『好きでも嫌いなあまのじゃく』柴山智隆監督 これだけパーツが揃っていて、統合して面白い物語にできなかった監督の罪は重く感じます

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評価:★★星2つ
(僕的主観:★星1つ)  

株式会社スタジオコロリドの最新作『ペンギン・ハイウェイ』(石田祐康監督)、『雨を告げる漂流団地』(石田祐康監督)がむちゃくちゃ素晴らしかったので、期待してしていたのですが、落胆でした。僕は背景や内部の事情はよくわからないのですが、やはり作品の評価を全て受け止めるべきは、監督とプロデューサー(そのプロジェクトのトップ)だと思うので、一視聴者として、とても面白くなかったです、とはっきりお伝えしたい。それも、音楽、キャラクターデザイン、映像の造り込みなど、かなりのレベルで素晴らしいだけに、流石に残念すぎました。どうしてこうなった?って。

僕は、基本「良いところを探そう」のスタンスで感想を書いているので、まず酷評まではいかないのですが、今回は、酷評。これはダメでした。目眩するほど眠くて、なんでこれ見ているんだろう?と何度も自問しながら見ていました。あまりに面白くなかったので、普段はそういう時は、悪口になってしまうので、感想は書かないのですが、ここまでひどいと、自分の何が「ダメだったか」、「許せないと感じる」かは、むしろ良かった探しよりも自分の批評のスタンスが明確になるので、思い出ということで、残しておきます。

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🔳主人公柊くんの動機が全くわからないので、なんの物語が進んでいるのかが、最後まで全然わからなかった

脚本の構造がとても悪い。結局のところ、八ッ瀬 柊(やつせ ひいらぎ)くんが、何をしたいのかが全然わからないので、物語がどこへ向かっているのかが全然不明。だから全ての設定が結びつかない。

  • 言いたいことを言えないと体から白い煙(小鬼)が出る
  • 鬼の隠れ里は自分の気持ちを言えない鬼たちが暮らしている
  • 柊に生えた角の意味


このへんの設定が、あまりにモヤモヤしていて、なんのつながりもない。普通に考えれば、これらのファンタジー現象が柊くんの悩める心象風景になっていて、彼の悩みが解決されれば、これらがなくなる?とかになるということなのは、そらそうなんでしょうけど。でも今、観終わった後で思い返しても、結局何だったのか?ってのが、よくわからない。とはいえ、ちょっと考えると、柊くんが


「父親(だけじゃなく他人全般)に言いたいことが言えない」という部分を、どのように克服して、他者と向き合えるようになるのか?というのがテーマ


なのは、考えればわかることではあるんだけど、「考えないとわからない」し、ドラマトゥルギーが、あまりに錯綜している。


えっと、初見観ただけの印象論なんで誤読もあると思うのですが、柊くんが


友達に掃除を押し付けられるシーン

父親が、俺に従っておけばいいんだ!毒親的に押し付けられて何も言えなくなってしまうシーン


が印象的だったんですが、どっちの問題を解決したいか?というのが、混乱するんですよね。多分「他人に言いたいことが言えない=他者に向き合えていない」ということのメタファーなんでしょうけど、「父親との関係を改善したいのか?」それとも「友達との関係を改善したいのか?」が、ぶれてしまって、どっち?なのという気になる。お話的には、柊とツムギが逃避行というか家出をする(=ツムギのお母さんを探しにいく)ところでお父さんが追ってくるので、親と向き合う話なのかな?とかなりつつも、、、、別にそこにも特に解決がもたらされるわけでもないし、そもそもなんでお父さんがそんな高圧的なのかも、わからない。ずっと理由なく高圧的ならまだわかるが、とても真剣に柊くんを追いかけてくれてて、単純に、お互いが心開いてないだけで、何も問題なくない?と思ってしまう。最終的には、学校で何かが解決したということもないので、そうするとあの学校のいいじめに近いシーンは、どう回収されるの?って思ってしまう。なんか、すごいブレブレに感じる。

