『大東亜戦争の実相』 瀬島龍三著 大本営参謀にして伊藤忠商事会長の戦争回顧録〜現代日本に必要なのは何か?

大東亜戦争の実相 (PHP文庫)大東亜戦争の実相 (PHP文庫)
瀬島 龍三

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不毛地帯 (1) (新潮文庫)不毛地帯 (1) (新潮文庫)
山崎 豊子

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評価:★★★★星4
(僕的主観:★★★★星4つ)

ある国家や民族、組織を観察する時に、まず見なければいけない観察ポイントとしては、「その国で最高のエリートとされている姿は何か?」そして「それは具体的にどういう人か?どんな人生を送ったか?」という部分があると僕は思っています。それは、マクロの理想と限界が、激しく輝く結節点になるからです。では、私たちが住み日本で、真のエリートとはどういう存在でしょうか?。戦後は、ある種のイデオロギー的な形で平等主義が言論を覆ったので、なかなか「これ」というものは見出せません。けれども、戦前ははっきりとした、貴族制度が生きていたので、「これだ!」というものがあります。


この著者である瀬島龍三さんは、戦前後日本エリートを語る上で、興味深い対象です。


戦前のスーパーエリート(陸軍大学校51期首席卒)*1として教育を受け、帝国大本営作戦課で大東亜戦争を企画立案し、戦後ジャパンマネーの尖兵大商社伊藤忠商事の会長に登りつめ、中曽根政権など行政の光と闇に深く関与した人物。


山崎豊子さんの『不毛地帯壱岐正のモデルとされ、美化された瀬島伝説そして、同時に保坂正康『瀬島龍三−昭和の参謀史』等に代表される責任を取らない参謀という二面性のある評価。 ちなみに理想に燃える素晴らしい身悶えするようなかっこいい日本人を描く山崎豊子さんの小説と、その暗部をえぐった保坂正康さんの下記の作品は、同時に読むことをお勧めします。僕は、なるべく価値観の極にあるモノを同時に読もうとすることで事実を見極めようとする癖があるので、このスタイルの読み方は気に入っています。

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)
保阪 正康

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彼は、評価が強烈に分かれます。そして、そここそが近代日本の制度的問題点や日本的エリートの問題点を凝縮した人物だと思う。高級参謀出身の辻政信や服部卓四郎よりも長生きした分だけ、その生き様が、彼の哲学や叩き込まれた日本的エリートの思想を脈々と体現している。



その彼のハーバード大学での講演です。印象は戦前のよく整理された教科書という印象を受けました。



主張する点は、大きく二つ。


1)一つは、当時の地政学的状況から日本の大陸政策・対米戦争は、受動的なもので自存自衛のものであるという東京裁判への反論。




2)もう一つは明治憲法下での統帥権と行政権の並立的な国家運営能力の欠如です。


主張するところは、理解できます。日本のWW2での戦争の正当性と明治憲法の制度的欠点をあげつらうなら、究極そこでしょう。論理的には、僕も通る話だとは思います。侵略は悪い云々は、時代性を無視した議論で、そういうことは考慮になりません。当時の外部環境の制約から何が問題だったか、を話さなければ議論の意味はないと思うからです。・・・が、しかし自衛戦争という定義はさておき、日本の国家制度的な欠陥(当時から軍人もエリートもみんな認識していた)を「国民及びエリートたちが、自らの手で修正できなかった」という反省点がない部分は、腑に落ちませんでした。制度だから仕方がありませんでした、は甘いといわざるをえないと感じます。

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)
山本 七平

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ここで山本七平さんの『裕仁天皇から見た昭和史』を読んで思ったのは、昭和天皇が自らを「明治大帝が定めた五箇条のご誓文と明治憲法に従う立憲君主」として位置づけている点についてです。 昭和天皇の自己像ですね。ちなみに、上記の本は、昭和天皇自身が、自分をどのような存在として認識していたか?ということを、その教育課程から読み解いた本で、非常にわかりやすく、なるほど自己認識をそうとらえていたのか!と明快でうなりました。維新では、五箇条のご誓文とそれに続く明治憲法で、皇室の日本統治大権を、憲法より下位に位置づけています。国家運営上のキープレイヤーである天皇が美濃部学説による「天皇機関説」を徹頭徹尾貫徹しようとしたとするならば、行政権と統帥権の並立は、しょせん運用上の問題点に過ぎなくなります。ましてや予算権は、政府にあるのですから。



こう考えると軍部大本営や政権ににいた人間たちの欺瞞が見えてきます。僕は、明治憲法上には、少なくとも制度的な欠陥があったとは思えません。明確に「輔弼」という概念があり、かつ天皇統治権憲法の「下」に位置付けているのですから。



つまりは、明治憲法の制度的問題点を利用して、当時の民意(信じられない農村の貧困状態の解決)を背景にした全体主義的・社会主義的独裁的施策をとるための方便だと考えるべきでしょう。もともと天皇制の現人神のシステムと伝統を、近代化に利用したという背景があるので、この背後にある本来は重要な運用の妙が、振る舞いとして伝統化されなかったのでしょう。だから「指揮権の迷走」という子供でもわかるような、近代組織とは思えないような混乱が起きたんでしょうね。でも、それは、やはり近代国家としての練度が足りなかったいうしかないだろう。ちなみに、指揮権の統合化の重要性は、戦争に慣れて、戦争が日常化している民族や国家ほど、とても慣れていてうまい。いいかえると、歴史上最も激しく殺し合いを長く続けてきたヨーロッパが、やはり分断された権力を「一つにまとめ上げないと」殺されるということを、身に染みて分かっていることと、自治の伝統があるんでしょうねぇ…。

