『ソードアートオンライン オーディナルスケール』(2017 Japan) 監督 伊藤 智彦 脚本 川原礫 やはりアスナのおっぱいが凄かったです。キリト君ダイブしてたし。

評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

仲間内の評判が高く、見に行ってきました。いやはや、たいした出来でした。唯一の問題点というと、SAOシリーズの各作品を見ていないと、つながりがわからないという部分ですね。でも、SAOは既に大サーガになっている作品ですから、これ単体で見れるようにする必要はないから、これをマイナスのポイントにする必要はないと思いますね。明確な本編シリーズとの連続性を意識する作りは見事でした。これだけシリーズがしっかりしていると、幹から外れた作品は描きにくいのが通常です。サーガの正統な幹の部分をいじれないからです。そこは原作者の川原礫さんのオリジナルであることは効いていますね。原作者が脚本を書くことは、必ずしもいい結果を生むというわけではないのですが、このように明確に本編とつながりを持って描ければ、別ですね。通常のアニメ化作品の映画かって、総集編か、ほとんど枝葉末節なエピソードのあまり意味がないものが多いのですが、これは違います。単体の映画として出来がいいし、本編とのつながり感もがっつりです。というか、これ本編ですよね。もう。なので、見に行っとくのをおすすめです。


というか、ぶっちゃけ、最後のシーンがアリシゼーション編につながるシーンはぐっと来ますね。SAO will return.アリシゼーション編は、日本のエンタメ史の中でも重要な作品だと思いますし、僕自身も全エンターテイメントの中でも特段に大好きな作品ですから。これが映画かテレビシリーズで続くという宣言ですよね、これ。もうこれだけで、おなかいっぱいでした。SAO好きな人は見る価値があるものです。映像がとても動きているのでバトルシーンがかっこいいから映画館で見るのがおすすめですが、「そういう」理由よりも、こういうのは何よりもイベントのリアルタイム進行の渦の中に自分が入いっているか?というのが重要で、SAOが好きな人は、やはり映画でいっておきたいところですね。


アスナのおっぱい

この映画の見どころは、と聞かれると、アスナのおっぱい、と答える人が多いのではないでしょうか(笑)。それほどまでの存在感でした。服を着ているとそこまでそこまで存在感を主張しないのですが、脱いだら、、、こんなに凄かったのか、という驚きのボリューム感。それだけではなく、キリト君が、アスナを抱きしめるというか、アスナにベットに向かってダイブするシーンがあるんですが、このシーンとても深刻なんですが、、、、正直に、ああ、やっぱり「その胸」に向かってダイブするんだよね、たしかに「そこ」に「それ」があったら、ダイブせざるを得ないよね、、、ととても男の子らしい気持ちになりました。


これ凄いことだと思うんですよね。僕の人生で革命(=れぼりゅーしょん)と呼んでいるガイナックスの『トップをねらえ!』ノタカヤノリコのOPでの走る時の胸の揺れる柔らかそうな感じ。これを思い出しました。これを見て、青少年だった僕は、胸ってこんなに柔らかかったのか!!!(別に触ってはいないが)と衝撃が背中を走って以来、アニメーション作品では幾多の胸が描かれてきましたが、あの革命に匹敵する柔らかさって感じたことなかったんですよ。それはもうあからさまな描写のものもたくさんありましたが、そういうんじゃ、男の子のナイーブな心は、なかなか動かないんですよ。性欲で動くのは、そんなもんは動物だ!!!!と思うんですよ、いや動物なんですが。。。そういう直接的ではない、何らかの「手が届かないもの」の柔らかさの表現って、なかなかなかったんですよね。

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今回だって、別にあからさまではないじゃないですか。お風呂でヨコ乳が少し見えるくらいのもんですよ。でも、えっ!!!って思うんですよ。革命は起こりませんでしたが、政権交代は起こりましたぐらいの感じです。それも長期独裁政権の打倒ぐらいの感じです。なんでこんなに、おうっ!と思ったのかは、やはりアスナのヒロイン度が圧倒的だったと思うんですよ。キリト君とのイチャイチャ度も半端ないじゃないですか。もう少女マンガかよって感じなくらい。あの圧倒的な、私が正妻です!、ヒロインです!、主人公なんです!的なオーラと特別感があればこそ、だと思うんです。

ラジオでもずっとLDさんと話していることですが、SAOというのは不思議な作品です。何が不思議かというと、この作品は神話的なんですね。とても古いタイプの主人公の成長物語で、すべてのキーがキリト君に集まってしまっている。こうした古典・神話的な作品構造は、既に相当飽きられていて、普通に作ると、バカにされて消費者がついてこないことが多いのですが、なぜかこのSAOは、そこがいいっていう感じが凄くするのです。実際に、凄まじいライトノベル売れ行きからも、この作品の人気ははっきりしています。


その問題意識とつながるのですが、アスナのハーレムものの中での圧倒的な正妻感は、これもまたすごい。『とある魔術の禁書目録』のインデックスさんの悲しい存在感の薄さなど、ハーレムものの持つ構造、ヒロインの並列、ヒロインの逆襲などの構造から、そうなるのが普通なんですよね。なのに、まったくそうならない。アスナのヒロインたる存在感はスゴイです。これたぶん、最初の神話構造をてらいもなく運用して、はばかることがないというところとつながっていると思うんですよね。このことと、原作者が、プログレッシブを書こうと思ったことと、つながるとも思います。ちなみに、『月曜日のたわわ』の比村奇石さんの漫画版も素晴らしいですよ!。

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神話的というのはどういうことかというと、LDさんが、2巻のフェアリ・ダンス編で出てくるアスナを「アルヴヘイム・オンライン」(ALO)の中にとらえる須郷伸之という悪人が出てくるんですが、このちょっと頭のねじがきれたストーカくんは、ずっとアスナをリアルでもゲームの中でもとらえているんですが、ルイさんが「なんでレイプしちゃわないんだろう?」と不思議がっていた、というんですね。えっとどういうことかというと、この状況下でほとんど頭が狂っている犯罪者が、我慢する理由は何だろう?と。はっきり言ってないんですよね。つまりは、物語のご都合主義の力によってアスナが汚されないという力学が働いているだけ。LDさんは「キャラが置かれている」といいうような言い方をしていましたが、ようは神話的な物語として、主人公の壁となって立ち現れる「悪」の存在として抽象的に設定されているだけで、キャラクター自身の意志があるわけでも逸脱もないということをいっているんです。これは近代的な物語作品としては、つまらなくなるんです。だって、そこにキャラクターの自由意思があったら、この状況下でアスナをやっちゃわない理由は、どう考えてもない。本人、頭もほぼ壊れてるし。でも、しない。こういう、設定のために設定が置かれているものがご都合主義的に多くて、にもかかわらず神話的な古さを感じないで、安定的にヒロインやヒーローの物語がに収束するのはなぜか?という問いですね。これは、これからも少し考えていきたいと思います。


話が長くなったのですが、、、、、今回の脚本は、主人公じゃないものの叫びを聞こうという文脈で、ユナちゃんの話とか、いやはや川原さんの目のつけ所と脚本力は素晴らしいと思うんですが、、、、アスナのおっぱいの力で、僕の記憶からは吹っ飛んでしまいました・・・・ごめん、ユナさん。。。それくらい、すごかったんです。


まぁ、なにはともあれ、SAOは、まだまだ面白いですね。続きが楽しみです。アニメ第三期かな?。


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