『ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)』 オリヴィア・ニューマン監督 とにかくアメリカ南部の田舎男の女性に対するDVがひどすぎる

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評価:★★★★☆星4.8
(僕的主観:★★★★★星5.0)

🔳あらすじ

ノースカロライナ州の湿地帯を舞台にしたミステリー。アメリカで700万部以上売れた2019年のディーリア・オーエンズによるベストセラー小説の映画化。基本的には、ミステリー裁判ものです。

1969年に湿地帯チェイスアンドルースで、田舎の人気者でアメフトのスター選手だった男が死んだのですが、その殺人の容疑をかけられた女性の裁判が進みながら、「湿地の娘」と呼ばれ差別されて住民から忌み嫌われているこの女性が、どんな半生を送ってきたかが追体験形式で描かれる。


🔳見どころ〜ノースカロライナの湿地帯の美しさ

映画を見慣れている人からすると、ストーリーはとても一本調子で、なにもケレン味はない。最後に、どんでん返しがあるのだが、基本的には、淡々と①裁判が進み、②それとともに彼女の反省が描写される、そして③最後に彼女が裁かれるのか?(まず死刑の可能性が高い)、本当に彼女は、男を殺したのか?という「問題」に向かって淡々と物語は進んでいく。なので、映画としての「面白み」やひねりというのは、ほぼないに等しい。


なのに、驚くような重厚感がこの物語にはある。


それは、この物語の主軸が、主人公の過酷な反省でも、殺人事件を読み解くミステリーでもなく、ノースカロライナの美しい湿地の風景の移り変わりにあるからだと思う。


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ぜひとも、映像を見てほしいのですが、アメリカの南部の湿地帯の美しさが、これでもかこれでもかと描かれている。それだけではなく、作者のディーリア・オーエンズはジョージア大学で動物学学士号を取得し、カリフォルニア大学デイヴィス校で動物行動学の博士号を取得した野生動物学者なんですよね。そして主人公のカイアも、この湿地で生きること、深く深く愛しており、彼女が世に出るきっかけ、食べていけるきっかけとなったのは、これらの野生の美しさを絵で描くことを継続してきたからなんですよね。だから、解像度が一般の作品とはまるで違う。確かに、アメリカの南部の湿地帯は美しいのですが、「この美しさ」、季節の移ろいは、「この湿地の完結した宇宙」に埋没して経験していないとわからない感覚なんだろうと思う。これほど、アメリカの湿地帯の美しさを見事に描いている映像は、僕は初めてでした。物語は一度見たら、そうかと思う話なのですが、主人公の半生が、この湿地に包まれて、家族に捨てられ、何もない中で一人孤独・・・・ではなく、美しい自然とともに抱かれたのがよくわかる。推理劇の裁判ものとしては、ストレートすぎて捻りは何もなく単調なのですが、これはそれを楽しむ映画ではないんですよね。

メル・ギブソン主演の『パトリオット』の舞台がどこかわかりますでしょうか。2000年に公開のローランド・エメリッヒ監督が作った作品なんですが、この舞台は18世紀のアメリカ南部。メルギブソンが演じるフレンチインディアン戦争の英雄であるベンジャミン・マーティンは、サウスカロライナ植民地に住んでいます。彼が、平民を組織してゲリラ戦術で、イギリス軍を追い払うのに重要な役割を演じるんですが、このサウスカロライナの湿地帯の中で、自由自在に動けることが、重要なんです。まるでベトナム戦争のようですが、ゲリラ戦術において、正規軍としては、圧倒的な強さを誇るイギリス、帝国軍に打ち勝つ理由がこれなんですね。あまり『パトリオット』の映画の説明で、そのことに言及しているのが少ないんですが、ここでもカロライナの湿地帯の風景というものがとても大事な要素になっています。アメリカの原風景の1つだと僕は思うんですが、なかなかそこに住んでいる、住んだことのある日本人がいないので、ここの部分がアメリカの原風景の1つだとは、日本人には認識されてないような感じがするんですね。なので積極的にこれを見ていくと、アメリカにおいてこの風景がどれだけ重要な位置を占めているのかと言うことがわかって、ものの見方が変わって面白いと思います。

