別の著名な憲法学者の方は、「外務官僚には自衛隊に入隊を義務づけて、危険地域を体験させよ」と主張しております。そうすれば自衛隊を危険地域に送る法律は作らないだろうと。事実は逆だ。危険だから自衛隊を派遣できないとされるバグダッドには二十数名の外交官が大使館に住み着いて必死でイラクの復興のために今日も走り回っています。すでに2名の外務省職員が尊い命をテロリストに奪われましたが、彼らはひるむことなくバグダッドに踏みとどまり、今も職務も全うしている。
岡本行夫氏の国会証言
池田 信夫
http://agora-web.jp/archives/1648629.html
友人が危険地帯で働いている人、似たような境遇の人、結構います。けど、だれも、日本政府や日本国民の悪口をいったのを聞いたことありません。仕事のプロフェショナルなるとしてやっているだけだし、そんないってもしょーが無いことは言わないんだと思います。まぁ、日本の外で働いている人は、変な幻想を見るとそもそも生きていけないので、そんな意味のないことはないわないんだろうと思います。でも、国家として、この問題がちゃんと事実を踏まえて議論され、それを前提として報道されないのは、やはりおかしいよなーと思います。これからの時代は、税収が不足して国家機能が低下していくがゆえに、逆に、ナショナリズムや国家としての機能がより重視される(機能しないがゆえに)というなかなか難しい時代にはいると思ういます。なので、大きな傾向としては、左翼ががんばらなければいけない時代なんだと思うんですよ。そうでないと、たぶん個人の権利は軽視されていく傾向があると思うのです。これは現実からくる必然なので、それにあがらうためにも左翼勢力がちゃんと政治権力を握らないとしんどいと思うのです。でも、もちろん時代は、地政学的な争いが普通のようなな、かなり国際競争が(軍事的な意味で)厳しい時代に向かうはずなので、そうすると現実論が当然、主軸になると思うんですよ。だから左翼が現実認識を持ってやっていかなければならない、、、と思うと、日本の左翼やそれを支持する勢力の、なんと言うか現実感覚のなさが、いつもげっそりします。左翼があまりにレベルが低く現実を見ていないので、いろいろな構造的な問題はあるにせよ、選挙で現実論が圧倒してしまうんですよ。みんなばかじゃないもん。なので、あまりお花畑な議論を言うのではなく、こうした現実を踏まえて、どうするの?というのをいえなければ、説得力をもてないし、結局のところ、世の中を権力を変えることができないと思うのですよ。選挙とか民主主義は、言い張り可能な世界でのどっちの幻想が正しいかを争うようなものではないので。いや本当に不思議で仕方がないんですよ、戦後、日本は自民党の単独政権でほとんど来たわけなので、今の構造的な問題点はほとんど自民党のせいなわけですよ。まぁこういう言い方は変で、国民が選挙で選んだんですけどね。けど、なのに、最も現実にあわせて、ちゃんとした政権を選ぶとなると国民は自民党をまた選んじゃう。一回政権交代があって、みんなほとほとあきれたというか、いやになってしまったんだろというのは、回りの意見を聞いているとよくわかります。。。スペインやスコットランドのケースを見ても、いまのこうした先進国の中産階級が没落していく傾向の中での不満感をちゃんととりこんで、左翼が権力を取る傾向が出ているんで、そういうのって可能だろうと思うんですよね。なのに安倍政権を見ていても、そうしたナショナリズム的なものは全部とられちゃっている。やめろといっても、ああいうネトウヨというか、国が貧しくなっていく中での、責任を外に求める傾向は、なくならないと思うんですよ。世界的な先進国の子潮流なので、歴史的必然。日本だけが、そういうのはいかん!とか幻想を言ってみてもなくならない。では、どうそれを取り込んでいくかが、重要だろうと思うんですよね。今は民主主義というのは、劇場型の民主主義ですから、そういうの取り込めないと、物事は動かないのだから。
「ホルムズ海峡の封鎖は非現実的だという主張がありますが、何をもって非現実的と言えるのか。過去何度も封鎖の危機にあったことを無視するのか。現実に海上自衛隊の掃海部隊が派遣されて掃海の任に当ったことを無視するのか。また停戦前は危険だとの見解はどういうことか」
