長期停滞(低コスト・低成長)の生き方は、永遠の日常を生きようとしている日本がロールモデルのひとつの選択肢となりうるか?(2)

(1)ブッシュ、ティーパティー、テッド・クルーズドナルド・トランプと続く共和党の右旋回現象の本質とは何か?(1)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160314/p2

の続き。


この選挙を見ているときに考えなければいけないフレームワークというのは、右翼とは?左翼とは何か?という視点なんだな、ということでした。その定義ももちろんですが、どのような歴史的経緯で、その国では、「その勢力」や「その現象」を右翼と呼ぶのか、左翼と呼ぶのかを、考えないと、ことの本質を見誤るんだなと思いました。というのは、(1)で語ったように、僕には、アメリカにおける共和党民主党の現在の混乱ぶり、トランプ現象とサンダース現象の両方とも右とひらりと言えるんだろうと思いますが、主張の本質、支持基盤は、ほぼ同じに見えるんですね。なので、その出来事の本質はなんなのか?をイデオロギーで曇りに曇った目で見ないで、ちゃんと見てやると、あれ名前は違うけど、同じことなんじゃないか?とかがわかってくると思うのです。


特に、冷泉さんの指摘には、おお、なるほど!でした。日本の右翼と左翼の定義がいまいち微妙でよくわからない(国際基準とずれているので)し、世界的に先進国で左翼に旋回している流れがあるのに日本の左翼はどうしてああも支持が無いのか、などなど、海外から見ると、いまいち???という風になる部分も、本質は変わらないのだけれども具体的な意匠の部分が、ねじれているのだな、ということがわかってきました。

このサンダースですが、60年代から「反戦・反格差」を主張として掲げており、自分は「民主的な社会主義者」という立場を一貫して通しています。さらに大統領選で「政治による革命を目指す」としています。政策としては「空前の大増税を行って富裕層の富を吐き出させ」、「スウェーデンや日本のような政府一元化の健康保険制度」を導入、さらには「公立大学はすべて無料化する」という公約を掲げています。

 こうした主張は、2011年から数年間、北米で盛り上がった「オキュパイ(占拠)デモ」の運動や、欧州の新しい左派勢力、例えばイギリス労働党ジェレミー・コービン党首、スコットランド国民党のニコラ・スタージョン党首(スコットランド自治政府首相)、スペインのパブロ・イグレシアス(新しい左派政党「ポデモス」の党首)などの政治的主張に繋がっていると考えられます。

格差社会の中で、大きな政府論による「再分配」を主張して、右派や中道の「緊縮財政」にノーを突き付けるとともに、これに「反戦」や「反核兵器」などをセットメニューとして提供するというのは、まるで60年代の「旧左翼」です。ですが、カルチャーを含めて、若者の間で大きな支持を獲得しているのです。

 もちろん、時代背景は60年代とは異なります。大量生産の製造業という競争力を新興国に譲り渡した後、先進国は知的労働による高付加価値創造の経済と、そのトリクルダウンとしての内需という経済の二重構造に入っています。ですから、格差の拡大という現象からは逃げられない構図がまずあります。その中で、より若い世代になればなるほど既得権益から見放されるわけで、彼らの怒りが「格差社会」そのものへ向かうのは一種の必然があると思います。

 この点では、日本も似たような問題を抱えているはずです。ですが、若者を中心とした「反格差」の運動が、全国レベルで大きな勢力になるようなことは起きていません。これはどうしてなのでしょうか?


なぜ日本には「左派勢力の旗手」が出現しないのか?
2016年02月04日(木)17時00分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/02/post-807.php


この視点は、鋭いなーとうなりました。海外の政治の流れを追っていると、逆に日本のことが、何でこうならないんだろう?と、かなりシンプルに不思議に思えて、考察が進みます。インサイダーでいると、なかなかそれが、どういう構造になっているか?というそもそも論まで戻らないからかもしれません。

前回のエントリ「なぜ日本には『左派勢力の旗手』が出現しないのか?」には多くの反響をいただきました。その中であらためて考えさせられたのは、日本では「右派がリベラルな経済政策」を取り、「左派が保守的な経済政策」を取っているという「経済政策のねじれ」です。

 現在進行中のアベノミクスがいい例です。自国通貨の価値を毀損してまで流動性を供給するとか、公共投資を増やしてケインズ的な効果を狙うというのは、国際的な常識から見れば極めてリベラルな経済政策に属します。ですから、現在の安倍政権というのは政治的には保守ですが、経済政策は相当に左寄りだということが言えます。

 反対に、「目先の景気よりも、中長期的な財政規律」を心配する態度であるとか、自国の通貨を防衛しようという立場、あるいは公共投資などの支出を抑制しようと言う姿勢は、保守の経済政策になります。ですから、安倍政権と比較すると、その前の民主党政権というのは政治的にはリベラルでも、経済政策は保守ということになります。円高を放置したり、ハコモノ行政を「仕分け」しようとしたりしただけでなく、社会保障と税の一体改革を志向し、その際には給付増や再分配でなく財政規律を優先したというのは、明らかな保守政策です。

 なぜ日本の政治風土には、このような顕著な経済政策の「ねじれ」があるのでしょうか?

