第22話「いちばん大切なものって、なぁに?」

プリキュアごっこをしていたみゆき達がプリキュアになる回。

 プリキュアという作品においてプリキュアがどういうものであるかがよく示されています。プリキュアは 世界を救うために戦いません。プリキュアをするもしないも自由です。
 「友達を守りたい、その優しい気持ちがあれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ」
 オールスターズニューステージのこの台詞は本作においても当てはまります。


六畳半のすごしかた
http://www.geocities.jp/isshuu_a/smileprecure.html#lcn001


自分でも鬼畜だな、、、と思うんだけど、別に少女に限らず、人が自分の自己欺瞞を告発されてどん底の絶望に沈む姿って大好きなんだよね!(苦笑)。だって、それが、この世界の真実だもん!って僕は思うよ。そうでなければ、本当に生きているとは言えないんじゃないか?というような価値観がどうも自分の中にはあるらしい、、、。まぁ、なんやそれ(←自己突込み中)、と思わないでもないけど、それ仕方ないよねー価値観だから個人の。


さてさて、まぁこの回が、転機の回であるということは、見ている人だれもが思うと思います。何が問われているか?といえば、いっしゅうさんが言うように、彼女たちが自己の意思でプリキュアになる(=敵と戦う)ということを、どういうことかと確認する回です。世に出て何らかの戦いをするということは、ましてや、正義の味方をするということは、その代わりに自分の命も含めてすべてを失う可能性があることだったんだ、ということを突き付けられます。なにごとをなすにおいても、代償というものを天秤に乗せなければ力を振ることは、この世界ではかなわないものなんですよ。ようは、リスクというのは、自分自身を賭けることでしかtakeできず、行動とはリスクを伴うものだ、という当たり前のことが突きつけられているだけです。ここで突きつけられているのは、誰もがほんとは毎日呼吸するように突きつけられている人生の真理。

やはりこういうところは、新しい世代の物語だなーと思います。旧男の子的価値観のガンダム以前ぐらいまでのヒーローものでは、、、、このロジックは、以前、ジャイアニズムに書かせていただいたマブラヴの批評に書いたこととなじですが、そもそも世界を守ることに、それと見合うリスク(=自分自身の命と日常)をかけることに躊躇がありませんでした。理由は、70年代までは簡単で、非日常のワクワクの方が、日常のしょぼい自分の貧乏な生活に比べれば輝いていたからでしょう。

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けど、、、80年代以降は、本当に日本が豊かになり、非日常が消え去っていくことになります。この辺の仕組みや考察は語るときりがないので、端折りましょう。そして今生きるわれわれの2010年代のこの世界は、日常が支配して、そして動機が何もない、まっさらな世界です。今の子供たちは、「それ」を前提にしていて、僕のようなまだ今の30代ぐらいまでがかろうじて持っている非日常のノスタルジーすらももう持たなくなっています。その中で、日常の動機レスな世界での戯れというのは彼らの主観を支配する強烈なイメージを構成しているようです。これは、レスター伯さんと『日常』の話をしている時に、気づいたことです。このブログを過去から読んでいる人はわかると思いますが(←さりげなくリアルで読み続けないとダメだって言っているな、これ、、、(苦笑))、いまは肯定するも否定するも、そういう時代なのです。

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とすると、、、、どちらかというと低年齢向けで、基本的にはこのことを肯定的にとらえているプリキュアシリーズは、、、、それは凄く興味深い事象です、、、なぜならば、女の子が世界を守るということがどういうことか?ということ、ここでは噛み砕いた結果そうなっているからで、、、ってここの考察はいいいや、、、はー話が進まない(苦笑)、いいや、この前提ははしょろう。

んで、スマイルプリキュアというのは、ようは、非日常の中で問われるこの世界の真理、、、、考えてみれば当たり前のグランドルール。もし悪と戦うならば、それだけの大きな力を行使してマクロに関わるならば、自分の人生さえも代償にするリスクをとることなんだということが問われます。まぁこれは、世の中のグランドルールなので、別にこれ自体は常識です。重要なのは、スマイルが、ずっとこの22話までかけて、それを問わないで、非常に甘い覚悟の上で彼女たちの人間関係や性格の深堀をしてきたことです。この「落差」が、この製作者たちの主張したいことになるわけです。


というのは、まぁ当然、物語の主人公なんだから、キャンディを見捨てようぜ!!!という結論にはならないでしょう(笑)。


つまりね、、、彼女たちが守ろうとするもの、その守ろうとするものの根源的なもの(=一番大切なものは何か?)と問われたら、それは、この22話で描かれてきた彼女たちの日常であり、その日常で彩られる「人間関係」になるわけです。そして、この落差に納得がいきますか?というのが、見ている人の感想や価値観となるわけです。ここでは、自分の人生やもう家族と二度と会えなくなるかもしれないという重い決断に対して、その答えは、「友達と天秤に乗せることはできない」ということでした。家族や友達のような大切な人の中に、キャンディがすでに入ってしまっており、それを分けることはできないのだ!ということでした・・・・さて、このことに、みなさんは納得できますか?それが重要な問いです。僕の考察は、まだ続くので、この回答というか僕の感想は、いまのところ控えましょう。できれば、このことに関する感想をコメントでもらえると嬉しかったりします。


とはいえ、これが、、、、友人との関係が、縁によって結ばれた「絆」であることは、皆さんもよくわかると思います。私のブログを数年単位で読んできた人ならば(笑)、これが僕がずっと追い続けているテーマであることも、そしてたぶん日本のエンターテイメントの世界の最前線の問いであることもわかると思います。


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