『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』 香月 美夜著  対等な目線感覚が、異世界転生のチートさの臭みを消去する

本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 第一部「兵士の娘II」



本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜
香月 美夜(かづき みや)
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大好きです。ドはまりしてしまって、ずっと寝不足でした。一気に読んで、さすがにもう更新されるまで待たなきゃーと思ったら、ものすごい勢いで更新、、、気づいたのですが、この人凄い頻度で更新していますね(それまできついていなかった)。凄く好きです。たぶん、なんというか批評的に、物凄い差別化できて、ここが凄い!とかいう作品ではないだろうし、それなりに人を選ぶ作品だとは思うのですが、僕はとてもとても好きです。


■チートであることの卑怯さを、健康に強い制限をかけることで、そこに生きる対等感覚が生まれている

なんで好きなのかな?というと、たぶん「目線」。凄く印象的なのは、、、、えっと、

本が好きで、司書資格を取り、大学図書館への就職が決まっていたのに、大学卒業直後に死んでしまった麗乃。転生したのは、識字率が低くて本が少ない世界の兵士の娘。いくら読みたくても周りに本なんてあるはずない。本がないならどうする? 作ってしまえばいいじゃない。目指すは図書館司書! 本に囲まれて生きるため、本を作るところから始めよう。

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これが、あらすじなんですが、要は典型的ななろうネイティブで、異世界転生ものです。そんでね、5歳の女の子の魂に転生するようなんですね。その時は、その5歳の女の子のマインは、死んでしまっているようです。これ、異世界転生で、生まれ変わった時に、他人の体を乗っ取っていしまったことに対して、どういう倫理的決着をつけるのか?、この問題意識って実は、転生ものにおける重要なポイントだと思うんですよ。この類型における重要なポイントで、それがとても丁寧にうまく描かれていて、僕はとても読んでいて、さわやかな気持ちになります。


なんでそうなるのか?を、いつものごとくくどくど前置きから説明します。


異世界転生の俺ツェェー系の類型の話に置いては、もちろんのこと、現代の進んだ文明の「格差」を利用する植民地視点的なチート視点がある、と過去の記事で書いたことがあります。そのチートさこそが、この類型の魅力のコアの一つだと。一昔前の『反逆のルルーシュ』のあたりで話していた、全能感の接続するものですね。僕はこの植民地的な視点というのは、告発的な揶揄で書いているわけではありません。人間は、こういうのが大好きなんです。前に書きましたが、19世紀には、フランスの海軍の将校がたくさんの小説を書いて凄い売れたそうなんですが、その内容が、まさにこの植民地的な文明の落差を利用したもので、ほとんどすべてが、現地の酋長や族長の娘を嫁に差し出される(苦笑)というものになっていて、ああ、、、人間の想像力はほとんど同じなんだなって思っています。アメリカでいうと、有名どころではポカホンタスの物語がまさにこの類型ですよね。なにしろアメリカの国会議事堂の絵画にまで書かれている有名な話です。ちなみに、ここでいったフランスの海軍士官は、もちろんこのころ日本や様々な未開の国、といわれるくにに軍艦で訪れていた体験記の体裁を取っていたようです(←そのまんま!(笑)。

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あっと話がずれましたね。えっとね、うん、僕はそういう「格差」を利用したチートさを楽しむ類型の物語を、それそのもののことで、批判する気はないんですよ。植民地的、という表現は語弊があるかもしれませんが、、、、。人間って、そういうものなので、それを物語で楽しむのは、原初的な想像力の欲望なんで、そこは僕は肯定したいです。。。。とはいえね、本質的な底の部分を肯定した上で、それでも、全能感の時の議論に接続するんですが、、、ああ、僕が唯一といってもいいくらい、酷評と許せないと怒ったアニメーションのラインバレルという作品に対して、の問題点と同じなんです。

鉄のラインバレル日高政光監督 主人公の醜悪なルサンチマンにひきませんか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090113/p1

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仮に、そういった「文明」の格差を利用したチートが、厳然とあったとします。まぁ実際、この500年ぐらいは、西洋文明優位の世界が続いてきたわけだし、そういうものって、マクロ的とか、グランドルール的(僕的な言葉で云うと)にあるという状態があることはありえると思うんですよ。けど、仮にそういう外聞環境があったとしても、そこに生きるミクロの個人が、そういったチート的な問題に対して、どのように倫理的に行動するか、考えるかということは全然別にあると思うんですよ。


