『白銀の意思アルジェヴォルン』 大槻敦史 監督  リアルロボットものって、どういう風に定義を考えればいいのだろう?

白銀の意思アルジェヴォルン 第1巻 [DVD]

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★★4つ)

全体でいうと、安定した演出力を持つ、丁寧なアニメーションでした。僕は見ごたえがあって、好きでした。秀作ですね。ただ一つ言えるのは、この終わり方をどう評価するかによって、相当叩かれ宗亜紀はします。その話はあとで。


凄いい出来で、高いレベルが維持されているのに、何か一つ足りない感じがします。たぶん、アニメーションとして放映している時は、そこまで人気出なかったんじゃないかな、と思う。その不足感が、次も見よう!という強い意欲にはつながらなさそうな気がするんです。連続で見ていると、いい感じでなんですが。


いろいろ不足に思うところがあるんですが、パッと思いつく点でいうと、・・・・丁寧なアニメなんだけれども、マクロの政治の流れが、不明瞭な気がする。いや、丁寧に説明はしているんですよね。敵対する二大国が、「アランダス連合王国」と隣国の「インゲルミア諸国統合体」という国家が戦争をしている。どちら側も、軍事に傾き過ぎているので、軍人が大きな流れでクーデター的に権力を奪取しようという背景があるというのもわかる。その軸に従って、細かい積み重ねがされているので、だめだなーとか意味わかんねーとかそういう感じは全くないんです。渋くいいな、いいロボットもだなと思うんですよ。


でも、例えば、戦争でほぼ負けるだろう、弱い弱いといわれているアランダス(主人公側)も、最前線から首都の方に行くと、かなり安定した生活が成り立っているし、娯楽も物資の流通もいい。なので悲壮感を全然感じない。休暇に本国の奥に行くと、普通の日常がある。なので、国としてそこまで追い詰められていないので、カイエン准将などがいろいろ裏で暗躍する意味がわからなくなるんですよ。いま14話なんで、まだ展開がわかっているわけではないんですが、アランダスの国家としての困窮や追い詰められ具合、官僚的な腐敗などが、演出されないと、マクロの政治的なものが、凄い薄っぺらくなってしまうんですよね。戦争の悲壮感が強く感情移入されていなければ、兵士を確実に廃人に追い込むような武器の開発にGOが、実験機ならともかく、金儲けができるほどの安定した量産の許可が出るとは思えない。また、クーデター的なものも、まったく共感できなくなってしまいます。なので、いまいち、キベルネス・マニファクチャリング(武器商人ですよね)が狂気を犯してまで、そういうものの開発を進めるのも、微妙に納得ができない。そこまでやらなければならないというようなマクロの背景を用意しないと、やっぱりいまいちになるんだと思うんですよ。


なので、丁寧に演出しているんですが(違和感があるほどではない)いまいち、深い面白さを感じさせられない。いいかえれば、地味なんです。そう、地味なんですよ。非常にオーソドックスなドラマを展開しているんですが、オーソドックスすぎてケレン味がない。それをダメといっていいのかは、難しいところ。いい仕事しているわけだから。破綻もせず、オーソドックスにまとめる力は、水準以上の安定した仕事が必要なわけで。こういうリアルロボットもののドラマとしては、本当にオーソドックスにまとめている。それに、14話の時点で、インゲルミアは侵略意識丸出しで攻めては来ているんですが、大義は、アランダスの解放と繰り返しているんですよね。その具体例はないんですが、、、、そうすると、まぁある程度嘘だとしても、そういう理由があるかもしれない?と思ってしまうんですよね。アランダス側の防衛の根拠も、ナショナリズムも描かれていないので、感情移入が深くできないんですよね。そのかわりに、善悪二元論的な善と悪の対立に激しく向かっていくドラマトゥルギーが発動せず、ひたすら職業軍事的な、戦いの日常の視点で話が進んでいきます。そこは、ある種、極端な話に飛躍しないため、という視点で見ると、渋くてなかなかいいという言い方もできます。悪くいえば、地味で目立たないとも言えます。このあたりの職業軍人の視点に、現場の視点に寄り添うのは、リアルロボットもの的には、新世界系の方に酔っているのかな、と感じます。この渋さは、確かに今の時代の感性では、いいなと思いますもん。


この作品の肝は、アルジェヴォルンという新型機の開発が、乗っているパイロットとシンクロしすぎて発狂してしまうもので、それでもそれを売りたい量産の開発を武器商人の巨大なコングロマリット?が、裏で戦争を起こして、操って、という話なんですが、、、要はラスボスがいないで、非常に現実っぽい話をしているんで、ドラマトゥルギーが発動しないんですよね。もし、善悪二元論的な、最終戦争的なものだと思うのですが、その物語のドラマが進まない場合は、もっと現実の悲惨さを際限なく、それこそ新世界的に、積み上げてしまわないとだめだと思うんですよ。そのわりには、メインメンバーは全く死んでいないし、祖国が崩壊するレベルの戦争なので、命令も、そんなにひどいものだとは思わないんですよ。それこそもっとえげつない、ありえない命令とか、人のいやらしさとか、上層部の官僚的なド汚さなさとかがガンガン出てもいいと思うんですよ。でも、さほどでもないので、、、、、、、戦争の、もう止められない悲惨さみたいなものを描いてくれないと、リアルロボットもの、、、その定義はまだいま考え中ですが、リアル(これがなんのか・・・・?)な印象というかインパクトを受けないんですよね。


