『バービー(Barbie)』2023 Greta Gerwig監督 分断の向こう側を射程距離にし、自分自身を見つめるときには身体性に回帰する

評価:★★★★★星4.9
(僕的主観:★★★★★星4.9つ)

今月(2023年9月)のアズキアライアカデミアの配信でLDさんたちと解析をしようと思い、無理やり半休とって会社抜け出して見てきた。いやはや、見事な作品だった。いつものごとく見終わったらノラネコさんのブログで復習するのだが、この監督だったんだと、驚き。『レディ・バード』(2017)や『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)の Greta Gerwig(グレタ・ガーウィグ)監督の思想性あふれるキレのある演出が、最初のシーンから鮮やか。キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)の人類の夜明けののように、赤ちゃん人形をぶち壊し、投げつけ、蹴りつけるシーンは、少女のかわいがる人形は赤ちゃんという固定観念の中に、鮮烈に登場したファッションドールのバービー人形の衝撃の歴史が見事に描かれている。このシーンだけで、思想性は深いは、演出はかなりぶっ飛ばして指し込んでくる作品なのは、想像がつく。内容的には、ロバート・ルケティック監督の『キューティ・ブロンド』(Legally Blonde)2001を思い出すんだけれども、思想的な鋭さが、さすがのグレタ・カーウィグ監督。よくぞこの監督を、この脚本を起用したなって感心する。最近のハリウッドのセンスは、なかなかガンバっているなって気がする。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(The Super Mario Bros. Movie)2023もそうだったし。2023年は、素晴らしい映画の目白押しの気がする。

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🔳男が中心の社会 VS 女が中心の社会の対立構造から何を読み取るか?

この作品は多面的に読み取れる作品なので、色々な解釈はあると思う。何よりも、イデオロギー、思想的、関連的に分断が起きそうなテーマにエンタメで切り込んでいる形なので、簡単に炎上しやすいと思う。だからまず見るべきは、どちらの主観的な感想を抱いたか?ではなくて、どういう構造が提示されているかで分析したほうがいいと思う。この作品の構造は秀逸にしてクリアー。女性が全ての権力を握るガールズパワーの理想郷である「バービーランド」と、「男社会(patriarchy、英語は“家父長制”)」である現実のロサンゼルスとの二元的対立から、「何を読み取っていくか?」という構造になっている。途中でケンが、ケンダム(ケンの王国)を作ろうとするんだけれども、これはすなわち、現実のロサンゼルスの男社会(patriarchy)をモデルにしたコピーだから、対立構造はその二つでいいと思う。この映画を分析するならば、この対立構造から、何をどう読み取るか?という視点だと思います。


🔳単純にフェミニズムでもなければ、その逆の弱者男性からのリベンジでもない

人によっては、現実の「男社会」にハマってマスキュリン(masculine)的な振る舞いでバービーランドの女たちを洗脳していくケンの様子を戯画的に描いて、馬鹿な男だと断罪するフェミニズム映画に見えます。しかしながら同時に、ボーイズナイトでバカ騒ぎしマッチョイズムで女を従属物として軽く扱って小馬鹿にする、そのシーンが、女性を軽視していると嫌悪感を感じれば感じるほど、「全く同じこと」を、バービーランドでバービー(女性たち)が、ケンたち(男性たち)にしてきたことの裏返しでもあり、その告発と復讐を受けていることは、普通に映画を見ていれば実感してしまいます。なによりも、主人公の「定番バービー」であるマーゴット・ロビー (Margot Robbie)が、明らかにケンに対して、申し訳なかったという罪悪感を感じている。この憐れで悲しいケンの姿は、弱者男性からのフェミニズムへの告発にも見えます。

ここがやはり現代的で素晴らしいのは、じゃあ、どっちが悪いのか?というと、そんな単純な善悪二元論にできないところ。バービーがケンを従属物として扱ってきたことも事実だけど、それは現実世界で女性があまりに軽く扱われてきたことのアンチテーゼとして女性に夢と希望を与えるために作り出されたものであるわけで、現実では、女性の立場は厳しい。バービーという商品を作り出したマテル社に「定番バービー(マーゴット・ロビー)」が乗り込むと経営会議のメンバーが全て、男性になっている様は、グロテスクかつコメディ的な男が支配する世界へのカリカチュアライズで、、、、なんというか、怖いというか気持ち悪い「というよりは」、もうここまで一般化するとギャグにしか見えないなと思いました(笑)。現実のマテル社は、それなりに女性の経営陣がいます。さらにいうと、そんな資本主義の権化で、白人・男・老人的な黒幕の裏の支配者の男性たちが、経営、支配しているマテル社のバービーの開発者にして元社長は女性(ルース・ハンドラー)であることなど、全てが入れ子構造になっており、監督の思想性の鋭さと、射程距離の深さが素晴らしい。

僕が、明確に感じ取れたのは、男性でも女性でも、相手を虐げて自分たちだけが主人公になるような「やり方」は、すでにもうダメなんだというメッセージ。そのような攻撃性は、分断と戦争を生むだけ。

最近の日本でもアメリカでも、見事に大衆的評価を得る作品は、「どっちでも読み取れる」にもかかわらず、全体を見ると二元的な、どちらかの正義の側に立つことができなくなるような「分断の向こう側」を考えるものが多い。本当にクリエイターの人々というのは、素晴らしい。この辺りは最近この手の話の分析には、倉本圭造さんの記事がいつも楽しく読ませてもらっている。