というような、なぜ柊くんが、ツムギの母探しにつきあって、家出するのかの理由が、そもそもわからないので、、、、なんでそんなヤバい挑戦をするんだ?というのが、全然意味不明。意味不明なまま、話が進むので、心象風景の問題意識である「言いたいことが言えないと煙が出る?」みたいな設定も、ずっとずっと、???訳がわからないまま、話がすすんでしまう。心象風景だし、ジュブナイルで子供が見るから、わからなくても問題ないだろうくらいの、バカにされているのではないかといって、嫌な気持ちすらつきまとうほど、意味不明。心象風景でメタファーにすれば、説明しなくていいわけではないと思うんですよね。この煙?雪が出ることが、なぜそうなのか?が明確にわからないと、解決へドラマの展開が生まれないので、なんで?これは何?がずっとつきまとって、モヤモヤする。ましてや、この煙が、父親なのか、学校の問題なのか、いったいなんの動機と結びついているかが、最初の時点で結びついていないので、そもそも解決すべき問題なのかどうかすらわからない。いいかえれば、受け手が置いてきぼりになっているんだ。・・・・正直いって、分析慣れしていて、物語に慣れている、僕のようなおっさんの映画マニアが、置いてきぼりになって、???となるものを、小中学生が理解(体感)できるとは思わない。特に、僕は、主人公の同期とドラマの展開がリンクするところに意識を置く見方をする人なので、主人公の行動原理がわからないと、凄くイライラしてしまう。


たとえば、ディスコミュニケーションの課題が大きすぎて、異性に問題に手が回らないというか意識できない、という物語なら、やはりそこが課題になるはず。典型的に、これで大成功しているのが、超平和バスターズの『心が叫びたがってるんだ。』なんかが思い浮かびます。たぶん、やりたいのはこれ系なんだろうなって思うんだけど・・・・。

心が叫びたがってるんだ。



🔳ジュブナイルにしたいんだろうけど、だったら高校1年生はかなり設定ミス


じゃあなんで、ツムギの母探しに付き合うのか?というと、上の問題設定がないのならば、ボーイミーツガールで、ツムギが可愛いから一目惚れしちゃった、とかでも十分良いジュブナイルになると思うんですよ。それだけ魅力的な女の子だもの。デザインも、性格の描写も、とても魅力的。


でもね、そうでもないの。柊くんが、彼女に魅力を感じているようには全く思えない。


だってね、高校1年生なんですよ。旅館の同じ部屋の、隣の布団で、こんな可愛い女の子が寝てたら、ドキドキしたり、Hなこと妄想しちゃったり・・・普通でしょ。そんな思春期の反応が全くないんですよ。これ、物凄い違和感がありました。上品にしたいとかいう話ではなくて、それでは、人間としておかしいって気がしてしまいます。意識しないなら、しないなりの理由が欲しい。


それに、この旅館も狂っている。高校生の見知らぬ男女を、同じ部屋で寝かせるとか狂気の沙汰じゃないですか?。身元もわかっていないのに。


大怪我して運び込まれているんだから、部屋に運ぶ前に、警察に電話するか、救急車呼ぶでしょ、普通。すべては、柊くんの、妄想か夢でしたというような夢オチならともかく、あまりに常識から外れていて、さすがにそれは、、、、と思っています。この無理矢理に、人の好意を当てにしてロードムービー的に話を進ませるのは、新海誠さんの『すすめの戸締り』もそうなんだけど、あそこには、ギリギリのラインで、成り立っても仕方がない設定だった。さすがに、怪我して運び込まれてて、病院医つれて行かないとか、意味不明だと思います。この旅館の女将たちの反応は終始、理解に苦しむものでした。だから、リアリティラインを壊しまくり。多分2020年代の前半は、名もなき人々の善意を見つけ出すという感覚が描かれる気がして、『すすめの戸締り』や藤井道人監督の『青春18×2 君へと続く道』などがロードムービーで描いているのが典型だけど、この「最前線の日本の感覚」描きたいのはわからないでもないんですよ。僕は新世界系と呼んでいますが、2010年代の新自由主義的なとでもいおうか、バトルロワイヤルで、殺し合って生き残るサバイバルが基本お世界観から、時代が脱却しつつある証左なんだと僕は思うのですが、それを描きたいにしても、描きがうまくなさすぎる。多分全体のパーツのバランスの組み合わせが悪いので、旅館の女将たちの行動が、非常識な人に見えてしまう。


このあたりも、このリアリティラインの設定が、ほんとうにひどい。心象風景ファンタジーと現実の境を描くのならば、この辺の境界は、ギリギリ考え抜かないと、物語が破綻すると思う。


