ウィンプからマッチョに成り上がる門は狭き門〜戦略的には新卒採用市場がおススメ

「今が、戦うべき時なのか、逃げるべき時なのか」


この見極めができるかどうかで、


人生のかなりの部分が決まってしまいます。


「自分を飛躍的に成長させる状況」と「自分が潰されてしまう状況」の見分け方
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080417/p1
分裂勘違い君劇場


ウィンプを告発していじめぬくのは、マッチョの責任感からの絶望

というのは、僕もこの人と同じ口調で、ウィンプのダメさ加減を、告発し責め苛む発言をよくする(苦笑)。それは、感情的にウィンプが許せないからだ。責任をもち、物事を実行レベルでちゃんとやろう!と思っている人間からすると、キレイごとと言い訳を盾に、本質的な結果責任から逃げる卑怯な態度には、もう許しがたい感情的反発を感じる。それは、自分の抱える責任意識や倫理観との裏表なので、「自分が重荷を背負っている」人ほど、この手のウィンプには、容赦がない告発をするようになる。もっと、レベルが上がってくると、そもそも告発などという(=相手にとってはアドバイスになる)優しいことはせず、ただ搾取の対象として、虫けらとして、差別という意識もなく、息を吸うように「収奪する奴隷」とみなすようになる。一般の経営者というのはそういう視点があふれている、と思う(思い込み?(苦笑))。下等なウィンプどものを、所与の条件と入れて、淡々と生かさず殺さず「操ってやる」という仕組みを考えるようになっていくのだ。そして、世界は弱肉強食で、どんなキレイごとをいってもこういった枠組みで動いている。それはあたりまえ。過酷な責任を背負って生きているマッチョな人と、ある種のラインを引いて、責任を回避できる下等なウィンプとが同列に扱われるわけがないのだ!!!!。よくチームワークとか、そういう話は、このある程度マッチョな仲間が集まっての相互扶助の話であって、ウィンプは、標準化ですぐデリート(=解雇)できる道具であり歯車に過ぎない。


と、感情的、一瞬的には、僕もこう思う。これは一面(というかかなり現実の過半を占める)の真理なので(笑)。


これは、マッチョな人が、リーダーとして、人の動機をなかなか変えることができない!という事実からの絶望で生まれている感覚で、自分の責任の重さから考えてあまりに、無策無能で居直るウィンプ(=虫けら)どもが、許せなくなってこういう感情論が暴発します。まーでも、個人主義的なプロフェッショナリズムで生きる人以外は、こんなこと思っていると、会社で皆に嫌われて、チームは維持できないかもしれませんがねぇ(苦笑)。



□隠れた前提を見ないと、二元的言葉のカテゴリー分けは危険


ただねぇ、、、この話を、、、、ウィンプとマッチョの話をする時に、実は大きな前提が隠れていると、僕は思うのだ。この人の書いている表現では、ウィンプとマッチョという二つの概念を、カテゴリーの二元的対立で分けている。いや、隠しているわけではなくて、ちゃんと説明はしているんだけれども、あまりに言葉のメッセージ性が強すぎて、わかりにくくなているんだよね。少なくとも僕はそう感じる。だって・・ウィンプ(=虫けら)だよ?(笑)。救われないマイナスの言葉だよー。



1)概念の時系列が抜けているのでは?


まず1つでいうと、「抜けている」というと失礼で、わかりやすく表現するために意図的に抜いているのだと思うのだが、、、、つまりね時間の流れ、というものが抜けている感じがするのだ。


ウィンプは努力によってマッチョになることは出来るか?」という主旨の質問をうけましたので、回答しておきます。


こういう質問が来ること自体、人間が、どうやって成長して行き、マッチョになっていくか?、ということが凄く短絡的に理解されていると僕は思うのです。これを読んでいると、「そもそもウィンプという民族と全く異なる民族のマッチョがいて最終戦争を戦っています」みたいに感じてしまうのです。民族が、出自が、種族が違うという話にしてしまうと、いわゆるSFの最終戦争論的な発想で、どっちかが死滅するまで!という議論にすぐイメージされてしまう。


つまりね、人間は最初からウィンプでもマッチョでもあるわけでもなく、どういった経緯を経て、そうなっていくか、というゼロ地点からの議論になっていないので、「今の現象」だけを切り取ると、ウィンプというものとマッチョという二種類しかいない、ということになり、、、僕の実感では、たとえば、そうだなぁ、、、高校を過ぎた時点で、もうウィンプってのは、ほとんどマッチョに成長することはないね。動機がないやつに、マッチョ(=成長を求め続ける継続的努力)なんか、なれっこないよ。



□平均的な日本の若者が自分のいる階層から上昇しようとする時〜マッチョになるには、環境を変えないとなかなかなれない!


