『山賊ダイアリー』 岡本健太郎著  重要なのは再生産可能な資源をベースに構築される手応えの連鎖(=共同体)の再構築とグローバル経済からの独立だ

山賊ダイアリー(4) (イブニングKC)

ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140425/p1

ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?2〜ストックはどこから来たの?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140429/p1


話的には、この記事の続き的なものなので、読んでいない人は読み返してみてください。



狩猟ライフ。好きで見ている。


この作品の面白さは面白いのですが、それ以上に、僕の中では、ストックで生きていく衰退する経済環境の中で、どう生きていくのか?。その場合には、ヤンキー化する経済や、里山資本主義、絆を重要視してマクロを無視するクローズドな共同体志向、などなど大きなトレンドがあるのですが、そのトレンドの中の一つとして、


狩猟


があると僕は睨んでいます。


単純に言って、要はフローで稼げないで、再生産されるものって日本ではなんだろう?ってことなんですよ。


重農主義者(フィジオクラット)ではないのですが、太陽の恵みとかで元手なしで再生産されるものって、例えば里山資本主義では、いろいろな自然の恵み(管理された里山ではそれが可能)なのですが、究極は、林業です。林業を国際経済のグローバルな競争力に結びつけるとの同時に、グローバル化した経済から独立した形での循環を作りだして、小型のブロック経済を作ってグローバル経済の変動に左右されにくい構造を作ろうということです。ようは、安全保障とサステイナビリティ(あれ、表記これでいいんだっけ?)のことなんですよね。安全保障と持続可能性ってのは、究極はブロック経済をいっているんですよ。ようは、他者に支配されない自己完結型の生態系を作れるかどうか?という話題なのです。もっと極端に言うと、ズバリ、鎖国したいかどうか?ということを問うているわけです。

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

この時、キーになるのは、その土地や空間が持っているオリジナリティや独自性、、、特に再循環のサイクルが回る「何か」があるかないかだと思うんですよ。もちろん、原始時代じゃないので、グローバル経済や近代のシステムとリンクして、テクノロジーと目的合理性によって科学的管理されるのは当然です。自然に戻れなんていう原始共産主義は、子供の戯言です。文明を無に帰してどうする!と思います。その話は、『自殺島』や『ファイトクラブ』などでたくさん話しましたね。このあたりの「接続性」とか、どれくらいのレベルをどのようなレイヤーで自己完結型+独立型にするか?が今後問われることになるんだろうと思っています。とはいえ、極端ケースは、みんな考えるので、今後も、こういうゼロに帰せ!!というメッセージと指向性は、かなりのインパクトを持ち続けると僕は思っています。


自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションに
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110407/p2

『たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く』 石村博子著 
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120726/p2

自殺島』 森恒二著 バトルロワイヤルの果てには、新たな秩序が待っているだけ〜その先は?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110601/p7


まぁ、自然に帰れというのは、一つの正しいメッセージだとして、、、、というのは、どうも文明が成熟すると、「ここ」に人は戻りたがるんですね。成長と成熟の極と極みたいなもので、どっちも、人間が幸せに生きるためには必要な場所なんですよ。けど、自然自体は、もう科学で管理されなければ維持できませんし(逆を言えば科学の力で維持できる!!!)、かりに原始の自然に戻しても、原始の自然は人間にはすごく優しくないひどいものです。人間に都合のいい循環を作りだしてこそ、人類の叡智だと思います。だって、人間も生態系の一部なんですから。人間の脳(=科学と計画)だって、生態系の一部なんですよ!。このへんが、原理主義ナチュラリストには、わかっていないと思います。


あと、これだけのグローバリズムの経済が世界を覆っている現代では、完全な独立というのはもう不可能だと思います。究極、北朝鮮などのような独立した中世を営もうとする(苦笑)鎖国国家は、100年単位でなくなっていくと思います。僕は、EUのなかの小国やアメリカの中でのインディアンリザヴェーションやアーミッシュ共同体のような、グローバル経済が生み出す余裕のの中で、文化防衛的な視点で、ある種のクローズド共同体システム(鎖国ですね)が、並立するというシステム設計がなされるはずだと思います。そのときに重要なのは、へ金化されて標準化されて記号化されて捨象化されるグローバリズムのなかで、「それでも残すべき価値があるものはなのか?」という問いが来ると思うんですよ。フランスの文化防衛論は、人間や人種ですらなく、それはフランス語だ!!!という結論を出しているように見えます。僕もこれは、とてもアグリー。賛成です。守るべき価値があるものは、僕は「人間なるもの」で特に「非合理なもの」だと思うのです。その際でシンボライズすべきは、言葉の障壁です。言葉がブロック化していると、それだけで鎖国しているようなものです。物凄く非合理的で、、、、単純な経済合理性ではこれが競争力を失わせる要因になりますが、長期的な人の幸せと誇りという意味では逆にこれこそが勝つことの条件となります!。


