『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』 原田曜平著 世界はメガリージョン(=広域大都市圏)と地方・郊外の二極化が起きるのか?

ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 (幻冬舎新書)

はい、最近忙しすぎて、絶対俺は死ぬんじゃないか、、、と、恐れおののいているペトロニウスです。フォローしている人は、twitterで励ましのつぶやきカモンです。たいて、苦しいとか、しんどいとか、ネガティヴな愚痴を呟いているはずです。まじで、気力、動機ともマイナス状態でフルスロットルです(笑)。本も漫画も激減といっていいほど読めていません、、、というか数か月前に比べると、信じられない環境の激変です。まぁ、もちろん海外に引っ越ししているので、これくらい当然といえば当然ですが、、、、。でも、ヲタクとして、中年に差し掛かりやっとできたヲタク友達を大事にしつつ、日本のローカル&ドメスティツクなヲタク文化にまみれて三昧でこのまま消えていける!と喜んでいたのですが、こんな中年になって、人生の激変が起こり、、、人生誠に万事塞翁が馬です。ちなみに、昨日久々に夜に時間があったので、精神的に追い詰められていたのか、思いっきり何冊もキンドルで漫画買って、読んでいて、、、しみじみいい時代だな、、、と夜中に少し涙が出そうな気分でした。


ということで、最近は全然記事がかけません。まぁ、経験や思考自体は進んでいるので書きたいことは、いっぱいあるのですが、、、時間がそもそもないんですよねぇ。仕事は全力アウトプット中だしインプットも物凄い感じなので、、、いやーこうして自分がステージの大変化みたいなことを経験すると、いままで自分が書いてきたBasic Skillの話が身に沁みますよ。なぜかっていうと、新しいステージの端境期ってのは、どんな人にも平等に同じレベルでの強烈なプレッシャーが同じパターンで訪れるんですよね。余裕がある時は客観的に、上から目線とまでは言わなくても俯瞰して、いろいろなことが「語れる」んですが、自分がその激しい激動空間にさらされて直面すると、ぜんぜん右も左もわからなくなってしまうんですよねー(笑)。まぁ、人生そういうもんです。「変化」ってそういうもんなんでしょうねー。前に一度、修羅場に突入している時には、賢しらな理論や言葉なんかまったく意味を持たない、、、経験だけが、自分の中にある内的な確信だけが、自分を支えるみたいなこと、ずーっと前にマネージャー研修で聞いたことがあるんだけど、、なんか、それをすごく思い出します。「いつか来た道」理論って僕は呼んでいる。こういう修羅場を生き抜いた積み重ねが、これを抜けたらきっといいことがあるんだろう!という刷り込みだけが、なんとか地獄を生き抜く糧になる(笑)。


さてさて、とはいえ、これは!と思った本は、読もうと努力しています。ということで、最近気になって読んでいるのが『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』です。ヤンキーという言葉が、最近はやりになってきたのはこの本がきっかけのはずです。原田曜平さんという博報堂のブランドデザイン若者研究所のリーダーが書かれた本です。



郊外で独自に発達中!新しい「ヤンキー」市場とは?/佐々木俊尚のニュース解体新書
http://crea.bunshun.jp/articles/-/4924?tw&utm_content=bufferb96ed&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer



この本をなんで僕が注目するかは、ブログの文脈を読んでいる人からよくわかると思うのですが、この本のポイントは、大都市と郊外・地方の文化が分化して分裂していること指し示しています。

郊外化、という文脈は、よく語られますが、この分裂は、成長と成熟という内面の豊かさの感じ方が、分化しているのではないか?というこのブログの基本主張の文脈ととてもリンクします。また、帝国化する企業の感想記事とかでも書きましたが、世界はメガリージョン(=広域大都市圏のこと)同士の競争というフェイズに入っており、その大きな流れで、国民国家の統合(=国民国家とは地方と都市を統合する仕組み)の力が失われつつあり、その時には地方がそれに取り残されるという大きなマクロダイナミズムが存在すると、僕はビジネスの分析で考えています。ちなみに、大泉啓一郎さんの分析やレポートは素晴らしいです。お勧めです。でも、この人は、実際会って話を聞いたほうが100倍くらいおもしろいです。語り口に本質が出る、と僕は思うので、この人のぶっちゃけ口調は、超本質をえぐります。



『企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン〜新しい統治者たちの素顔』 松井博著 これからの時代に必要なものとは?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130503/p3



消費するアジア - 新興国市場の可能性と不安 (中公新書) 企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン〜新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)



そうしたマクロ動向の理解からすると、いろいろな観点でものを語ることができます。けれども、ビジネスをするときの悪い癖なんでしょうが、尖っている、勝っていると、キラキラしているところだけを見ていて、みんなコトの本質を見失うということが、長くいろいろな経済誌や学説の変遷を見ていると、感じるようになってきました。どういうことかというと、このメガリージョンと地方の対立という構造で見たときに、メガリージョンの方ばかり注目するんですね。二項対立にして、勝つ方だけを分析する。特にビジネスの先端を走っている人は、鼻が利くので、こういう意見ばかりになります。そして、たいてい失敗する(苦笑)。


