最近、織田信長について『桶狭間戦記』を読んで、今までわからなかった、織田信長の動機そして強さの根拠がすべて理屈が繋がった気がして、猛烈に、この戦国時代のことが面白くなっている。下記の本がその課題図書って感じで、猛烈に自分の中の歴史観が塗り替わっている。また、英雄史観で、天才で強かったから、信長は強かったというトートロジーからやっと抜け出すきっかけができたと思っている。『桶狭間戦記』紹介してくださったLDさんに多謝。この本のお陰で、歴史を見る目が凄い変わった!素晴らしいです。LDさんとの『桶狭間戦記ラジオ』で何が凄いか?どういう視点が新しいのかは、説明しているので、これは1時間半ぐらいの短いやつなんで、ぜひに聞いてみてください。それを聞いて、ここに紹介してあるすべてを読むと、そうとう歴史を見る目が広がると思います。
http://www.ustream.tv/channel/manken
ということで、いろいろな人に紹介されているやる夫シリーズもトライ中。
続いて『やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです』のリンクです。http://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-844.html
けっこう長いので時間があったら…。ちなみに『徳川家康』から読んでください。『鎌倉幕府』はちょっと難しいかも。
以下『やる夫が徳川家康になるそうです』のリンクです。http://yaruomatome.blog10.fc2.com/blog-entry-416.html
LDさんのメールより
「やる夫が山形城に生まれたようです」http://yromtm1059.blog117.fc2.com/blog-entry-121.html
も、おもしろいとのこと。
・・・・ということの続きで、『織田信奈の野望』も即買ったので読んでみたが・・・・文章が下手すぎる・・・(苦笑)。ほとんど小説になっていない。つーか、30分くらいで読めた1冊。いま2巻まで読んでいるが、文章は下手だし、オリジナル性は感じないし、特にキャラクターが類型を超えているというわけでもない、、、ようは、こんなの読んでどうするんだ?的な感じを僕は感じるのだが、、、、意外や意外、面白いんだよねぇ。ただね、やっぱり、設定に導入するまでが相当無理があるようで、めちゃくちゃな感じがする。けど、それなりに世界が馴染んでくる(=なんで異世界に来たとかそういうメタ的なことは無視)と、関係性自体は、ツンデレ信奈と主人公のサル(相良くん)の喧嘩しているけど、実はそれ、イチャイチャしているだけだろ?的な、ニヤリング状態になるのです。2巻まで来ると少しづつひきこまれるので、僕は悪くないです。読み続けないと勘弁してくれって飽きてしまうかもしれないが、、、、、。また読書家としては、なるべくオリジナルかもしくはオリジナルなんていらない!というエンタメ性が欲しいので、僕的には、うーんうーんこれを読んで、何の意味が・・・とどうしても繰り返し思ってしまうんだけれども、、、。でも、息抜きに読むという目的で考えると、やっぱり悪くない類型なんだろうと思う。歴史イベントをパクってマクロを設計して、ミクロは今風のはやりもしくは古典的なもので処理するというシンプルさは、頭を使わなくていもの。よく知られた、織田信長の歴史イベントを抽象化して、女の子になった織田信長(信奈)とサル(異世界に飛んだ主人公)のボーミーツガール的なラブコメ(典型的な今風のよくある萌え関係だよね)にするというシンプルにし過ぎだろ?という感じなんだが、そもそも、織田信長の英雄物語は非常に人口に膾炙しているし、またヤマグチノボルさんの『ゼロの使い魔』的なツンデレなヒロインに、従者として使えるヒーローのラブコメってのは、非常に分かりやすいんだよね。異世界召還という構造もそっくり。これって、たぶん非常に今の時代に受け入れやすい類型なんだろうなーと思う。僕自身読んでいて、凄く好きだもの。でもまーやっぱりオリジナル性が凄く弱いから、このイメージを読者に維持させるには、文体を軽く情報量を下げて読みやすくして、かつイラストで個々のキャラクターの像を維持させてしまう、というライトノベルの文脈文体は、必須なんだろうと思う。
こういう様式美ってのは、ありなんじゃないかって思う。司馬遼太郎の英雄史観も、解体されるべきものだけれども、何度も言うように、その英雄史観の面白さや自己同一化しやすさ自体を否定することはナンセンスだし成熟した態度でないと思うのです。それをまず受け入れ、そのカッコよさやメリットを良く体感して、そこから脱構築、、、というか、そのデメリットや問題点を解体していくというのでいいと思う。どのみち人が何かを信じて動くには、もう一度価値を再構成しなければならないのであって、なんでも解体するという90−00年代的な態度は、結局人の動機を駆動させることができない(=人が行きたい、人生を楽しみたい!と思わなくなる→自殺者が増えるし、脱社会的な存在ばかり増える)。そうであれば、その同工異曲というか、似たものとして、広く人々に親しまれる類型を拡大再生産させていくのは、それはそれで豊かな物語世界に人が生きることであって、それでいいのではないかと思う。この『織田信奈の野望』だってひどい本に見えるけど、ここから入って、読書の習慣をつける人もいるだろうし、織田信長や歴史の感覚を感じたり、さらに奥ふかく知ろうという子供だっているかもしれない。また僕のように、それなりに読書人であっても、日々のつらい労働の中で、ふとこういうシンプルで軽い話を、と思うこともあるかもしれない。
読書には、やっぱり幅があって、いいんだと思う。様々な選択肢があるということが、すなわち豊かさなのだから。
・・・・・・とかなんとかいっているけど、、、、意外に好きかもこれ(笑)。信長系列の物語を集中して読む時に、これを入れるのは、ありだともうなー。。。織田信長の物語が、どういう英雄史観か?ってことが、こういうの読むと、物凄いよくわかる。。。。サル(=異世界へ飛んだ男の子)をめぐって、女の子の織田信奈と明智光秀が、争うんだぜ(笑)。これ、なるほど、本質はわかりやすくするとこういうことかも、って思ってしまう(笑)。
読書というのは、非常にご都合主義的な「英雄史観」的なものを、解体して、ズラして、記号化したものを入れ替えて、そしてもう一度ご都合主義的な本質の価値に戻って、そしてそれをまた解体して、、、とそいういうふうに読むことが、素晴らしい読書体験なのかもしれないなーと思う今日この頃。