明な戯言だろう。普通にこんなことまじめに考えて生きていけるもんじゃないので、「見て見ぬふりをする」か「そもそも気づかない」のが、世の普通だろうと思うんですよ。でも時々過剰な人がいて、それをずっと気にし続けてしまうやばい人がいる。そういう人が、表現とかに取りつかれて芸術家とかになったりすると思うのですが、三日月が凄いなーとおもったのは、そういう死への恐怖、いら立ちみたいなのが、あまりに幼少期から継続してオブセッションになって日常になっている感じがありありして、なんか「おかしみ」になっているところ、、、「日常になっている」ところ、なんですよねぇ。ああ、この子にとっては、兄の自殺とか劇的なことが起こってさえも、極端な物語になるほどではない暗い日常に、そもそもこの感覚がプリセットされているんだ、、、と、しみじみ見てて思えましたよ。この子、めちゃニートで、生きるのやる気ないじゃないですが、いつも「自分はうんこ製造機」とか叫んでて、、、でも。言っている中身がわかってくると、アーそりゃこの子、普通に暮らすの難しいよなぁ、としみじみ思いますよ。。。


えっとね、こういう「死せる存在である人間」存在を直視して、精神が参ってしまうというのは、古今東西のよくありがちな物語です。でも、『MUSICUS!』やってて、瀬戸口廉也さんだなーとしみじみ思ったのは、なんというか、基本的に、主人公の対馬馨もそうなんですが、もう日常として安定しちゃっている。どういうことかというと、「死への恐怖」とかって、もう少し劇的だったし、ドラマチックに扱われてたような気がするんですよねぇ、、、けど、たぶん、あまりにこの恐怖が日常に繰り返されるので、なんか、それに反応しているうちに変な人(笑)になってしまったのがミカってかんじがするんですよねぇ。お兄さんも。自分のなかでは、ああ、、、ミカってかわいいなぁ、と思ったんですよ。『アイドルマスターシンデレラガールズ』の自宅警備系アイドル双葉杏を見ている感じ(笑)。なんというか、異性を見ているというよりは、そういう小動物のペットを見て、「クスッ」と笑ってしまうような感じ。ああ、なので、お兄さんの花井是清さんも、とても好き。自分の存在に対して、「おれってそういうやつなんだよなー」と自覚があきらめ境地は行っている、感じ。


でもこれって、ああ、現代なんだなーとしみじみ思ったのは、死への恐怖と直視、というのは「何の理由もなく(意味がなく)物理的端的に死んでしまう人間存在の不条理さ」を、自覚して納得することに何ですが、何らドラマ要素もなく、受け入れて、それが世界の前提だとなってしまって、日常が彩られている世界の描写、キャラクターの心的な在り方、、、いやぁ、まぁ、瀬戸口廉也さんそのまんまの作家性でしょう!と言われれば、その通りなんですが、それがめちゃくちゃ日常として安定しきっているところに、おおー時代性を感じると思いました。これはつまり、世界はクソで残酷で無意味だ!!!というのが、もう日常の当たり前と化してしまっているということでしょうから。



■物語を拒否しても、人は生きていけるんだ!


そんでね、このゲームをやっていて、一番僕が感動したというか、おお!と思ったところ。


花井さんの自殺って、いいたいことって、凄く虚無に彩られているメッセージじゃないですか。


ようは、物語性はすべてウソだっているっているんだから。


物語性=意味が付与した時点で、すべては嘘だっていっているわけですよね。これ、あらゆる行為に意味はないって、何度も反復する強迫観念になるし、しかもほとんど、真実なので、これを知ってしまうと、、、、やっぱり難しいのは、じゃあ、「何かをする気が起きるようになるのか?」ということですよね。動機の問題。何をやっても、それ自体は無意味だし、伝わらないし、すべては嘘だとなると、普通気力なくなりますよね。バンドとして失敗しても成功しても、どっちでも、やはり意味はないという話になるので、どちらに行っても、厳しい。


この「物語性の拒否」というのは、言い換えれば、世界の無意味さをいっているわけです。有意味な世界(=物語を生きる)というのは、騙されている、嘘なんだ、気づいていないだけなんだ、という告発。


えっとね、ゲームをしている間中、ずっと花井さんの「物語性の拒否」のエピソードが、トゲになになっていたんです。ミカのエピソードで、馨のバンドライフをずーーーっと追うじゃないですか?。いやー、長い(笑)。でも、当然、そもそもエンタメの物語をやっているんだから、このバンドが成功する話を見ているわけじゃないですか?。少なくとも、メインのルートで成功しないとは思えないし、ミカの存在からも、成功してしかるべき感じがするので、ずっと期待するじゃないですか。


えっと、ゲームをやりながら、「このバンドが成功する」という「物語」を期待してい分けですよね。


でも、「物語性は拒否しろ」という告発がトゲのように、ずっと胸に刺さっている。


そうしながら、、、、何というか、長すぎる(笑)。何が長いかというと、不遇の時代です。もちろん、そんなバンドマンな日常の日々が、決して不幸とは言えないし、悪いとは言えないんだけれども、それでも花井さんの「物語は全てうそだ」というメッセージと、なかなか目が出ない、何かが変わったりしない日常が続いていくと、それはストレスじゃないないですか、、、、そういうのを繰り返して言ううちに、何か「あきらめちゃった感じ」がしたんですよね。



「あきらめた」というのは、あまりに長く、ちょっと成功しそうなエピソードが積み重なるたびに、「結局何も変わりませんでした」というのを見せつけられていくと、「希望をもって期待して物語を予期する」のをあきらめちゃうんですよ。だって、世界は無意味(=物語性は嘘)と前提で話されているんだし、、、それだけじゃなくて、物理的に、「長い」ので、いやーバンドって、音楽を作るって、「こういうことなんだな」とあきらめてしまう。こういうことと、というのは、何も変わらない、物語性のない(=バンドが成功する!という成功物語、成長物語)ではない、「等身大の、何もない、何も起きない、何も訪れない日常」を生きるのが、人生なんだって感じ。


