『ブルーピリオド』 山口つばさ著 2020年代の世界で、若者は、どのように成長していくのだろうか?

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

インフルエンザにかかって、息も絶え絶えなペトロニウスです。なんか熱で朦朧となりながら、起きては、『十二国記』読んだり、『天冥の標』読んだり、なんかずっと夢を見ているようで、おかしな風邪休暇でした。と言っても、家で仕事追い詰められてイライラしていたので、休みと言っても、微妙な感じでしたが。家でも自由に仕事できる環境って、こういう時、際限ねなーとしみじみ思いました。いやーしかし、風邪ひいたり病気になると、ほんとうに、しんどいねぇ。。。なんか、人生振り返ってしまったよ。。。アラフィフになっても、全然自由は手に入らんなーいつも、やることに追われて、あせあせしている、、、まぁ人生、いつまで経って、どもこにいても、そういうのとは無縁でいられないものなんじゃないかなーと思う今日この頃。生きるのは大変だよ、、、と思いつつ。いやーこの辺の年齢になってくると、体が気力でもついてこなくなるので、なかなか気合で誤魔化したり乗り切るのがしんどくなってくるし、この辺の年齢まで来ると、キラキラする未来に向かって成長しよう!とかそういうのも、餌にならなくなるので、、、うーん、しんどいなーと思いんがら生きていくしか無くなる。まぁそういっても、サバイバル、、、生きていかないわけにはいかないし、子供の責任もあるから、食べていけるようにしなきゃいけないと、奮い立たない心を、奮い立たせるしかない感じなんだけど。いやはや、「みんな」って、ないのかもしれないけど、世の中の人は、本当に凄いなぁと思うよ。ただ生きるだけでも、生活するだけでも、本当に大変だもの。こんなにやること押し寄せてて、なんで何とかこなせるか、不思議で仕方がない。。。


そしてそういう感じで、『ブルーピリオド』は海燕さん。『ブルーロック』はLDさんにお勧めされたものですが、読んでて、あ、これどっちも、典型的な成長物語、ビルドゥングスロマン何だなと思ったんです。(いきなり話が飛んだ・・・・(笑))


LDさん的な発想では、多分、「生きるのに意欲や動機が必要」という時点で、だいぶダメですね、、、と言われそうなんですが、、、いやーそれはわかっているんですが、僕は結構気力で奮い立たせて、困難なことを乗り越えるタイプなんで、体力も気力も落ちてくるこの老後、というかおっさんになってきて、まだ勉強し続けたり、変わっていこうとするのは、しんどいなーと日々思うんですよね。基本的に生きるのは、いつもしんどいなーと、だらだら生きてきましたが、もう穏やかに、映画とか漫画とかだけ見て、暮らしたいな、、、とか思うのは、甘いのかなーと思いつつ。気力体力減っているのに、責任とかこなさなきゃいけないタスクは、年々どんどん難しくなっているようにな気がして、いや-うーん〜ーーという気が、、、、。



体力が落ちている(40代後半に入ったから?)と、特に老眼が進んで眼精疲労がひどくなったのが、なんか、色々に負担をかけている気がするがぁ、、、それ以上に、なんというか、やっぱり「がんばって坂の上の雲に向かっていく目的意識」みたいなのが、うんざりする今日この頃。そう思うのは、もう若くないからなのだろうか・・・・と、ずっと考えちゃうなー。まぁ、考えても、意味ないんだけど、、、明日は、ほっといてもやってきちゃうので(笑)。


世の中は、『ファクトフルネス』を読んで、絶対的貧困相対的貧困の軸が入り組む複雑さはあるものの、マクロ・トータルでは、良いの方が大きな流れになっているとはいえるので、まぁ、そうはいっても世界をあきらめたり絶望する必要はないのは、よくわかってきた。自分の子供や孫の世代も、大変ではあろうと思うけど、ちゃんと人の世の世界であり、生きるに十分値するのは間違いないわけだから、なんというか一般的な視点で絶望する理由は、もうないわなーというのが雑感。。。なんだけど、いやもしかしたら、おっさんというか、年寄り世代にとっては、「絶望する余裕」があったほうが、まだまだ幸せな夢を見れてたのかもしれないなぁ、としみじみ感じる。本当に厳しい現実を見据えたら、真っ先に切り捨てられるのは、もちろん現役世代ではないお年寄りなわけだから(笑)、、、、でも、人類の世代交代って、時代の流れって、そうやってきたんでしょ、とは思うので、それを受け入れられないというのは傲慢だよなぁとしみじみ。


ああ、なんか意味不明の日記になってしまった、、、、最近、老人になってきて、疲労してきてて、頑張ろうという意欲が、さらに消えています!というのを高らかに言いたかっただけ。



で、時代的な背景なのか、自分がおっさんで未来に希望が持てないかがわからないんだけど、いまこの文脈で、ビルドゥングスロマン(成長物語)を見ると、どう思うんだろう?って。(ちなみにネタバレです)