なろうの異世界転生俺強ェェー系(適当に表記しています(苦笑))の原理的な部分


1)生まれ変わりで他人の命を奪って?その心の中に入りこんでしまった


2)優位性のある文明の記憶を持って階の文明に干渉する特権を持つ


いろいろバリエーションはあるにしても、この2点に対して、この作品は、僕はとってもうまく倫理的に対応していると思うんですよ。

マインになりたくてなったわけじゃないとぶちまけた瞬間、ルッツが虚をつかれたような表情になり、肩をつかんでいた手が緩んだ。

「お前、マインになりたくなかったのか?」
「ルッツなら、なりたいと思う? 最初なんて、家から出るだけで息が切れて、次の日は寝込むような身体だよ? やっと森に行けるようになったけど、成長は遅いし、今だって、ちょっと油断したら熱出るし……」

中略

「ホントに何もかも嫌で、もうどうでもいいや、って思ったら、ぐわっと熱が襲いかかってきてね。もう抵抗する気もなかったから、あのまま死んでも良かったんだけど……ルッツとの約束、思い出しちゃったんだよ」


第一部 兵士の娘 ルッツのマイン
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この部分なのですが、


1)生まれ変わりで他人の命を奪って?その心の中に入りこんでしまった


これに対して、大きな病気というか、、、主人公のマインは、物凄く体が弱い設定なんですよ。ちょっと虚弱というには度が過ぎるくらい、いつ死んでもおかしくないくらいからが弱い。しかも、この長い話の間中ずっと、何度も何度も、主人公が重要な場面で倒れたり意識を失うシーンが繰り返されます。ほんとに、もうまともに生きているのがかなり不思議なくらいに、身体が弱いんですよ。なので、この体で生きるメリットがあるか?と問うと、かなり、疑問なんですね。なので、これ卑怯(チート)か?っていうと、かなり疑問なんですね。周りから見てもそう見える。


また、それだけ生きるのがしんどいこともあって、「別に死んでも仕方がない」というあきらめの境地を主人公が持っています。


このことは、僕は、全編にわたって、たしかに他の文明の優位性を持ち込んでいるチートなんですが、決して、卑怯に感じさせないと思うんです。読者にたいしてもだし、マインの幼馴染のルッツに対してもです。


全能感をベースにした物語、こうしたチートさ(卑怯さ)をベースにした物語は、最初は気持ちがいいのですが、物語が進んでくると、、、全能感が過ぎてカタルシスがなくなってしまったり、どうしても倫理的に許容することが難しくなったり、現実にありっこねぇ!(実際にあるかどうかは全然別の話)と思ってしまう物語没入感覚に制限をかけたりという問題点があります。


そういえば、なろうの傑作『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』の記事で、もう一度人生をやり直して、過去自分がダメだったこと痛切に噛みしめる対比構造になっているが故に、美しい、そして小説として面白い、という記事を書きました。結局のところ、全能感は、みんながほしいものではあるけれども、そこに何らかの制限がかけられなければ、物語としてのダイナミズムというか、納得感が失われてしまうみたいですね。



無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』  理不尽な孫の手著 異世界転生の日常やり直しセラピー類型の、その先へ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131105/p1

無職転生 ~異世界行ったら本気だす~ 2 (MFブックス)


けど、この香月美夜さんの『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』では、全編その臭みがないんですよね。それは、いくら


2)優位性のある文明の記憶を持って階の文明に干渉する特権を持つ


というチートさの全能感を展開しても、マインの人生はとっても健康に制限がかかっていて、けっして卑怯なくらい楽というわけではないからだと思います。


上記で引用しましたが、この


(1)マイン自身が死んでも仕方がないというあきらめとを持っていること


(2)健康に強い制限がかかって、非常に生活が大変なこと


この二つに対して、、、、ここが重要なのですが、「ルッツのマイン」の回で、幼馴染のルッツが、おまえだれだ!!!と告発していく過程で、マインが、一生懸命生きていること、どんなにチート的な優越性を持っていても、それを「発揮する」ことが本人の強い意志と努力がなければ、どうにもならないくらい難しいことを、、、強く共感している部分です。サブタイトルで書いたのですが、そこに対等な目線、が生まれるのです。僕はそう思います。