いわゆる乾いた戦争もの系統の、まぁ『プラトゥーン』とか『地獄の黙示録』とかそういう感じのものですが、そういう悲壮な演出の方向でなくて、ドラマで、このあたりの戦争の、もう戻れない感が良く出ているの最近で読んだのは、『とある飛空士への誓約』ですねー。8巻素晴らしかった。マジ泣きした。

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でも、これってロボットアニメにおける新世界系なんだろうなぁ、と思うんですよ。なので、この抑制された、乾いた感じがずーっと演出がキープされている。


ただ、この地味な作品を全体的に評価するときに、リアルロボットものの結論であった、ガンダムZの発狂エンドをベースに考えると、非常に面白く文脈が構成される。善悪二元論を追求してリアルに考えていくと、主人公は、発狂するしかエンドがない。リアルロボットものの結論、袋小路は、そこです。これ、この系統の物語を一旦展開してしまうと、必然的に収束させようとする時のほぼ唯一のテンプレート的な回答になるんです。


そして、新世界系、、、、内面世界に逃避して、悩む、いいかえれば決断をしなくなることがセカイ系だとすれば、逃避しない、悩まない、自分の意志を貫くこと、またループものの楽園的なものを排除するために、リアルにずぶっと触れる形として、ひたすら厳しい現実をぶつけてくること。



それを踏まえてみると、興味深いのは、開発者のナンジョウ・レイカは、既に発狂しているんですよね。もう死んでいる。




白銀の意志ってなんだ?????



これって、リアルロボットもの結論だった、カミーユの発狂によって戦場を終息させる、あれじゃないかと僕は思うんですよ。ようは、もう作り手には、終わり方が見えている。うゎーーとって叫んで、敵味方を超能力(人の意志)みたいなもので、戦場をすべて止めてしまうってやつです。戦場は止まるんだけど、その代わりそれを媒介した主人公は、発狂して死ぬ。上手い言葉がないんだけど、アルジョェヴォルンは、それを、善悪二元論を受け止めきれなくて発狂する形ではない形で、処理しようとあがいた形がこれなんじゃないか?って気がするんですよ。

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そう考えると、いくつものサインがある。ナンジョウレイカが先に死んじゃっているのも、こうしちゃうと物語の処理のために、最後に戦場のすべてを引き受けて死ぬというドラマトゥルギーが二番煎じになってしまうので、やりにくくなる。なので思った通り、意思を継いだ隊長は、死ぬことはありませんでした。死なないで、善悪二元論の狭間での外交交渉担当官として、ぼろ雑巾のように使われ続けることを暗示しているラストです。平和って、まさにそういうことなんですよ。シゴトとして、ギリギリの矛盾を抱え込んだまま、右往左往し続けていくこと。これ、こういうエンドがある物語では、かったるいように見えますが、時間が続いていく現実世界では当たり前なことなんです。またナンジョウレイカが暗示する、人の死なない戦争という矛盾溢れた不可能な理想を継承するのが、弟と隊長(元恋人)という形でドラマが分散しているのも、物語としては、本当につまらなくなるやばい手ですが。そのかわり、ドラマトゥルギーが袋小路に陥りにくくなるってのまるんですよね。


ちゅーか、そういう仕掛けが、非常に意図的としか思えないように配置されている。そうすると、善悪二元論の類型に確かにいきにくくなる。構造的に善悪二元論の話を、リアルロボットものをしようとすると、いまだ答えの出てない善悪二元論の類型に引きずり込まれるんですよ。いまだこのブログでもこの類型については、マクロ的に三軸にするというアプローチ以外の突破口は見いだせていません。もちろん、演出上のいろいろな終息の仕方はありますが、どうしても、そもそも敵と味方に別れて戦うというドラマを演出して、本気で突き詰めると、そこ以外なくなってしまうんです。リアルロボットものエンドは、どうしても最後にクライマックスを持ってこざる得ない形での大会戦で、それを無理やり止めようと主人公が、意思の力で!!!(どうしても超能力とか幽霊、心霊現象っぽくなるんで、サイコミュとか人の脳波を倍そうさせるとかそういうテクノロジーがプレセットとされてその???を和らげる)なんとかしようとして、人の意志や矛盾やそれまで積み上げてきたドラマを自分一人で抱え込む形で、発狂する。


でも、これ、ナデシコ見ている時にも感じたんですが、そういう構造を超えたいのか、したくないのか、パーツパーツでそれができないような仕掛けたくさん作るんですよね。佐藤竜男監督、この場合は、演出ですが、その匂いをンプンプン感じます。この人って、解決策を探すやり方よりは、構造的にそのように話が進まない形にしておいて、寸止めで物語を終息させるような話を作っている気がします。どこかでそれを抜けられるところを見つけたら、行くぜ、見たいな。もっとほかの作品を見てみないとわからないですが、そうだとするとプロの技ですね。このあたりのことを、これからもコツコツ追ってみようと思います。


最後に、


ちなみに、3ケタ間違えった???ってなんだろう?


新入社員ぐらいだとすると、数百万(危険手当込み)としても、10億単位?????って働く必要なくない???。この話の内容からして、しかも危険地帯の手当てからすると、100億単位であったもおかしくない。だったらライバル会社に勤めるよりは、会社起こせよ!!!って思ってしまうんですが。


だとすると、いいエンドだと思うんですよね。


白銀の意思アルジェヴォルン 第5巻 [DVD]