『クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)』2020 Scott Frank監督 その閉じられた世界からの解放~三月のライオンと比べたいです

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客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


2020-1124【物語三昧 :Vol.81】『クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)』その閉じられた世界からの解放~三月のライオンと読み比べたい-89

本日は、2020年11月23日。最近、ぬまがさワタリさんという方のTwiiterで紹介されていると、おおっと共感して見てしまうことが多い。ネットフリックスの『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』(Behind the Curve)2018』も思わず見てしまった。この人の持つ文脈感が、気にいっています。ちなみに、この人を見つけたのは、ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)関係の映画を紹介していて、それが素晴らしい網羅だったので、それ以来に留めるようになりました。2020年10月23に、ネットフリックスで全話リリースされています。

それ以外にはいくつかの理由があって、アメリカのドラマだと長すぎて終わっていないものは、よほどのことがないと躊躇してしまうのですが、これは、7話という短いシリーズで完結していること。もう一つは、これを見た友人が、まるで『3月のライオン』のようだったと語ったことです。一言で言えば、チェスの天才少女エリザベス・”ベス”・ハーモンが、世界の頂点へ向かって駆け上っていく話です。典型的な成長物語でビルドゥングスロマン。年若いしかも「女」(これは1960年代のお話しの上に、男がメインといわれた当時のチェスの世界)が、ばったばったと自信かの男性をなぎ倒していくというのがすぐ想像され、痛快な物語であるのはすぐ想像できます。けれども、同時に、彼女は孤児院の出身で、彼女が「チェス以外の方法で自分の人生を生き残る」ことができなかったであろうことは、想像に難くありません。これは、なんだか見るべき物語!という匂いがしたのです。ちなみに、ポスターやトレイラーを見ると、アニャ・テイラー=ジョイの、この目の大きな女性が、とびっきりな存在感を放っており、また1950-1960年代の衣装、意匠、風俗を感じさせるスタイリッシュな映像も、とても引き込まれます。ちなみに、これは、ポール・ニューマンの映画「ハスラー」の原作作家ウォルター・テヴィスの1983年の小説の映像化です。


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■この苦しい世界から世界にのし上がるビルウングスロマン~三月のライオンとの比較を

一気に数日で全話見た。止められなかった。まさに羽海野チカさんの『三月のライオン』のチェス版という感じで、これを比較した人は慧眼だと唸ります。簡単に成長物語=ビルドゥングスロマンと書いたのですが、事はそう単純じゃない。なんというか僕の中で最もさわやかなビルドゥングスロマンというのは、例えば『ダイの大冒険』のような作品で、そこに陰はない。全くないとは言えないが、成長するにあたって、桐山零やベス・ハーモンは、少なくとも将棋かチェスかの違いはあるにせよ、「生き残るために選択肢がない」状態で、自分が選択肢を考えられるほどの余裕も能力もない幼少期から「それ以外の道を選ぶことは死につながる」ような究極の視野狭窄の中から、偶然運よく才能があったため、わき目もふらずその世界を駆け上ることになる。それは、「成長ではある」にしても、「自ら選んだこと」でもなければ、楽しくてやっているということでもない。ただ、「生き残るため」には選択肢がなかったというだけ。ベスや零くんのような「選択肢がなかった子供たち」が、その後、どのように人生を追いつめられていくか、どのように彼らは「自分自身」を取り戻すのか?は、ぜひとも両方とも大傑作なので、比較して見ていただけると、このテーマやモチーフの深さが感じられていいと思います。

ほかには、『ストレイト・アウタ・コンプトン』(Straight Outta Compton)2015、ギャングスタ・ラップ(Gangsta rap)の伝説のグループ、N.W.A.(Niggaz Wit Attitudes)の映画ですが、このコンプトンというのが全米一治安が悪く殺人発生率が高いといわれるような過酷な場所で(ちなみに、筆者ペトロニウスは、このそばに住んでいました(笑))、ここから「抜け出すこと」の意味は、全く同じだろうと思います。アフリカンアメリカンが、「ここ(=最貧困のループになってしまっているゲットー)から抜け出すには、ほとんどの場合、天才的な才能でバスケやテニスのスタープレイヤーかラップのミュージシャンになることぐらいしか思いつきません(言い換えれば、不可能、という意味です)。これも同じテーマですね。ちなみに、この映画の主人公の一人イージー・Eや、セリーナ・ウィリアムス(テニスプレイヤー)も子供の頃ここで暮らしていました。何を考えてほしいのかといえば、「そもそも生きていることが不思議なくらい」の「貧困や苦しみの連鎖」の中で、当然家庭とかコミュニティは崩壊しているわけで、何一つ希望がない世界なんです。そこでは、どうやって今日を生き延びるの?ということしかテーマになりません。そんなふうに人生が制限されたら、一体どうなるのか?というイメージをもって物語を見てほしいのです。この飢餓感、絶望感、未来を考えることなんか不可能な余裕のなさ、、、そうした切迫感が、生涯消えることなく、彼を、彼女を駆動し続ける子供時代なのです。ベスには、ほんとうに、「それ」以外の生きるための手がかりがなかったのです。


