『水滸伝』 1〜19巻 北方謙三著 中国の大地に共和政治を打ち立てるという壮大な戦略(1)

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※注意:僕のブログは基本ネタばれなので、それが嫌な人は、読まないでください。ちなみに北方水滸伝は、結論がわかっていても、全く面白さが薄れないと思うので、僕は読んでも問題ないかとは思います。


評価:★★★★★星5つ マスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)


この作品、北方謙三さんの『水滸伝』を読み進めているうち・・・巻の真ん中ほどで、この設定では、梁山泊は「滅びる結末以外はないのではないか?」と思うようになった。理由は簡単だ。それは、これが大宋帝国梁山泊という国家の「思想戦争」になっているからだ。


あるべき理想の国家観が違う、ということはどういうことは?。それは、妥協ができない、ということと同義だ。たとえば、資本主義を国是とするアメリカ合衆国と、コミュニズム社会主義を国是とするキューバでは、その思想上の根本理念が対立するため、妥協することがとても困難だ。拠って立つ国家観や経済の存立基盤が、あまりに水と油だから。*1


宋帝国をこれほど、これほど強大に設定した時点で、、、政治の宰相・蔡京、情報機関の青蓮寺の袁李富、聞煥章、すべての軍事をつかさどる童貫という指導者を設定した時点で、国家としての力量が違いすぎる。そもそも、梁山泊キューバ、そして大宋帝国アメリカ合衆国と同じレベルの国力差と考えてスタートさせているのだから、その差たるや呆然とするものがある。いや僕の感覚でいえば、梁山泊は、旧アメリカ13州植民地であり、大宋帝国は、大英帝国(ブリティシュ・エンパイア)と考える比較の方がいいかもしれない。前回に書いたが、この作品は、キューバ革命というよりは、アメリカ独立革命をモデルと考えた方がしっくりくると僕は思う。


そうすると、この作品のテーマである志をともにした男たちの「友愛」を基盤として、専制政治に慣れた中国の大地に、共和政治(リバブリック)を打ち立てるという壮大な、ドラマツゥルギーとなる。これは、専制政治に慣れた徳川幕府末期の幕末維新の志士達の同志感覚や、中国の清朝を変えようと末期に戦った康有為、李鴻章、曽国藩らと僕はとても重なるものが見える。みなもと太郎氏の『風雲児たち』や浅田次郎さんの『蒼穹の昴』といった傑作物語を同時に読むと、分かってもらえる気がする。ちなみにどこかで誰かが書いていたが、『蒼穹の昴』は、中国最後の王朝清朝の失敗した明治維新という物語です。

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さて、続けます。この宋江(呼保義・汲時雨)、晁蓋(托塔天王)、呉用(智多星)らの目的とする梁山泊の志は、そもそも不可能に近い要求なんですね。国の規模の格差、歴史的環境そういった外部環境を考えれば。ビジネスプランニングをする立場で言うのならば、戦略を設定するために集めた外部環境をの分析から、ほぼ不可能な目的であると結論できると僕は思うんです。もちろん、戦略策定は、「やらない理由を作る」ということではないので、「その志の深さと重さ」から逆算して、できる方法を考えることが主目的なんですが、もうあまりに壮大で不可能な陽炎のような夢なんです。


この北方水滸伝は、物凄くリアリスティツクです。キューバ革命がモデルというだけあって、近代戦闘における武器レベルの差による戦術段階での格差、情報や兵站ロジスティクス)などの重要性、そしてそれらすべてをまとめた国家施策(税体系、貨幣流通、官僚組織の掌握)などなど、もうほんとうにリアルなの。そこまで考え抜かれて、、、、だからこそ、不可能ななかにも、あの巨大な大宋帝国に反旗を翻し続け、新たな国を形成するまでに至るのです・・・・が、そのリアルさ故に、その不可能性も際立ってしまうのです。だから、陽炎のような夢にかけた、漢(おとこ)たちの悲劇の物語、という美しいドラマツゥルギーに昇華されているのです。19巻一度もぶれることなく、その美しさを描ききっている。


実は、これが・・・・・この不可能性が、壮大な楊令伝への序章になっているんですね。あれほど、偉大で素晴らしかった梁山泊でさえ、、、、敗れた。では、どうすればいいのか?。ということが、宋江の後継者である時代の梁山泊リーダーである楊令に受け継がれる巨大な戦略テーマになるのです。そして、すでにその答えは、第一巻で、いやもう18巻の時点で出てきているのだっ!!!。すげぇ、すげぇよ、北方謙三さん!。素晴らしい物語だ。この後の、中国の宋、遼、金の歴史の過程を見れば、楊令が何を、戦略テーマとして追求したかが、もう既にわかる。しびれるぜ。しびれる歴史小説だ、これ。


続く

*1:ちなみに蛇足であるが、資本主義を信念とする世界で育ったビジネスマンの僕は、ほんの10年前まで中国共産党と中国共産国家を、その価値は別にして、資本主義陣営として120%信用することもなかったし、大学時代に中国の経済基盤制度を勉強した時も、生涯この国とビジネスで関係することはないだろうと思ったものです。共産主義は、資本主義の商人としては、一切信頼することができません。

・・・しかし、にもかかわらず、その巨大な眠れる獅子を変革しきった訒小平(ドン シャオピン(Deng xiao ping))という男は、どれだけ偉大なんだ・・・・と呆然とすることがしばしあります。

また中国の民衆のエートスが限りなく専制政治に慣れています。そのほとんど山賊の集団としかえいない民衆と、それを統治する北京のハイエリート貴族層という二分があって、この民衆の蒙を開く・・・・人間そのものを改造するにいたった(=エートスを組み替えるとはそういうこと)毛沢東という男の凄みも、呆然とするしかないと思う時があります。こうやって本を読んでいると、中国は、さすが偉大なアジア文明の中心地なんだなぁ、、、と思います。これだけの、人材が彗星のように登場するのですから。価値の評価はイデオロギーですべきではなく、その存在感の重さと為した結果で、されるべきだと僕は思います。そして、最低みるのならば、100年以上の単位で見なければならない…。。