そん時に、なるべくグローバル経済に抗しながら、かつリンクしながら、それでも鎖国的なクローズな文化防衛をしようとすると、まず基盤的に再循環できるモノが基盤いないと、どうにもなりません。それが何かってこと僕は時々考えてしまったりしています。まぁ、僕の仕事とは何の関係もないですが(苦笑)。あっちなみに、たいていの場合、再循環できる(=再生産できる)ものは、自然なのですが、、、別のものでは、大きなものとして、記憶(=歴史)というのもあります。いま、日本では、艦隊これくしょんが流行っているようですが(笑)、これって、大日本帝国の歴史の記憶があってこそ、成り立つものです。なので、地場の歴史というのは、凄い、、、物凄い資源なのです。これこそオリジナリティにして民族幻想のコアになるもの、、、柳田国男の凄さが、本当にわかります。

1/700 艦隊これくしょんNo.10 艦娘 航空母艦 加賀

僕は、ソフトパワーが世界の文化による制圧を可能にする(笑)、リトル秋葉原を世界中につくって、エンターテイメントで世界を制圧しよう(笑)というヲタクのビジョンが大好きなのですが、、、、


たとえば、韓国が、いま凄いな、熱いなって思うのは、韓国ドラマの面白さと凄さですよね。基本構造は、ソープドラマだと思うのですがどれも、、、あれって、アジアのラテン民族といわれるように、めっちゃめちゃ情動濃い伝統があるからこそあれだけ大量にすさまじく(笑)作れるんだろうと思います。その反動で『殺人の追憶』や『ペパーミントキャンディー』のような、物凄い映画もできちゃうわけですし。けど、何でああいう量産が可能かといえば、歴史モノを見るとわかるんですが、歴史がものすごく濃いからですね。モチーフが物語の原型がたくさんある。『トンイ』から『イサン』のつながりとか見ると、感無量で、胸がぐっときますよ。朝鮮王朝500年の歴史とか胸アツです。歴史がある国は、強いのです。

トンイ DVD-BOX I

えっと、この議論って、フランスの文化防衛論、イタリアのスローフード運動とか日本のアジア主義の伝統なんかと同じコアを持っている議論じゃないのかなー?っててきとーに思うんですよ?。というのは、ようはね、、、、近代社会の基本って、合理主義なんですよね。合理、、、、って、ようは、ロジックなんだと思うのですが、だれが考えても同じ結論になること、だと思うんです。ということは、えっと少し議論が飛ぶんですが、人間っていらなくなるんですよね!、ってことがわかると思います。基本的に、大きく言えば人類社会の文明というマクロシステム、小さく言えば、コンピューターの人工知能が進化すれば、人間は必要なくなります。というか、誰もが代替可能な、換えの効く存在になります。これを、公平(=フェア)ということの結論なんです。リベラリズムの究極に要請する最終地点はここです。入れ替え可能性完全にする。あなたと私が入れ替わっても不公平だと思うわない。これがリベラリズムの最終地点です。・・・・ということは、それは、僕は「人間なるもの」ではないと思うんですよ。じゃあ、「人間なるもの」の最後の砦はどこか?って問えば、非合理、非論理なところになる、、、いいかえれば、いまリベラリズムや近代化の過程でそぎ落とそうとしているもの「そのもの」こそ、人間あるもの最後の砦になる、、、という発想です。フランスの文化防衛論、イタリアのスローフード運動とか日本のアジア主義の伝統なんかは、これを文化の次元で、そのオリジナル性がどこにあるのか?を考えたもんじゃないの?って僕には思えます(ほんとかどうか知りません)。ようは、非合理、非論理、非近代的なところにこそ、その分かの本義が宿るという風に考えるわけです。そして、「そこ」を防衛するぞ!!!!と、気合を入れるのが、これらの戦略になります。ちなみに、合理主義、近代主義の権化たるアメリカのグローバリズムは、この逆をいきます(笑)。


