『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』  本広克行監督  秀逸なテレビドラマの「続き」〜ただし、もうそろそろこのテーマでは限界があるよね

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評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★★4つ)

■秀逸なテレビドラマの「続き」〜ただし、もうそろそろこのテーマでは限界があるよね

映画としては、たぶんドラマからずっと見ているファンのためのもので、あまりにも「過去を見ていないとわからない」という設定なので、ちょっと評価は落ちる。もちろんこういうドラマから出てきた映画には、その傾向が強いのだが、「それ」をぶっ飛ばすほどに面白いかというと微妙。1は、そういう感じだったけどねー。あれが最盛期だったんだと思う。僕が感じているテーマ的にも、このテーマってもうあまりに常識化しすぎて、出た当時の凄まじい斬新さは既に失われていて、かといって脚本がもう一歩先を見るという視点までいっていないので、そこは、そこはかとなく古い感じはしてしまう。良くも悪くも、テレビドラマの枠とレベルを超えないところが、本広克行監督の特徴のような気がします。それはそれで特徴なので、悪いとばかりは言えないと思いますが。けど、主観的にいえば、物凄く面白かった。そりゃーね、このシリーズ大ファンだからねぇ。けどねぇ、もうそろそろこのテーマでは時代遅れなんだよね。マクロとミクロを現場から洗い出すという手法で、日本の警察小説やドラマのエンターテイメントと接続するというのは、素晴らしいアイディアだったんだと思う。当時ね。けど、この素晴らしい作品のお陰で、このテーマは常識化してしまったんだよ。だから、いま同じことをやっても「またそれか?」になってしまう。この系統ではアメリカの『24』なんかもあるんだから、それをしないといけないんだよ。たとえば韓国ドラマの『IRIS』なんかも同じ系列だよね。僕は他のに他のドラマはここ数年全く見ていないのでわからないけれども、こうした警察ドラマで、よりマクロに寄ったモノや逆にミクロに寄った形で描くものってのが出ていると思うんだよ。それを止揚したり飛び越えるテーマを考えないと、やっぱり過去の栄光にすがっているだけの作りになってしまう。まぁ売れるだろうし、僕も好きだけどねぇ。そういう意味では、僕は見ていないが、同じ公務員でもう少し広いマクロの舞台を描いた、織田雄二主演の『アマルフィ〜女神の報酬』とか『外交官・黒田康作』のほうが、キャパシティ的には魅力あるものが作れそうな気がします。見ていないので何とも言えないんですが・・・凄く見たいんですが。。。

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■事件は会議室で起きている?(マクロ)それとも現場で起きているの?(ミクロ)〜現場とトップの乖離という日本固有のテーマ

ちなみに、このシリーズを見たことのない人、もしくはリアルタイムの意味を知らない人は、一応過去の記事をあげておきます。


『容疑者室井慎次 THE JUGEMENTDAY』本広克行監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10003814797.html

交渉人真下正義』本広克行監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001734077.html

現在官僚系もふ』の①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10012763386.html

物語を評価する時の時間軸として過去〜日本社会を描くとき
http://ameblo.jp/petronius/entry-10012793578.html

僕は、日本近代史の空白を読むというテーマで、いろいろな作品を見ています。僕が、団塊の世代Jrの人間であり、悪の枢軸対善の自由主義諸国同盟という1960-80年ぐらいを支配したイデオロギーと、1945年以前のすべてを悪と決め付ける日本社会の内罰的な状況から、日本の近代史には定まった定説や健全なナショナリズムに基づく価値観が存在しないうえに、「その部分の教育をほとんど受けていない」ことから、ここが自分の心の中で空白に感じてしまうからです。そしてこうした日本近代建国の理念や歴史を追っていく作業は、いいかえれば、「現代の僕たちが住む社会」がどのような規定をされているかという、構造の謎を探る旅でもあります。このような文脈を見る時に、僕が日本社会の大きな問題点としていつも思うのは、現場とトップの乖離です。


日本のエリート層は、最前線が困難な状況に陥ったり、外部環境(=前提条件)自体が完全にずれてしまっているような状況になったりすると、途端に、現実を無視して幻想を見続ける傾向があります。精確にいうと、日本の組織は、どんな組織も、共同体的防衛に走りやすく(大相撲のやらせ!とか)、共同体の防衛のためならば平気で現実を無視してしまう傾向があるんですけれどもね。特に現場を見ていない企画系の組織や政治取引をするマクロを司る部署にこの現実無視の傾向が強烈になるのはわかりますよね?。戦争の現場をやっている部隊は、現実は無視できないですもん。しかし平時の時はともかく、こと危機の局面(=戦争とか)に、指導層が現実を直視しなくなるのは非常に困る問題です。日本の軍隊組織(=軍官僚は。ウルトラスーパー官僚制度)では、敗戦までほとんどその人事は年功序列的なものでしたし、下の階級からごぼう抜きで抜擢されるケースは皆無でしたが、アメリカ軍は危機の時になるとごぼう抜きの人事が発生するし現場で優秀な人間はどんどん出世する。ようは、旧帝国軍に比べてアメリカ軍は、「より現実適応能力が高い」人間が、指導者になりやすいんですよね。特に危機の状況で。狩猟と戦争が得意なアングロサクソン的です。日本社会は、現場で実務に直面する役割を担う人とマクロの調整をする指導層が、完全に乖離して、相互にムラ共同体化してしまって憎しみ合うという構造がよく見られます。


前々からいっていることですが、このへんの問題点を、見事に突いた物語が、『機動警察パトレイバー』であり『踊る大捜査線』だったと思います。この二つの作品以降、刑事ものや警察ものの流れが完全に変わってしまったといってもいい。この二つの――現場の最前線部隊と上位組織のエリート層の役割の違いを浮き彫りにすることで、ある事件に対処する「組織の全体像」が描けるようになりました。これは、この2作品のもたらした、素晴らしい効果だと僕は思っています。ようは、事件は現場と会議室で同時に起きるものだ!ということが、エンターテイメントの領域でまざまざと現前されたのです。

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ちなみに、この記事を書いたのは、東北の大震災が起こる前。やっぱ、そうだよなーと、、、としみじみ。