このテーマで重要なのは、「この貧困と苦しみに囲まれた閉じた世界からどうやって脱出するか?」なんです。


それは、チェスの才能により、勝って勝って勝って!!!!


でもそれでも「そこ」から解放され抜け出ることができないんです。物理的には、裕福になった。選択肢も増えた。でも、彼の、彼女の心が、「失われた子供時代」が解決されない限り、ずっと苦しみ続けるのです。だから、ベスは、ずっと薬物と酒の中毒で、依存して生きています。


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3月のライオン 1 (ジェッツコミックス)


この「生き残るためには選択肢がない状態で決断を迫られる」というのが、2010年ぐらいから続く現代(2020年代)の特徴のように僕は思っています。僕がカバーしたいと思っているアメリカと日本のエンターテイメントでは、たとえば『7SEEDS』(2001-2017)、『鬼滅の刃』(2016-2020)『約束のネバーランド』(2016-2020)、『ハンドレッド The 100』(2014-2020)、『ハンガー・ゲーム The Hunger Games』(2012年映画スタート・小説初版は2008年)、あとは、Lois Lowryのディストピア小説『The Giver』(1993)を映画化した『ギヴァー 記憶を注ぐ者』(2014年)などが、さっと思い浮かぶ作品群です。ちなみに、1990年代から2000年代までは、たくさんある選択という幻想からどのように自らを選び取る決断を為すかという問いかけが大前提にあったので、ハーレムモノ(沢山の女の子がマーケティング的に用意される=けれども本物が何かわからなくなる)や、幻想のディストピアからの脱出という『マトリックスThe Matrix)』(1999)などなどが思い浮かびます。

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このあたりの物語を読む上での大きな文脈感は、僕等の毎月のyoutube放送のアズキアライアカデミアというチャンネルで話しています。物語を読む上での鳥観図、最新の文脈はどうなるのか?などを議論しているところで、セカイ系に対するぼくらの用語で「新世界系」のという考え方によります。まぁこの辺りは、我々の勝手な思い込み(笑)のジャーゴンなので、興味ある人がいれば、過去の記事やチャンネルを検索してみてください。単純に、「その物語単体」を読むだけでなく、背後にある「時代の空気を共有する問題意識」のレイヤーや、逆に、時代を超えてさらに多くクリエイターたちが共有している文脈のレイヤーなどを、ああでもないこうでもないと考えながら見ると、物語が、より深く楽しめるようになると僕は思っています。ちなみに、各時代の文脈ごとに既刊7巻で本も出しています。

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■時代と土地のイメージをもって物語を見よう!~ベスの生まれが南部であるケンタッキーであるところに注目してみよう!

原作者は、カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、ケンタッキー州マディソン郡で11歳から育ち、大学もケンタッキー大学で、死後埋葬されたところもケンタッキー州です。いろんな情報がある中でなぜここに注目しているかといえば、もちろんのこと、主人公のベスが、ここで生まれて、ここの孤児院で育ったからです。アパラチア山脈の西側に位置し、「ブルーグラス・ステート」と呼ばれる穏やかな牧草地帯が広がる土地です。僕はよくするのですが、ぜひとも物語の中に出てくる場所をグーグルマップで検索して、映像や写真を見て、主人公たちがどこに住んで、どこからどこへ移動しているのかを見ながら見ると、より具体的にイメージができていいと僕は思います。


アメリカの南部や中西部などハートランドは、日本人の感覚では、ほとんど明確なイメージを持っている人は稀だと思います。我々、日本人は、圧倒的に、サンフランシスコやニューヨークなどの海岸の大都市部の、政治的に言えば、真っ青なブルーステイツ(民主党支持のリベラルで多様なアメリカ)が思い浮かび、このアメリカのコア中のコアの部分は、なじみが凄い薄いのです。もちろん人によりますが、少なくとも、アメリカに住むまでのペトロニウスは、イメージでしか知りませんでしたし、住んで何年もして、英語がわかってきて、知り合いも増えてきて、何度も旅行して、あれ、あの辺は、同じアメリカでも、全然違う異世界みたいな土地だぞ、というのがうっすらわかってきました(笑)。今回それが明確に言葉で意識できたのは、2020年のアメリカの選挙の分裂をずっと追っていたが故です。お暇があれば、下記の記事もおすすめです。