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話がそれました。なぜ、戦前の軍部や政府が、天皇制のシステムを利用して、憲法の制度的欠点を運用上から付くような真似をしたのでしょうか?。繰り返すと、それはやはり、ドイツやイタリアなど旧アクシズなど「遅れてきた近代化」メンバーの切実なる抵抗と暴発だったといえるんでしょう。出方は違いますが、基本的に連合国も旧アクシズも時代背景の貧困と近代化の限界点は一緒ですもの。


ただ、持っているリソース(=とりわけ植民地と資本の蓄積ね)が違ったので壊れ方が違ったのでしょう。


その壊れ方に逆らって、当時のファシズム共産主義には、資本主義により抑圧されて貧困に喘いでいた人々を解放し、貧困から救うという「大義」がありました。もちろん、これはフィクションであったことは既に歴史が証明していますが、マッカーサー米国占領軍による独裁的社会改良計画(ニューディーラーたちによる)が、非常に社会主義的色彩を帯び、その大成功が戦後日本の経済発展の基礎になっていることを考えると、必ずしも全体主義的独裁(=憲法停止・御親政)が悪かったかどうかは、不明です。ただ、軍部及び政治家・革新官僚には、そういった北一輝的な日本列島改造計画的な政策意識があったと思われます。


もちろんそれは、明白な憲法違反ですがそれを言わないと、ちょっとズルイなと思ってしまいます。というのは、天皇という統治シンボルの隠れ蓑に、自分が責任を取らない行為ですから。ようは、公正命題に、指揮権を、輔弼者が握るんだ!ということを表立って叫んで、周りがそれに従うという伝統が日本にはないんですねぇ。ある種の「空気」・・・天皇制度という現実神の宗教性を利用した、空白の統合地帯を作り出すことで、どうもかなり分裂意識の激しい独立心の強い戦闘的な民族の日本人をまとめ上げているという(下克上の時代や一揆の背景を見ていると、どうも物凄くまとまりにくい民族のようですね、日本人は・・・)、、、なんというか、とっても無理している伝統(笑)があるので、どうしてもその部分が、祭政一致的な原始的な部分を残してしまい、近代的な制度との接続が甘いんでしょうねぇ。・・・・日本は、基本的に徳川政権か時代に、とっても平和だったので、内乱や外政を何度も繰り返して、殺し合い送り返すような荒廃を経験しなかったから(フランス・大陸国とイギリス・島国の百年戦争みたいにね)そのへんを、合理化していって、より練度を上げるのが下手だったんでしょう。でもまー日本も朝鮮も琉球も、、、中華帝国のバランスオブネットワークのなかで、長い太平の平和を満喫した(まぁ暗い固定化された身分制度でもあるんですが・・・)わけで、それが悪かったといっても、、、難しいことだよなぁ。ほんと、世界って難しいです。



ちなみに日本のエリートには、ウルトラ学校秀才の瀬島や辻のような責任を取らない参謀ばかりで、全ての責任をにとる将軍や元首というトップエリートがいない(今でも見ない)ことがこの国の欠点なのかもしれないと思いました。よく世界のジョークでは、将軍はなんといってもオレ様が世界中心のアメリカ人(笑)で、現場前線指揮官の下級士官は、日本人が最適といわれます。そのジョークとも符合しますね。このへんの世界のジョーク集をうまくコミカライズしたのが書きで、僕は気に入っています。超面白いです。

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ちなみに、やはり結論としては、瀬島龍三さんのような天才的な調整能力を持った参謀を、使いこなせるトップ・リーダーを制度的に作り出すことこそが、日本社会の目標なのでは?と思う今日この頃です。そして、やはりどうしても近代化の練れていない部分だと思うのですが、制度的に「統合機能を作り出す」こと、「指揮権の統合化」ということに対する態度・・・・いいかえれば、「指揮権の統合化」はある種の独裁の危険性があるわけで、これに「歯止めをかける」制度的安定性が必要です。イギリスは、独裁者的なリーダーを嫌い、またある種の限定的独債券を許しても制度的にそれをつぶすように、「貴族主義」を残しました。アメリカは、貴族にも似た強大な「党」を作り出して、また長期間の選挙制度で、独裁指揮権を有する「国王」である大統領の人格を徹底的に民衆に暴かせるという風に、リーダーの幻想を打ち破るシステムを作り出しました。日本も、そういうことを考えないと、いつまでも同じような失敗を繰り返してしまうよなーと思いました。これって、ローマの独裁官(ディクタトール)の伝統そのままですよね。

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*1:ちなみに、当時の海軍大学、陸軍大学は、東京帝国大学にも並ぶというか超えるほどの最高峰のエリート養成機関。そもそも大学に進学する率が数パーセントの時代のエリート高というのは、平等化して大衆化した現代の大学機関を見慣れている我々からじゃ創造もつかない意味合いうがあったと、僕は思うなぁ。