そして、この対等目線の感覚がないと、主人公が、その世界に生きているように感じなくなってしまうんだろうと思うんですよね。つまりは、他者がいない世界になってしまう。全能感とは、ナルシシズムの檻であって、ナルシシズムの檻とは、他者がいない世界です。他者がいない世界は、安楽な代わりに、地獄ともいえるほどに無意味で無価値で退屈でつまらない世界です。


たぶん、、、、この俺強ェー系の全能感を充溢する物語類型には、その「面白さのコア」の鮮度を保つために、何らかの制限をかける必要があるんだろうと思います。かなり前の話題で、空から女の子が降ってくる落ちモノ系の作品構造を、契約と再契約という2段ステップを踏まないと面白いだけではなく、読みごたえのある作品にならないということを書いたのも、同じことだろうと思うのです。


まっ、話が長いんですが、、、、ようは、優越する文明の知識を持つマインは、凄いチートな存在なんです。それに比べると、幼馴染のルッツなんて、虫けらにも劣る価値のないただの遅れた文明の子供です。けど、同じ世界に生きる「対等さ」をお互い感じ取る契機が構造的にビルトインされていることで、そうではなく、大事な対等の価値を持つ他者になるんです。これは両者側からの視点でも言えることです。


なので、さわやかなんだろうと思うのです。なので、長い長い話の展開の中で、色あせないで、とてもルッツへの思いが、家族の思いが愛おしく価値があるものとして感じるんだろうと思います。


まぁ、あいかわらず抽象的なことをこねくり回して書いていますが、ようは、マイン、いい子だなって思うんですよ(笑)。ルッツいいやつだなって思うんです。この二人を見ていたいなって思うんです。


物語には、それが大事なことでしょう?


対等な目線が、そこにキャラクターの実在感を生み出しているんだろうと思います。ルッツって、最初の登場した時から少しの間、僕はただのモブ(=群衆)だと思っていました(笑)。けど、マインが何度も倒れているのを助けることに巻き込まれているうちに、なんとなく必要不可欠になっていって、、、マインの独走から逃げられなくなってん巻き込まれていく感じは、まさにラブコメの幼馴染キャラで(笑)、、、、それが、マインが誰かの生まれ変わりだということがわかって、告発のシーンになってからは、、、とても対等になった気がして非常に感動しました。ルッツにとっても、マインの体の弱さが故に彼女がいつ死んでも構わないという告白(あきらめ)は、彼女が望んでその場所に来たわけではないことを強く感じさせるし、それに、、、これまでの二人の関係性は、マインが倒れたのをルッツが助けるという形で繰り返されていて、ルッツにとっても、どんなに異世界の文明の知識がある凄い人間であろうと、マインは、ルッツがいなければどうにもならないということは、明白なんですよね。なので、「俺が必要なんだ・・・・」という実感は強く感じるはずです。どっちにとっても、彼らの日常が普通に続く(=ただ生きていく)だけでも、お互いは必要不可欠なんですよ。これって、やっぱりその世界に生きているというような実在感をとても感じさせるエピソードでした。この対等な目線が、全編に漂っているところが、異世界転生ものの俺強ェェー系の全能感ものの、臭みをバランスを取ってこういう感じのいい作品ができているんだろうと思います。



異世界生まれ変わり日常系のなろうの究極『そだ☆シス』とのたった一つの差異 

そだ☆シス 作者:Mie
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でもね、、、、この『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』って、おもしろいかっていうと、僕は人を選ぶところはとてもあると思うんだけど、、、それは、『そだ☆シス』ととても似た感じなんだと思うんですよ。このあたりの話は、ずっとてれびんと話しているんで、ラジオでもいっているので、知っている人はいるんじゃないかな?。こんど、てれびんと、ラジオでもやるかなーなろうラジオ。これって、なろうをめちゃくちゃ読んでいる人でないと、話が広がらないんだよなー。。。。えっとね、『そだ☆シス』って、知らない人に説明すると、

異世界に転生した主人公が、一緒に生まれてきた双子である妹ちゃんを、前世の知識を活かして育てます。 最初は言葉さえ通じない中で、主人公は必死に勉強しながら頑張ります! 対する妹ちゃんは天才美少女、モーレツな勢いで成長します。 でもそれ以上にエスカレートしていく、お兄ちゃんへのラブ♪

……果たして、妹ちゃんを正しい方向に導けるのでしょうか? その悪戦苦闘の様子を、0歳からじっくりと……それはもう、じーっくりとお送りいたします。ところでお兄ちゃん、キミも大概おかしな方向に成長してますよ?


