『スロウハイツの神様』 辻村深月著 この絶望に満ちた世界を肯定できると力強く断言すること

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)



評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

■久々に僕的な文句なしのMasterpiece!!!と叫びたくなる作品〜上巻はいつもの安定した辻村節だが下巻特に10章からは止められません

ヨーロッパ出張の飛行機の中で読んだのですが、上巻は、特にマクロが描かれているわけでも、大きな物語があるわけでもない、関係性に終始している話なのに、さすが辻村深月さん、読ませるなーなどと賢しらなことを思いながら、それなりにはまって読んでいました。しかし、下巻からは、もう号泣・・・こんなに泣いたのは久しぶりだってくらい泣きまくりました。ぐっと来る、というのは、そもそも物語に関しては涙もろい僕のことなのでよくあるのですが、「泣き続けて涙が止まらない」、「同じ個所を何度読み返してもすぐ涙が出る」というようなウルトラ級の作品に出会うことはそんなにありません。特に、実生活というかリアルな世界では涙を見せることが皆無な僕の涙腺を、ぶっ飛ばしてくれた、感情を深く深く揺り動かしてくれた、素晴らしい読書体験でした。ちょうど、311の東北関東大震災後で、ヨーロッパ行きの便に人がほとんどいなくて、隣の席に誰もいなかったが故に、思いっきり気兼ねなく嗚咽しながら泣けました(笑)。涙はいいです。いろいろなものを洗い流してくれる。それに、この系統は、ルイさんだ!と紹介したらドンピシャだったので、それも凄くうれしかった。彼のブログの記事は素晴らしいので、ぜひ読んでみてください。

辻村深月さんの『スロウハイツの神様』という小説を読みました。
上巻を読んでいる時は、全13章という形式からも
「1クールのTVアニメを観る気持ちで、毎日(毎週)1章づつ読もう」と思い、
実際それに似たペースで読んでいたのですが、
下巻は本当に、全く止まらなかった。読む手も涙も止まらなかった。
土曜の夜の数時間で、一気に読み終えてしまいました。
これは、絶望を知った人の希望の話、
是非もない現実を知る人による優しい楽園の物語。
この作品の全て
…過ぎたるファンタジーも、整いすぎたパズルも、ご都合主義も、たまに透け出る過剰さも…
全てを僕は擁護しますし、愛しています。
それは、この作品世界の中には紛れもなく「真実」があったから。
この真実は、墓場まで抱えていくもの・確信です。
皆さんは、既にこの真実に出会っていますか?それともこれからでしょうか?


辻村深月スロウハイツの神様』この上なく幻想、この上なく真実
ひまわりのむく頃に
http://rui-r.at.webry.info/201105/article_5.html


文句なしの★5級の素晴らしい小説なので、ほんとうならば、もう何も言わず読んでほしいです。少なくとも物語三昧の過去の作品の評価を見て、僕の審美眼に信を置いていただけるのならば、何も言わずぜひに読んでほしいのです。素晴らしい作品ですよ。



■その存在だけで世界を愛せるものに出会ったか、出会ったとして認識しているか

さて、この作品の何に僕はそんなに心動かされたかといえば、この作品に出てくるコーチャンの天使が、新聞社に送った手紙の体験が、フレーズが、自分の中学時代に凄くシンクロしたからです。



この本があったから、、、、、私は生きていくことができた----------------。


というようなフレーズなのですが、僕も中学の時に、世界の無価値に、自分の無価値に悩む、イタイ少年だったのですが(笑)、その時の日記にも詳しく残っているのですが、「この世界は生きる意味や価値があるのか?」といろいろ細かく考えて言った時に、当時のペトロニウス少年は、意味や価値はない−−−−−−−−−−−−−と、絶望していまいた。まぁ、イタイ話です。けど、そうしてすべて価値がないと一つ一つ確認していった果てに、僕には栗本薫さんの『グインサーガ』が残りました。



こんなくだらない世界でも、、、それでも、グインサーガの次の巻が出るまでは、まだ生きてみてもいいじゃないか・・・・「これ」があるなら世界を愛することができるかもしれない・・・