日本の経済政策は、なぜ右派と左派でねじれているのか?
2016年02月09日(火)16時30分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/02/post-808.php

冷泉彰彦
プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

さて、前回の話から先に進みましょう。



新興国の台頭による世界の富の平準化が進み、先進国の中産階級の解体によって政治、社会不安が起きることは、世界の先進国の共通の問題だということがわかってきました。では、その解決方法は?というと、ほぼすべての国が、もう一度中産階級を復活させようとします。政治的には、ここからこぼれ落ちる層を救い上げれば、それはボリュームゾーンなので、権力を維持できるからですし、民主主義においてこういった大きな問題点を抱える層の絶望をケアして行くことがまさに民主主義の所以であるのは当然のことです。


ではどうやってって中産階級が解体すること食い止めるか?という問いに対する具体的な答えも、すべての国で同じこといっています。



それは、どうして中産階級が生まれたかを紐解けば、それをもう一度再生、復活させればいいことがわかるので、そのとおりに考えるのです。



それは、高度成長よ、もう一度!です。



まぁ、もう少し和らげて、成長持続とか言ったりしますけどね。中産階級がなぜ生まれたか?といえば、それは、ベビーブーマーというある世代が突出して人口増が起こり、労働人口が巨大化することによる人口ボーナスが生まれ、その内需の拡大によって急激な高度成長が起こったことによって富がその国の内部に行き渡り平準化するからです(凄い荒っぽい説明・・・・だけど、まぁ大局的に見ればこんな感じ)。がんばれば、成長できる、豊かになれる、というシンプルな時代です。また、開発途上国のテイクオフ期に当たるので、テクノロジーコモディティーの浸透によって、前近代的な生活から近代的な生活へ劇的に変化して、物質的な豊かさのレベルの上がりようが、信じられないほどあります。このときの満足感が素晴らしいので、ここに物凄いノスタルジーが生まれるみたいですね。



最も簡単かつ最高の結果を導き出せるのは、高度成長を再現することです。アメリカにおける1900-1950ぐらいまでや、日本では1950-1980とかですね。



でも難しいんですよ、これ。


デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)


まずなんといっても、人口が減少に転じると、簡単には増えない!という問題があります。ベビーブームをもう一度って、無理じゃないですか。個人主義や個人の権利が拡張した現代で、高度成長期のような5人も10人も子供を生んで育てるなんて、ありえません。それに単純に教育にはお金がかかるので、そんなことできないんですよ。個人が自由で豊かになった世界では、競争が激化しているので、最低限の教育レベルが再現あく高くなる傾向があります。人口の構造が変わるには、世代レベルの年月がかかり実質30-100年単位の問題です。では手っ取り早くするにはどうするか?というと、移民しかないわけです。正確に言うと、(1)移民の受け入れと、(2)女性の活用になるかな。けど、これらには深刻な問題点というか副作用がついて回ります。移民の問題は、トランプ現象やメルケルの難民政策を見ればわかりますが、グローバリズムの成長に取り残されているイスラム流入によって、社会の信頼性の根本が破壊されるリスクが高まったことによって、それを解決できないと社会のセキュリティー問題から、非常に難しい。


