『バットマンビギンズ』 クリストファー・ノーラン監督  『ダークナイト』の予習として必修の映画〜アメリカのアダムの系譜を継ぐ物語

バットマン ビギンズ [Blu-ray]



評価:★★★星3つ
(僕的主観:★★★☆星3つ半)


この作品は、単体では、うむなかなか悪くないな、という程度の作品です。深読みすれば、いやバットマンが好きならば、という感じで。けれども、忘れないでくさい。この作品は、のちの傑作『ダークナイト』を生み出す序章戦なんです。これは、予習と考えてもいい。僕は運良く、フィリピン行きの飛行機の中でこれを見ることができて、『ダークナイト』を見る丁度、少し前だったので、非常に運が良かった。

タイトル通りバットマンが誕生することになった経緯を、ブルース・ウェインの子供時代から丹念に描いているため、素直にストーリーに入り込めること。しばしば言われる事だが、大富豪が夜な夜なコウモリの扮装をして悪人を退治するバットマンは、相当異常な人物である。ティム・バートン版でも、そんな自分の異常さに悩むウェイン/バットマンが描かれていたが、彼がそんな両面性を持つに至った経緯は、本作の方が遙かに強い説得力を持っている。

早い話が、この作品は善と悪の相克に悩むブルース・ウェインが、いかにして自分の心の中の矛盾を解決するかという成長ドラマなのだ。アクションやサスペンスは、あくまでもオマケに過ぎない。


http://www.bonobono.cocolog-nifty.com/badlands/2005/06/__3090.html
【映画】『バットマン ビギンズ』演技の力に勝るもの無し?/Badlands


Badlandsのぼのぼのさんの上記の意見が、まさに核心をついています。アクションエンターテイメントの観点からいうと、かなりの冗長な(140分の長尺)駄作だと思うのですが、この作品が、バッドマン=ブルース・ウェインというわけのわからない人物の、行動の動機がどこから来たのか?ということを、克明詳細に追っていくことを目的としており、それはかなり成功しているといえ、されが故に見るに足る作品になっている、と思うのです。


では、バットマンの動機はなにか?


僕はこの系譜は、アメリカ文学の基調低音である「無垢な人間」が「世界の悪に触れる」という「アメリカのアダム」という基本テーマの焼き直しだと思うのです。

本書(亀井俊介氏の『アメリカン・ヒーローの系譜』)はアメリカ人の典型を「新たなるエデン(アメリカ)」の新たなる自然人「アメリカのアダム」ととらえ、その系譜をワシントンやリンカーンらの大統領からダニエル・ブーンやデイヴィ・クロケット、ジョニー・アップルシードなど開拓時代の強者、巨人のきこりポール・バニヤンといった変わりだね、ジェシー・ジェイムズやビリー・ザ・キッドのような荒野の命知らず、ひいてはエジソンやターザン、ロッキーやランボーといった今世紀の人気者にまで跡づける「ヒーロー列伝」として読むことができる。その論旨は、自然征服の果てに文明建設せねばならぬ「アメリカのアダム」の矛盾を暴き、そうした文明内部の批判者「アメリカン・アンチヒーロー(反体制的英雄)」の勃興を精緻に再検証していく。

12/26/1993
初出 『東京新聞』1/16/1994
巽孝之『メタファーはなぜ殺される――現在批評講義』に再録
http://web.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/html/zensigoto/literati/kamei/americanhero.html


アメリカのアダムというのは、とっても端折って言うと、アメリカという「無垢なるヴァージニアランド(人類未開拓の処女地)」の「巨大で手つかずの自然に初めて触れた人間」というものを描くことが、文明に毒されたヨーロッパ旧大陸の古い人々と、あたらに勃興して生まれてくるアメリカ人を比較するのに際立つ差異であるという考え方に基づいたアメリカ文学の基礎テーマです。いやはや、今からすると、笑っちゃうほどピュアで欺瞞的な発想ですがね。下記に亀井俊介さん(僕尊敬しています!)の『アメリカでいちばん美しい人―マリリン・モンローの文化史』の感想を書いた時に書いた分が、このバッドマンのアメリカンヒーローの系譜としての善悪二元論の文脈から読み取れる動機の在り方というものを理解するのによい補助線となると思います。

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■無垢でヴァージンな自然への崇拝


「無垢でヴァージンな自然への崇拝」は、アメリカ社会の大きな傾向の一つです。映画『ランズスルーリバーイット』なんかが、その傾向を強く出た映画です。北米のマサチューセッツなどの素晴らしい紅葉や大森林を見てみれば、いかに大陸的な美しさがあるかが実感できると思います。日本のような規模の小さい微細なものを尊ぶ小さな島国では考えられない圧倒的な広大さです。こういった大陸的な美しさは、見た者にしかわからない雄大さがあります。言葉ではなかなか説明しがたいもの。また、この風景が、どこまで歩いても歩いても続いていくというそのとんでもない広大さに抱かれた経験がなければ、この美しさの本源に全く触れたことにはならないといえると思います。