異世界転生した人が、自分の双子の妹をずーーーっと、観察?、教育?するというか、、、なんというか見守るってい話なんですよ。0歳から。。。。わかります?。0歳から、ずっとかわいい妹の観察日記なんですよ。何が描かれているかというと、妹がたった!とか、、、そういうのです(笑)。


物語もなにもあったもんじゃねぇ!!!(笑)


って読んだ当初は叫んでいました。要は育児日記なんですよ。これは、とても興味深い作品で、なろうネイティヴ(=小説家になろうのサイト特有の文脈)の一つに、日常やり直し系というのがあります。この日常系という言葉だけで、僕がこのブログでずっと語ってきたハーレムメイカーの分岐のその果てに、永遠の日常を楽しんで生きるルートに到達していて、その最高峰の作品に『ゆゆ式』のアニメがあるって話は、凄い長い話なんですが。。。(苦笑)、えっとそこと同じようにとらえてもらって結構です。

ゆゆ式 6 (初回限定版) [Blu-ray]


えっと、『日常やり直し系』の話でしたね。えっと、異世界転生というフォーマット的に収斂していて、一つの市場というかセグメントは、同じものに収斂していってしまうという話が最近は、なろうに語られる言説には多いのですが、僕は半分嘘で、半分ほんとだと思っています。たしかに、ランキングの上位に入るものは、異世界転生ものというなろうネイティヴのグランドフォーマットのインフラストラクチャーに収斂されています。そういう意味では、単一の価値観に収斂してコンテンツが多様化していないように見えます。けど、僕は、同じ土台(=インフラストラクチャー)で、さまざまなバロックな多様的な展開がされていて、それが単一に収斂しているようには全く思えません。一つの機能するセグメント、市場、において、同構成のインフラが使用されるのは、僕は当たり前なんだろうと思います。なので、そもそも、市場が一つしかないような独占状況を想定する必要はなくて、このインフラの多様性が可能性がほりつくされれば、異なる市場が生まれすし、そもそも、常に異なる市場が同時並行で存在するものなんです。また、そうあるべきなんです。なので、なろうの市場一つを取って、共有インフラの部分を、いってみても僕意味ないと思うんですけど。あまりに当たり前の話なんで。えっと、日本という限られたセグメントの市場で、日本語がインフラストラクチャーとして使用されていることを持って価値観が多様化していない?という議論にならないと思うんですけどねー。


なので重要なのは、そのインフラを使って、どんな多様性が展開しているのか?、作者が、消費者が何を求めているのか?の具体的なものを見ないと、大地の構成や道ばかり見て(-マクロばかり見て)、道端の花の中にある宇宙を見損ねると思うんですよ(=ミクロを見ていない)。


というわけで、異世界転生ものが、俺ツェーーーという全能感ばかりではなく、日常の主観追体験型の人生をゼロからやり直す系統の文脈があって、その場合、マクロにかかわる戦記ものなどの英雄の話にシフトするか、ただ単純に、失われた現代の自分の日常を、より鮮やかで、かつ自分の理想であった形で追体験する「だけ」のセラピー型と僕は呼んでいますが、そういうものに分岐しているというところは注目できるところだと僕は思います。ちなみに、こんな差異は、ほんとうに、なろうの小説群や、ウェブ小説、そして物語が好きでないと読み込んでいないし、興味もないでしょうから、そういうマクロの分析家は、こういう「具体的な中身の展開」は全く記述しないと思うんですよね。そういうのって、うわべの分析なんで、僕はほとんど意味がないと思うんですよね。そんなのは、経済学でも社会学でも科学でも、なんかの似たロジックを当てはめればなんでも、知ったかぶりで分析できるじゃないですか?。でも、具体的な中身にまで踏み込んで話さないと、本当は、分析に意味を成さないと僕は思います。


話がそれた、、、、。


『日常やり直し系』の話でしたねって、このセリフ2回目、、、。そんで、、『そだ☆シス』が、非常に独特なのですが、これをただの育児日記と考えると、位置づけがはっきりするんですが、その場合、異世界から転生した大人の視点が兄貴側に入っているので、現代の自分の意識(=感情移入しやすいですよね)で、かわいい妹を0歳から家族の愛に包まれて観察し続けるという話になります。。。。こうかくと、、、なんか泣けてきますね、、、、。そんなに穏やかな日常が必要なのかって、、、、(涙)。まぁ、それはさておき、その観察育児日記が、延々続くわけですよ。


妹(セーレたん)が笑った!