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『クイーンズ・ギャンビット』は、ペトロニウスには説明できないのですが(笑)、意匠が大事な映像です。彼女が来ている服が、格子柄が多かったりするのは、チェスの版を意識ている感じがしますし、さまざまな1950-60年代の空間演出が光ります。このあたりは、僕の知見ではさっぱりなので、いろいろ検索してもらえれば、より深く楽しめるはずです。


僕が気づいた重要な視点は、ベスが、ケンタッキーの生まれ育ちであることだと思います。


というのは、南部が、とんでもない田舎で、保守的で、物凄い古い伝統や慣習、因習で雁字搦めの世界であるということを理解してみないと、さまざまな物事の意味合いの深さが、分からないからです。彼女、そしてたぶん彼女の母親が直面したであろう男社会の壁や、頑迷で保守的な社会は、いまのわれわれの想像を絶する上に、さらに言えば1950-60年代まだまだ50年代の順応主義(コンフォーミズム)というアメリカの中でも、更に保守的でかつモラルが激しく生きていた時代の匂いが、濃厚に香ります。この「因習的な感覚の匂い」を、言葉だけで理解しないでほしいのです。映像、雰囲気、味、匂い様々な「体感感覚」が複合的に思い浮かばないと、「この意味の深さ」がまるで分らなかったりします。僕も住んでいるわけではない、にわかのなんちゃってですが・・・それでも、たとえばジェニファー・ローレンス主演の『ウィンターズ・ボーン(Winter's Bone) 2010』やMartin McDonagh監督の『Three Billboards Outside Ebbing, MissouriTaylor』、Taylor Sheridan監督の『ウインド・リバーWind River 2017』ヒルビリー、レッドネック、プアホワイト、ホワイトトラッシュ、このあたりの言葉で情景が思い浮かんで、あの感覚が共有できないと、彼女が住んでいた世界の深みは理解しきれていないと思います。映像で見ているので、そもそもあそこ暑いよね?とかの感覚も想像しながらでないと、なかなか深く感じれません。いや、物語なんで、そんなに重曹的にわかる必要はないのですが(笑)、それがわかればわかるほど、彼女が置かれている環境の鋭さがわかり、彼女が何に打ち勝っていくのかが、その凄みがわかると思うのです。

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ジョリーン(モーゼス・イングラム)が後に、彼女の住んでいたトレイラーハウスを見て、「あんたまじでホワイトトラッシュガールなんだ」としみじみ黒人の孤児の彼女に言われるくらいですから、どんだけ酷かったかがわかります。また、彼女を導いてくれるチェスのUSチャンピオンのベニー(トーマス・ブロディ=サングスター)が、自由な象徴のようなニューヨークに住んでいることも、ちょっと考えちゃうところ(なのに半地下の薄暗いところに住んでいるところも、なんだか象徴的)。また、この作品は、フェミニズム的な、男社会の中で、少女がガラスの天井を打ち破っていく物語になるんですが、僕は「それでもなお」だいぶ、いい男たちと出会っていると思います。よく見えるのは、たぶん、彼らも彼らで、「自分の世界から自由になれない」という感じが、凄くするからだと僕は思います。この男たちは、南部の保守的な土壌の中で生きている「大前提」があるので、彼女の器、才能の大きさを、まったく支えきれないんですね。なので、どうしても、結婚してめでたしめでたしみたいなよくあるルートにならない。そんなことは、不可能なことに感じてしまう。そもそも結婚などのシステムが、女性にとってまともに幸せに直結していないのは、ベスの実の母親や義母を見れば明白ですしね。最後の最後で、彼女に出会った男たちが、集まって(笑)、彼女のサポートする。町山智浩さんは「ドラゴンボールの元気球」(笑)と評していましたが、このシーンは、しびれたんですが・・・なんで、男社会の中で、少女のベスに打ち負かされて男のマッチョな尊厳をずたずたにされた野郎どもが、彼女を助けたいと思うのかは、、、、最初は、マンスプレイニングだと思うのですが、長く付き合って、それでも「そう」思うのは、僕は、やはり、彼女が男女の二項対立で見ていない、才能だけで、この世界の「閉じられたしがらみ」をけなげに戦う、、自分たちの同士だって感じるからじゃないのか、と思うんですよ。南部の保守的な田舎に住んでいたら、彼女を支えるだけのことはできない、、、でも、そばで見ていたり、何かあった時に駆けつけるぐらいはできるじゃないですか。これって、「閉じられた世界」で生きざるを得ない、「選択肢を奪われたもの同士」には、絆が生まれるっていう、僕等がずっと話してきた時代の文脈感とつながると思うのです。

