千雨のこと

魔法先生ネギま!(11) (講談社コミックス)

 問題はいったいいつ彼女がこんなに成長したのかわからないこと(笑)。ネギは膨大な試練を乗り越えながら少しずつ成長しているわけだし、明日菜とか夕映とかのどか亜子もさまざまな試練をかいくぐって成長している。でも、千雨にはこれといった成長エピソードがないと思うんですよね。

 それなのに、いつのまにか、こう、かっこよく仁王立ちして「一人じゃねぇから仲間ってんだ だよな? ネギ先生」とか、名台詞を吐けるキャラクターにまで成長している。こいつはいったいいつここまで成長したんだ?ということが非常に疑問なんですよね。もともとはただの口だけ達者なコスプレ少女だったはずなのに。

 で、昨日そこらへんのことについて話をしたんだけれど、ぼくの結論としては、やっぱりネギが彼女の力を引き出しているんじゃないかと。

 ひとには相性というものがありまして、たとえばナギのパーティに千雨がいたとしても彼女は力量を発揮できなかったと思うんですよ。どこまでも無邪気に千雨を信じて彼女をたよりにするネギがトップだからこそ、彼女は成長できた。

 というか、たぶんネギが「千雨さんはすごい」という目で見つづけているから本当にすごい人にならざるをえなかったのではないか。嘘も突き通せば本当になる」というやつで、彼女はネギの憧れの「千雨さん」を演じるうちにいつのまにか本当にそれだけの能力を手に入れていた、と。


Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100402/p1


ああ、この「相性」って、凄くいい言葉だな、と思います。人間関係には、たしかに相性がある気がします。そんでもって、千雨が成長した理由って、まさに海燕さんがいっている通りだと思う。

もともと頭は良くて、物事とも良く「見える」んだと思うんですよ、彼女は。こういう現実に踏み出すのは臆病でこわがりだけど、物凄く「物事を透徹して見れる」人ってのは、時々いるものです。自分でも思い出すけれども、中学から高校の頃の自分は、そんな感じだった。異様に本を読んで、いろいろ考えているんだけど、実体験が決定的に不足しているって感じ。ただ、なかなか難しいのは、決して世界は行動しなければくぁらないというわけではなくて、思考だけでも十分に世界の深さや複雑さはわかるものなのです。こういう人って、基本的に、基本のデフオルトととして、「行動する」よりも「考える人」なんですよね。それで、自己完結しちゃう。僕も自分のことは、行動よりも考える人という自己イメージがあります・・・・。こういう人間に不足しているのは、実は「実体験」ではなくて、「世界をちゃんと実感できる」「意味あるものとして感じることのできる」ことにすぎないんですよね。つまり自己完結しがちな思考に、他者を挿入できるかどうかってこと。それが彼女にとっては、ネギの「尊敬の視線」だったというわけだ。僕の中では、もう千雨は、完璧にきみまるさんの「ねぎまる」が背景になっているので(笑)、それを考えると、彼女がこうなっていくのはとてもわかるんだけれども、、、、でもたとえその過去がなくても、自己のナルシシズムが肥大化した彼女が、自分に向けられる「尊敬の視線」が、むしろよっぽど自分より苦しんで世界に立ち向かっている姿を見て、そのまなざしにフィードバックされているんですよね。過去のエピソードを読むと、世界を斜に構えてみている彼女が、ネギが「真剣に世界に対して戦っているいる」その真剣さに、衝撃を受けること、、、翻れば「真剣に生きていない自分を内省させる」というものばかりですよね。だから彼女が成長するのは、とてもよくわかる。これは相性なんですね。マッチポンプになっている。ネギは、逆にかなり行動や情動が支配している人なので、千雨ほど「数歩ひいて、物事を透徹して見れない」から彼女の意見を尊重しているんですよね。