『冬のライオン』 ナショナル ジオグラフィック ノンフィクション傑作選

ナショナル ジオグラフィック ノンフィクション傑作選 冬のライオン (ナショナルジオグラフィックノンフィクション傑作選)

ナショナルジオグラフィック・アドヴェンチャー誌のノンフィクション。

内容は、ゲリラの指導者やエボラ熱と闘う科学者やシーシェパードの船長とか、多様なんだが、、、一番面白かったのは、最初の前書き。「「地理知識の拡大と普及」を目的として、地球上の地図の空白を埋めるという使命を持って存在していたナショナルジグラフィツク社の「そのあり方」が変化しているってところ。いまの使命は、「地球を大切にする使命を広める」ってことに変わったといっている。ようは、「冒険」のあり方が凄く、内向的になったといっているんだと思う。いままでは「行ったことがないところに行く」だけで冒険は成り立った。けど、地球には既に「行ったことがないところ」なんかない。そして地球の有限性が叫ばれる中で、その偉大なる遺産をどう守るかということがテーマになっているというわけだ。冒険というモノの定義の変質だよね。

アフガニスタンタリバンと多々うゲリラの闘士とか日本の捕鯨に反対するシーシェパードとか、、、その選択が、物凄い西側先進国というか欧米(←これ人まとまりでいいやすいいい方だなー(苦笑)のエスノセントリズムオリエンタリズム臭が強くて、ちょっと「その選択肢どうなの?」と思ってしまうが、いま世界(・・これもどこの世界かほんとは定義がいるんだろうけどなー)の視点が、自然保護的な価値観の世界になっているということを示していて面白かった。だって、昔はそんな捕鯨とかアフガニスタンの統治の問題とか、政治や価値に踏み込まなくても、ひたすら「行ったことのないところに行く」というシンプルなものだったのになー冒険は。まぁ、地図上の空白という概念も、ヨーロッパ人にとっての「白紙の地図」なんだけどね、本当は。でも、ある意味ど汚いウソではあるが、近代では、このヨーロッパ人を「人類」と読み替えるので、そういう意味では、「人は誰でも」行ったことのないところへ行くことに価値があるという単純明快だった。けど、いまはそういうのは単純に成り立たないんだなーといろいろ思いました。