ちなみに、日本社会で、平均的な普通の人が、ウィンプからマッチョへ大きく飛躍したり、もしかは飛躍できる「環境」が獲得できるかなり平等なチャンスは、3ポイントとあります。というか、僕はそう感じている。


1)大学受験


1)’ウルトラ高度な資格試験
(サムライ業・・・弁護士、公認会計士や国家公務員一種レベルなどなど)


2)新卒採用試験


3)第二新卒試験?(入社3年くらいが限界だな)


X)時期は関係なし


以降は、ほとんないです(これ事実だと思いません?。僕の勝手な感覚ですが)。またこれ以外のポイントで、無理に努力しても、あまり階層は上昇しないので、意味がありません。身も蓋もない事実ですが・・・・(苦笑)。

もちろんこの後の議論でする、腕だけで勝負するプロフェッショナリズムは除外します(これが4番目のXに該当します)。


そういう人は、どこからでも、どんな状況下でも、上り詰めることが可能です。が、しかし、そういった議論は、一部のウルトラモチヴェーティヴな人の議論であって、全体の少数の指導者予備軍とかウルトラ個人主義者のレベルの話と、今は違うからです。生得的にマッチョな人と、途中から急角度に、、、、「ヘタレだった自分を何とか叩きのめしながらマッチョへ変化していく」ことを望む人では、全然考える戦略が違うと思いませんか?。


分裂勘違い君劇場さんなどのような感覚の持ち主は、「相当に社会でやれる!」と思って生きているのでしょう?既に。既に、高い次元まで「マッチョイズム」で全力疾走しているアスリートの視点で、しかも、それをかなり継続的にしている人からのアドバイスは、あまりに見える風景の次元が違い過ぎて、アドバイスとして役に立たないどころが有害な場合が多い。



なぜならば、「そんなの・・・・できない・・・」と動機を奪うことがほとんど過半だからです。奪われるようなウィンプは死ね、というのならば、それは仕方がない発想ですが(言われても多少仕方がないとは僕も思う)。



僕は、マッチョイズムで、部下に強く当たったら、ことごとく潰れたので(苦笑)このへんのことは、もう心から自覚しています。自分が、上司からウルトラマッチョイズムで叩きのめされて、それに死に物狂いでケンカをうってきた自分のビジネスマンとしての成長経験からすると、ヘタレていて許せなくなって、いらだつのですが・・・・でも、そもそもマッチョイズムになれるやつは、生得的に決まっている部分もあって、仮に社会人で、ある程度マッチョ思考でシゴトをするからには、大学受験や入社試験などのポイントポイントで、しっかり自分を追い詰めて高めてきているやつが多い。基本的にアドバイスが必要なのは、「そうではないやつ」に対してなんですよね。ある程度、「マッチョになる」という成長プロセスのプラスの循環に突入している人には、あまりアドバイスは必要ないのです。だって、自分で食らいつくもの、そういう人は。それが、「デキル」やつなんだもの。明らかに他とは違った輝きが、すぐわかる。これが、ほんと、すぐわかっちゃうんだなー。


ちなみにね、会社に入って、競争社会で生きているわけだから、どんなに平等そうに見えても、マッチョイズムでがんばって歯を食いしばって前向きに積み重ねているやつは、日本的な大企業でも、相当環境や待遇で差がついていくんですよ。それは、ある時に、一気に思えて出る。それは、仕方がないんですよ。もう。だって結果がすべてなんだもの、この世界は。


僕は部下に僕は優しくなりましたが、優しくしている相手は、ある程度見切ってバカにしているので、だからこそ、機嫌を損ねないでいいチームの歯車でいてね?という思いだけです。それで十分なのだもの。片腕や信頼できる部下は別に作ります。というか、そういうのを育てる気はなくて、おかしな気配を見せたら、どうやってうまくパージするかを準備しておくだけです。プロジェクトは非情なので、結果がでない場合に、出来ない奴を置いておけるほど、余裕はありません。この非情な「取り換え」やパージがいかに、自分の評判落とさず公平(フェア)にできるか?というのはリーダーの重要な資質だと僕は思ってういます。

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長野 慶太

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残念だけど、自分のできる以上(ある程度・・・育てるのならば業務ボリュームで2割増しくらいが限界)に負荷を上司から求められないことや、さらに意味不明(今の自分にとっては)の大きなこと要求されないとしたら、それは、「諦められている」と思うしかないよね(苦笑)。人間、苦悩したり、苦しんだ、人よりも重い重荷を背負って、深い体験をうまく戦略的にやったやつだけが、リターンを得るのなんか、当たり前なんです。あくまで、戦略的に、効率的に、だけれども。「量」をこなさないのなんかあり得ないしね。



