この作品はすごい。
目標に向かって、全速力で駆け抜ける時の「その中で見える世界」が詳細に描かれている。
ええとですね、この物語三昧のブログを長く読み込んでくれている人にしかわからないかもですが(笑)、アラフィフのペトロニウスは、
遠い目標だけを目指して、ランキングトーナメントの世界で競争して、目的の奴隷になる生き方ってのが、好きではないんですね。
その理由が難しいのですが、それは「自分がいつもそうやって生きてきた」からです。まぁだからと言って、僕が、いのりさんのような、光ちゃんのような、オリンピックを目指すような物凄い人ではないんですが、でも、やっぱりこの窒息しそうな世界で生きてきた感じがすごいして、この「周りのことが見えなくなってしまう世界」で、どう上手く生きられるのか?、どうやって、この生き方以外の生き方をさがせるか?、その方が幸せになれるんじゃないか?ってのが、いつも僕のブログ(思索)のテーマでした。もう20年近く書いていますからねー。ただこの10年ぐらい、たぶん2010年代くらいから自分が大人になったのか、ようやっと、「そうでない生き方」ができるようになって、水の味がわかり、呼吸も楽になってきた気がするんですよね。
でも、そうして、落ち着いてみると、
遠い目的に向かって、無我夢中で生きている生き方の美しさ、素晴らしさ
ってのが、一周も二周も回って、見えてきたんですよね。なんの心境の変化ななのかなぁ、、、一つには、自分の子供たちを見ていると、僕のような息苦しさがなくて、平然と物事にブッこんでくるっていうか、「そんなにやっちゃう?」って感じで、がんばるんですよね。僕は、子供の頃なんでもがんばるのが嫌でしんどいと思ってやっていたのに、うちの子供たちは、明らかに楽しそうに自分の意思でやっている・・・世代なのか、自分の子育ての仕方が上手いのか(笑)、、、、ちなみに、僕は運動だっい嫌いでこもって本とか読んでいるのが好きな人なんですが、うちの子供たちは、生き方も発想もアスリートっぽくて、なんで、親が大嫌いなスポーツそんなにハマれんだろう???って、いつも、驚きます。まぁそれは良いとして、自分自身も、楽しく仕事できればいいやというスタンスでやっていたんんですし、なるべく上を狙わないって方針で生きてきたはずなのに、こう、出世とかすると、やっぱり、なんかこう上を目指して集中するつて楽しいよなって気分が最近、こう沸々と湧くんですよね。
と、この辺までは自分語りでしたが、物事が一周も二周も回って、
成長にかける情熱の解体のフェイズが終わって、成長物語への再帰的な回帰が戻ってきている気がするんですよね。
1巻から、この作品って、全速力で駆け抜ける「無我夢中」・・・・夢の中にいて、自分さえもないような成長を続けるのいのりさんの姿が見れるんですよね。
もちろんそれもすごいんだけど、10巻で、司先生が、強化合宿との先生方と飲み会になって、指導方法について議論するシーンが、なんかすげぇって唸りました。何がって、ものすごく科学的だし、システマチックだし、小さい子供の頃から、体の生長期を超えて凄まじい戦いを継続しなければならないノウハウが、制度として、コーチ陣の意識として、つまりにつまっている。こりゃ、日本がスケート大国、強豪国だって、なるほどだって思いました。次々に、光やいのりのような超弩級の選手が生まれてくる土壌が、これでもかって伝わってくる。
僕の中での、勝負の世界でランキングトーナメントの中を生きることって、この二つの記事を書いたような世界の住人というイメージだったんですよね。『エースをねらえ』とか『青空エール』みたいな。『エースをねらえ』は、時代が、制度がまったく追いついていない中で、個人の才能と、その巨大な才能をいじめ抜き重圧をかけまくり、何かの化け物にして、命すらもかけさせていくというのが、描かれているのですが、、、、なんでこんなに動機のモンスターみたいな、存在の全てを、個の幸せを無視して貫き通す物語のドラマトゥルギーになるかというと、「制度」や指導方法のノウハウと組織が確立していないからなんですね。要は近代化の途上にある国なんです。そして、それがある程度行き着いても、やっぱり、そういう昭和的なシステムって継続していて、「その世界で生きる」ことの窒息感は、あまり変わらないなって思っていたんですが・・・・
小林有吾さんの『アオアシ』やCuvieさんの『絢爛たるグランドセーヌ』、つるまいかださんの『メダリスト』を見ていると、この昭和的な動機のモンスターの部分に、ちゃんと近代を超えて現代的な、制度や指導方法、スポーツを上手くなるための科学的・技術的な課題が、ビルトインされている気がするんですよね。令和的な制度アプローチとでも言おうか。
https://www.youtube.com/watch?v=7oDE3x37Cw8
www.youtube.com
これまでは動機の天才のようなモンスターが、ありとあらゆる壁をぶち壊して世界の頂点を目指すような天才の物語だったのが、、、、天才の物語ではあるが、そう言った存在が定期的、世代を超えて、「現れ続ける」仕組みをすでにその業界が持っている前提で、物語が進む気がする。ああ、日本は、ここまで成熟しているのか、と感動します。
サスティナビリティがある感じがするんです。そしてその中では、小林有吾さんの『アオアシ』やCuvieさんの『絢爛たるグランドセーヌ』の主人公たちは、もちろん天才ではあるんだろうけれども、モンスターのような動機ばかりではなく、人生を楽しむすべを知っていながらも、「それ」を選んだ感がとても強い気がする。
このあたりは、とても面白い変化なので、今後も追っていきたい。
スポーツ漫画の人気作風は平成の「初心者が次第に成長していく」パターンから、『ブルーロック』『ダイヤモンドの功罪』などのように「天才がどうやって才能を使いこなすか」の作風に移行しつつあるけど、この嚆矢は何だったろう?
— 深井涼介 (@fpworks) 2024年3月30日
このあたりのも。