というのは、こういう時は、実は、大都市以外に、、、、つまり、注目されていない部分に、この大きなマクロ構造の変化の本質が隠れていることが多いのです。僕はよく基本志向で、物事の極と極を追えといいますし、逆方向をまず考えろというのですが、そういうのってまず世の中の流れって、追わないってのがあるからです。


けど、うん、、、取りに越される地方や郊外を、どのような文脈で表現するかというと、とり残される格差とか、だめになる限界集落的な、二項対立の敗者的な位置づけでスラム化とでもいってもいいような荒廃する文脈でしか皆見なかったんですね。これは、たぶん、古き左翼リベラリズム的な二項対立の視点の残滓というか、パラダイムなんだろうと思います。それは、だめな思考だと僕は思うのです。


けど、いやいや、実は、そここそが熱いんだぜ!!!といっているのが、このヤンキー経済の流れだと思うのです。そこに大都市とは異なった層のカルチャーが生まれている、という分析なわけです。昔は、地方というのは、遅れて大都市のコピーが波及するに過ぎない場所でした(実際はほんとは違うんだけど、、、)。このあたりは興味深いので、コツコツ追いたいと思います。なので、物語三昧の読者は、この本は必須なので、教科書として読んでおいてください。いやーちょっと難しいわ、、、という人は、このへの記事をググって、読んでおいて、思考の蓄積にしておいてください!。


ちなみに、ちきりんさんの以下の記事が、このメガリージョン(=広域大都市圏)同士の競争が、世界のマクロを形成するという大きな流れをとても分かりやすく説明されていて、いいと思うので紹介しておきます。僕はこういうメガリージョンの競争が本当なのかどうか?ってのは、いまいちわかりません。僕は学者ではない、なんちゃって読書人なので。30年後ぐらいに歴史が判断するでしょうが、、、左翼的な言説が全く無駄なのは、ビジネスの世界では、もう10年以上前から常識的にこの視点で分析して意思決断してて、それがやっと世の中に見えるようになってきただけです。海外のマーケッターに根拠を聞いている時に、本人すらもよくわかっていないんでしょうが、そういう構造で統計データを取っているし、分析して商品やビジネスモデルの設計をしていたもん。今思い出すと、ああ、あれってこのことだったのか、、、と、衝撃を受けます。当時は、こういうわかりやすい言葉やレッテルがないので、「これ」って指し示しにくいんですよね。あれは、、、バンコク圏のマーケティングの分析データーの話だったなぁ、、、。なつかしい、、、。意思と実行力で、世界は動いています。思想とか学説は、結構遅れて現実の変化が起きた後で、それを解釈後付するんだよねー。まぁ、世界中を出張でいきましたが、まぁ、明らかにこれ、実感を伴って事実だと思います。大都市と地方、日本も含めてめちゃくちゃいったけど、そうだよなーとしみじみ思います。


格安生活圏ビジネス → http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081121

国際都市としての競争力強化という争点 → http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140119

伝統都市と戦略都市の違い → http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140124

輸出黒字ではなく、聖地を目指せ! → http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140129

夜へ! そして 空へ! → http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140203


さて、もういっちょ、物語三昧的な視点で、いうと、成長と成熟という内面の豊かさの感じ方が、分化しているのではないか?という部分ですが、まぁ僕が、とってもマッチョイズムな成長至上主義の生き方をしている人だというのは読んでいるとわかるとおもんですが(笑)、僕の人生の課題はどうやってこの成長の、比較級の世界の絶え間ない競争から、降りる、解脱する、換骨奪胎する、というものであって、なんというか、やっと自分の好きなものを見つけて、それと友達と耽溺していくと、おおっこれって絆じゃん!絆があると、人ってすごい豊かになるんで、成長がいらないんじゃん!(=>極端な思考)という風に話が進んで行ったのですが、これは「僕の物語」なんですね。僕は、競争至上主義で生きてきたし、その世代だった(=団塊の世代Jr)し、世界に冠たるフロントランナーメガリージョンTOKYOで青春時代をずっと過ごしてきたので受験戦争のコア中のコアの世代であり、同時に、その価値がどんどん失われて明治建国以来のペーパードラフトによる科挙選抜システムによる階級ランキングトーナメント方式が、崩壊してうち崩れる原初に居合わせた人生なわけです(笑)。80−90年代が青春時代なので、下級武士のエートス的なもので、全体主義社会主義の完成形のような国民総力体制を、コントロール主導するという追いつけ追い越せ(=目標がある競争)がめちゃくちゃに壊れていく、ジャパンアズナンバーワンから失われた20年へがもろ被りです(笑)。