『ブルーピリオド』は、まぁそういう御託抜きで、面白かった。めちゃネタバレなんですが、僕様々な物語読んできて、美術系の受験の物語で、東京藝大の入試に合格した物語って、初めて見た!!!。はっきり言って、全く合格するなんてみじんも思っていなかったので、驚いた!!!。もちろん、そうあってもおかしくない積み上げだし、彼の自分探しの視点が、ちゃんと技術、作品と努力に適切に結びついているし、おかしいとは思わないんだけど、、、でも、藝大って、どこか「次元の向こうの存在」だと思っていたのので、自分の中で衝撃を受けました。僕は、ムサビの近くに子供の頃住んでいて、周りにたくさんムサビの生徒がいたので、あと『はちみつとクローバー』も、ムサビっぽかった感じがしたんだよね。なので、ムサビまでは、自分の想像力の射程距離にあったんだけど、、、藝大に受かる人がいるんだ!と心底、驚いた。毎年、墓参りで上野にはいってたので、あの辺はとてもなじみのある場所ではあるんです。が、、、、いやはや、、、別に自分のなかの驚きなので、全く読んでいる人は何が言いたいかわからないでしょうが、、、、。ただ、自分のなかで美術に関してはほとんど興味がなかったで、どういう基準で、どういう積み上げで選ばれているのかが、さっぱりアウトオブスコープだったんだけど、これを見て、色々なことが凄いわかった気がする。勉強になったー。


きわめていいな、というのは、「自分とは何か?」というよくある問題意識を、美術という技術と、受験勉強という「様式と手順にのっとった成長」で、丁寧に描いていくところだ。作品だけ見せられたら、難解で???となってしまうところを、これほど丁寧に物語性と、何も知らなかった少年が、受験勉強で技術を習得していく過程で、「作品で自己を表現する」という技術、ノウハウを獲得していくわけで、おうーーーこりゃ凄いって唸った。親友?の龍二くんの話とか、ジェンダーとか、さまざまな問いかけが、縦横無尽にあって、「現代」で、自分を掘り下げると、こんなに複雑かつ重厚、繊細に考察して、潜っていかないと、ちゃんとした表現にたどり着かないんだ!というガイドラインにもなっていて(だからこそ藝大の試験なわっけだし)いやー素晴らしすぎる。


やっぱり何が凄いって、一つは、こんな『自己とは何か』というような哲学的かつ繊細でややこしいことを、当たり前のように、青春のテーマに乗ってくる、受験できちっと技術で問われるという、時代の成熟さだよね。とても豊かで自由で、多様性を受け入れる時代でなければ、こんなテーマがエンタメになるとも思う得ないし、既に6巻って、けっこう人気を博しているのも素晴らしい。昔よりも、受験のシステムが洗練されて、ちゃんと中身が問われるようになって深化していている旨も書かれていて、やはり時代は豊かに深く豊穣になっているんだ、と思わせる。昔からあったんだと思うと、やっぱり近代国家は大したもんだよなーとしみじみ思う。僕が単に知らないだけで、こんな人生のルートもまたあるんだ!と感心した。



めちゃいいよ!おすすめだよ!しかも、大学編迄あるんだ!と思うと、わくわくが止まらないよ。



もう夢も希望もな特にない枯山水じじいペトロニウスだけど、やっぱり、ほんとうに若い世代って、豊饒な時代生きているのだなぁ、とドキドキしました。僕自身は、自分の人生は、「自分ごときにしては上出来」と思っているので、やり直したいとか全くないけど、、、でも、自分の息子や娘の楽しそうに生きているのを見ていると、いやーすげぇ時代に生きてて、僕よりももっと大変な時代を生きているかもしれないけど、その分エキサイティングだよなぁーこれは、なかなかいいことだよなーと感じる。より繊細に、より技術のレベル高く、僕等の若かりし頃よりは、はるかに複雑になっているのは違いない。でもだから「大変」というのは、違う気がする。このような多様性、技術の深みが評価されるプラットフォームが整備されている現代を生きることができるのは、とても素晴らしいことだろうと本当に思う。



さて、ついでに、『ブルーロック』。



これはついでなんですが、これも成長物語だよね。けど、力点が「才能がある奴を蹴落とす、その価値と意味にぞくぞくする」というのが主題に乗っていて、ああーこれも新世代の成長物語だなー、なるほど、LDさんが言うのはわかるわ、と思いました。これって、300人の高校生FWを集めた寮青い監獄(ブルーロック)をつくって、そこで、負けたら二度と敗者復活戦のない(日本代表には選ばれない)というサバイバルゲームをさせるというお話。