これが、実感で分かったし、感じた気がするんですよね。


そして、これは、自分の人生でもある。いろいろの出来事や、エピソードはあったとしても、「何かが劇的に変わることなく日常を生きるその物理性」を生きるあきらめ。偶然、少し物語の波に乗ることはあるけれども、しょせんは、それは運や縁という偶然であって、「物語」ではない。。。。そういう無意味さ、砂をかむような日常を生きるのが、人生というもの、、、、。




でありながら、、、、、、対馬馨は曲を作り続けるし、花井三日月も歌い続けるんですよね。「歌」や「音楽」という「物語」の無意味さをこれでもかと、実感しながらも。



分岐ルートの一つで、馨の知り合いのバンドマンが、このことをよく言葉でシンプルに説明していて、、、アジア、、、なんとかっている名前のバンド、、、うろ覚えですが、、、



世界は無意味だ!!!そのんなの当たり前じゃないか!!!意味なんかないんだよ!!!!


でもだからといって、無価値じゃないんだ!価値はあるんだよ!!!!



と叫ぶシーンがあって、見事に「このこと」この世界の構造、世界の黄金律を言い表していて、ああ、、、、とうなって、ちょっと涙出ました。そうなんです、言いたいことはそういうことなんだって思うんですよ。世界の無意味さを感じない人は、やはり幻想のナルシシズムの世界に生きる甘い人なんだろうと思うんですよ。でも、その残酷さ、、、世界の無意味さが事実であっても、何ら絶望する必要はない。だって、それは、ただの事実なんだもの。そこに嘆くこと自体が、甘い、甘すぎることなんだ。でもそうじゃない、無意味だからといって、嘆く必要は全くない。だって、それは価値がないことにはならないんだもの。


価値と意味は、関係ないんだよ。意味がなくたって、報われなくたって、物語にならなくたって、、、、いやむしろ、ミカの大怪我の話などこの世界の無意味な不条理さを見せつけられたとしても、そんなことと、価値・・・・・・自分が「やりたい」と思ったことにコミットすることとは、関係ないんだってこと。



むしろ、「何かの報酬や、報われること」を期待して、何かを為すことほど、不純で汚いことはない。そういうことを考えると、「報われなさ」に絶望することになる。



そういう感じが、、、、ゲームをしていると実感でビンビン伝わってきて、、、、いやーいいなぁ、、、と。



これ、僕的な用語でいうと、クンフー(無目的に毎日好きだから繰り返すこと)の話なんですよ。それが「成長する、成功する」という「大きな物語に乗っていようとなかろうと」、それでもなお、それにコミットする価値を、あなたは見出していますか?という話。



これは「報われないと頑張れない」という2000年代、、、この20年ぐらいの「絶望が足りない甘えた感が」に対する、見事な回答になっているとと思うんですよ。



たいていの人間は、、、、世の中の過半の人間は、「自分が報われる(=成長する)」物語という幻想にのっかっていないと、生きていけません。いや、もちろん僕だって、誰だって、人間であるからには、できれば物語を生きたい。そういう風に期待する。けれども、その先にある、、、、、この対馬馨の場合は、音楽ですよね。その強度に、、、、魅かれて、どうしようもなく生きていく人は、この世界にたくさんいる。いくつかある分岐ルートは、そうでない偶然が無数にある世界を僕らは生きていて、その偶然という残酷さを感じるには、これらのルートもいるんですよね。人生を俯瞰するときに、どんな風になるのも、、、、大成功の歌手になるのも、生きている意味のなさそうなヒモみたいな人でなしの人生になるのも、学校でできた彼女と幸せになるのも、どれもすべて「常にあり得る」ことで、、、、そのどれになるという「物語」も、すべては幻想で嘘なんです。だって偶然なんだから、必然性はどこにもない。


でも、対馬馨は、音楽を、どこでも選ぶよね。音楽自体に、価値があると感じているから。


やっぱり、そういうことだよね。自分が価値をにコミットできる、何かを見つけて、そこに、突入、特攻する(笑)。


そこで、物語を要求するのは、成功を、報われることを要求するのは、「人間であるから仕方がないこと」なんだけど、やっぱり、少なくとも、それは本質じゃないという真実を感じながら生きたいなぁ、と思います。


そして、、、、、真の主役(笑)、というか、どのルートで見ても、僕は金田の生き方に、とても感動します。だって、めちゃ、ロックでパンクでしょう、こいつの生き方。これ、「もっとも救われない層」に生きる、本当に社会の底辺のその下に生きているようなやつだし、実際それを抜け出る能力も意思も努力も何もない奴じゃないですか。。。。この彼の、無意味な、本当に人生がどんどん落ちていってしまう「無規律な言動や振る舞い」を見ながら、彼の人生の、色々な浮き沈みを見ていると、、、、ああ、世界ってそうだなーと、しみじみ思います。


金田が一番、この物語のコアを体現している気がする。だって、ミカも馨もそうはいっても、物語から選ばれている主人公なんだもの。少なくとも「才能」が人生を、様々なものに駆動させている。けれど、金田は、はっきり言って、全く何もないじゃないですか。そして、最後まで本当に何もない(笑)。・・・・・うーん、ロックな生き方だ。そんなまともに生き延びるのが不可能なような金田が、、、、いやー幸せになるシーンとか見ると、本当に泣けてきます。いや、そういうのもありうるのが、世界なんだよなって。



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