『ベイビーステップ』 10巻 勝木光著 Baby steps to Giant strides〜自己信頼と自己放棄の関係性について

ベイビーステップ 10 (少年マガジンコミックス)

評価:未評価(まだ完結していないので)
(僕的主観:★★★★★星5つ)



「も・・・・もしかして やきもちやいてたりする?」


「や・・・やくよ! 当たり前じゃん」


Baby steps to Giant stridesというタイトルにまつわる言葉が初めて出てきた。訳すと、千里の道も一歩からとかになるのかもしれないが、アレックスがマルオを評した「小さくても無数にある夢を一つづつ確実にかなえていくやつなんだ」ということの方が、本質をついている気がする。そして「先のことよりも、まず目の前の一ポイントに勝つことを優先する。これはプロの発想。」というアレックスの評価は、とてもなるほどと思った。


この物語は実に小さなところでいぶし銀のように、「成長していくこと」を、うまく描けていて、とてもとても好き。特に上でp149ぐらいのセリフの抜粋なんだけれども、これが凄くいいのです。


主人公のえーちゃんは、その前のなっちゃんへの告白ポイントでは、「相手のことを自分が好きだ」ということを明確に言えずに「なっちゃんはどう思っているの?」と聞き返して、それは卑怯だ!と怒られたのを覚えているでしょうか?。


えっと、話は少しづれるのですが、「自分から告白」ってしたことありますか?。


僕は中学生のころの産まれて初めての告白するときのドキドキ感や悩みは、今も深く記憶に残っています。さすがに、もうかなり過去の記憶になってしまっているし、スレてしまった年齢にはなりました(笑)が、この「自分が受け入れられるかどうかわからない」それでも「自分の思いを知ってほしい」「相手がどういう反応するんだろうか?」というシュミレートによる内面圧力の上昇は、どんな年齢になっても、変わりません。それは、ことの本質があまり変わらないことだからですね。



つまりは、「自分」が、「世界」もしくは「他者」に受け入れられるかどうか?という劇的なポイントだからです。



恋愛の物語が世界に受け入れられるのは、結局これが、男にとっても女にとっても、非常にわかりやすい「世界からの受容」というものの具体的な手ごたえだからなんだと思います。



さて以前の告白できそうな瞬間になった時に、なっちゃんのことが好きでも、エーちゃんは「相手はどうおもぅているの?」という不安が先に来て、それを聞いてしまいました。それは卑怯だって言われるのは、当然です。自分の意思を表明しないで、他人に判断を任せることは「自分は責任を取りません」と主張しているようなものだからです。


人の好意を得ようと思うならば、まず自分の意思を明確に主張する必要があると思うんです。そして「その結果がどうなるかわからないというリスク」は、自分が引き受ける。つまり、相手に「委ねる」という判断を与えてこそ、告白って成立すると思うんですよね。相手の無限に近い好意を要求するってことは、そうでないと、フェアでないと思うんです。ゲームはしません、と宣言するんですよ、つまりは。まずは負けを、というか、相手にすべてをゆだねてしまう。


・・・そして、なんで中学の時とかの「初めての告白」のことを話したかというと、いま過去を振り返ると「女の子に告白する」という行為が、物凄く「自尊心に関わる」言い換えれば「自分に自信があるかどうか」という部分ととてもリンクした部分である、ということなんだと思うからなんですよね。


どういうことかというと、「自分に対する自己信頼」=自信のパラメーターがある閾値を超えていないと、告白ってできないんですよ。結果が見えない状態でリスクに飛び出すためには、自己信頼、、、英語でいうconfidenceですね、これがないとできないんですよ。空虚なprideでは、人は前に踏み出せない。


前回のなっちゃんへの立ち位置、、、彼女のとの距離感を、最初から少しづつ追っていくと、主人公エーちゃんが、テニスで自己確信いいかえれば自信を深めていくたびに、少しづつ距離が縮まっているのが明確にわかるんです。