それと、僕はこの話を見るときに、映画『アメリア(Amelia)』を思い出しました。アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart)のお話。1927年のチャールズ・リンドバーグに続き、女性ではじめて大西洋単独横断飛行をした人です。この映画では、アメリアのパートナーは、彼女の才能を支えるにふさわしい素晴らしい男性でした。でも癒しがないって(笑)、もう一人違う人も愛しちゃうんですね。二人に男を手玉に取る。しかし、あまりにアメリアの器がでかいので、それは全然ありだなーと納得してしまう。これはとても興味深かった。ようは器の問題なのか、と思ったからですね。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ(Battle of the Sexes)』2017、などもおすすめです。キング夫人で有名なビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)という天才女子テニスプレイヤーと男性テニス選手ボビー・リッグスの間で行われた試合のお話です。彼女はレズビアンで有名ですが、結局、男とか女とか、おおざっぱな属性でくくっていると「その人自身」や「その人自身の持つ器や才能」という個別性が全然見えてこない。物語を見るときには、「その人自身」がどういう人だったか、もちろん、その他のモブになる人たちも、その人自身はどうだったの?という繊細さをもって見つめたいものです。

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男性でも、女性でも、性別に関係なく、僕は「自己」を「自己」であらしめるために、自己実現していくことは、とても難しいことだと思っています。その「難しさ」は、たいてい時代や世の中の常識と戦わなければいけないことが多いので、「その実現の仕方」は、個別性にならざるを得ない。僕は男性ですので、もちろん「男性の視点」に偏りがちになります。なので逆に「女性から見た視点」で世界を眺めると、こんなにも違うのか!というセンスオブワンダーにいつも打たれます。2020年の現代は、物語好きの人であれば、このジェンダーによる性差の視点の違いには敏感になって当然です。この辺りの背景を考えていけば、更に物語が楽しくなると思います。あ、ちなみに、いつも大前提のことですが、僕はイデオロギー(何が正しいかを決めつける)姿勢は嫌いなので、重要なのは、すべて物語を楽しむために、背景を、文脈を、ちゃんと理解して「体感」していきたいとおもっています。自分と異なる属性と、視点が一体化することができることこそが、「物語」のすばらしさだと僕はいつも思うのです。

やはり、特殊な才能を持った女性パイオニアの苦悩を描いた作品としても見ることができます。その才能を誰もがほめたたえるわけですが、その特殊な才能がゆえに、本当に自分の思っていること考えていることを自分と同じ目線で受け止めてくれる人物に出会うことができず、孤独を深め、ドラッグやアルコールで、自滅的に自分を癒そうとする。時代性が一致することもあって、僕はジュディ・ガーランドジャニス・ジョプリンを思い出したんですけど、そういうタイプのものとして見ることもできます。

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THE MAINSTREAM(沢田太陽)
2020/11/19


この天才には理解者がいない、という視点は重要だと思います。



■薬物異常症~薬や酒によるごまかしは続けられるのか?それとも、それによる人格の底上げは、その人自身なのか?


も一つ見るべき視点は、「薬物をどうとらえるか?」という問題意識です。


主人公のベスは、60年代に処方されていたベンゾジアゼピン系鎮静剤の架空のXanzolamを処方されて、その中毒になっています。孤児院で、孤児たちをうまく制御すために投与されているんですね。白い孤児院の天井に、チェスの駒が見えるシーンは、見事な創造性のイメージで、かっこいいです。これって、ぼーっとすると見えるといっているので、ダウナー系の薬物の状態を指しているんだと思うんですよね。その後、酒にもおぼれていきます。


何を言っているのか?というと、彼女が、母親と無理心中されたことや、生きる上での様々な困難を逃げるため、制御するために、酒や薬物が必要だっていってるんですよ。


これをテーマとして考えると、


薬物と酒から解放されることは、彼女が自立して自分の自己を成業できるようになった!(=幸せになれる、この閉じられた世界から脱出できる)ことを意味するはずです。


しかし、往々にして、その人の才能というのは、薬物に依存しているがゆえにまわって制御できているので、「それ」を失うと、「自分自身」のよって立つチェスの才能を失う可能性がある。


どうするのか?というテーマです。


ちなみに、2010年代くらいまでは、こうしたアダルトチルドレンとか心の闇や、家族(特に母親)のトラウマは、すべてを壊して、人生が破壊されて、ジ・エンドという悲劇に結実しやすかった気がします。それくらいに、子供時代のトラウマは、生業不可能な闇で、どうにもならないという無力感が常識としてあった気がします。


では、これをこの物語はどう料理したのか?、いいかえれば、ベスは、救われるのか?、救われるとしたらどうやって?

