『も〜っと! おジャ魔女どれみ』 相手の立場になって考えてみよう

も〜っと!おジャ魔女どれみ VOL.1 [DVD]


レンタルショップで娘が、これ!と叫ぶので、何にも考えず借りてきた。


これシリーズものの3期ぐらいに当たる見たいですね。最初は見ていてさっぱり分からなかったけど、、、、。2001−2002年くらいに放映されていたものだとすると、軽く10年くらい前の話なんですねー。そういう古さは全く感じないなーこれ。たぶん、この感じだと、★5つは最後まで見ればいくと思う。最初の数話でわかるものだよなー。ちゃんと物語られているもの、、、。まー子どもがいない人には、見るのは恥ずかしくて辛いだろうけれどもねー(苦笑)。最近は、たくさんの小説を、かなりのレベルの高低あるものをこなしているので、なんとなく、いい物語の評価の仕方とかポイントというのが良くわかってきた気がする。



でも、とてもいいですねー。なんというか、幼稚園くらいから小学校低学年くらいまでに、成長するってことがどういうことかを、ストレートに教えてくれるお話で、ぐっときました。特に第3話の「相手の気持ちになって考えよう」って話は、なかなか大人になるとできないことだけれども、人間関係の原初の基本みたいなもので、子どもの話だけにそのコアな部分が赤裸々に描かれていて、僕はぐっときましたよ。奥さんも、ええ話だーと、感心していました。なんだか、セサミストリートとかそういう、「子供に大切なものを教える教育番組」的な機能をすごく感じて、それ「にもかかわらず」ちゃんと物語になっていて、僕はこの作品好きだなー。たった4話しか見ていないけど、、、。


最近、コミュニケーション力がないままに大人になってしまった人とか、、、というか、そこまでいわないけれども、会社でもそうなんだけど「どうしたら彼女ができますか?」とか「どやったら親友が作れますか?」みたいな相談を受けるんだけど、、、それってすごく難しい質問で(苦笑)、正直言って、20も超えた社会人になってから質問されると、僕もさっぱりどう返していいのかわからないんですよね、、、。というのは、やっぱり、社会人って出会いがないし、そもそも時間がなくて、子どもの時からの経験値を使ってその果実を収穫する時期なんで、果実の収穫時期に種をまかなかった人にどうすれば果実が収穫できますか?と聞かれても、、、、「そこからの挽回」という手法は、僕自身が経験がないので、よくわからないんだよね。理論的には自己改造セミナーとか新宗教とかそういう極端な例はわかるけど、それって、道踏み外しまくりそうなので、なんともお薦めしようがない。。。。それぞれの年齢の時期に、その年齢にふさわしいステージのクリアをしていない人に、果実のとり方を教える方法(しかもいろいろスキップして)って教えようがないんだよなー。



とはいえ、「そこ」こそが、孤独と退屈に苦しむ現代都市文明社会の基本的な悩みなので、ほんとうは、答えるべき義務と価値があるテーマな気はする。というのは、多かれ少なかれ、この現代社会は孤独と退屈に苦しめられやすいような仕組みになっているので、万人に当てはまる悩みだと思うのだ。多かれ少なかれの濃度はあっても。僕も、人生順風満帆だった社会人の最初の頃にさびしくて泣きそうだったもの(苦笑)、、、そういものなのだ、、、。構造上、なかなか絆というか人間関係を生得的にナチュラルには作れない社会なのであ、多かれ少なかれ現代社会は。現代社会はすべて、再帰的に出来ているからね。



僕も答えががあるわけでもないのですが、ふとこの話を子供に見せていて、思ったのですが、こういう子供向けの番組の物語には、コミュニケーションのスタート地点で必要なことが、シンプルに説明されて赤裸々に語られていることが多いと思うのです。もちろん、この第三話の、帰国子女の英語しか喋れなくて、周りと誤解を生んでしまったあすかちゃんの話のように、そんんなに前向きに、いい方向へ物事が進むわけはないんですよね。深刻ないじめとか、鬱とかそういうことに発展したっておかしくはない。また、ほんの1日でもそういう誤解を人に与える人は、簡単に排除されたり「空気を読めないやつ」とレッテルをはられるのが日本的共同体の、学校空間や会社空間なんですので、、、、こんな「うまくいくわけないじゃん」、しょせん子供の世界だよ、と言い切りたいのはわかるのですが、これって、本質のコミュニケーションなんですよね。こういう些細なことがマッチポンプになって、加速度的に誤解が本気の憎しみや敵対行動に変わっていくのが、人間社会ってやつなんです。うちの子にもまず教え込んでいるのは、悪いことをしたら「ごめんなさい」ということ。ごめんなさいといったら「いいよ」って、許してあげること。です。そして、こんな信じられないほど些細なことが、実は日常生活でなかなかうまくきれいにできないものなんですよねぇ。。。けど、ほんとうは、そこでひねったり、いろいろ解釈を考えないで、素直に謝れたほうが、世界はとても温かなものになるんですけどね、、、、。



まぁ、ある程度年齢をいった人には、ある程度の防御や装飾などが必要なので、こんなストレートなケースはモデルにはならないのですが、本質は、変わらないと思うのです。絆、、、友人を作っていく時の、最初のポイントですもの。こういうのを、ちゃんとその適齢年齢に、順々に経験していくことが、きっと、幸せでいいやつになる必要条件なんでしょうねぇ。そして、、、それは、ほとんどケースは、親がそういう意識を持って、そういう場を用意してあげなければ、、、なかなかきれいな形には経験できないとは思いますけどねー。