(2)女性の活用についても、これ女性の活用という単一の問題にではなく、成熟経済になってきたところではイノヴェーションが無ければ価値が生まれないという袋小路の中で、多様性を取り入れなかればどうにもならないという社会の要請から、リベラリズムが浸透して、さまざまな既得権益から阻害されていた層を社会の内側に取り込んでいくという流れになります。しかしながら、この構図はアファーマティブアクションにならざるをえないんですねまずは。まずは虐げられていた層を優先して登用する機会を与えないと、社会が多様化しない。それによって必ずおきることが、現在の既得権益者に対する逆差別です。アメリカでいうとわかりやすいんですが、プアホワイトの男性で若者、と考えればいいです。彼らが、あらゆることの機会の優先順位が下がってしまうんです。精確に言うと、これまでが差別されていた構造があったわけで、それが普通になっただけなんですが、何で俺たちだけ(俺の親の世代は差別して豊かに暮らしてたのに!)損をしなければならないんだという絶望のルサンチマンが先鋭化して、かなり大きなボリュームとなって、新興宗教や右翼などの、阻害されたものを吸収する装置に流れ込み、一大勢力と化します。社会の不安定化に拍車をかけちゃうんですね。損で持って、それが急既得権益層なので、社会的に凄い力があるわけですよ。共和党が南部の貧困層をターゲットに取り込んでいくことで、党の本質が変化して、ティーパーティのような極右やキリスト教ファンダメンタリストのような宗教右翼の組織票にドメインをおくようになってしまったのも、このあたりの問題とリンクしているんだろうと思います。

レッド・ステイツの真実

ちなみに、先進国になり、グローバル経済にリンクし始めると、そこで必要最低限の、言い換えれば中流的な現代生活が送れるために必要な教育レベルって劇的にレベルが高くなる。グローバル化して帝国化した世界的な大組織のテクノクラートになるのは、最低限、理系の博士号ぐらいかなっ(苦笑)という感じです。まぁ、オバマ政権でいう、STEM教育ですね。STEM教育とは、サイエンス(science)、テクノロジー(technology)、エンジニアリング(engineering)、数学(math)に重点を置いた教育のこと。アメリカは、このあたりの次世代への教育の投資をしっかりやっています。オバマ政権の、先を見据えた行動には唸らされます。そうでなくとも、教育の分野については、アメリカは、落ちこぼれていく層から以下に優れた才能を発掘するかということに手厚い準備をしています。機会平等を維持しないと、アメリカの価値が失われるわけで、そこはしっかりしているのです。また、留学生など、なかなか中産階級化して成熟した自国民がやりたがらない分野の基幹部分を、世界中の留学生から選抜していく仕組みも見事に整えています。そしてそれ以上に必要なアート的なデザインの発想。なんていうのが基礎レベルとかなると、、、、もうそんなグローバル競争に参加する意欲も失ってしまうのは、よくわかるんですよ。無理すぎるんで。そして何が起きるかといえば、格差が発生していくんですね。世界的に、こうしたグローバルな競争環境の中で、ベースとなる教育レベルにまで到達できる層と、そうでない層が二極化していくことになります。

企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)


『企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン〜新しい統治者たちの素顔』 松井博著 これからの時代に必要なものとは?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130503/p3

Steve Jobs』 Walter Isaacson著  グローバル競争の中で勝ち抜くのに必要な要件とは? 新しい価値を生み出すのはどのような人間か?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111222/p2

『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』 原田曜平著 世界はメガリージョン(=広域大都市圏)と地方・郊外の二極化が起きるのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140316/p1



また、実際の世界の地理的な区分けも、国際競争の主戦場となるメガリージョンと、その後背地に位置づけられる地方と郊外。そして、もうひとつは、そこから阻害されて、取り残されたrest of worldの3つ分かれていきます。分かれるというか、グラデーションになっているんですけどね。世界的に国籍の意味をなくした多国籍企業が、帝国化してデイズニーランドの隠れたインフラのように隠れたアーキテクチャーとして世界の底を握り、また都市圏に高度成長を成し遂げるリソースが集中してグローバル競争にリンクするために、ネイションステイツというどちらかというと民族集団ごとに区切られているブロックの解体圧力が強まります。そして、それ故に、逆に、そのネイションステイツという枠組みへのゆり戻し自体も激しく起こるというアンビバレンツなメカニズムによって世界が不安定化していきます。


大きな枠組みでいうと、高度成長期を再現しようとあがくのですが、実際には、それはほぼ不可能。安定した成長がギリギリなのですが、それすらも、かなり危うい状態が続きます。ようは、高度成長期の最後の輝きであるバブルがはじけたあとの低成長時代に突入するわけです。そこでは、成長をしようとあがきますが、それは、大都市圏に集中したり、ネイションステイツ単位で成し遂げることはできなくなります。いいかえれば、各国が、経済成長の果実を、中産階級に、言い換えればフロントランナーの超富裕層が獲得した果実を、再分配することができなくなります。中産階級の崩壊は、これがためです。なぜならば、国際競争に追いつくためには、大都市圏に集中投資しなければならず、非効率にばら撒いて再分配する意義とメリットが、公正さ以外には無いのです。公正さは、ネイションステイツの「同じ国民であり同士」であるという事実に依拠していて、その他の開発していない国、はっきり言ってしまえば植民地などは差別して無視して、同じネイションステイツ内で再分配をしていました。そういう地球規模の差別搾取構造が、国民国家の公正さなのです。けど、グローバル経済になり、大都市圏ごとに接続された大資本のネットワークは、まさに帝国的にネイションステイツの範囲を超えて、超国家的になっており、その中での公正さは、国民国家の内部だけでの再分配をあまり認めません。成熟した国民国家は人口が縮小しているので、再分配(投資)して内需を大きく意味が無いからです。