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そして、アメリカ社会には、そういった広大な自然を、無垢とか汚されていないピュアなもの、と考える連想がパターンとして出来上がっています。アメリカ社会は、文明の手が入っていない無垢なもの、をとても尊ぶ傾向があります。NYのセントラルパークが、200年近くほぼ当時のままの自然を残すように設計されていることやナショナルパークの思想や自然保護運動は、こういった無垢さへの崇拝意識から出発していることが多いです。そして同時に、この無垢さというものが、文明社会によって侵食されて腐っていくというイメージがあるのです。これは、たぶん聖書の楽園追放の連想から来ているのではないか、と僕は思います。だから、アメリカの文学モチーフには、大自然に抱かれた無垢な人物(主人公はいわば大自然のシンボル化したもの)が、文明に汚されてボロボロになっていく文脈が何度も描かれます。たとえば、典型的なのが、アメリカの真の理想を描く監督と呼ばれる国民的作家フランクキャプラの傑作映画『スミス都に行く』です。

スミス都へ行くスミス都へ行く
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これは、ある州にいたド田舎に住む若者を、政治のコマにしようと、悪徳政治家や企業家たちが選挙に出させて上院議員に選出させます。右も左も分からない田舎モノの彼を利用しようとしたのです。ところが、その悪に気づいた田舎モノの主人公は、自分の信じるところを、合衆国連邦議会で大演説をし、彼らの野望をぶっ潰すというストーリーです。とても、典型的なアメリカ文学的な脚本で、無垢な主人公が、文明に引きずり込まれて汚されていきボロボロになるが、最後の最後でそれ否定するのです。この文脈で読むと、もともと自然の無垢さや美しさを体現していた人間が、文明に引きずり込まれてボロボロになってもなお、精神の中での気高さ無垢さを失わない、というストーリーは、とても米国的で米国の理想にかなっていることが分かります。さて、こうすると、マリリンモンローの神話となるほどの絶賛の理由が分かってきます。彼女は、肉体的な美のシンボルとして、社会でボロボロになりながらも、本質的な精神の気高さを失わなかったという、あまりに典型的な米国民の理想像と一致します。だから、神話になったのでしょうね。
http://ameblo.jp/petronius/day-20050813.html


えっと、もう一度バッドマンに戻ってみましょう。

長引く不況で貧困に喘ぐ大都市ゴッサム・シティ。そこの大富豪の一人息子ブルース・ウェインは、ある日、目の前で追剥に両親を殺害されてしまう。十数年後、成長したブルースは両親を殺した犯人が裁判を終えた直後に殺害される現場を目撃。復讐、自分への罪悪感、悪とは何か、正義とは何かといった葛藤に悩まされる。ゴッサム・シティの治安は悪化する一方、青年となった彼はあてのない放浪の旅の果てに、ヒマラヤの奥地で影の同盟という謎の組織と接触する。

そして、汚職と腐敗や犯罪が蔓延するゴッサム・シティに舞い戻った彼は、執事のアルフレッド、応用科学部に左遷させられたフォックスの協力を得て、幼い自分が恐怖を感じた体験を基に、ある計画を実行し始める。しかし、その事が彼を待ち受ける過酷な現実の始まりとなるのであった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3_%E3%83%93%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%BA

見るとわかるんですが、父親のトーマス・ウェインという人物が、素晴らしい高潔な人格の持ち主で、主人公のブルースはこれに多大な影響受けて、コンプレックスを持っているんですね。その父親の理想像と、父親が生きていたときの幸せな生活が彼にとって「失われた楽園」となっているんです。そして、もう一度元には戻らないにせよ、彼の中にはその「楽園を追い求める」という衝動が心にセットされています。まぁストレートにこれって、失楽園のモチーフですよね。


失楽園のモチーフは、純粋で汚れなきものであった(=アダム)が故に、それを失ってしまった後、永遠に探し続けるという構造を持ちます。そこでの葛藤は、ピュアなものが汚れ続けていくことで、世界のリアルを実感し続けること。ようは、善と悪の二元的対立のダイナミズムが、永遠に続く構造になるわけです。ちなみに、アメリカ人は上記のような「アメリカのアダム」という説話を持って文化的に刷り込まれているので、田舎者でピュアで大自然を愛するような中西部の農園のオヤジとか少年のようなキャラクターが、大好きです。そのピュアな人間が、都会の闇に毒されて行き、、、というピュアが汚されるという葛藤に追い込まれるドラマツゥルギーを、深く深く愛しています。この構造は、いわゆるピューリタン的なアメリカン・ジェレマイアッドと同じ構造をもつものですね。って、バーコヴィッチのアメリカの嘆きのレトリック・システムを知っている人は、アメリカ文学史に造詣が深い人だとは思いますが・・・。