最終話の最後10分間で、彼女はついにずっとはっきりと示されていたことを明確に口にする。「私に必要なのは薬物。お酒。勝つためには頭がぼーっとしていないといけない。それがないと私はゲームが見えない」と彼女は、その前の数話にわたってトレーニングしていた大試合の前夜、友人のD.L.タウンズ(ジェイコブ・フォーチュン=ロイド)との会話で言う。「マジで?」と、もっと早くに示されるべきだった不信感を彼は口に出す。「キミはそれがあったからここまで来たと思ってるの?」

彼女は薬がなくてもよくやってきたことには同意するが、「とにかく今すぐ必要なの」と繰り返す。すると、この瞬間までシリーズ全体を通して染み込んでいたことを否定するぶっきらぼうなセンテンスを言い放つ。「っていうか、そう思ってた」。


主人公が薬物依存症のNetflix注目ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』…「才能と薬物」の危険な神話について【ネタバレ注意】(ハーパーズ バザー・オンライン) - Yahoo!ニュース


このYahooでみつけた記事が秀逸なので、読んでほしいのですが、ようはこのタウンズとの会話のシーンに、「彼女自身の才能」は、何にも依存していないんだ!ということが、示されているんですね。だから、最後の対局のここ一番の時に、天井にチェスの駒が現れる。薬を捨ててしまっているにもかかわらず。ただ、この解釈に沿うと、このライターさんは、非常に納得がいかないというんですね。しかし、なんで「ここ一番」という時に、一気にくするを捨てるとか危ない真似をするんでしょうか(涙)。僕は今、『THIS IS US』のシーズン3を見ているんですが、そこで、自殺未遂の過去があるケイトの夫のトビー・デイモンが、妊活をしている奥さんのためにいきなり鬱の薬を捨てちゃうんですが(トイレに一気に捨てるのは全く同じ構図)、それって、奥さんのためとか言っているけど、、、自殺しちゃうじゃないか!そんなこと考えろよ!もっとゆっくりやれよ!と、叫んじゃったんですが・・・・なんで、ああも性急なんですかねぇ。そんなの離脱症状が、「ここ一番」で出ちゃうから、最悪の悪手じゃないか、といつも思うんですが・・・・

現実では、回復途中にあるクリエイティブな人にとっての最良のシナリオは、ラッパーのエミネムのストーリーのような感じだ。彼は2008年に処方箋薬の中毒から抜け出して再び音楽を作り始めるまでにどれくらい調整が必要だったか率直に語っている。

「もう一度曲を書いてラップすることを学ばなければならなかった。薬物を断ち、100%クリーンになってやらなければならなかった。最初はいい気分じゃなかった。文字通りの意味でね。実際、歌詞をどう言えばいいのか、どうフレージングしてフローさせるか、どう強調して自分が意図した通りに聞こえるようにするか、勉強し直す必要があった」とMTV Newsで語っていた。

こうした自らの再教育を経なければならなかったが『Recovery』を名付けた2010年のアルバムはトリプルプラチナのセールスを記録し、2011年のビルボードミュージック・アワードの最優秀ラップアルバムとグラミー賞を受賞した。

主人公が薬物依存症のNetflix注目ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』…「才能と薬物」の危険な神話について【ネタバレ注意】(ハーパーズ バザー・オンライン) - Yahoo!ニュース

8マイル(字幕版)

ようは、これだけあっさり書かれていると、彼女が創造性を発揮するためには、やはり薬物が必要だったんだ、となってしまうじゃないかといっているんですよね。

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アル中や薬物中毒は、物語の中では、「その人自身の心の闇、トラウマの解決方法がない」ことへの具現として描かれてきています。僕は医者ではないので、軽々しく言える内容ではないのですが、これがものすごい身近に、そして、本当に難しい問題なんだ、と分かったのは、吾妻ひでおさんの上記のエッセイマンガ(物凄い傑作です!)を読んでからでした。薬物やアル中の話は、すべてが壊れていく救いようがない話ばかりなんですが、このエッセイは、ご本人の人柄もあってか、妙なおかしみがあって、コメディとして成立している。なので、けっこう全然違う世界を体験するセンスオブワンダーとして読めます。なので、おすすめです。けれども、いったん軽快に読んで読み終わると、じわっと、「このこと」の恐ろしさが、胸にしみます。


あとは、2012年のロバート・ゼメキス監督『フライト』が、この問題を真正面から取り上げていて、僕的にはおすすめです。Denzel Washingtonがめちゃくちゃかっこいいんです。

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とはいえ、この問題意識を突き詰めると、


薬物や酒を利用して底上げされた「自分」は、本当に「自分」なのか?(自己制御できることが正しいことなのか?)