妹(セーレたん)がたった!


妹(セーレたん)が喋った!(もしかして天才かもしれない!!!)←親ばかならぬ兄ばか


そういうのが一話づつ、展開するわけです。


・・・・・・・・・ハイこれを読んだことがない、そこのあなた!!!


すげぇ、つまらなそう!っておもったでしょう!!!!



ハイ、つまらないんです(笑)。



他人の育児日記を見せられるほどつまらないことはないですね(笑)。


というか、なぜつまらないかは非常にわかる話で、それは、これが商業パッケージで売られている小説やアニメならば絶対ありえないような、起承転結とでもいうような「構成」が存在していないからですね。なので、


時系列が一直線なんです。


なろうの作品はほぼすべてが、とはいいませんが、素人が書いていることもあって、時系列の接続がシンプルで、構成が構築されていないものがほとんどです。たまに『Re:ゼロから始める異世界生活』のような、異様にうまい小説が混じったりしていますが、それはイレギュラーで、基本のインフラは、時系列が一直線のものが多いです。ちなみに、リゼロ、素晴らしいですよ、マジでいいので、ぜひともおすすめです。

Re:ゼロから始める異世界生活 1 (MF文庫J)


さて、これって、ウェブ小説と商業ものパッケージを比較するときに、物凄い大きな差なんですよ。


ようは、商業パッケージは、圧縮してコストや体裁に合うように密度を上げます。また、ちゃんと構成を構築します。だって、1巻の終わりに、どこで終わらせるかのひきやためは重要でしょう?。とかとかそういうのです。また、1巻で売らなければいけないので、まずはわかりやすく、結論から持ってきたりします。ようは、ダラダラ主観で、しかも時系列一直線の「読みにくい」ものなんか、誰も買わねーよという前提なんです。これって、紙や媒体が貴重(コストが高くて希少だった)であって、という状況から来た技術・作法なんですが、ウェブの媒体では、これが問題にならないんですね。ほぼフリー(ただ)ですから。また、文字を書いてアップするだけで、中間の本というリアルなものを作る時間が必要ないので、出版の頻度のハードルもの劇的にコストが下がります。なので、こういう育児日記を、毎日垂れ流す形式で、だらだら書くのは、全然問題なくできるんですね。

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このウェブ小説の、毎日とか毎週とかの定期連載に、この主観形式の時系列一直線のものって、物凄くマッチするんですよ。どうも。


これ、出た最初は驚きで、違和感があったんですが、こういう作品ばかりたくさん読むようになってくると、普通になってきた感じがします。僕は今は車通期なんですが、電車で通勤している時は、毎日、セーレちゃん(『そだ☆シス』の妹様)の成長ぶりを愛でる毎日でした(笑)。軽く15分ぐらいで読めてしまうので、毎日なら問題ない量ですよね。しかし、あとで一気に読むと異様なほどの量になります。『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』も、最新話まで読みつくすまで、物凄い寝不足でした。


っていうような、、、『そだ☆シス』の日常系の育児日記を、見て、この形式はありうるなーって思っていたんですが、『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』も同じくらいのボリュームと、ほぼ毎日更新で、かつ時系列的にほぼ主観の垂れ流しになっています。けど、たったひとつ『そだ☆シス』と極端に大きく違うところがあります。それはタイトルにあることですが、