だからフロリダのテニススクールで自信を得てきたからこそ、なっちゃんの問いに対して、なんのてらいも羞恥もなく「やきもちやいているんだ!」と、強気に出れるんですよ。この態度や間合い、言葉で、一発で彼がえてきた自信のほどが伺えてしまうんです。


エーちゃんは、ビックマウス(=大ボラ)で夢や志を語るようなビジョニスト型の人格ではありません。だから漫画自体が、一見すごく地味になる(笑)。大きな目標も、よく見えません。けれで、実に奥深く面白い。この手の物語は、書くのが凄く難しいと思うのですが、、、、いや、ほんといぶし銀のように面白い、素晴らしいストーリーです。


本当の成長は、今の時代にふさわしい成長のあり方って、こういうものなんだろうって思います。






追記


あっとちなみに、この「女の子に告白する」(逆でもいい)という態度で、その人の、人生にへのコミットの仕方がよく分かるような気がします。


女の子に告白する動機というか理由が、「自己信頼値が高い状態だからした」のか「自己信頼値が低いけれども、思わず感情があふれてしてしまった」かによって、決定的に、その後の人生が違うような気がするのです。


つまりは、その人が、感情コントロール派なのか、感情信頼型なのかってことなんですが、、、、



「自己信頼が高い」状態を自分に作り出して、それをベースに人生を生きる人は、ようは「勝ち組」とかカツマー(笑)(←多少の揶揄はあるが馬鹿にしているわけではありません。頑張って生きることは素晴らしいことです!)とか、そういうタイプの人なんですよ。


ちなみに、こういう人の陥りやすい罠があって、こういう人は理性で物事を処理し過ぎるきらいがある。


なぜならば、「自分の自尊心が優先して」それが成立するシュチュエーションを作り出すことばかりに腐心して、「世界を無条件に受け入れる」ということができにくくなりがちだからです。


逆に感情信頼型の人は、悪く言うと、なんでも肯定して受容し過ぎるきらいがあって、自己信頼によって、正しくフェアにしていくことを逃してしまいがちです。


えっとしかし、中学生くらいの最初期の恋愛ステップは、感情優先型の人の方が、その後の人生を幸せに生きるようです。


なぜならば、「感情」を優先するということは、「自己信頼が低い地点」でも、「自分をリスクに投げ出す」タイミングを心得るようになるからです。


自己信頼や自信の根拠がなくても、「相手が受け入れてくれる」ことは、あるものだからです。


相手の受け入れは、ある種、タイミングによる偶然の要素も強く、「自信」によって決まるわけではないからです。



人との関係性構築能力、、、、その「深め」を、意志意識的に広げていける人は、この「自己信頼によるシュチュエーション・コントロール」と、「感情信頼による自己放棄のタイミングの心得」をよく分かっている人だと僕は思っています。



ああ、、、なんか、凄く自分の対「関係性」戦略・・・というか戦術の根幹が分かった気がした。。。。



まとめると、他者に好かれて、他者を愛するためには、、、、正しくフェアな関係性で、自分の人生を満たして幸せになるためには、二つの条件がある。これに優先順位はない。


それは、


1)自己信頼を高めるべく、努力して、何事をかを為していき、自分で自分が信頼できる状況を「手ごたえ」を作り出していくこと。


もう一つは、


2)自己信頼を高めたとしても、他者とのフェアな関係の第一歩は、感情を信頼して適切な自己放棄ができること(バカなストーカーとか正しくない相手に自己をゆだねないために、1)で理性によってシュチュエーションや相手を見極める眼力も必要。なんでも自己放棄すると、DVの餌食にあうだけ)



適切なタイミングで自己を放棄できる自信を得るために、自己信頼を積み重ねることなんだ・・・・。



僕が、世界を受け入れると表現しいることは、この自己放棄のタイミング性の問題なんだ。だとすれば、勝つことを目的とする「自己信頼の獲得」とこれは、時系列的な問題であって、矛盾なく成立する・・・。


成るほど、、、自分で自分に納得。