特に、この作品は、ちょうどのこの日の数時間前に『T・Pぼん』の「バカンスは恐竜に乗って」を観た直後で、同じことを思ったんですよね。どのレベルでこの作品を作っているのか?って。並平 凡(なみひら ぼん)は、14歳の中学1年生。相棒のリーム・ストリームという少女は、アメリカのミドルスクールの三年生だから、たぶん中2か中3くらいのお姉さんの設定だろう。というのは、この二人は、しゅっちゅう同じ空間で下着姿で着替えているので(笑)、これって小学生のノリだよなって。ぼんが、リームの下着姿を見ても、全く赤面していないのは、女子を意識していないから。これが成り立つのは、中学生が限界だと思うんだよね。この一線が頑なに守られているので、『T・Pぼん』は、ジュブナイルの香りが一貫して維持されている。さすがの出来だと思いました。だからいっさい、ドキドキとか思春期的な匂いがするシーンが、120%皆無。ここまで潔いと、さすがって唸ったよ。監督脚本家ともに、ちゃんと「わかってる」感がすごい。リームは、原作に比べてとても魅力的に美少女に描かれてい流のに、その要素を一切入れないのところが、むしろうまい。

けどさ・・・柊くんは、高校生だよね。それに、最後のシーンは、柊くんとツムギは、恋愛的に意識し合っているよね???それで、、、、相手を異性だと感じるドキドキシーンがゼロって、これもバランスが悪いというか、設定的にどっちの話をしたいんだよ?ってのがよくわからなくなってしまう。柊くんは、だいぶ悩み多き陰キャな人なので、彼の父とのディズコミュニケーションがメイン課題だとすれば、だから、ツムギを異性として意識しないというのは、高校生でもありだと思う。でも、ラストシーンで、あっさり、実は好きでしたみたいな話になると、おいおい、なんだったの今までのは?って不整合さが際立つ。それぞれの単体のパーツは、わからないでもないんだ。友達と向き合えないのでいじめに遭う。毒親の父親と向き合えないので支配される。偶然出会った女の子が苦しんでいるので、一目惚れしちゃってた救えてあげたくなる。どれも物語の軸になれるもの。でも、そのどれもが中途半端で、「どのドラマを展開したいの?」が終始わからない。柊くんの人格として、統合されていないんだよ。だから、本当に物語に入るのがしんどかった。いろいろな「チグハグ」感はあれど、ジュブナイル的な成長物語としての骨格やパーツがたくさんあって、組み合わせの問題に過ぎない感じがするので、、、、だとすると、これは、このパーツを統合して、言いたいことをシンプルにまとめきれていない、監督の責任だろ、としか僕には思えない。これだけの、映像の美しさ、音楽の美しさ、キャラクターの魅力、宣伝とかにかけているお金とかを見て、、、あとは組み合わせの問題だと思うのに、魅力ある物語を作れなかった監督の責任は、重いと思う。だって、ほかの部門で頑張った人たちが、報われないよ、これ。。。。いろいろ言い訳はあるんだろうけれども、ものづくりは作品が全て。ましてや、パーツパーツの素晴らしさは、すごいと思うので、とてもとても残念。★1は、許せないほどのレベルなんですが、、、何か間違っているとか嫌悪して許せないというものは、ほとんどないので、悩むところではあるんですが、、、、。ジュブナイルで、10代前半ぐらいの子供が見たら、それなりに悪くないって思うかもしれない。なので、★1の酷評するほどではないんですが、パーツがどれもかなり素晴らしい出来なので、これを統合できなかった罪は重い気がするんですよね。ここまで材料があって、普通レベルに持っていってくれていないのは、流石に、商業作品として許されなくない?って。小中学生が、どう見るかはわからないけれども、、、、やっぱりひどいなぁって思う。これを見ちゃうと、この監督の作品は、二度と見ないと思ってしまうもの。せっかくの、『ペンギン・ハイウェイ』(石田祐康監督)、『雨を告げる漂流団地』(石田祐康監督)のブランドが確立しかけていたのに、、、、。


監督は、心象風景と、ファンタジーの世界をうまく組み合わせたジュブナイルが作りたいんだなってこだわりは伝わります。でもなぁ、、、物語になっていない気がする。


🔳主人公が許されないほどひどいわけではないので、、、、

鉄のラインバレル』の時は、「その描き方は間違っている!」許されないと明確に僕の批評スタンスを確立した作品なので(苦笑)、これはこれで凄い作品だと僕の中では残っています。

petronius.hatenablog.com

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ただ、そこまで明確な瑕疵があるわけではないので、『好きでも嫌いなあまのじゃく』をどう位置づけていいかわからないなぁ。僕が感想を書いたり、なるべく評価をはっきりしようというスタンスに立っているからなので、消費者としては、多分見て、最後まで見れないかもで、、、そのまま二度と見ないだけで終わりだとは思うんです。僕は日本のアニメーションが大好きなので、オリジナルの設定でこういう仕事をするのは、とても大変だけど、価値がある仕事だと思うので、頑張って欲しいと思う。