「停戦前であれば、海上自衛隊掃海部隊の派遣は駄目、その代わり無防備のタンカーは危険を承知でペルシャ湾やホルムズ海峡を航行するのはやむを得ない、シーレーン確保のためには船員の犠牲はやむを得ない、と言うことでしょうか。安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権を行使しての機雷掃海に関しての質疑応答が注目されています」
「国会議員の先生方は掃海やホルムズ海峡に関しての知識がないのは当然ですが、事前に専門家からのレクチャーは受けているのでしょうか。あまりにも無知、ピンボケの質疑応答に唖然とします。この程度の知識で国家の政策が決まっていくのが怖ろしいほどです」
「思い起こせば第二次大戦突入の重大決断が事前に論議さえも行われず、一部の重臣だけで決定してしまって、聖断としてまかり通ったよりは幾分進歩したと見るべきなのでしょうか。防衛省幹部は『制海権、制空権を確保したエリアであれば、停戦前でも掃海は可能』と強調しています」
ミサイル時代、制海権、制空権の確保は難しい
「しかし、ミサイルが飛び交う時代、制海権、制空権を確保したとは言えず、絶対安全とか安全確保などは何処にいても保証されるモノではありません。従って何処にいても危険はあることを前提として行動するしかない。我々タンカー乗りは常に死の恐怖と闘い、臨戦態勢でことに臨んでいました」「それは職責としてやむを得ないことであり、それを覚悟で業務に従事していただけで、崇高な理想があった訳ではありません。しかし、結果的には生命線である原油を滞りなく運んで、国民の日常生活に混乱はなかったし、国民もまたそのような危険の中、輸送に従事した我々に感謝どころか、その存在にさえ気付いていません。それで社会は円満に動いているのであって、お互いが職責をまっとうしただけです。それが社会の歯車と言うべきでしょう」
ホルムズ海峡「無知、ピンボケの質疑応答に唖然」元タンカー乗り、怒りの直言
http://blogos.com/article/120106/
こういう話を聞いていると、日本の地政学的構造というか、日本の歴史的な構造って、何も変わっていないんだなと思います。ようは、エネルギーの自給自足が、国の根幹にかかわる問題なんです。日本が自立して生きていく道は、究極2つしかないようにおもえます。石油(期間エネルギー)を確保する!、、言い換えれば、帝国を形成して、領土的か経済植民地化はやり方ですが、とにかく自前で、言い換えれば自己の軍事力のみで、そのエネルギー源を支配下に置くこと。そうでなければ、アライアンス(同盟)を組んで、そのアライアンスで、エネルギー源を確保する。どっち道エネルギーはいるわけです。この選択肢が狭まれば狭まるほど、日本は他国の支配や影響を受けやすく、選択肢が広ければ自由度がまします。たとえば、原子力発電の比率を上げるというのは、このエネルギー問題の依存度を下げようという、国家の歴史的宿命からの離脱の意思があるわけです。もしくは、満州国とか南進政策も同じです。自前の軍隊で、経済圏を確保できれば、アメリカの支配というか影響を跳ね除けられます。けど、これができなければ、それは中東の石油頼るしかなく、それだからこそ、中東を支配しているアメリカとアライアンスを組んで、下僕のような立場でも甘んじて一緒にしなければならないわけです。けど、別に、日本はアメリカの植民地でもなければ奴隷でもないので、当然に、ある程度対等な仲間として、中東の石油を支配するためのシーレーンなどの安全保障への参加を求められます。それはあたり前の話。というか、何にもしないで、過去に大日本帝国を建国して世界を相手に戦争をやったくらいの大掛かりな目的(経済的自立と安定)を、達成できるわけないじゃないですか。
そうした構造は何一つ変わっていないのに、日本の議論の中に、こうしたエネルギー源確保の現実について、そのために働いている幾多の人々について、現実への直視がないのって、、、、なんだかなぁって。。。。
このこと読んでいて、ふとこの前読んだ川田稔さんの本を思い出した。日本の戦間期の安全保障を考え抜いた4人の構想を概観した本。確かに、この時期の日本人の思考と構想力は、いまこそ再度見直す価値があるかのだろうなぁと思いました。現実論として、軍事力をタブーなしで行使してできて、赤裸々なパワーポリテクスの中で、日本人が精いっぱい背伸びして考え抜いた構想です。それは振り返り、ちゃんと直視して、考える価値があるんだと思います。