という問題と


何かに「依存」しなければいけないほど、「自分」にとっての苦しみを救済する方法は何なのか?


となると思います。ちなみに、このテーマ問題意識に、実は、ベス・ハーモンの物語は、ちゃんと答えていないと思うんです。上記のYahooの記事の意見もまさにそうですね。ようは、薬物が彼女の才能に寄与してたかどうかの描きは弱い。また、母親に無理心中されたという「母親に否定されて捨てられて殺された」というトラウマの対体験は、一体何によって癒されたのでしょうか?。世界チャンピオンになったからということは、理屈に合いません。だって、「世界チャンピオンになれた」のは、薬も酒も捨てても彼女が才能を発揮できたからなので、時系列的には、彼女が既に何らかの救いを、自立を成し遂げていなければ、理屈に合いません。


一言でまとめると、救われた理由も、自立で来た理由(依存を克服した)も、明示的には描かれていないように感じるんですよね、僕は。ないですよね?。まだ一回しか見てないから、見過ごしているのかも、、、。


そして、「それ」に対して、、、、、ここが重要なのですが、僕は、とても「納得」しました。


感覚的に、この物語が2020年代の最前線の物語だな、と感じるのは、明示的な理由を描かないのに、「心の闇・トラウマから抜け出せない」という救済のなさに「行くべき」という圧力を感じないからです。さきほどいったように、解決方法がない依存のサイクルに入ったら、「自滅するまで突き進むしかない」というのが、これまでの2010年代くらいまでの物語の基調低音でした。なのに、ベスの物語は、なんども人生が破滅するがけっぷちに立ちながら、とてもご都合主義的に、それを回避していくのです。


それは、なぜか?といえば、いくつか僕の仮説的に思うところ書いておきます。


一つは、「選択肢がない子供たちの物語」と書いたのですが、2020年代は、既に、そういったサバイバルが大前提の「希望がない世界です」。未来が、前より良くなるという進歩史観的な感覚は、すでに失われて久しい。なので、すでに「選択肢があるなんて言うことは贅沢」なことなので、それが「ない」からといって、子供たちは絶望しないんですね。僕等は、新世界ネイティヴと呼んでいます。リソースがない、希望がない未来がない世界に「生まれながらに住んでいる」ので、逆に絶望しないんですね。その世界が当たり前だから。


ベスは、母親が自分に無理心中を図って、彼女自身を否定して捨てたことに、あまり拘泥していないように見えます。もちろんそのトラウマはありますが、だからといって、究極的に「それ」によって自己を壊すほど、恨んでいないように見えるんですよね。あまりこだわっていない感じがする。


なぜこだわっていないか?と感じるかというと、こだわりすぎると、自己破壊衝動とか自殺につながっていくと思うのですが、「そこ」までいかないんですよ、いつも。むしろ、そういった自己破壊衝動よりも、「生き抜いてやる!」というサバイバルの、捨て鉢な(笑)感じですが、生きる意欲(モチヴェーション)が強いと思うのです。


なぜ、そう感じるか?というと、彼女が、ベスが、チェスを見つけたからです。生きたいから、そこに縋ったんですよね。そして、それにこだわって、戦い抜くのですが、、、、、たぶん、これね、ベスはね、チェスのことが好きですよ。チェス「そのもの」を楽しんでいるように僕には見える。そういう表現は一切ないので、勝手な受け取る僕側の解釈ですが・・・・


まとめるとですね、彼女にとって


1)母親に捨てられたというトラウマを追求していくこと



2)チェスをやってとにかく、この選択肢がない世界でサバイバル(=生き残ってくこと)すること


を比較した場合、あきらかに、2)が重いんですね。それはつまり、「生きる意欲」の方が、母に自己否定された過去の子供時代のトラウマより勝るんですよ。


だからこそ、破滅にいたらない。


そして、自己破壊的「ではない」彼女だからこそ、出会った周りの人々には、「同じ選択肢が奪われている世界で出会った」仲間、同士に感じるんですよね。


えっと、説明がいるな、、、、、自分のトラウマに拘泥する姿勢は、「僕って何?」みたいな感じで、「自己の尊厳のみ」にこだわっているエゴイスティツクな人なんですよ。そういう人は、どこまで行っても、「自分を!救ってくれという」受け身の姿勢で、自分自身のみが大事な人なんですね。そういう人には、友達も同士も生まれない。ナルシシズムの世界で、自分自身しかいないからです。


