『褒めることを習慣にすること』によって洞察力を関係性に対する深めていくことが、世界の豊かさにつながる

「マルコが人を褒めるのが苦手なのは分かったよ。
 仕方がないから、そこの実践は飛ばして『褒めること』と『褒めることを習慣にすること』がどう違うのかを説明するぞ。
 まず、褒めるっていうのは相手の能力を認めてプラスに評価するってことだ。
 だからただ褒めるだけでも不安が解消できることは多い。
 自分が認められた、自分はここにいていいんだ、って思うことができるし、褒められて悪い気分になる奴はいないから、そういう意味で人間関係の潤滑油にもなる。
 でも注意しないといけないのは、剣士なら剣の腕を褒めればいい、魔法使いなら使った魔法を褒めればいい、なんて単純に考えたらダメってことだ。
 中身のない上っ面だけの褒め言葉で相手の不安は取り除けない。
 一時的に不安が止むことはあるけど、どこかで同じ不安が再燃する。
 だからそんなことにならないように相手の良いところを知らないといけない。
 でも知るためには時間がかかる。
 勿論、時間をかけるのが一番だけど何もせずに悠長に構えているだけだと大抵、相手のことを知る前に男女間以前の人間関係で摩擦や炎上が起こる」

中略

「褒める回数を増やしたら摩擦を防げる?」
「いや。最初のほうでも言ったけど摩擦は必ず起こるから『絶対に防ぐ』ことはできない。
 人間の不安や不満にはキリがないからな。
 でも、だからこそ相手を褒める習慣をつけるんだ。
 そうすると褒めるために相手のことをよく見る観察力が身についてくる。
 それができると今度は相手の些細な動作から相手がどう思ってるのか、何を考えているのか、それが分かる洞察力が身についてくる。
 そして、この話の肝はそこにある。
 褒めることは絶対の正解じゃない。
 でも、褒めるために身に付けた洞察力は無駄にはならない。
 些細な表情の変化、仕草、癖、そういったものから読み取ることができるようになれば男女間の摩擦をすぐに感じ取って炎上を避けたり、炎上してからの対処だってできる。
 全部まとめて一言で言うと、気遣いのできる人間になれってことだ」


仲良くなるために(3)
商人ランカー 水亭帯人
https://novel18.syosetu.com/n9743dj/59/


このなろう(というかミッドナイトノベル)の作品が面白くてつらつら読んでいたのだけれども、この部分があまりに秀逸だったので、久しぶりにベイシックスキルの話。


僕は人との関係を良くするために、重要なスキルとして、「ほめる」ということがあると思っています。


けど、勘違いが多いのは「相手をほめる」ということと「阿諛追従・おもねる」の違いが分かっていない人が多い気がします。


ほめることが、適当に相手の気分を良くするための「おべっか」を言うことだと勘違いしている浅い理解というか、レベルの低い感想を言う人がたくさんいます。また感情的に、そういった卑屈なことはしたくない!というような次元でとらえる人がたくさんいます。ここでいうたくさんというのは、僕が後輩や部下に指導してきても、ほとんどこの神髄がわかる人が少なかった気がするのです。


でも、確かに、僕も、僕自身が実行している「相手をほめること」の意味や伝え方がよくわかっていなかった面があります。


僕自身は、「ほめる」というのは、相手の本質にリンクしていることに言及すること、とずっと考えてきました。


たとえば、偉い人に、あなたは偉いですね!と褒めても、気持ち悪いお追従ですし、何よりも「そんな当たり前の事実」を言われても、相手は、何とも思いません。ましてや立場が上の人がそんなこと言われたら、むしろ、あーこいつはおべっか野郎だなと、通常は評価をさらに低くして馬鹿にしてくる可能性が高いです。この辺の、適当に相手にこびへつらうことが、相手との関係を良くすると考えてしまう、考えのとても浅い人が、世の中は大半のようです。そういう奴隷のようなこびへつらいを嫌だ!と孤高というか、自尊独立的なことを言う人もたいてい、孤立して人に嫌われるだけの人が多い気がします。そういう人は、人間が、人間関係の網の目の中で生きていて、「一人ではないもできない」、チームで成し遂げていくことが全く分かっていない独善野郎が多いからだと思います。



けど、本質にリンクしている?って何???



といわれると、うーん、と僕はうまく伝えられないで来ました。僕の言葉や例でいうと、その人が、本質的に「ほんとうにしたいと思っていること」や「存在として滲み出ていること」に対して、ポジティヴに解釈して、それが世界と周りのミクロの人間関係にいかに意味がある、価値があることがを言う、みたいな言い方になってしまうんですが・・・・これだと、まぁ、わかる人にはわかるようなんですが、みんな???となるみたいなんですよね。


なので、これは僕独自の固有スキルなのかな?とずっと思っていました。


けど、この商人ランカーのこの話は、凄いわかりやすい!と思いました。結局、ほめるために「本質を見抜く」というのは、洞察力を向上させて、他者の小さな振る舞いから、様々なものを見抜いていく基礎能力を上げ続けること、なんだろうと思います。そして、そういうことを日常から常時している人は、他者に対しての理解力が格段に上がります。


そして、相手のことが深くわかれば、その相手が「本当にしたいこと」「評価してほしいこと」に敏感になるのは当然じゃないですか。その時だけ一生懸命分析するとか調べるのではなくて、継続的に、それなりの長時間相手の細かい振る舞いや藩王の積み重ねから導き出されることは、コストと労力をかけないとなかなかわかるものではありません。それが、ちゃんとできるように、なればなるほど、相手との本質的な関係を結べるようになっていくと思うんです。


結局、他者の振る舞いに対しての洞察力が常時、フルパワーで展開していると、人間関係は好転していくよ、メンテナンスが効くよ、積極的にマネジメントできるよ、ということなんだろうと思います。


そうすれば、自分も、自分の関係する人も、幸せになりやすいのは当然じゃないですか。


ということでした。


まぁ、毎日の日常に敏感に生きている人、小さな出来事にもセンスオブワンダーが感じられるような洞察力が常時発動している人とでは、人生が全く違うものになるであろうことは、そりゃ、そうだよな、と思います。


ちなみに、この小説のここの説明の部分は、僕のこの考えを説明した具体例としては、人生で一番良かった!気がします。なるほど!と何度もうなりまくりました。