土光 敏夫が最近気になります。

私の履歴書

最近、ふと思うんですよね。この人、どうしてああいう行政改革を、成功?(実績について僕はそれほど詳しくないのですが…)させられたんだろうって。というのは、いまは、野党になった自民党ですらばらまき策を叫ぶ日本全部超無責任状態じゃないですか(笑)。これって、民度だよなー(苦笑)なんですが、日本は空気でこうやって、与党意識がすごく薄くなりやすい国なんだと思うんですが、、、、

1981年(昭和56年)には鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官に請われて第二次臨時行政調査会長に就任。就任に当たっては、

1.首相は臨調答申を必ず実行するとの決意に基づき行政改革を断行すること。
2.増税によらない財政再建の実現。
3.各地方自治体を含む中央・地方を通じての行革推進
4.3K(コメ、国鉄、健康保険)赤字の解消、特殊法人の整理・民営化、官業の民業圧迫排除など民間活力を最大限に生かすこと。


の四箇条の申し入れを行い実現を条件とした。行政改革に執念を燃やし2年後の1983年(昭和58年)に行財政改革答申をまとめ「増税なき財政再建」「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」などの路線を打ち出し、さらに1986年(昭和61年)までは臨時行政改革推進審議会の会長を務め行政改革の先頭に立った。謹厳実直な人柄と余人の追随を許さない抜群の行動力、そして質素な生活から「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」「行革の鬼」「めざしの土光さん」の異名を奉られた。

でも、こういう人が出てくる土壌もあるんですよね。ちょっと、この時期に、この人の本でも読んでみるか、、、という気になっている今日この頃です。

ギリシャの例を見てて思うんですが、政治家が言うのはうそばっかり(笑)で、都合のいいことなんて世の中にはないんですよ。痛みを伴うけど、未来があるって行為に、どれだけ賛成が集まるか、がその国の未来を決めるんですよ。そんな個人でも同じで、当たり前のことなんだよね。