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🔳アホなケンにとてもシンパシーと愛情を抱くんだけど、バービーが全く恋愛対象に感じないところが秀逸

そして、これが、最後の最後で4.9であって、5.0になりきれない、しかし大傑作だと僕が感じてしまったところ。この作品で最も、僕がグッときたのは、権力を全て奪い返されて、定番バービー(マーゴット・ロビー)が、ケン(ライアン・ゴズリング)が、憐れにもめためたにやられてしまっているシーン。このシーンで、バービーは、初めてケンの思いを知る。ケンは、Beach off(ビーチで競争しようぜ?ぐらいの意味かな?)ばかり連発してたアホですが、彼は、住む場所もな職業も何もない、ビーチのそえもの、、、バービー&ケンであって、脇役に過ぎない。脇役にすぎず、従属物のパーツとして軽く扱われる苦しみをバービーは、たったいま味わったばかり。二人は、初めて「対等な目線」を手に入れたんです。定番のバービーにしても、アイデンティティを探して、独り立ちせよと言われても、本当に苦しい。だって、何もないままで、バービーランドで生まれ落ちてしまったのだもの。だから、僕は、胸がキュンキュンするくらい、この「負けちまって弱さを曝け出している」ケンに、胸がときめきました。定番バービーも、これには痛く感慨深く、深い同情心を示して、愛おしく感じるのが伝わってきます。こういう弱さをさらけ出した男の子って、胸がときめきますよね。

これは、定番のロマンチックな恋愛路線の発動か!?。

が!!!しかし!!!、それでケンが抱き寄せてキスしようと迫ると、「いやそっちじゃない」と、軽やかに拒否します(笑)。これが素晴らしかった。恋愛関係や対象でなくとも、愛おしさや共感や絆の意識は持てる。けれども、やはりこの流れで「流される」ほどバービーはアホじゃない。この辺りの、バービーの主体性というか、バービー自身が一人の人間として見て、ケンは必要ないわなというのが、ちゃんと感じれるところにうまい脚本だなーと感心する。定番バービーにとっては、対等に見たときに、非常に共感できる存在であるケンですが、彼と恋愛関係の一般的な物語が発動しても、全く幸せにはなれないし、なによりも「男社会(patriarchy、英語は“家父長制”)」の再生産なるだけというのは、ナチュラルにわかっているですよね。頭でっかちではなく、身体で。これも素晴らしく現代的。2020年代の感覚だなと思う。


そして定番バービーは、現実のLAの世界に足を踏み入れていく。自分のアイデンティティを探すために。


僕には、「閉ざされた理想郷からの脱出劇」の類型、ジム・キャリーの『トゥルーマン・ショー』(The Truman Show)1998やトム・クルーズの『バニラ・スカイ』 (Vanilla Sky) 2001を連想するのですが、Greta Gerwig(グレタ・ガーウィグ)監督の描き方には、この時代の脱出劇のカタルシスが全くないように感じました。だって、現実の男社会であるロサンゼルスに、言い換えれば我々が住むこの世界に生きるのって、かなりしんどいじゃないでか?す(苦笑)。れはカタルシスにはならないことを、我々は幾多の脱出劇で知ってしまっています。けれども、ケンとかと恋愛にしても、王道のラブロマンス路線も、それって男社会の再生産に貢献するだけで、全然面白くない。なので、カタルシスという観点から、僕はマイナス0.1をしました。物語として、どういうオチをのもちかでカタルシスを感じさせられるか?というのは、もう一捻りいるのかもしれませんね、次世代の物語には。とはいえ、この構造を示すだけでも、全米の巨大大ヒットを生み出すことからも、今の時代の観客には、この多面性を受け入れる度量と需要があるのだと感動します。少なくとも、これはアメリカの良識、懐の深さを、クリエイターにも観客にも感じるすごい出来事だと思いますよ。

トゥルーマン・ショー (字幕版)


🔳イデオロギーの関連に毒されないことが大事

ちなみに、Greta Gerwig(グレタ・ガーウィグ)監督は、女性の作家らしく、では、定番バービー・・・・才能も職業も何もない普通の人である彼女が、「自分探し」をするときに、何が必要か?について、明確なメッセージを打ち出しています。ラストシーンが、嬉々として、誇らしげに足を踏み入れたのは、「婦人科」でした。何を示しているかというと、えっとですね日本語字幕だと「お股ツルツル」とか「性器がない」とても上品な表現になっていたんですが、英語で聞いていると超強いメッセージで、ヴァギナねえぞ!みたいなもっとお下品どストレートに僕は感じた。これ男性優位とか女性優位の世界を二元的に創造しようとするとSF定番の問題意識があって、「生殖をどう扱うか?」で世界の基盤が決まってしまうんですよね。バービーランドの世界は、役割が固定化しているので、生殖による再生産がない世界だったわけです。監督は、この生殖がない世界に生きていた「お人形さん」としてのバービーに、自分自身を知る第一歩にして本質として、「自分の身体性を直視する」ことだと喝破しているんですよね。やっぱ、この場合、婦人病の病院行って、自分の体をケアしなきゃ!というのは、イデオロギー的な観念論に毒されない、2020年台の等身大の物語に感じて、僕はいやーいいなーなるほど、と唸りました。「そこ」を忘れちゃいけないよね。さすがの、監督でした。


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