このマインという女の子は、本が作りたい!、読みたい!!、本に囲まれて暮らしたい!!!という目的意識が強烈にあるんですね。


言い換えれば、物語に目的が存在するんです。これ、日常系では画期的なことなんです。日常系の定義は、目的がないこと!!!ですらあるわけですから!!!。


なので『そだ☆シス』に比べると、圧倒的に物語が締まっている感じがします。どっちがいいかというのは、質や目的が違うので、いえることではないのですが、、、、あの弛緩した日常描写の『そだ☆シス』もたまらなく好きです。けど、基本的には、主観による時系列一直線のだらだら描写は、密度が薄いので、読む側にそうした弛緩したものを眺める作法というか心理状況がないと、マッチしません。まぁ、読むのに「時」があるのは、当然なことですので、言うまでもないのですが、、、、意外にみんな一律で物語を価値判断してしまう人が多いので、いちおーーいっておこうかなって。ハリウッドの意味なしなエンタメで頭空っぽにスカッとしたい時と、難しい映画で頭を悩ませたい時は、当然違う要求があるわけであって、受け取る側の要求が違うからといって、自分が求めていないものを価値的に優劣をつけるのは、おかしな話だと僕は思うんですよ。


えっと、話がそれた、、、、なげぇえなー前置きが、、、おれは、、、、。ようはね、


僕もとても目的志向で生きている人なんで、、、しかも、本が好きだ!!!活字に囲まれて暮らしたい!!!!という原初的な欲望をベースに、それだけで生きているマインって子は、もうめっちゃくちゃ感情移入しちゃうんですよ。というか、大好きです。作者は、最初のあらすじで、主人公は性格が悪いかもと書いていますが、ぜんぜんそんなことはないと僕は思います。天然でストレートで、とってもかわいい女の子だと思います。この子の異世界転生前の死ぬ前に、大学とかで出会ったら、僕たぶんそっこー惚れると思います(笑)。まぁ、というか同志になりそうですけどねー(笑)。本に埋もれて暮らしたいって。


異世界のルールとその「差」を、日常レベルの具体的な目線で気づきを感じるインプロヴィゼーション

そんでね、、、、ああ、、もう疲労しきって、書くのしんどいんだけど、、、残しておかないと忘れるんで、、、、、、えっとね、サブタイトル通りなんだけど、こういう日常系を書く人って関係性のみに特化してて、マクロがかけない人が多いんですよ。けど、なので、この世界のコモンセンス(=常識)が我々とどう違うのかが、全然描かれない、、、というか、ほとんど意識されないケースが多いんですね。けど、この作品って、凄い差が細かく描かれているの。それも説明口調ではなく、主人公に目的があるので、その目的のために挑戦すると次々に、異世界の隠れている文化コードというか、差異がたちあらわれてくるんだよねー。これってセンスオブワンダーだよなーって、てれびんと話してた。こういうのを長い作品で、ジワジワ見せられると、とっても楽しいです。


あとね、、、もう一つ気に入っているところがあって、この長い長い、等身大の視点で話が進む物語で、なんというか、コツコツ、ちゃんといろいろな異世界転生の文明格差を利用した物語類型に起きる問題点を、少しづつプラクティカルに答えようとしているんだよね。


最新話(14年6月時点)のあたりでは、彼女はついに貴族の立場にまでなったんだけれども、為政者の視点で、誰をどのレベルまで救えるのか?そもそも、為政者としてマクロで関わることとはどういう意味があるのか?ということを、こつこつ神官長に教えられて体験していくことになります。とても誠実、わかりやすく、問いかけられて、それに答えていく。もちろんこれには、『答え』というものはないんです。孤児院で飢えた子供を救うにしても、自分が目が届く範囲でやるがが限界です。また、そのための法整備から経済構造の転換、権力闘争などのマクロの構造を変える努力をしなければ、目が届く範囲以上のことはできません。明確に線引きがあります。それが不公平だと唱えても、それが現実です。その不公平さを一旦は受け入れるのが、現実のグランドルールというやつです。けど、それは、「現時点では」という但し書きがつきます。彼女が成長したり、マクロの環境が変わったり(変えたり)時間がたったりすると、これは変わります。なので、いったん受け入れながらも、異なるステージで異なる答えを探していくっていうのが、現実的な態度だと僕は思うんですよ。この作品は、起承転結がない系の主観垂れ流し系なので、逆にそのために、答えを劇的に出す必要がなく、現時点でのことをコツコツ積み上げていて、、、漸進的な変化を希求する真の意味での保守的な態度(笑)で、僕はとても好きです。



ああ、、、もう長くなりすぎた、気力がなくなったので、このへんで、、、。言いたいことの半分もかけていない、、、。というか、行きつかなかった、、、。僕の文章はいつもこう、、、。



てれびん、今度ラジオでもしましょう。