新妻アスナのかわいさにもうくらくらです。

■新婚直後の新妻はいいねー♪

ソードアートオンライン13話『奈落の底』。twitterとかいろんなところいっている気がするけど、アスナの新婚シーンは、もともと小説の時から物凄い好きで、やっぱ映像になると、さらにいいなー。SAO見終わった。。。やっぱ、アスナ新婚話は最高だなー。映像で見せられると、もうたまらんです。。。。


一つ難点を言えば、このエピソードの肝は、怪物の魚を釣って、アスナがそれを倒した時に、、、まわりが、、、「えっ、、、あれって、血盟騎士団のアスナさん、、、」と気づいて、駆け寄ってくるんだけど、、、「えっ、結婚してたんですか?」というばれるシーンが最高だったのに、それが割愛ってどういうことですか!監督!。僕は、泣きました。あれ、凄く困るけど、キリトくん優越感感じまくりの、最高のシーンじゃないですか!


あと、やっぱり寝室でのシーン。これがいいねぇ。これは、小説では見れなかったもの。この雰囲気。あっれって、自分がすごぉ―――く好きな子と結婚できた時の「新妻」って感じなんだよなー(笑)。これ(=物語を見る)っていつも思うんだけど、実際に経験があるやつとない奴では、おもしろさはどちらが上なんだろう?ってこと。経験がないほうが純粋に、インプロヴィェーション(=一回性・初めての出会い)を感じられるというアドバンテージはあるけど、経験があるやつは感触から五感全ての感覚を総喚起できて、それの延長線上を感じることができるというメリットがるんだが、、、、


えっとね、言葉で説明すると、結婚直後ってのは、なかなか女の子は凄い魅力があるよなーと思う。もちろん、ダンナからみてね。だって、『好きな女の子』と『自分奥さん』というダブルミーニングが一致しない状態で、目の前にあるんだもの。あれって、やっぱ、戸惑うくらい幸せなんだよなー。なんというか、「彼女」って、どんなに付き合っても自分のものじゃないし、人生をシェアする安心感があるわけでもないんですよね。まぁ今は結婚しても自分のものとか一生一緒とかいうわけではないけど(笑)、でも一応はそういう安心感は、普通の彼女よりはあるじゃないですか。まぁ、あんまりマンネリ化している彼女だとそうは感じないかもしれないけれども。あっちなみに、彼氏に入れ替えても互換可能。その辺の共感線上の、可愛さみたいなものが同居しているんですよね!新妻には!。なんか、新妻って書いててやらしい響きだなー。


まぁどうなんだろう、、、あと、なんというか「素の部分の美しさとかかわいさ」ってのは、なかなか見れない。同棲でもしていれば別かもしれないけれども。このシーンでは、背中空きまくりのネグリェというかパジャマ着てるけど(笑)ああいう姿って、彼女だとなかなか見れないじゃない。けど、新婚だと毎日見れるわけですよ!。朝起きると、しあわせそーーな寝顔で寝てる姿とか眺められたりできるわけですよ。ああ、あと、ほら恥ずかしがって着替える姿を眺めたりとか(笑)。こういうのも慣れると飽きてくるもんなんだろうけど(僕はいまだ楽しいけど、、、)、まぁ、初めての時ってのはすごく新鮮な感じがするわけで、この新鮮さと安心さみたいのが同居しているんだよね、新妻には!。特に夜寝る時と朝起きる時がいい!!。もう、なんちゅーか性欲は満たされているので(笑)、かわいさを思いっきり愛でる余裕があるのだよ。この余裕がある状態で、好きな子を眺める愛おしさは、妻帯者にしかわからんものかも、、、。疲れた休日の朝とかに、ふと感じるやつなので、旅行とかでは、ふふふなかなかわからんのだよ。・・・・ああ、でも、こういう感覚って、たぶん対等で、お互いの目線が一緒のカップルで、あまりすれてないで結婚しないと発生しないかもしれないなー。あんまりすれると、新鮮味が失われるものらしいから。周り見ていて、年をとってからとか経験値高い状態で結婚すると、この醍醐味があまり感じられないみたい。


僕は、仕事で忙しくてボロボロの状態で、あまりに会えないのがつらいので結婚したので、その上、さらに出張ばかりでほとんど会えない日が続く新婚生活だったので、、、1年後にようやく新婚旅行に行けたときは、、、その南の島のコテージでずーとぼっとしている日々だったけど、幸せだったよなー。この前、子供と新婚旅行の写真を見返したんだが、久しぶりに見たら、奥さんがびっくりするほど初々しくてかわいくて、、、あーやっぱ新妻パワーすげぇや!とうなったもんなー。息子も娘もママかわいいって連発してたし。まぁ、なんというか、幸せそうかどうかは笑顔でわかるよねー。はっ、なに話がずれてるんだ、、、


まぁ、何でもいいけど、やっぱりちゃんとした対等でお互いを向き合って結婚した後の、奥さんのかわいい寝姿とか、最高です、ということ。


アスナがキリトを好きな理由〜現実を直視できる生き方は苦しいけど幸せなんだよ

でもねこの「ちゃんと相手を向き合って」というのは、凄く難しくて、そう考えると、SAOのキリトをアスナ好きになった理由というのは、やっぱりいいよなぁ、、、。あれって「目的の奴隷にならない=今を生きる」ということの、言い換えれば、現実感を持って生きていることの幸せの意味を問うていることだから。 これがあってのこのシーンへの僕の感情移入があるんだろうと思う。アスナもはっきりそれを自覚しているところが素晴らしい。転移する時に、はっきりと、自分がキリトを好きになった理由を言っているもんね。キリトって、ようは、この目的(=強さを上げてこの世界を脱出する)ということの奴隷になっているシステムの世界の中で、「いまを生きる」という現実感を保持しているんだよね。このことが、アスナナルシシズムの檻を出るきっかけになった、と。だから、キリトくんが愛おしい、と。これは、非常にロジック的にと整っているし、なによりも、感情が乗るエピソードの組み方をしているよ。基本的に、生真面目な子なので、アスナが、恐怖の中で前へ進むこと、勝ち抜くことだけに特化して、恐怖を逃れて、目的「へ」の奴隷となって人生を生きている切迫感は、数々のシーンで描かれているからね。それを逆転させることは、彼女にとって、人生や生き方をひっくり返させるインパクトであったことは、わかるよ。