でも、ベスは、そうじゃない。なので、出会った男社会の男たちも、ジョリーンのような黒人も、「ベスは、この選択肢が奪われている閉じた世界で何とか戦っている対等な仲間なんだ」という感じがしちゃうんですね。少なくとも僕にはそう見える。ようは絆が生まれているんですよ。ああ、同じ「選択肢がない過酷な世界に産み落とされちゃった」んだなって。この絆が生まれたら、男だとか女だとか、白人だとか黒人とか言っててもはじまらない。だって、どのみち世界は地獄なんだから、そんな枠組みの話にこだわっても、どうにもならない・・・・それほどに、逆に言うと、所与の前提としての絶望が深いんですね。


それで絶望が深すぎるので、、、、、、、楽観的になるんですよ。だって「なにももっていない」から。「捨てる怖さがないんですね」。


この楽観的な感じ、、、、世界が過酷で地獄で選択肢がないのに、「まっとうに生きよう」と考える感覚。これが、僕は「新世界系」の後に来る、倫理の確立の話なんじゃにかとおもっています。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の、とてもすべての人への紳士的な態度や、深い理由があると心底わかっていても道を外した鬼に対して容赦なく抹殺する姿勢は、サバイバルを前提とする世界では、そんな「悪にも理由がある」なんて、考えて一呼吸置く余裕がないからだと思うんですよね。でも、みんな同じ苦しい世界にいる対等な仲間だという感じがあるので、けっして上から目線の失礼な態度にならない。


とにかく「生き残るため」に、目の前にあるものに集中していく・・・・ベスの場合は、チェスですね。それに対して疑問があまり浮かばない。たとえ、母親に殺されたというようなトラウマでさえも、「生き抜く」という優先順位からすると下がるので、、、、むだなことにこだわらない。そして、それが「生き抜く」ことにつながる。


過去のトラウマにこだわっていられるのは、世界に絶望していない「甘え」があるんだ、ということを、僕は2010年代までの物語を振り返ると感じるようになりました。ほんとうに、生きるのにギリギリになると、そんなことは構っていられなくなる。この話は、『ハンドレッド』のドラマの時も、同じようにしていますね。

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ベスは大事な試合で緑色のワンピースを着用しており、特に、終盤で着用している薄い緑のワンピースの名前は「エンドゲームドレス」。「ママはあなたのことを愛している」で始まり、「エンドゲームドレス」で物語を終える時、ベスが抱えていた母との思い出と心の傷はどうなったのかも見逃せないポイントです。

評価抜群のNetflixオリジナルドラマ「クイーンズ・ギャンビット」の隠された魅力 | cinemacafe.net


■対立構造ではなくて、その先へ

なんか、凄いベスに出会った男たち(彼女にけちょんけちょんに負けた)が、彼女を助けるじゃないですか。「おれが教えてやる」っていって。ほんと、男たちは教えたがる!(笑)。これ、マンスプレイニング(mansplaining)をわかっていると、とても笑えます。でも、なんというか、清々しいくらい、ジョリーンもベスも、男のマンスプレイニングを利用するのに躊躇がないですよね。これって、「搾取する男性」という視点で彼女たちが見ていないからなんだと思うんですよ、それぞれの男性くんたちを。前に書いたように、「選択肢が奪われている世界」を前提にすると、生き残るためには、「何でもする」のが世界なんで、そんなマクロの大前提のことにこだわっても仕方がないという、清々しい、楽観的なあきらめを感じるんですよね。絶望が深すぎて、ミクロの個人の人生では、優先順位が低くなっちゃっているんですよ。

そして、「ここ」の解釈は、僕が男が故に歪んでいる可能性があるんで、女性はどう思うのが聞いてみたいなと思うんですが、僕は「ベスの視点に感情移入してて見ていると」、マンスプレイニングしてくる男どもが、「かわいいな」って思えましたよ。だって、実力で彼女に及びもつかないから、尊厳守ろうと必死じゃないですか。そして、対等なチェスプレイヤーで相対していると、いつしか友達になっていくんですね。

そして、うまいっ!!!と唸ったのは、「このベスの実力に及びもつかなかったかこの男たち」が、彼女にいろいろ教えたがるんですが、「実力至上主義のランキングトーナメント」で考えると、全米チャンピオンのベスにとっては、格下のカスの負け犬のルーザーどもじゃないですか、それらの男って。でも、「そうじゃない」ですね。世界に君臨するソビエトのボルゴフは、仲間内に研究して協力してチームでたたかってくるんですね、ここ一番の重要なところで。アメリカは個人主義なので、そういう協力ができなくて負けた、という伏線がある。