🔳関連するアメリカ映画のおすすめ

マシュー・マコノヒー主演の『MUD -マッド-』(2012)が、アーカンソー州の河岸のボートハウスが舞台。

同じくマシュー・マコノヒー主演の『評決のとき』(1996)は、ミシシッピー州の街カントン。

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🔳とにかくDVがひどすぎる、1960年代といえども、、、

2001年の『キューティ・ブロンド』で世に出た、女優のリース・ウィザースプーンがプロデューサーですね。彼女は、とてもリベラルな人で、これもその傾向が強いですね。いやー、それにしてもDVがひどすぎる。確かに年代的には1960年代と言うこともあるので、今よりももっと過酷だったと、過去と現在の落差を言う事は簡単だろうと思うが、それにしてもあまりにもひどすぎる。

僕はあまりこういう告発型の、物事の「悪いところだけ」を見て、そもそもかなりのマジョリティーの部分で秩序が機能していたと言う点まで無視して解体していくという極端なポリコレの傲慢さはあまり好きではないですが・・・。しかしながら、ここでシンボライズされているのは、いわゆる南部の男と言うものだろうと思う。これは、ガチこうだろうなぁ、としみじみ思う。この辺は、『風と共に去りぬ』の時代から、ずっと長いこと維持されてきた超保守的な土壌ですから、これはそうなんだろうなぁと、なんか納得感がすごくありました。家父長制による秩序の感覚なので、多分、これは本当ですね。誇張じゃないと思う。

その視点で考えると、主人公カイア(キャサリン・クラーク)演じるデイジーエドガー=ジョーンズに対する父親のDVはあまりにもひどすぎるし、死んだ男も、本当にクズ。結婚しているにもかかわらず、彼女を搾取し続けるのも、本当にひどすぎる。とはいえ、初恋の相手の男だって実際は彼女を捨てて行っているわけで、これも結構ひどいよなと思う。なんというか、常に男性優位の世界(コミュニティ)すぎて、しんどい。いや、この映画で見たら、性別関係なく、カイアに感情移入するから、南部に住む女性の地獄を感じる。つまりこれはアメリカの田舎の男はみんなダメな人間であると言うことを言っているに等しくて、、、、これ見ている人どう思うんだろう、と感心してしまった。ただねぇ、家父長制の伝統秩序だから、ここは徹底的に告発されて仕方がない部分なんだろうと思います。多分自助努力で、自浄しないと思うから。


🔳プラネテスの黒人の話を思い出す

それと、『プラネテス』4巻のフィー姐さん過去回を思い出しました。あの作品では、少し知能に問題があった黒人の男性が、共同体のマジョリティーの暴力で、どんどん追い詰められて居場所を奪われて、最終的には破滅していくということが描かれていた。この類型の話は、いつでもあるんだろうと思う。共同体と言うのは、マジョリティーの秩序を守るために少数者を生贄に捧げると言う原理をずっと守ってきているわけなので、外からの介入がなければ、基本的には弱いものを生贄にしようとすると言うのは、ホモサピエンスの習性なんだろうと思う。そういった中で、この共同体のマジョリティーの暴力に対してこの少女が自分の人生の幸せを守り抜いた、しかも自分自身の力と才覚のみでと言うところが、この作品の凄みであり、この作品の主人公の凄いところだろうと思う。僕はポリコレ的な臭みは基本的に嫌いなんですが、この作品の彼女の生き方には非常にかっこよさを感じるし、またこの映画を描くことは確かに非常に意義があると言うふうに感じました。特にアメリカの田舎の男南部の男のマッチョイズムを解体させると言う事はそれにはある種の正しさを感じてしまうなぁと言うふうに思います。

プラネテス(4) (モーニングコミックス)


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