当時の僕はマジでそう思っていました。あのね、、、、どんなものにも「時」・・・出会いの時というものがあるのですよ。今はじめてグインサーガを読んでもそうは思わないかもしれません。そこまで素晴らしいものだったのかも、客観的な評価は僕にはわかりません。なぜならば主観的にオンリーワンになってしまっているものなので、順位とか比較をしようがないんですよ。「出会い」の「時」というのはそういうもの。「あの時」に出会わなければ、それは意味がないものなんです。人生は一度しかなく、その一度しかない順番の流れの中で、その時、それに出会ったということ。全ての否定が、「その一つの存在」だけで、ひっくりかっえて肯定に「これでよし!」と言えてしまうものに出会えるというのはなんと幸運だったんだろう、と思います。

スロウハイツの神様】読了。確かに西尾維新の後書にある通り、人は皆物語に影響を受ける。ぼくの主張なら、そこには人間という名の物語も含まれますが。しかし決定的に「皆」を分けるのは、その中に1つ或は1人、その存在だけで世界を愛せるものに出会ったか、出会ったとして認識しているか。傑作。

posted at 01:56:57

ルイさんがtwitterでつぶやいていたように、この原体験があるなしで、この物語に受け取り方は、全然違ったものになってしまうと思います。過ぎたる予定調和、ご都合主義、主人公たちのそれぞれの問題点をキレイにまとめ上げる安定した人間観察描写の技術等々、きっと辻村深月さんの物語作家としての「上手さ」の部分を、裏返しとして、こんなありがちのご都合主義の作品は、別に大したことがないと思うことも可能だと思います。実際に、他の作品には、この極端なきらめきがあるコアが薄いものが多いので、その場合は、単なる「物語が上手い作家」として片づけてしまうことは可能かもしれません。実際に、その他の作品も素晴らしく面白いですが、なにがなんでも何度も読み返し読み込もうとは思っていませんでした。けど、この作品の「真実」のレベルは、そういったものを吹き飛ばす過剰さに満ちていると思います。


ちなみに、オジさんが、面白さが全然わからなかった、とコメントをくれたのですが、そのポイントは「ここ」だと思います。『スロウハイツの神様』で、心を揺さぶるのは「十章 赤羽桃花は姉を語る」と「最終章 二十代の千代田公輝は死にたかった」なんですが、ここの部分に対して自分の内面にあるものと共振がなければ、ただのご都合主義の物語になってしまうと思います。これは「読み方」の問題ではなく、「魂に共振する部分があるかないか?」という部分なので、技術的に習得することはできないので、オジさんの内面のテーマとは重ならない部分なのでしょう。

賞賛よりも批判の方が優位なので恐縮です。

ペトロニウスさん風の評価をするなら、客観的評価が4つ星で主観的評価が3つ星くらいでした。

出来がよい作品というのは分かるので、大体の人が4つ星以上の評価をするのは分かるんですが私は
全く心が動かなかった。なので、読み終わってまず思ったのがこれって物語だったのか?って事です。
全部の章がカタルシスの五歩前くらいで止められているような感じです。

群像劇なので焦点が分散するのも分かるし、大半の人は最後のチヨダ・コーキの
話に反応するんだろうなぁというのも分かります。

ですが、私には全部の章が人物紹介に終始していて、物語になっているようには読めなかったのです。
もう問題の解決を終えている人か、自分で勝手に問題を解決した人しかいなかった。

いったいスワロウハイツとは何だったのか?

各々が自分で勝手に問題を解決していく以上、意味のあるものではなかった。

登場人物が不幸にも幸福にも見えないフラットな物語。なら、出てくるキャラクターが個人的に好きかという
楽しみ方もあるんですが、残念ながらほとんどのキャラが嫌いなのででその楽しみ方も出来ない。

この作品をどうやって読めばいいのか分からなかったのでコメントをしてみた次第です。ダメな所を説明するのって難しいですね。


オジ 2011/06/07 22:53


ちなみに、このコアの部分共感がなければ、この作品のもう一つのサブテーマは「クリエイターがものを生み出す」ということはどういうことなのか?というモノがテーマなので、クリエイターの人でないとヒットしないかもしれません。何人かのモノを作る人に薦めて帰って来た反応がみんな「自分の若かりし頃を思い出して悶えました」というコメントなので、この作品は、そこに対して自分が悩んでいない限り、まさに、どうでもいい話になってしまうかもしれません。