□ある程度マクロ的に自分の努力が意味を為すような努力をしないと疲れて鬱になるだけ

ちなみに僕は、新卒採用時に、とてもいろんな人にアドバイスを、強烈にします。が、転職の相談とかにはほとんど乗る気がない。それは、新卒採用時は、猛烈な努力によって、劇的に階層が変化する可能性があり、多少能力がなくても、大学の学歴が低くてさえ、新卒採用市場の景気さえよければ劇的に人生が転換して前に上り詰める可能性があるからです。それ以外は、あまりに敷居が高くて、効率としてはあまり面白くありません。


しかも、人間がコンピテンシー(生活習慣のようなもの)が劇的に改善していくには、「自分が自ら企画した夢」みたいなものに全力でコミットして、それがある程度劇的に達成された「体験」がないと、なかなか本質的な部分では変わりません。


それを、シゴトのレベルで、達成しようとすると、とても大変です。そういう意味では、新卒採用の場所は、本当にわかりやすく劇的に結果が出るので、なんというかとてもいいチャンスなんですよね。*1


転職して成功する人(経験上90%は失敗している)は、別に「しなくても成功する人」なので、アドバイスのしがいがありません。つまり、そもそもマッチョである程度頑張って人生を生きてきた時間が、、、最低3年〜10年ぐらいないと、マッチョなんてそう簡単になれないし、そもそも社会的な実績として、自分がマッチョ的なモチベーションをもっているという証明ができないので、意味がありません。


そして、そこまでできるやつは、、、、会社を転職しようなんて思わないほど、社内で絶対的に必要とされているはずです。こういう部類の人間は、アドバイスなどという「上から下を見た言い方」ではなくて、いかに同士として同じ戦線で力をふるってもらえるかを考えるべき、対等な相手であるのです。これを逆に言うと、上記のようなマクロ的に自分の「所属する世界」を変えることができるチャンス以外には、チャンスへのエントリーが個別のカスタマイズした対応になるので、もう運とかコネとか才能とか、物凄く個別性に求められて、、、これで成功する人は、もう既に相当マッチョ的な行動力で世間を生きている人なんですよねー。


そうでない人が、たかだか数年ぐらいの努力で、何かが変わると思うのは、甘すぎてありえない、と僕は思います。




□マッチョになるにはITのような成長分野でしかあり得ないのか?




また、責任に見合った権限もないのに、無理矢理責任だけ押しつけられたら、それは「逃げるべき時」です。

全力で転職の準備を始めましょう。



決して、このブログの著者が、僕がいうような短絡的にこの文章を書いているようには思えないが、どうも理解され方、というか普通に受け取ると、「それってそもそも転職市場(=労働の流動性)が凄く制限されている日本社会で、あまり軽々しくいう話ではないんじゃない?という気がする。だって、転職って、日本社会の労働市場だと、非常に高い確率で失敗するので、わざわざウィンプになり下がるようなものだもの。


この、すぐ辞めよう!という発想は、


成長が著しいマーケットでそもそも労働の対価としてプロフェッショナルな生き方を選んでいる場合に成り立つ極端な思考


であって、たとえば、日本の大企業に安住する僕のような人間*2からすると、????って思っていまう。


ちょっと、無理がある生き方なのだ。辞めようという選択肢がない人に、こういう脅迫的な成長動機を見せるのは、少しかわいそうな気がする。つまり、もともとマッチョでない人は、この選択肢は危なすぎて取れないのだ。しかも構造上難しいのは、新卒採用とかエントリーの部分で、ウィンプだったために、そういった「追い込まれる場所」に追い詰められている場合がとても多くて、、、という循環論になるのだ。まぁ、この分裂勘違い君劇場さんは、そういった特定マーケットで成長できるところ戦略的に選んで探せ!といっているので、全く僕のいっていることは同じことなんですが。



というか、「やめる選択肢」というのは過半の日本社会の組織にはなじまない、イノベーティヴな世界での思考形態だと思うのです。いや、もちろん、資本主義社会での「理想」の生き方・働き方が、労働の対価を自らの技術・価値で獲得するという徹底した個人主義的プロフェッショナリズムにあることは、僕も疑いようがない。けど、そもそも現実がそうでない制約条件がマクロ的にたくさんある中で、アメリカの労働市場並みのアソシエーショニズムや徹底した個人主義的プロフェッショナリズムを前提にするのは、うーん??って思ってしまう。少なくとも、まだ早い。・・・もちろん、特定の分野では、すでにグローバルな人材競争はかなり浸潤しているし、そんな甘えたこと言えるのは、甘えた日本のマーケットだからだ!とは思いますがねぇ。たしかに。