という風に、まずは西ヨーロッパが100年のヨーロッパ病にEUができるまで苦しんだように、次々に先進各国も足を踏み入れています。次に、日本。そしてアメリカは、移民のおかげで内需が安定して拡大している稀有の国ですが、それでも、同じ構造が生まれてきています。西ヨーロッパは、特にイギリスが先行して体験していたのですが、EUの成立によって一旦バブルもどってきましたが、最近崩壊しつつありますね。ギリシャ危機以来。もっとのわかりやすく、そして見事に落ち込み続けている低成長、マイナス成長を体験して、国の人口が急激に縮小しているのを経験しているのは、日本ですね。1980年代にバブルがはじけて以来30年。事実上の長期停滞が継続して、一度も成長はもどっていません。けれども、日本が経済的に弱くなったかというと、別にそんなことはありません。世界に冠たる超多国籍企業が、凄まじい数存在して、世界のアーキテクチャーを支配する帝国化した企業として、世界中に浸透しています。けれども、日本というネイションステイツの単位で見ると、日が沈み続けています。もうそういった多国籍企業は、日本に所属しているわけではなく、グローバル経済の中の一員であるからです。世界中の、そういった超国家的多国籍企業テクノクラートたちのライフスタイルは、みんな似ています。まるで同じく国の同じ民族のように。しかし、地方に残ったり、そうしたグローバルに展開する企業に勤めていない人とは、そもそもライフスタイルが、人生がまったく共通性の無いものになってきています。


これが、僕らの生きる現代の社会、世界なんです。


先進世界で続く「日本型停滞」

以上はアメリ政党政治を軸としてみた「トランプ現象」だが、本欄では昨年末からこの2月にかけ、「現象」をそうした側面だけでなく、アメリカ社会で起きている「地殻変動」、あるいは産業構造の変化と「格差」拡大といった事象と結びつけて、世界の論客と一緒に考えてきた。

その過程では、他の先進国では見られない中年層の死亡率増加という異様な現象がアメリカの白人に起きていることが明らかになった。自殺や薬物中毒の急増という、彼らの「絶望感」を示す原因が指摘された。また、トランプと似た旋風を民主党側で巻き起こしているバーニー・サンダース上院議員がもたらしつつある「言語革命」についても触れた。【2015年12月29日「『トランプ現象』で浮き彫りになった米社会の『地殻変動』」】【2016年2月9日「米大統領選で浮かび上がった『格差』と『政治言語』問題」】

そうした「トランプ現象」の大きな背景に迫る論考が、2月に入っても相次いだ。アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』は、「格差」問題に焦点を当てた前号(1・2月号)に続き、最新号(3・4月号)で「低成長(Slow Growth)」を取り上げている。看板論文は元財務長官でハーバード大名誉学長であるローレンス・サマーズの「長期停滞の時代」だ。

サマーズによれば、リーマン・ショックのような深刻な不況の後には急激な景気回復が起きるという常識は覆り、先進国経済は今後10年インフレ率1%程度、実質金利はゼロに近い状態が続く(黒田バズーカは意味がなかった?)。この事態を理解するには、1930年代にアルヴィン・ハンセンという経済学者が唱えた「長期停滞」という概念がカギとなる。

先進国経済は貯蓄性向が増大し、投資性向が低下していることに起因する不均衡に苦しんでいる。その結果、過剰な貯蓄が需要を抑え込み、成長率とインフレ率を低下させ、貯蓄と投資の不均衡が実質金利を抑え込んでいるという。【The Age of Secular Stagnation, Foreign Affairs, Mar./Apr.】 

詳細は論文に譲るが、先進世界では「日本型停滞がかなりの期間にわたり続く」という。対処法としては、インフレ・ターゲットよりも名目GDP国内総生産)成長率の目標値を定めることや、低金利と低資材費を生かして公共投資を進めるべきだとサマーズは訴える。にもかかわらず、米国の公共投資はこの60年で最低レベルだという。

