『水滸伝1〜曙光の章』 北方謙三著 国を憂う志に満ち満ちた傑作

水滸伝〈1〉 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44) (集英社文庫)水滸伝〈1〉 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44) (集英社文庫)
北方 謙三

集英社 2006-10-18
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凄い凄いと自分の勤める部署で大人気なので、仕方なしに(時間ないんだってば!)手にとった。



・・・・・・やばい・・・・・おもしろすぎるかも・・・・・


水滸伝は小説でも横山光輝大先生の漫画でも読んだことがあるし、大筋知っているから、まーたぶん楽しめないけど、、、話題に持ったいるし話題作りで読んでおくか、、、と読んだのですが・・・。やぶぁいです、これ、物凄い作品かも。また2冊しか読んでいないので、なんともいえないが、集英社文庫版のあとがきの北上次郎氏のあとがきが秀逸で、この作品の本質をいい表わしていると思う。もともと、水滸伝というのは、おのおの独立の説話・・・昔話を集めて編纂したものなので、実は全体のマクロの設計が甘く、意味不明な物語なんですよね。その原典を、これまでの吉川英二とか様々な作家も、物語もずっと踏襲してきた。逆にいえば、全体の設計思想・・・・マスタープランが、ぼやけたままでここのエピソードがあるという欠点を一切修正していないでこれまで世界中に広まっているわけです。


それを、デイティールまで含めてすべて解体して再構成し直して、全体のマスタープランを成し遂げた、ということは、ものすげぇことだぜ・・・。



□塩の道を抑えること〜政府の専売ルートを抑え込むことは経済の大動脈を握ること


1巻だけで、まず僕は恋に落ちた。そのわけは、2点。一つは、これがマクロ(=政治・経済)をちゃんと抑えている物語であるということ。これまでの水滸伝はお伽話だなと僕はバカにしていたのですが、その理由は、経済要因・・・とりわけあれだけの巨大な勢力が軍事力を維持できるということが僕には理解できなかったからだ。だって、銭がないのに、そんなことできるわけがないじゃないですか。梁山泊は、いかにどんなことを云おうともしょせん盗賊集団の犯罪者にすぎないと僕は思っていた。それは経済を抑えていないので、大義が立たないのだ。こういうならずもの盗賊集団は、中国の伝統的な文化で、こんな物は、ふーんそう?という感じだった。


が、この作品は違う。政府の専売である、塩を裏ルートで抑え込む闇交易ルートの確立がまず最初に来るのだ。・・・こんな描写は、これまでの水滸伝では見たことがない。経済の大規模なルートを抑えるということは、もちろんのその背後にある政治的な対立も含めて描かなければならないということになり、政治や思い込みばかりが先行しやすい中国の伝統的な政治オリエンティツドな描写を超克していると思う。これが、この後どう描かれるのか、すげー楽しみだ。



□「志」と対立する「愛する女」という対立項〜男性から見たただ一人の女というロマンティシズム(=幻想)


水滸伝を、深いところで支えるものは「憂国の情」だ。国家を憂うという時には、何度も言うのですが、1)体制内改革と2)革命という二つの対立する軸があって、2)を選ぶということは一度すべてを破壊するというウルトラ荒療治になるわけで、これを選択するには、いまいる人びちの普通の暮らしをめちゃくちゃに破壊して、現在生きている人を皆殺しにするくらいに破壊願望がないとできないものなんです。1巻ではそのどちらが・・・という選択はまだ強烈になっていないが、宋の腐敗した時代に、遼などの外国の侵略軍に悩まされる末期的な世紀末状況の中で、人々が、「真に正しい正義とは何か?」と、国を、民を、憂う気持ちが深まることによって生まれていった集団が、この梁山泊軍です。


こうした人々は、「志」持つ・・・・


生きる目的とは何か?


公にとって自分はどんな価値があるか?


ということ痛切に深く考え込む人種なんです。この物語は、北方らしく、こうした志を強烈に持った熱い漢たちのハードボイルドな物語です。



さて、もちろん僕は「志」や熱い情熱を持った漢は大好きです・・・・


が、こういった人種は、日常を生きる人からすると、無駄に人生を深く考えすぎて、しかも目の前の家族や日常の幸せを大事にしない困った人種でもあるんですよね。

はっきりいって、



「志」なんて非日常ワードを連発するやつなんて、ほんとうざいですよね!!(笑)



ようは、お前、日常をちゃんと生きられなくて息が詰まるからどこか非日常に逃げ出したいだけなんだろう?って突っ込みたくなりますよね。



この梁山泊軍は、もう全員そういうのの塊みたいな人種なんです(笑)。うざいっすねー!(苦笑)



そして、、、、ここが僕は素晴らしい対置だなと思ったですが、実はこの作品で、女の位地は男の従属物のものみたいな扱いばかり受けているんですが、、、って、ハードボイルドで漢を描くものはほとんどそうです。ただ、SEXのための道具みたいな扱いを受けている、、、、しかしですね、そういう扱いをしておきながら、途中で、無茶苦茶思い込んでその女を愛してしまって、志を忘れちゃうんですよね(笑)。もうそっちの方が大事なるの。2巻ぐらいで、もうそのエピソードのオンパレード(笑)。ほとんど、みんな気が狂うほどに一人の女に入れ上げるケースが多い。



これは、北方謙三氏が、非日常(=世直し、志)と対置させる形で、日常の幸せな生活(=愛する女のためだけに生きるロマンティシズム)を対置させているから起きるエピソードなんだと思います。



ちなみに、ハードボイルド系の女性の描き方はこの辺が限界だなーと思うのは、男女の愛を描いているようであって、これはまったくすべてが男性側の一方的な思い込みによる愛情というロマンティシズムで、いってみれば、オンリーワンフォーエバー症候群の男性側の幻想みたいなものです。とはいえ、そういう限界はあるものの、、、、というか、愛情いつでもお互いの側からのナルシスティックなロマンティシズム(=幻想)でしかあり得ませんので、まーそれはいいとして、それでも、描くキャラクターが片っ端から、女に狂う描写は、何が言いたいかといううと、、、、志に生きるということは、ある意味、


本当に大切なものから逃げている行為でもあり、そのことの意味をお前らはわかっているか?ということを作者側が痛切に問いかけ続けている


ということでもあるんですね。基本的に志の非日常に生きるか、愛情の日常に生きるかという二元的対立は、そのまんまズレて革命家、体制内改革かという問いにも直結するので、この問いは、僕はとても素晴らしいと思うのです、。





ちなみに、どんな物語か?と聞かれたら、ハードボイルドな感じの銀河英雄伝説、とでも答えておくと、いい感じだと僕は思う。