そこで、彼女に「負けてしまった負け組」もチームとして彼女と一緒に戦う、意味ある参加者になっているんですね。そこでは、負け組・勝ち組、搾取する・されるような二元的な対立構造から自由なんですよ。


最後の電話がかかってくるシーン、素敵ですよね。ベスも、負けた男たちのサポートチーム(笑)も、自然体で対等で、かっこいい。


この辺りは、過去のいろいろ考えたものと接続されて、とても興味深かったです。1983年に書かれた作品だけど、映像で見ると、とても同時代性を感じる。

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そして、ジョリーン(モーゼス・イングラム)まじ、好き。この子、めちゃくちゃ、かっこいいし、いい子!。なので、僕は、ジョリーンが、cracker(訳は白んぼと訳されていましたね)、この名詞は白人への侮蔑擁護なそうですが(奴隷主の鞭の音とかそういうのらしい)、ずっとそう呼び掛けているんですよね。孤児院の頃から。ベスは、めちゃくちゃ白い白人、白人しているので、ベットで並ぶと、その色が本当に際立つ。そりゃ、たぶん養子になりやすくて孤児院を出ていきやすいだろうな(実際そうなった)と思って揶揄もしますよ。でもね、この侮蔑用語を、最後の方で、本当に本当に、ほんとうに!!!!愛おしそうにつぶやくシーンがあるじゃないですか、、、、、あそこ泣けましたよ。


最後の方で、ジョリーンがやってきて、ベスが「なんでこんなことまでしてくれるの?助けてくれるの?」と聞いたら、


「そりゃ、家族・・・・みたいなもんだからじゃない」(うろ覚え)


みたいに返すじゃないですか!、、、、南部の、ド田舎の、超保守的な、差別がどぎつい世界でさ!!!!


ベットで横になって話している二人は、人種的には、まったくの対立ですよ。白と黒。鮮やかに違う。でも、、、、たしかに、二人の雰囲気には「家族」を感じるんですよ。


なぜ?って、それは「選択肢を奪われた世界」で一緒に戦ってきた同士で、仲間だから。ですよね。


用務員シャイベル(ビル・キャンプ)さんのエピソードもまさにそうですよね。あの人も、なにも、、、、何一つない、普通に言えばごみのような無意味な人生でした。葬式で、話すことがなんにもないんです。誰も悲しんですらいない。ただの孤児院の雑用係として、何一つ残したものも、友達すらいない感じの、、、、でも、そうじゃないですよね。彼がいなければ、エリザベス・ハーモンという世界チャンピオンは生まれなかった。彼女が生きる術を見出すこともなかった。誰よりも深い「家族」じゃないですか。。。。世界チャンピオンをかけて戦うところでの記者からの質問で、「誰に教わった」と聞かれて「孤児院の雑用係のシャイベルさんに」答えて、「ここ絶対載せてね!」と何度も念を押すじゃないですか。。。。泣きましたよ、、、、。あの、だれも、存在すら忘れさられて死んだシャイベルさんは、冷戦下のソビエトの威信を打ち砕いたアメリカの世界チャンピオン、エリザベス・ハーモンのの師匠として全世界に報道され、歴史に残るんですよ、、、、名前が、、、、。あれ思い出しただけでも、泣ける。。。。


何もない時に一緒に「生きる」ことは、それだけで、絆を生むのだなぁ、としみじみ。


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本当に同時代的な、最前線の作品に感じました。


まぁ、理屈どうでも良くて、好き。世界がめちゃくちゃなところで、そこで、何とか生きているうちに、生きるすべが見つかって、仲間がいて、、、、、そういう物語でした。


■この閉ざされた地獄から抜け出るためには何が必要か?~約束のネバーランド

約束のネバーランド 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

もう気力がつきそうなので、、、、、この世界、、、、選択肢が奪われた「選択肢のない世界」で生き残る方法は、おわかりですよね?。こっちの方に、物語の最前線はあると思います。そして、この解釈のラインでいうと、、、、オルフェンズがどんだけ素晴らしかったんだ、と唸ります(笑)。

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いつものごとく、誤字脱字の、日本語になっていない文章ですが、できればこれを機会に、いろいろな作品を見る手掛かりになれたら、と思います。


最近アメリカの2020大統領選挙のレポートばかりで、物語の記事を書いていなかったので、久しぶりにがっつりかけてよかったです。推敲したり手直す暇ないので、適当ですが・・・・。