「ピューリタニズムを中心テーマに据えつつ、ここまで多様な議論の可能性があることを提示した研究書は今まで出版されたことはないのではないか」と編者が自負する通 り、『アメリカの嘆き』は「エレミアの嘆き」のイメージとはうらはらに、わが国におけるアメリカ文学研究の明るい未来を予見させる。1978年にAmerican Jeremiadで、エレミアの嘆きがアメリカにおいて特有のレトリックへと発展したことを唱えたSacvan Bercovitchは、すでに73年のThe Puritan Origins of the American Selfで、ピューリタンの起源が複数であることを示し、93年のThe Rites of Assentではますます広汎な話題へとピューリタン起源のテーマを発展させた

バーコヴィッチを越えて/佐藤光重/(慶應義塾大学・非)
http://www.flet.keio.ac.jp/~pcres/amlit/reviews/jeremiad.html

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話がズれまくってるですが、このアメリカ文学の伝統的なテーマを、この『バットマンビギンズ』の映像を見ていると、これでもかこれでもかって感じるんですよね。全編このイメージの本流に僕は立ちつくした感じでした。えっと、ここで語っている話は、僕のアメリカ映画に対する感想というか批評というか記事を読んできてくれている人には、、、というか、僕のブログを読んでくれている人にはめっさわかっておもらえると思うのですが、これって善悪二元論のドラマツゥルギーの原型の一つなんですね。アメリカ社会が、なぜに、悪の枢軸と善の連合国なんとかという善と悪を二元的に分離して戦いと考える傾向が強い社会なのかのかの原型は、ここにあるんです。ちなみに、アメリカの嘆きのレトリックの基礎は、ピューリタニズムの中で何度も語られた「エレミアの嘆き」という聖書の説話が、異様にアメリカの建国初期に好まれて、大衆扇動に使用されたことからきています。

アメリカのアダム―19世紀における無垢と悲劇と伝統 (1973年)
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アメリカン・ヒーローの系譜
現代アメリカを観る―映画が描く超大国の鼓動 (丸善ライブラリー)
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ふー。


えっと、長くなりすぎたんですが、そもそも『ダークナイト』の予習なんで、イメージをつかんでもらえればいいので、まぁこのへんで・・・。えっと、つまりね、アメリカ人の理想的ヒーローの系譜にバチッとはまる動機設定を、この『バットマンビギンズ』で設定しているんですよね。善悪二元論の対立という動機を持って世界に相対すること。けど、もうこのビギンズの時点で、そもそもバッドマンの設定自体が、非常に縛られているんですね。なぜならば、表に出た形のでの、正しい形での「善」として振る舞うことを最初から封じられているキャラクター設定なわけです。


そもそもアメリカ合衆国の建国は、人類に新しい政治制度を建設して、世界に善を広めよう!という理想から生まれています。だから、ちょっと迷惑なエヴァンジェリスト(使途)的な強迫観念があって、未来に行けばいくほどmore perfect union(より完全なる統合)という形で、進化して究極の善へ向かっていなければならない、、、けど、、俺たちってまだまだ駄目だ、、、と嘆き続け戦い続けるドンキホーテアメリカ人なわけです(って憲法にそう書いてあります)。


だから、アメリカ人には、公正命題に、フェアという価値観を重んじます。常にフェアというわけではないですよ。そもそも、建国初期の憲法には、有色人種は人間とカウントしていませんから(苦笑)、人間(=白人・キリスト教と)以外とフェアにするつもりなんかまったくなかったり、かなり怖い連中ですが、ただし、議論をフェアというところに乗せると、彼らはそれを神と憲法に誓っている上に、人類の指導者だと自認しているんで、それを無視することができなくなるんですよ。ちなみにこういう、武力以外で相手の価値観の本義に議論のベースを乗せて、相手が逃げられなくすることが外交のテクニックでもっとも重要なことだと僕は思います。江川太郎左衛門のようにね。

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えっと、ようはアメリカって、「正しいこと(=正確にいうとそう見えること(笑))」にこだわる社会なんですね。だって、「善」を目指しているわけですから。ところが、現実は、凄い矛盾があふれまくっている猥雑な人種のサラダボウルで移民社会なわけです。しかも腐敗も、世界で一番すごいくらい激しい(苦笑)。このいったりきたりを、何とか正しい方向に向けて制御していこうという、、でもできねぇ「という嘆き」がアメリカ社会のエネルギーになるわけです。ただ、アメリカ人は、自分たちが作り上げた憲法やデモクラティズム(民主主義)、政府・司法・立法機構を(疑い・敵視しながらも)深く信頼しています(矛盾だなー(笑))。このシステムに乗って命をかければ、何とかこの矛盾を解決できるはずだ、遠い未来だとしても!という信念がアメリカ人にはあります。


だからジェームズ・ゴードン警部補を設定するすることで「政府非公認のクライムファイター」になっているのは、少なくともある種の世界に対する「信頼」があって、裏から支えよう、という意識があるわけです



・・・・さぁ、ここまでくれば、『ダークナイト』が、暗黙に隠れていたアメリカ社会の「信頼」を徹底的に破壊しようと志向しているということが分かってくると思います。


ダークナイトの記事に続きますが、、、公開中に書けるかなぁ…(笑)。