けど、30以下の若い世代(80年代頃の生まれ以降)の話を聞いていると、成熟(=永遠の日常(=廃墟の世界が滅びた希望なき世界を生きる)を戯れて生きる)は、もうすでに当たり前のパラダイムであり風景であって、絆による戯れる日常を彼らは生きているんですが、その彼らの大きな課題は、実は、どうやったら成長できるの?ってことにかなりシフトしているんです。僕にはそう見えます。


おお、これってまったく「僕の物語」と逆の物語なんだ、マクロ環境の構造は全く同じであるけれども、とびっくりしているんですよねー。要は、本当に世界が豊かになってきたので、いままでだったら二項対立で競争の対象になるような物事が、同時にどっちも選択の問題だよ!という風に並列して大きな流れとして同時に存在してしまう、という現象が起き始めているのです。豊かさというもの定義は、「選択肢がたくさんある」、というものです。何かの価値基準が、支配的になることではありません。これ意外に思想の競争している人たちは勘違いするのですが、間違いなく豊かさというのは、何でもあり、という選択肢の自由選択の出来る幅が多ければいいほど、いいのです。アメリカなんか、アーミッシュのように、古き共同体で文明拒否する自由すら認められているではありませんか?(論争はあるものの)。


Lean In: Women, Work, and the Will to Lead


女の子を「生意気」というのはもうやめよう―サンドバーグ氏ら
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303565804579430463748039566.html?id=fb&reflink=fb



高学歴女子が新・専業主婦を目指す時代
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20140306/p1?utm_content=bufferca42f&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer



この話が、とても興味深い分裂で、似た構造に感じるのは僕だけでしょうか?。フェミニズムの極地として、女性が権利を獲得していく過程で現在の到達点として、二つの視点、生き方が示されています。一つは、サンドバーグさんとかの、もっとリーダーシップをとって成長しようぜ!!!という成長の志向。けど、いや、この永遠の日常(=低成長時代が続く先進国のデジタル中世的な経済成長が大きく動かない世界)では、ロハスな、実感が伴う絆が重要なんだぜ!っていう方向性。『ハウスワイフ2.0』の、別に高学歴の果ての競争なんか放棄して、楽しく生きればいいじゃないか!っていう流れ。この流れは僕が、競争の世界から降りたい!と、競争にそれなりに勝ち抜いたからできる贅沢な思考で、これは僕にはよく理解できます。


これって、とても似た潮流に感じませんか?


ハウスワイフ2.0




さて、これから人類は、どうなるのでしょうか?



さて、僕は漫画が大好きなので、こうしたイメージを見せてくれる物語が好きですし、探しています。最近だと、このメガリージョン(=広域大都市圏)と地方・郊外化の二極化の世界がどうなるのだろう?、また、この違いは、生き方の価値観の違いにとてもあらわれて、



(1)宇宙開発(=エネルギー問題の解決!)をベースとするグローバル経済の舞台で成長をガンガン志向する生き方と、


(2)いやいやデジタル中世的な永遠の日常を、友人との絆と実感をベースに幸せを追求する、



っていう二つの生き方を統合リンクさせるような物語は???って、、、、いや、これが凄いもんで、あるんですねぇ。どっちかによっている物語は、いつでもあるんですが、、、、この背景を理解して、世界観としてちゃんとビルトインさせて、かつ、物語のドラマトゥルギー的にセットしている物語って、なかなかありません。


けど、あるんですよねー。このブログは、そもそも赤松健さんのネギまの感想でヲタク化したブログなのですが(笑)、あの続きのUQ Holder』が、まさにそういうイメージですよね。地方の少年が、銀河系の軌道エレベーターの向こうの世界を目指すという構造設計に加えて、永遠の命を持つ吸血鬼の設定(=吸血鬼物のドラマトゥルギーって永遠の日常を戯れる生き方のカリカチュアライズです)って、いやまーすげぇよって感じです。どこに行くのか、とても楽しみな作品です。・・・思い返すと、『魔法先生ネギま』って大傑作だったと思うのですが、見事に成長に貫かれた少年漫画だったんだなーと思います。


UQ Holder 1 (Uq Holder!)


なぜ浦和レッズ李忠成選手を獲得したか  -差別横断幕の本当の原因とサッカーのチカラ
http://masterlow.net/?p=1107


ちなみにこのヤンキー化の問題と、大都市圏(=メガリージョン)と地方・郊外化、その抽象度の高いものであるネイションステイスの弱体化は、こうした多様性と排他性の戦いのドラマトゥルギーを生み出し、かつ、右側の言説、とりわけクローズな共同体志向の復興(=絆と実感の称揚!)と重なると僕は思っています。


そういう意味で、この話はめちゃくちゃ刺激的です。


この本も、素晴らしいです。ファガーソンはぜひとも押さえておきたい現代の論者ですね。

劣化国家