同じように物語を人生に敷衍するのならば、僕らも『〜へ』という目的志向で生きているのが、自己実現万歳のこの資本主義の競争社会の世の中なわけで、「それだけ」には、確実に幸せはない、ということがこれほど言説にはあふれているくせに、ほとんどの人が、目的志向の奴隷と化している。けど、別に、目的のために生きたって、「いまを生きる」ことはできるんだよ。風の美しさを感じたり、温かい陽だまりの中で転寝をする余裕さえあれば。。。キリトが10巻だったけ、アリシェーション編の最後だったか、このような冒険の物語を生きてこれた自分の人生に感謝するみたいなセリフをどこかで言っていた気がするのだが、ああ、、この作者の川原さんは、本当にわかっているんだなーと思った。この時代でキリトくんのようなシンプルな剣と勇気と冒険の物語を生きることの、難しさを。この難しさの自意識があるから、あれほどいい物語が描けるのだ、と思った。



■人気ってどれくらいなんだろう?

これ、人気はどうなんでしょうか?。そもそもネットの意見を読まないので、世間っていうやつがどう見ているのかが、良くわからないんだよね。僕の意見の源泉は、僕の周囲の知っている人の感想に限られるから。あんまり、それ以上に「世間」というか情報ソースを拡大していると、「自分が本当に何を感じているかが薄まりそうで僕は嫌い」。とはいえ、そもそもSAOシリーズは、ほんとにほんとうにはまっているシリーズなので、なんか気になる。といっても、調べない(苦笑)。というか調べ方がよくわからないんだよね。世間の認知は正直どうでもいいと思って過ごしている弊害だよなー。

僕の個人的な感想は、13話見てきて、やっぱりソードアートオンラインいいなぁ!すげ好き、と思いつつも、僕が好きなのはそもそも「脚本」というか本筋のドラマトゥルギーの展開なので、アニメーションの評価とは別に違う。えっとねぇ、もう少しわかりやすい感じだと、僕はそもそも小説のコアファンなので、映像になってくれただけで楽しめて、あまりほかのこと考えないんですよ。そもそも、メディアミックスに期待していないというのが本音だろう。よほど大事なもの以外は、期待しない方が、人生楽なのだよ。僕は、本編の強度を上げる刺身のつまとしてか、メディアミックスは受け取らない人なのでこだわりもないし。けど、まー僕のラジオを聴いている人は、初期のSAOのアニメの演出に僕はぼろくそ言っているわけだけど(苦笑)、全編見て、思うことは、やっぱり「そもそもの脚本のコア」がいいと、演出力なんか二の次なんだよなと思う。まぁ、これでありなんじゃない、と思う(←何様目線だよなー俺(苦笑))。でもそうすると、初めて見ている人や、子のアニメーションでSAOを知った人というのはこの作品を見てどう感じるだろう?って思うんだよね。


■キリトの主観で積み上げる演出か、外部から俯瞰して演出するかの選択は?

ヲタクとは言い切れないまぁ、ライトな感じの連中で見ている人の意見は、一様に「小説を読みたくなった!」と言っているので、凄い出来はいいんだろうと思う。そして、同時にそれらの人がみんな、けれども脚本や演出がバラバラな感じがするので、きっともともとの小説の出来はいいのに、それをつぎはぎした感じがするということを言うので、ああ、やっぱりみんなそう思うんだーと今は感じている。特に前半のキリトの主観のまったくの演出のちぐはぐさには、確かにひでぇと思ったもの。けれども、確かに、小説自体もキリトという英雄の物語の構造になっているので、こういうキリトの内的主観を丁寧に演出しないで外部から演出するってのは、手法としてはかなり限られてくるので、それしか選べなかったのかもな、という気はする。だって、外伝とかのエピソードを本編に組み込んでかさ増ししているので、その分だけ、1巻で潔く終わったキリトの英雄物語の小説の「演出手法」が選べないもの。

そもそも超弩級のシリーズで脚本もいいので、多少、演出がちぐはぐっでも、物語が進めば、どのみち世界は安定化するから。まぁこういうやり方もあるんだな、と思う。地というかベースの演出力は決して悪くないので、そうすると世界が安定する、、、。いい物語は、スタートが悪くても、話が進めば、おもしろく安定化するからね。玄人的というか、もう一歩のレベルを望んでしまうのは、消費者というか、長年物語を見慣れている半端な僕みたいなやつには、望んでしまうのだろうけど、、、まぁ予算と制限がある中では、これで十分なのかもしれない、という気もする。こういうので足がかりを気づいて、金とノウハウとこだわりを叩き込める基盤が生まれるのならば、、、、。とかとか、、、。そういう意味では、オリジナルアニメーションというのは、超弩級の苦労があるんだろうなぁ、と感心する。

ソードアート・オンライン〈2〉アインクラッド (電撃文庫)