こうした長期停滞現象と、それに対する間違った処方こそが、当欄で指摘してきたようにアメリカ下層中産階級の不安を掻き立て、自殺や薬物中毒に追いやっている背景ではないか。そんな連想を促す論文だ。

こうした長期停滞の中で、見習うべきは日本だという主張を展開しているのが、同じ号の論文「停滞を愛するようになる――日本に聞いてみろ、成長がすべてではない」だ。筆者は投資顧問会社のストラテジスト。デジタルやロボット技術の進展・利用でモノやサービスは安くなるのは当然で、低コスト・低成長でも高コスト・高成長と同じ成果は生み出せる。日本を見よ。依然、豊かで安定した国ではないか......やや大雑把な感じもしなくはないが、長期停滞の中での豊かさということを考えさせる。【Learning to Love Stagnation, ibid】

「トランプ現象」の深層:「長期経済停滞」と「大衆の怒り」
投稿日: 2016年03月09日 15時29分 JST 更新: 2016年03月09日 15時29分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/super-tuesday_b_9413768.html?utm_content=buffer15bb5&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer


Learning to Love Stagnation Growth Isn’t Everything—Just Ask Japan
By Zachary Karabell
https://www.foreignaffairs.com/articles/2016-02-15/learning-love-stagnation

さて、ようやく本題まで来ました。この日本における1980年のバブル崩壊の以後の低コスト、低成長社会における「生き方」言い換えればライフスタイルとはどんなものなのか?ということは、興味深いのです。それは、アメリカやヨーロッパのように移民を受け入れたり、超国家を作って国民の数を増やしたりすることによって、ペースをスローダウンさせているけれども、高度成長が起きない限り、中産階級の解体と、グローバルに生きていけるグローバル市民と、地元に残って低階層に落ちスラムに行き続けなければならないそうとの二極化が進み、そのことによって国民国家が崩壊していくこと、それを防ぐために、極右的(もしくは極左的)な、疎外化された市民の支持を受ける形でのポピュリズムが激しくなっていゆき、階層の流動化を促進するための崩壊を望むがゆえの戦争への敷居が低くなること、また、若者世代と高齢者世代で、リソースの奪い合いが起きること(ベビーブーマの年金を若者世代が支えきれなくなること)、、などなど、まさに、これから激しくなっていくことを、日本はフルセットで、継続的に体験しているからです。正確に言うと、同じことを、イギリス無長く経験しているので、イギリスこそ本来のロールモデルのひとつだと僕は思っています。

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)

さて、僕は、ずっと日本のサブカルチャーや映画、小説などから、なぜ日本のサブカルチャーは、永遠の日常を生きることに向かって、突き進んでいっているのか?ということを、分析してきました。局地的、極度に日本ローカルネタのつぶやきだったんですが、よくよく考えてみると、新興国の成長期の人々が同じことをを思うようだし、アメリカに住んでみて、あれっここもおなじじゃないかって、すごく思うようになりました。


ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140425/p1

ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?2〜ストックはどこから来たの?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140429/p1

『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

先進国の持つ病〜社会が成熟していくと失われるモチヴェーションー希望がなくても頑張れるか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111203/p1

らき☆すた』に見る永遠の日常〜変わらないものがそこにある
http://ameblo.jp/petronius/entry-10048130571.html

ゆゆ式』(2013) 原作:三上小又  監督:かおり 関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140504/p1

永遠の日常というのは実は、スラムの中を生きる世界だということ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160130/p1



この辺の現代日本の最先端について、何が問われているのか???なぜ、そのような展開に物語の類型が進んでいくのか、ってのが、これからの世界における生き方のひとつの方向性を示していると思うんです。もちろん、ずっと僕がいっているデジタル中世化というやつですね。


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■参考記事


里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』 藻谷浩介著  これからの人生をどう生きるかの指針に
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130814/p1

山賊ダイアリー』 岡本健太郎著  重要なのは再生産可能な資源をベースに構築される手応えの連鎖(=共同体)の再構築とグローバル経済からの独立だ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140519/p1

『きっと、うまくいく(3 idiots 2009 India)』 Rajkumar Hirani監督 高度成長を超えつつある新興国インドの現在
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130521/p1

『「当事者」の時代』 佐々木俊尚著  極端ではなく極をつなぐ中間領域を代表するリベラルの再構築を
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140419/p1

自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションに
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110407/p2

『たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く』 石村博子著 
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120726/p2

自殺島』 森恒二著 バトルロワイヤルの果てには、新たな秩序が待っているだけ〜その先は?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110601/p7