一言で何が言いたいかというと、そのような極端な二元論は、特定のセグメント領域でないと、今の時点では高い有効性をもたない、と思うのです。


もちろん、「そこに」いいたいのだ!といわれるでしょうし、そもそもそういった競争主義的な領域でイノベーティヴしないと、グローバルな競争に、国も個人も生き残れないぜ!というのは、誠にもって正しい。正しいのですが・・・・すべては時系列や個別ローカルな構造の事情もあるので、そのへんを考慮しないと、どうしても二元論的な罠に陥ってしまう気が僕はするんだよなー。



□だれを相手に言っているのだろうか?〜セグメントの問題

つまりは、どういった層をターゲットにするか?という議論。僕はいろいろビジネスの話を書いているけれども、普通に日本の大学を出て、普通の企業に勤めるサラリーマンを前提に書いている。それは僕がそういう人だからだ。人間は、「自分が見ている風景と実感」あるところしか、真のところは世界を理解しにくい。特に継続して各ブログや日記のようなものでは、あまり鋭く知的な他者理解がしにくく、地が出てしまうと思うのです。


けれども、一部の外資系の金融や経営者予備軍として戦略系のコンサルに行く人(入社前にもともとMBAを取得しているか・・・)とかや、ITの世界で腕一本で成りあがっていくような、成長市場でかつ特権的にもとから凄いマッチョ!な条件がそろっている世界の話ばかりに聞こえるのだ。もともと、エリート街道を歩む・・・ほっておいても子供の頃からマッチョな思考を歩むべくして歩んで、その果実を実力でもぎ取ってきた人か、、、そうでなければ、あるとき才能と体験で、世界の仕組みに気づいて、戦略的に自分の「学ぶべきプロの技」を絞り込んで習得していき、世の中の階段がないところで、ガンガン上昇していゆくアメリカンドリーム的な天才ITプログラマーのような・・・。


でも、それって日本の平均値から凄くずれる話で、ウィンプ的だとは言えるが、、、、そもそも労働市場が非流動的でプロフェショナリズムになっていないマクロ条件下で、かつレベルの低い日本の詰め込み学校教育のぬるま湯に慣れたウィンプ予備軍の新卒入社組が話を聞いても、「それは・・・・素晴らしい話ですが、僕にはできません、なぜならばウィンプだから」、で終わってしまいそうなんだよなー(苦笑)。


いや、僕は、分裂勘違い君劇場さんに、限りない共感というか、尊敬を抱いているので(笑)、、、あれは、あれで完成していて、変える必要性があるとは思わない。けれども、なんというか、「マッチョになる方法」をもっと考えるときに、僕という普通の日本企業に勤めるサラリーマンの視点からでは、接続が悪いので、もう少しうまく言い換えられないか?とか、説明の順序があるのではないか?もう少し、異なった形の具体例があるのではないか?とか思うのです。


まぁどうせ、僕も結論は、分裂勘違い君劇場さんと同じなんですが、教育すべき部下はITプログラマーでもウルトラ成長分野の市場でもなく、しかも大企業の防壁に守られたヘタレ野郎が多いので。

・・・そういう意味で、日本社会は、ホワイトカラーの生産性が、物凄く低いんだよなー。

*1:(ちなみにニートの議論が難しくなるのは、この新卒採用がかなり景気に左右されるので間口が広がったり狭まったりして、本人の努力ではなかなかどうにもならない理由で、社会の努力できるある程度楽な階段からはじかれる部分があるわけで・・・・、という話)

*2:そもそも僕は、一匹狼的な生き方があまり好きではない。まず大前提で、僕は自分のシゴトの結果のリターンをすべて自分が得たいというような金銭的なよくが凄く少ない(これ重要!)。なので、巨大なリターンに見合ったリスク(危険)を引き受けるのも大嫌い、というヘタレくんです。僕は日本の大企業に勤めているが、こんなにバカみたいに安泰な給料で、これだけハイリスクの何百億の事業を一手に任せてもらえるたなんて…なんてボロイ商売だ!って思います。サラリーマンは。僕はグローバルで勝負するビジネスという戦略のゲームを、リスクがかなり少なく組織の力を使いこなしてやらせてもらえる自分様な立場が、最高にうれしい。官僚的だぁ???バカ言うなよ、官僚的な大組織を使いこなす力があるからこそ、大企業の経営者なんだよ!そんなのやりように決まっているじゃねーか。と思うので、そもそもプロフェショナルで、個人主義で生きるという発想とは少しづれるんですよね。歯車で十分なんだもの。僕は。