この本の内容を簡単に描写すれば、それぞれのクリエイターの卵が「モノを生み出す」時の、成功するパターンは決まっています。それは、自分の人生に明らかな欠損・マイナスポイントが存在して、その渇望を昇華させることで、ものを吐き出すという時です。そうした過去のコンプレックス、抱える巨大なルサンチマンをえぐり出すことで、創作は成立すると全てのパターンで描いています。幹永舞はそれを認められないから表に出てこないんですよね。このこと自体がもの作りの原動力であるとしたら、不幸な人ほど有利ってことになってしまいます。まぁ事実ですが(苦笑)。


では、不幸なのか?と問うた時に、それでも、そのすべての不幸とルサンチマンを、いっきょに肯定に持っていく力が「物語」にはあるんだ!!!という強烈な宣言が、この作品の「十章 赤羽桃花は姉を語る」と「最終章 二十代の千代田公輝は死にたかった」で宣言されるという構造になっています。


スロウハイツというのは、クリエイターの卵が集まってまぁある種のセラピー的&クリエイター訓練場な場になっているわけですが、ここの「場」を形成するのは、環ですよね。環は、成功を貪欲に追い求めるカツマー(笑)的な、成功以外は意味なし!と自分自身を切り刻んで生きている人です。けれども、彼女のコアのコアには、チヨダコーキとの「出会い」があって、その出会いをもって彼女のすべてのマイナスは、プラスにひっくりかえっているんです。そして、そういうものを彼女は常に見たがっている。自分で作り出したがっている、というのが、スロウハイツの意味です。


■世界の色合いも、日光の暖かさも、全てを変える「何か」はある


えっと、ようは「魂への影響の連鎖」を望んでいるんですね。前に海燕さんが『SWANSONG』で、柚香が司に対して、絶望してほしくて「自分の絶望」で司を染め上げたいんだというようなことを、いってらっしゃったのですが、それと同じ。人間には、自分の「信じている世界観」を世界に感染させたいという欲望があります。環が、自分が信じていることをもう一度確認したくてクリエイターの卵の集まる場所として想定したのが、スロウハイツだったんですよね。この物語を僕がどう読むか?というオジさんの質問に対しては、これで答えていると思います。要約すると、環というクリエイター予備軍の女の子がスロウハイツという「クリエイターの卵」を集める場所を設定する。それは、苦しんで苦しんで、血を吐くように自己のコンプレックスを切り刻んで作品を生み出し続ける彼女たちが、それでも、世界を肯定するに足るものが「モノを作り出す出すこと」にはあるんだ!と、物語を通して出会えたことを再確認したい、というそういう話です。

スロウハイツの神様』でも、心を本当に揺さぶるのは
「十章 赤羽桃花は姉を語る」
「最終章 二十代の千代田公輝は死にたかった」
で主に書かれている部分。

人間を変える…などといった言葉では生ぬるい。
世界の色合いも、日光の暖かさも、全てを変える「何か」はある、という極めて力強い断言の部分です。


辻村深月という作家は、基本的に上手な作家なのでしょう。
しかし僕は上記の部分を読んでいて「筆の暴走」を感じた。


過ぎた情感、過度の描写…
本当に「整然としたパズル」を描くのならばいくつか引き算ができる、


そしてこの確信に満ちた作家ならそれは当然可能だろうとも思いました。


けれど、そこにある「熱」はそのままに残っていた。
おかげで、ベタさ、あざとさ…そういったものの滲みやすさは増している。
けれど、だからこそここに魂があると感じました。



辻村深月スロウハイツの神様』この上なく幻想、この上なく真実
ひまわりのむく頃に
http://rui-r.at.webry.info/201105/article_5.html

だれしもがある原体験というわけではないですが、ルイさんがブログで書いているように、


人間を変える…などといった言葉では生ぬるい。
世界の色合いも、日光の暖かさも、全てを変える「何か」はある、という極めて力強い断言の部分です。



こういうモノに出会えた人は、僥倖です。なぜならば、その人の人生は、断言と確信に満ちなものになるからです。かつて栗本薫が小説の中で書いていました。「エウレカ!」と出会う瞬間に出会えれば世界はすべて肯定される、、、また『道化師と神』で、この暗闇に閉ざされた世界で、全世界で、全宇宙で、たった一人だけでもいい、自分が心にともしたロウソクの灯が、その温かさが届くことがあれば、それで私は物語を書いていて報われるんだ、、、、と。



環とチヨダコーキのお話は、その「自分が心にともしたロウソクの灯」が、相手に届いた、というロマンチックなお話です。