『花野井くんの恋の病』 2020年代は、「何かの暗いトンネルを抜けて」新しい段階に入っている感じがするんだけど・・・・

花野井くんと恋の病(15) (デザートコミックス)

評価::未完のため未評価
(僕的主観:★★★★★5つ)

ブコメを見るときに、「病んでいるトラウマを持つ相手の心の迷宮」に寄り添う「心が健康な人」のカップルというのはよく見る。僕は、「救済のテーマ」として見るることが多いです。うまく伝わるかわからないですが、90年代-00年代ぐらいのころって、「子供時代に(大抵は毒親)から刻印されたトラウマ・ルサンチマン・心の闇」をもがき苦しむ作品が多かった。また、自分自身(ペトロニウスは1970年代前半生まれの50代)も、そうした作品にとても共感しました。『電波男』の本田透さんの『新世紀エヴァンゲリオン』に出てくるアスカへの思いなんかが、僕の中でこの「病んでる感じ」で連想するものです。この辺りの感覚は、庵野秀明監督の映画『式日』が時代の空気を濃厚に伝えています。


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少女漫画では、上の記事にでも言及していますが、津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』をあげています。


彼氏彼女の事情 21 (花とゆめコミックス)


導入でなにが言いたいかというと、1990-2010くらいの20年間は、「子供時代に刻印されたトラウマで闇に落ちていく」話って多かったなった、と。そして、これくらいの時代では、基本的には、「子供時代のトラウマは解決できない」言い換えれば、救済されないという「感覚」が強かった気がするんですよね。一時期一世を風靡した社会学者の宮台真司さんのブルセラ女子高生とか援助交際とか、この辺の語感のイメージも、常にこうしたトラウマによって救われないので、いろいろな「救われない繰り返しの自傷行為」をするものでした。


ええとですね、なにが言いたいかというと、


「病んでいるトラウマを持つ相手の心の迷宮」に寄り添う「心が健康な人」のカップ


というのはラブコメの定番なんですが、このテーマ重すぎて、だいたい「解決がつく」ことがなかったんですよね。2010年代までは。この関係のイメージは、今野緒雪さんの『マリア様がみてる』の福沢祐巳はと小笠原祥子ですね。

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けど、僕の感覚だとこのテーマが、とても「何かの暗いトンネルを抜けて」新しい段階になっている気がするんですよね。仲谷鳰さんの『やがて君になる』なんかが今パッと思いつきます。漫画は2015年に連載開始、アニメが2018年ですね。2010年代の後半。小糸侑と七海燈子の関係ですね。あれ、、、ラブコメと言いながら、自分の中で出てくる代表例が完璧に百合だ。

私の百合はお仕事です!: 1 (百合姫コミックス)

これもだ(笑)。2020年代は、「何かの暗いトンネルを抜けて」新しい段階に入っている感じがするんだけど、これが文脈的に言語化できていない。でも、このあたりの作品は、こうやってガンガンがあげることができるので、何か言葉があると思うんですけど。。。。

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まぁ、とりあえず、この漫画むちゃくちゃ面白いですし、何よりも胸がキュンキュンします。あ、えっとね、「女の子側からの視点」と「男の子側からの視点」が、とても平等でフェアに描かれているので、なんというか恋が深くエモいんですよね。だから、トラウマから救済のテーマがあると思うんですが、それよりも「恋の強度」が高くなるんです。うーんうまく説明できない。救済がテーマだと、「救われる側がテーマになっちゃうんですよ」。この場合は、明らかに花野井くんが、どのように救われるか?となるんですが、、、、そもそもタイトル自体が、「恋の病」ですしね。


でも、この手の話の定番は、「心が定番」な方が、めちゃめちゃ子供で、無垢さ、純粋さが、少しづつ恋を知ることで、成長していく様を描いて、「対等になっていく」形が描かれる。小糸侑と七海燈子、福沢祐巳はと小笠原祥子の関係性が、この説明にドンピシャで当てハマるのわかりますよね。


アニメのこのPV視点の切り取りは、この場合は心が健康な方の日生ほたるという「恋愛が全くわかっていない純粋な子供が」が、少しづつ恋を知っていくという部分にフォーカスして描いていますよね。

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でもタイトルは、『花野井くんの恋の病』なので、本来は、「花野井くんが主軸」の物語はずなんですが、なんだか、「等分に描かれている」気がするんですよね。なので、少女マンガにも少年マンガにも見える。少女マンガの視点で、超イケメンで心が病んでいる男の子を救う話ってもう定番。でも同時に、少年マンガ的に、無垢で純粋な女の子を自分色にストーカー的に染め上げていく、この男の中心主義的な視点って、男の子的な共感もしやすくなっている。えっと、少女マンガは、内面の救済(私だけが彼をわかってあげられる!)に萌えるが多いし、少年マンガはHな視線が入りながら女の子をモノ化してみて(俺のかわいい彼女!)エモる感じが強いと僕は思うのです。どっちも、エンタメの主軸のものなので、これが大きな原初の欲求なんだろうと思います。ただし、これはどっちも、「自分主体のエゴ視点」なので、交わらないので、普通は平等に同じ物語の次元で描きにくいと思うんですよね。でも、この作品って、最近のラブコメって、この両方が「平等に描かれていて」その分かり合えなさも含めて、「相手の気持ちってかなりズレているのでわかりあうのがなかなか大変だよね」的なバランス感覚というか、世界の透明性がとてもバランスが取れていて、よいんですよ、2020年代が、アメリカに代表とされる分裂と二極化で、ディープステイト万歳みたいな妄想の時代とは思えない、、、、なんというか健全で、もう最高。ちなみに、少年マンガ路線から、似た感じを受けるのは、『愛してるゲームを終わらせたい』とかですねぇ。これも、ええんですよ、ほんと。

愛してるゲームを終わらせたい(1) (サンデーうぇぶりコミックス)


話が本題に行きつかない、、、、(苦笑)。いつもの物語三昧クオリティです。



まだ僕も言語化できていないので、コツコツ考えたいし、このテーマ追うには、もう少し少女マンガ系を深掘りしなきゃいけなくて、最近、ここただ読んでいるだけで、ちゃんと考えていないなーって、思うので、時間取らないと。


ただ、そう思うわせるぐらいに、花野井 颯生と日生 ほたるのカップルは、素敵です。

この記事は、続く(たぶん)


えっと、ほんとは、森野さんの話をするには、下のこの漫画からいかないとダメなんだと思うんですよね。


おはよう、いばら姫(1) (デザートコミックス)