ちゅーことで、では、文化の本義を防衛するにはどうすればいいのか?という質問になります。


これへの答えは、出ています。それは、ブロック経済を形成して、障壁を設けて、グローバル経済にリンクできないようにすることです(と、僕が思うだけですが(笑))。逆に言うと、資本の運動は、これを解体しようとします。資本主義の運動とナショナリズムの戦いのダイナミズムというのは、この原理だと僕は思います。日本の満州国建国とかも、東アジアにブロック経済を作ろうとしていて、そこで自給自足できる生態系を構想しようとしているのですが、これは、構想力のある集団であれば、最終的には必ず出てくる議論なはずです。まぁ、それを現実に移すような民族とかになると、すさまじいパワーがないとできないですけれどもね。ちなみに、これがうまくいったケースは、そもそも一国で生態系を獲得できたアメリカ(北米大陸)です。もう一つは、EUですね。ヨーロッパ連合。もともと中国はこの傾向があります。中国は、基本的に外に対して進出する気力の弱い平和的な文明なのは、歴史をすべて見ていけばわかります。それは、生態系として一つの文明で完結してしまいやすいからです。まぁ、周辺国との規模の違いが大きすぎて、じわっと染み出るだけで周辺国には、大変な侵略行為うになるんですが、、、、まぁ、ベトナムとか日本とか、それでも生き残っている周辺の国は、マジで強い国なので、簡単にはなくなりません。



とはいえ、、、、資本の論理、、、資本主義の展開の究極としてのグローバリズムは、世界中の資本の運動を透明にかつ凄まじい速さにしていきます。そうするのが、資本の存在の本義なんですよね。なので、それとの、、、先ほどの話に戻りますが「接続性」というか「どのように並列にそれが存在できるか?」というのが個別具体な戦術論になると思うんですよねー。



なので、再生産しやすいものを強く持つ国は強いです。だから、歴史が古い国は、とても強いのです。なぜならば利用可能な資源がめちゃくちゃ豊富だということだから。


日本は、そういう意味でっちゃめっちゃ凄い国です。


だって、全世界で皇帝が生き残って国なんて(苦笑)日本ぐらいでしょう。アジアの国にもかかわらず、ヨーロッパの近代勃興期に帝国を形成しようとした歴史もあるし、過去の歴史もめっちゃくちゃ古いし、近代、現代、中世、古代、神話と物語にあふれまくっている(笑)。しかも、自然も豊かなので、物理的にも再生産可能な資源が、溢れている。そのくせ、自然だけではなく工業や文化も優れている上に、、、ソフトパワーもめちゃめちゃすごい。


・・・・やっぱ日本すげぇぜ(笑)。超しあわせな国です。未来が輝いているようにしか思えません(笑)。





閑話休題



えっと話がそれました、、、、というので、狩猟って話ですね。


狩猟は、いまいったように再生産が可能なんです。


なので、これをやっていきながら自給自足はなくとも、自然に帰れ的な生活を満喫しつつ絆の確かめ合いや、自然と触れることを喜ぶようなライフスタイルは、大きなトレンドとなる気がするのです。あくまで、選択肢の一つとしてですよ?。







って、岡本さんの『山賊ダイアリー』のはなしじゃないですね(笑)。



とはいえ、作者の生活まんまですがね。



これを見ていると、イノシシ食べてみたくなりますね。



あと、いいなって思うのは、当然なのですが、一人で黙々と行動していることが多いですよね。ある意味孤独なんはずなんですが、目的があって動いていると、全然孤独には見えない。たぶん本人も全く孤独を感じないんじゃないかなぁ。


こういう目的があって、自然の中を歩くって、、、なんだか、とっても充実しているような気がしますよね。冷蔵庫がいっぱいになって、それをどんな順番で、どう料理して食べようかと悩むのなんかは、とっても贅沢な感じがします。





まったく方向性も違うし関連しないのだろうと思うけれども、佐々木俊尚さんのエッセイ『簡単、なのに美味い!家めしこそ、最高のごちそうである。』を思い出しました。なんというか、要は自分で作ったりするプロセスを再現するのって、面白いんだろうと思うよねー。もちろんなんでもプロレベルまで究極にやらなくても、リラックスしてやれるレベルでなんちゃってでやればいいんだろうと思う。狩猟とかイノシシの解体とかに魅力を感じる部分も、似ていて、食べ物ってどこから来るんだろう?とか、実際どういう味付けを具体的にしているのか?とか、そういうベースの部分が体感できるからなんだろうともう。


僕もやってみたいなーーと、ずっと思っている。狩猟は、夢の一つですね。


簡単、なのに美味い!家めしこそ、最高のごちそうである。