いってみれば、サッカーのサバイバルデスゲームみたいな類型。


けど、LDさんが指摘したように、これとても大きな主題に「才能がある奴を叩き潰していき根を止めることのゾクゾク感覚」が繰り返し描かれているところだよね。


これって、倫理的に、なかなか言いづらいものじゃないですか?。成長物語を描く時に。ようは、弱者や才能がない奴を、いや下手したら、強者や才能のあふれるやつも、策略によって、ガンガン未来を奪っていく。でも、生きる実感、生きる充実、、、、サバイバルの究極の意味の一つは、「相手の可能性を奪って生き延びた」ことにあるわけで、競争というもの、サバイバルの持つプリミティヴな価値というのは、そこがコアの一つだよね、というのを、身もふたもなく描いている。「生き残る」ことの価値って、そこだよね、と思うんですよ。それが「身もふたもなく描けている」というのは、やはりそういう時代で、きれいごととかでごまかさなくなったんだなーと、しみじみ。「新世界」じゃないですが、この世界が残酷であることを「所与のもの」として感じれば、そのみんなが余裕がない中で、それでも何とかパイを確保できたら、それはとてもうれしいこと。余裕がある状態ならば、それがフェアかどうかとか、結果の平等とか気にできるだろうけど、実際は、残酷な世界に追い詰められていると、そんなこともいっていられない。少なくとも、いままでのような、実際は逆に弱肉強食なのに、うそを塗り固めているよりも、まずはプリミティブなところを、ちゃんと認めようという気がします。これをもって、弱者を切り捨てて、格差を肯定したいとか、そういうこととしてとってもらいたくはない。。。のですが、、、ただ、絶対的格差が縮まり、相対的格差が広がることが同時に起きる世界で、、新しい世代を生きる若者の感性が、だいぶ身もふたもなく「リソースがそもそも物凄い少ない奪い合いになっている」ことへ自覚的で、あえて選ぶというよりは、所与のもの(既に与えられている前提)として受け取っていそうな気が凄く強くするんですよね。


ブログでずっと書いてきた、、、、日本社会は、余裕が他の社会よりまだまだあって、絶望が全然足りないって話と、ここでリンクするんだろうと思うんですが、、、、なんだか、この世界の厳しさってのが、うまくわかっていない感じがするんですよね、、、おっさんというか年寄り世代には。世界全体は、基本的に良くなっているんですよね。けれども、それはすなわち、先進国の中産階級が崩壊していくこととリンクしているんで、僕ら(先進国の中産階級)の世界は相対的貧困がさらに激しくなる。なので、いいかえれば、競争それ自体は、グローバル(世界すべての人々を巻き込む)なことになるので、必然的に激化します。個々の個人にとって、、、また特に言えば、先進国の社会における格差はさらに広がり、これまで福祉などの手当てなどは、激減して崩壊していくでしょう。また、世界全体の競争のプラットフォームにおいては、環境など、基本的に世界全体を保護する余裕はなくなるんじゃないかなぁ、と思うんですよ。だって、民主主義にリンクした先進各国が相対的貧困に沈めば、もうそれどころじゃない感じで、自国内の相対的貧困に対する手当を要求する声が高まるでしょう。そうしたら、ようは、環境などのいかにフリーライドになるか!という過去の姿勢に戻ってしまうと思うんですよね。だって、分配するものが、既にないんだもの。全体的な成長は、だいぶ能動が薄まってしまうので、先進国には届かない。急成長してくるその他の国々が、そこを押さえるなんてことはあり得ないので。。。だから、環境問題とかは、まず解決しないな、と思うのです。少なくとも、理想や気持ちでは、絶対に動かない。戦略的に優位な状況でないのに、譲るなんてことは各国絶対しないと思いますので。


という風に、世界全体を考えると公平に向かっては行っていますが、またトータルでマクロでは豊かにはなりますが、このグローバルリンク社会で個々人が生きていくのは、物凄く難しい。たぶん、グローバルで富を生み出す人々と、そうでな人の格差は、凄まじくなる。しんどい。競争はむしろ激化して、なりふり構わず、身もふたもなくなっていっているので。グローバル社会で、グローバルに「生きるスキルを持った人」と、そうでないローカルに沈む人の差は、もっともっと激しくなる気がします。。。えっと、、、、うーんとね、何が言いたいかというと「理想的なものが通じるほど甘ちょろい余裕は人類にはないんだろうなー」ということ。うーん、そこまではいいすぎか、、、。少なくとも国民国家に、特に旧先進国だった国々の分厚い中産階級は壊れてしまって、「そこ」を母体に、社会を理想主義的に進めていこうというのは、成り立つほど甘くはないだろうな、と思うんですよ。若い世代は、みんな、凄くその辺を直感的にわかっている気がしてならない。『鬼滅の刃』みたいな、厳しくて仕方ない残酷なのを、「特に厳しい」という感じもなく受け入れるのって、そういうことなんじゃないかなーとしみじみ思うのです。僕等よりも、後続世代の方が、世界の厳しさに無意識に敏感なんじゃなっいって。そう思うんですよ。関係ないかもだけど、グレタさんの環境問題の怒りの告発なんかも、こういう感覚に裏打ちされている気がしてならないのは、考えすぎだろうか?。だって、こういう世界にしたのは、年寄り世代なのに、つけを払わされるのは、若者世代って、腹が立つ!というのは、極めて正当な怒りな気がする。まぁ、後続世代は、常に前の世代のつけを払わされていて(それは僕等だって同じ)、いつだって、そういうものなんだろうなーと歴史を勉強すればするほど、まぁ、身もふたもねぇな、と思うようになってきました(笑)。


みたいなことを、徒然に思っている今日この頃。


ブルーロック(1) (講談社コミックス)