『さゆり』 ロブ・マーシャル監督 

SAYURI プレミアム・エディション [DVD]

評価:★★★星3つ
(僕的主観:★★★星3つ)


■描かれる側から見る被撮影文化

ハリウッド映画を、「描かれる側」から見ると、どうしても鼻につく部分があるので、評価は悪くも良くもいえよう。が、個人的には平均点の作品であった。日本文化の描写としては、ひたすら「欧米から見たオリエンタリズムの日本」以外のなにものでもなく、『ラストサムライ』のようなリスペクトもあまり感じなかった。ひたすら、欧米社会から見える日本という異次元ファンタジーの世界を描いたという描写に留まった。ただ、けっしてマイナスではないので、嫌いではない。

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具体的にいうと、最初の千代の住んでいる漁村の森の景色なんか、もうはっきりいってハリーポッター(笑)にしか見えない。そんな場所日本にねーよ。と、いきなり突っ込みたくなる。ラストサムライの富士山や皇居もかなりデフォルメされていたが、あれはあれで、まだ残っている絵や写真を基にしているのでまだ、なんとなく苦笑で済んだが、、、、いやハリーポッターはねーだろー?(笑)。あんな断崖絶壁に、家は、魔法使いでもなければ建てられません(笑)。

庭園や桜、室内の印象も、ひたすら欧米人が心の中で理想化したファンタジーの風景にしか見えない。ただし、それはそれで完成されたある種の美であり、日本の美が、欧米的な視点とハリウッド的な普遍(大衆主義という意味でね)の視点から再構築されて、世界にわかりやすい形で提示されるモノなので、安易に否定しようとは思わない。こういうのを、ジャパネスク様式とでも呼ぶのだろう。 しかし、このジャパネスク様式の美しさは、逆に言うと、日本の様式化した歌舞伎とか型にはまった視点からは、演出し得ない素晴らしさを演出しているといえるかもしれない。そういう意味では、『シカゴ』のロブ・マーシャル監督のような、空間演出に長けた監督に日本を描いてもらえたのは、運が良かった気もする。確かに、美しいのだから。たとえ誤解でも、極端な偏見にならないものならば、世界に発信された方がいいのかもしれない、と思う。


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■千代=さゆりの成長物語


ハリウッドらしく、千代=さゆりの成長物語として読めるが、そうした自己実現の側面が強く出て、日本やアジア社会の持つ性的な部分での深みや陰影は、ほとんど描かれていな気がする。妙に清々しく健康的なのだ。そういう意味では、アメリカらしい映画だ。谷崎潤一郎などが描いた、陰影の中に見え隠れする日本社会独得の性のあり方や隠微な夜の世界の微妙な揺らぎは、ほとんど描けていない。ゲイシャというのは、貧しくて世に出られなかった少女が世に出るための、野心の手段として描かれている気がする。だから、自己を鍛えるための試練ばかりで(笑)、なんだか芸者の苦しい側面ばかり追っており(苦しい側面をクローズアップすれば、自己の強さ成長が引き立つからだ)華やかな芸者文化の側面は、控えめになっている。また見事なツィィーの意志の力と演技力が、さらにその傾向に拍車をかけている。



はっきりいって、この映画、なんら日本を描いていない(笑)。



チャン・ツィィー(あとコンリー)の意志の力と演技力を描いたものだ。
(微妙に、桃井かおりの存在感は、すごかったが!)



ちなみに前半40分ちかく主人公は、子役の大後寿々花が、主役だが、すごい可憐で演技力もなかなかであった。いい役者を選んだなーと思う。なんだか『ヒマラヤ杉に振る雪』の鈴木杏を思い出す。ただ彼女より、完璧に主人公という形で出ているので、すごいねぇ。

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さゆり〈上〉 (文春文庫)
さゆり〈上〉 (文春文庫)



アメリカ社会は道徳的に妾などありえない

そもそも夫婦や男女関係に、カソリック的なオンリーワンの思想・道徳がある社会だけに、本当は、渡辺謙の会長役のように妻もいるのに、さゆりも愛しているなんていうことは、本来ならば米国では絶対許容されまい。これは、どの程度米国では見られているのだろうか?。批判の嵐が巻き起こらないのが、不思議だ。個人的には、アジア社会・・・・日本や中国ってのは、なんでこう二号さんや妾が多いのだろうか?と不思議になる。まぁイエの存続と、そのための後継者作りなんだろうけどねぇ。カソリックが好きなわけではないが、やっぱり正妻の後ろでいいという女性の感覚もよく理解できないし、男性のそこまで好きな相手を日陰のみにおいておく弱さも理解できないなぁ。まぁ、こういう発想は、オンリーユーフォーエバー症候群に毒されているとは思うんだけれども。。。


渡辺謙とのベットシーンは?、それは本当に中国の国辱か?


それと、中国でチャン・ツィィーが日本人の渡辺謙の性的おもちゃにされるのが許せない国辱だ!という意見が盛り上がったそうだが、中国もへんなことをいう。そもそも日本を世界に紹介する映画の主役に、日本人がなれないこと自体、日本人の役者の国際的レベルの低さと、中国人俳優のレベルの高さを表わしていて、本来な国辱なのは、日本のほうなのだ。日本人は、そういうナショナルな盛り上がりにいまは欠けるので、そういう風な捉え方はしないようだけど、そもそも、ロブマーシャルやスピルバーグに、日本文化の粋を描く作品で、なんで日本人女優を使わないのか!という怒りをぶつけた人はいなかったのだろうか?。まぁ、声をかけたけど、英語力に自信がなくて来なかったそうだが。ただ、この映画には、渡辺謙とのベットシーンはなかったので、カットされたか写真のみの公開だったと考えられる。このへんは、どうなんだろうか?。